2011/12/31

年の終わりに。


昨夜、ネットのニュースで敬愛するコメディアン・内藤陳さんが亡くなられたことを知った。

60年代に結成されたお笑いトリオ「トリオ・ザ・パンチ」のリーダーであり、その決め台詞「おら、ハードボイルドだど」で知られているが(と言ってもR40限定だと思うけど)、俳優としても『麻雀放浪記』『月はどっちに出ている』など多くの作品に出演している。

その陳さんのもう一つの顔は、自ら立ち上げた「日本冒険小説協会」の会長さん(来年は30周年記念パーティーが予定されていたらしい)。自他共に認める“面白本のオススメ屋”としても知られ、20年以上前に書評エッセイ『読まずに死ねるか』を著しているが(月刊プレイボーイの連載エッセイをまとめたもの)、私も、陳さんの軽妙な筆致とパッションに導かれて、たくさんの“面白本”と出会うことができた一人。今も“面白本探し”に多少の嗅覚が働くのは読者として陳さんに師事したお陰だと思っている。
 
陳さんの最期を看取ったのは彼が店主を務める新宿ゴールデン街のバー『深夜+1(しんやプラスワン)』の従業員の33歳男性とのこと。ベッドの上ではなく、病室から出たお気に入りの場所で椅子に腰掛け、笑顔のまま穏やかに逝かれたらしい。ハードボイルド小説を愛した陳さんらしい幕引きだなあ……と思う。心からの感謝と哀悼の意を表したい。合掌。


さて、今年も余すところ10数時間。体も心も揺れに揺れた2011年をどんな内容で〆ようか……と考えていたら、こんな言葉に出会った。

《今も、これからも、我々の背後には死者がいる》

いま読んでいる池澤夏樹のエッセイ『春を恨んだりはしない』の一節だが、年の終わりを締めくくるには少し重すぎる言葉だろうか……でも、震災の記憶をしっかり心に留めつつ、明日へ向かって歩み始めた私たちにとって最もふさわしい言葉のような気がしている。

では改めて、年の終わりのご挨拶……

夏の終わりにスタートした当ブログも、早4ヶ月。時に生き難く、時に気だるい日々の足掻きのように書き続けてきましたが、予期に反して多くの方に読んでいただき、本当に有難く嬉しく思っております。
来年も、忙しい皆さんに一時でも楽しんでいただけるよう、自分のペースで自由に書き連ねて行くつもりです。どうぞ、これからも「コトノハ舎」ブログを宜しくお願いいたします。

そして明日から始まる2012年が、日本にとって、世界にとって、
私にとって、あなたにとって、生きて行くすべての人にとって、
希望に満ちた年でありますように。

※今夜の紅白はレディー・ガガ!(えっ、長渕剛?……見ないよオレは)





2011/12/24

『灼熱の魂』&マナー


解説無用、ネタバレ厳禁。とにかく凄まじい映画。数奇な運命を辿った痛切な人生、その魂の底から振り絞るような強さと優しさに触れたせいなのか、いま思い出してもトリ肌が立ってくる。(私にとっては、今年一番の衝撃作!)

キーワードは「母性」。絶望的な宗教対立、その怒りと憎しみの連鎖を断ち切るために母が双子の姉弟に託した2通の遺書……これ以上は語るべからず。どうぞ劇場で!

ドスンと重く胸に響く映画を観終えた後、寒空の下で何を思うかは人それぞれ。

私は何故か「男性の本質はマザーシップだよ。優しさだよ。」と、自分を訪ねてきた若き学生・吉本隆明に「太宰治」が語った言葉を、ふと思い出してしまった。


で“&マナー”の件。最近、映画を観に行くたびに気になっているのが観客のマナー低下(特に中高年)。昼1時の上映開始にも関らず、菓子をポリポリ食べていた左隣のオバサンは早々にイビキをかいて寝ちゃうし(注意しようと思った矢先に起きて、やれやれと思ったらまた寝るから始末が悪い)、右の若者も舟を漕ぎっぱなし(なんで、この映画で寝ちゃうかなあ……)。後ろの中年カップルは映画のクライマックスで急にモゴモゴ喋りだすし、携帯を耳にあてながら慌てて出て行くオジサンもいた。
シニア割引も夫婦50割引も映画ファンの裾野が広がるので大歓迎だが、中高年の皆さんには映画を観る前に、十分に睡眠と食事をとっていただきたいものです。もちろん会話もお菓子も控え目、携帯の電源はOFFで!
(とは言え、私も若かりし頃ヴィスコンティの『ベニスに死す』を3回見にいって3回とも寝てしまったという切ない過去を持つ中年男。最近でもソダーバーグ作品で突然の睡魔に襲われており“人のふり見て我がふり直せ”ですが……)




2011/12/23

愛なき時代に生まれたわけじゃない





昨夜、ミタさんが笑って『家政婦のミタ』が終わった。

“衝撃の結末”と騒がれていた割には、特別な衝撃もなく「想定内」の成り行きだったが、後味の良い終わり方だったのでなんの文句もない。

どうやら三田灯(あかり)の「灯」は、自分が笑顔を取り戻す「灯」であると同時に、傷つき荒れ果てた人の心に希望の灯を点す「灯」だったようだ。日本中が心を震わせた2011年だからこそ生まれ、大ヒットしたドラマなのかもしれない。

さて、毎週待ちわびていたドラマが終わるのは淋しいが、すごく気に入っていた主題歌『やさしくなりたい』を毎週テレビで聴けなくなるのもかなり残念。

ミタさんと同じくらい「斉藤和義」にも拍手を送りたい。

2011/12/19

黄金の夢の頂へ。




仕事上の作品をここに載せるのは気が引けるが、これは最近JRAのポスター制作コンペに参加提出したもの。結果的に、13社コンペという馬券並みのギャンブル仕事?は、ソコソコ高い評価を受けながらも“ぜひ次回も参加してください”という労いの言葉を唯一の成果に、善戦むなしく敗れてしまった。(いつもながら、写真選びが難しい……)

ところで、このポスターの題材である「オルフェーヴル」という馬。三冠を達成した「菊花賞」でも、ゴール後に騎手を振り落とすという“やんちゃ”ぶりを見せつけた気性の激しさが有名だが、ソフトな語感の美しい名前と金色(栗毛)に輝く馬体に気品を漂わせる次世代のスターホースである。もちろん、レースにおける桁違いの強さにも魅了されるが、私にとって特に興味深かったのはその馬名の由来。必要に迫られて調べていた際に「なるほどね~」と思わず唸ってしまった。

「オルフェーヴル」とは仏語で“金細工師”。父はステイゴールド、母はオリエンタルアート……父の名前はスティービー・ワンダーの曲名から付けられたものだが、“いつまでも輝き続ける/永遠の黄金”という意味がある(香港で行われた国際レースに「ステイゴールド」が参加したときは「黄金旅程」と漢字表記された)。父の母は「ゴールデンサッシュ(金色の肩帯)」、父の全妹は「レクレドール(仏語で黄金の鍵)」、つまりこの血統において“黄金・金色”は重要な馬名モチーフであり、母の「アート」とゴールドを繋いだ連想で「オルフェーヴル」になったというわけだ。(素晴らしいネーミングセンス!)

母オリエンタルアート(東洋の芸術)の名前も奥深い。母の母は「エレクトロアート」。4代前の母Coastal Trade(沿岸交易)はその父Coastal Traffic(沿岸交通)からの連想馬名。3代母のDhow(ダウ)は、元来インド洋・アラビア海を航行していた沿岸貿易用帆船の一種で、アラビア船の総称となっている言葉。「オリエンタルアート」は母系に連なる馬名から東へ航海する船の姿をイメージしつつ、エレクトロ「アート」を結びつけたものらしい。それを踏まえれば、オリエンタルアートの初仔(オルフェーヴルの全兄)が「ドリームジャーニー(夢のような旅路)」というのも味わい深いし、そこから「オルフェーヴル」という馬名に連なる流れは、血統のロマンに満ちて美しい。

さて、今週はクリスマスウイーク。日曜日には、中山競馬場にジングルベル代わりの発走ファンファーレが鳴り渡り、一年を締めくくる競馬の祭典「有馬記念」競争が行われる。私は馬券を買う気はないが、落ちっぱなしの運気を引き上げるべく、仕事を通じて愛着を深めた「黄金の三冠馬」に大金を賭けたつもりで声援を送ろうと思っている。

※競走馬においては母系が非常に重要視されており、父も母も同じ場合は、“全兄・全姉、全弟・全妹”と言う。母だけが同じ場合は“半兄・半姉・半弟・半妹”となるが、“同父”だけでは兄弟関係にはならない。



2011/12/15

パパはオバカね。もっと野球を楽しんで♪


私に発せられた言葉ではないが、もともと野球は好きだった。根っからの巨人ファン。子どもの頃は、何か嫌なことがあっても、長嶋が打ち巨人が勝てば幸せだった。休み時間は“ゴロベース”、放課後も原っぱで“ゴムまり”を打って遊んだ。それが高じて中・高の部活は軟式野球。中学時代は、激しい練習により右膝を傷め(恐怖のウサギ跳び…)、野球どころか一切の運動ができず3年間を棒にふったが、高校では1年からレギュラー(部員は少なかったけど…)、高2の夏は都のベスト16まで進んだ。
あれから“うん十年”(きみまろ風に)……あんなに楽しかった野球も、大好きだった巨人も長嶋も、いつの間にか遠い日の思い出(長嶋引退の時は、泣けたなあ)。プロ野球も甲子園も、たまにテレビで見るだけ。スポーツニュースでお茶を濁すようになってしまった(でも巨人が勝てば、何気に嬉しい)。当然、巨人の内紛“清武問題”にもまったく関心がない(イチロー、松井秀喜、ダルビッシュの動向は気になるけど…)

だが、こんなGM(ゼネラルマネージャー)が巨人に入るとしたらどうだろう? もう一度、野球に対する興味と情熱が湧いてくるのではないだろうか……と思わせてくれたのが、映画『マネーボール』。

タイトルに使わせてもらった「パパはオバカね。もっと野球を楽しんで♪」は、この作品のエンディング。貧乏球団オークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーン(ブラッド・ピット)が、「二度と金で人生を決めない」と、名門ボストン・レッドソックスの巨額オファーを断る意志を固めた後、車を運転しながら“離婚した妻のもとにいる娘”の自作CDを流すのだが、その歌詞の一節。(最近観た映画の中では、かなりお気に入りのラストシーン。一人闘う男の夢と孤独に娘の歌が優しく寄り添う)

作品のあらましを簡単に紹介すると……“一位になる理由は何があるんでしょうか? 二位ではダメなのでしょうか?”的に金を出し渋るオーナーのもと、“少ない資金でいかに勝つか?”を徹底的に考え、今までの常識・慣習を根底から覆す「マネーボール理論」を構築&実践。他球団から引き抜いた相棒ピーターと共に、旧態依然とした野球界に巣くう“既得権益者”たちと闘いながら、弱小チームを常勝軍団に変貌させた男の孤独な挑戦の物語である。
本作品は、主人公(ビリー・ビーン)の半生を描いたマイケル・ルイスのノンフィクション『マネーボール 奇跡のチームをつくった男』を映画化したものだが、殊更にそのサクセスストーリーを誇張せず、自分の夢と信念に固執する激情かつ非情な男の姿に焦点を合わせた点がグッド(非情さは優しさの裏返しだが)。野球ファンならずとも十分に楽しめる味わい深い作品だと思う。

それにしても、すっかり腹も腰も据わり演技に円熟味を増した「ブラッド・ピット」。時折、志村けんの“アイ~ん”風に顎をシャクレさせる独特の変顔?も板につき、人生の哀歓を醸し出せるシブい男になってきた。



2011/12/11

電車は走る。人は生きる。


♪電車が走―る 電車が走―る ランランララランランランラン
 学校行く人 会社に行く人 みんなが僕を待っている

90年代初頭、よくテレビで流れていたJR東日本のCMソングの一節だが、電車には本当に色々な人が乗っている。

今まで私が偶然出会った幾多の“乗客”の中で最も衝撃的(笑劇的?)だったのは、数十冊の旅行パンフレットを膝の上に重ね置き、一冊ずつ手にとってその地方の歌をうたいだすオジサン。
「佐渡ね~、いいよなあ、佐渡……ハアー 佐渡へ 佐渡へと草木もなび~く~よ、アリャアリャアリャサ」、「鹿児島だよ、鹿児島。花は霧島 煙草は国分~ 燃えて上がるは オハラハー 桜島~」「ハアー 会津磐梯山は 宝のや~ま~よ~」といった調子である。それはもう上機嫌で歌っているので、多少迷惑だが注意する気にもなれない。それどころかこっちにまで楽しさが伝染してきて完全にギブアップ&大笑い。
そして遂にオジサンの歌は海を越えてしまった。“And ブルーハワ~イ~”……彼これ20年近く前の出来事だが、あの人は今もどこかの車内で元気に歌っているのだろうか。

……少し変な前置きになってしまったが、DVDで観た映画『阪急電車 片道15分の奇跡』の紹介。

憲法で戦争を放棄した平和な経済大国でも、人は常に人と戦って生きているんだなあ、とつくづく思わされる映画だった。
車内の迷惑おばさん、イケメンDV彼氏、二股オトコ&擦り寄りオンナ、意地悪女子児童……戦う相手はそれぞれ違うけど、“身勝手・無思慮・無分別”という点では皆同じ。戒めつつ斯様な輩と決別し、平和な社会の至る所で顔を出す“妬み・嫉み、悪意・暴力”に染まらず、シャンと背筋を伸ばして自分らしく生きようとする人たちの“片道15分”の出会いの物語である。

この群像劇の中心にいるのは「宮本信子」。礼節を知る昔気質の素敵なお婆ちゃんを表情豊かに演じていた(孫役は只今ブレイク中の芦田愛菜ちゃん)PTA仲間に振り回される気弱な主婦「南果歩」、純白のドレスに哀しい女の性を投影してみせた「中谷美紀」、軍事オタクの大学生「勝地涼」の演技も印象に残った。

電車内やホームでの数秒、数分の何気ない出会いを“奇跡”というのは少し大袈裟かもしれないが、偶然の出会いによって広がる優しさの連鎖が、心地よく胸に響く“佳作”でありました。(今年観た邦画のベスト3に入れたい作品。といってもそれほど邦画を観てないので、残りの二つは思い浮かばない)

2011/12/09

昨日は、ジョン・レノンの命日


でしたが、とてもハッピーな一日。なぜなら『Dream Powerジョン・レノン スーパー・ライヴ2011』(日本武道館)で、たっぷりジョン&ビートルズの曲を聴くことができたから。

このチャリティ・コンサート、「世界の子どもたちに学校を贈ろう!」というオノ・ヨーコの呼びかけで始まり今年で11回目だそうだが、オープニングではジョンも最新のバーチャル映像で初出演。吉井和哉、奥田民生、斉藤和義の演奏&コーラスで「ギミ・サム・トゥルース」を熱唱し、大喝采を浴びていた。

で、昨夜の目玉は、やはりスペシャル・ゲスト「桑田佳祐」。開演から1時間後の20時過ぎに登場したのだが、そのエンターテナーぶりも相俟って会場は一気にヒートアップ……客席総立ちの中、「シー・ラヴズ・ユー」「恋する二人」など、ビートルズの初期のナンバーを7曲ほど披露。大病を乗り越えた桑田くんの元気な姿&音楽センスにつられ、私も久しぶりに弾けてしまった。

斉藤和義が反原発の意思を自分の訳詞に込めてシャウトした「ロックン・ロール・ミュージック」、トリで登場した吉井和哉が日本語で歌った3曲「ヤー・ブルース」(吉井の訳詞)、「ジェラス・ガイ」(斉藤和義の訳詞)、「マザー」(忌野清志郎の訳詞)も良かった!(奥田民生は、歌った曲に馴染みがなくて……)

さて、このライヴの提唱者・オノ・ヨーコだが、トリの一つ前に満を持して登場。前日に福島を訪ねたことを明かし、楽曲「ライジング」を日本語詞で披露した。《暗闇と混沌から這い上がる人間の精神を表現したパフォーマンス》だそうだが、はっきり言って私にとっては耳障りな只の絶叫。時々奇声を発しながら「立ち上がれ、立ち上がれ」と叫び喚く姿が、“恐山のイタコ”のようにしか思えず、心地よいライヴ酔いが少々醒めてしまった。(人間オノ・ヨーコは、決して嫌いじゃないのになあ……)

でも、出演者全員(桑田佳祐を除く)で「ハッピー・クリスマス」「パワー・トゥ・ザ・ピープル」「イマジン」を熱唱したフィナーレも、一体感があって気持ち良かったし、バンド名も知らなかった若きアーティストの魂を感じることができたし、総体的にかなり満足できたライヴ。今年の良い締め括りになりました。

※その他の出演アーティストは、「ラブサイケデリコ」(ボーカル、うまい!)、「ROY(THE BAWDIES)(ソウルフルでグッド!)、「サニーデイ・サービス」(艶のある声質がいい!)、「BONNIE PINK」(ジョンの曲は歌わずともよし!)など。



2011/12/05

「承知しました」「ポポポポ~ン」


『家政婦のミタ』の平均視聴率が第8回にして今年最高の29.6%を記録した。
民放の連ドラをほとんど見ない私がハマっているくらいだから、30%超えも間もなくではないだろうか。(TBSで放送中の『専業主婦探偵 私はシャドウ』も、シリアスでありながらコミカルという“ミタ”同様のドラマ仕立てでなかなか面白い。深キョンもハマリ役)

で、その“ミタさん”の決まり文句「承知しました」が、先週の東スポ紙上でデーブ・スペクターが選ぶ「東スポ版流行語大賞」の1位に輝いた。まあ、東スポなので名誉か不名誉かは知らないが、流行語という意味では本家の大賞「なでしこジャパン」より、私としてもこちらに軍配をあげたい。ちなみに「承知しました」と言って、包丁を振りかざす仕草をするのが個人的なベスト・パフォーマンス。私も時々怪しまれない程度に真似している。(「なでしこジャパン」は当然応援しているが、女子サッカー日本代表の愛称を流行語扱いされてもね~。来年も再来年も使い続けるわけだし……)

もし自分が「流行語大賞」を選ぶとすれば、上期は「ラブ注入(シャブ注入という危ないオヤジギャグもあり…)」&「ポポポポ~ン」、下期は「承知しました」。“大賞”は世相を絡めた総合評価で震災の記憶とオーバーラップする「ポポポポ~ン」だろうか。街を歩いていれば若いママと子供が「ポポポポ~ン」、筋肉痛で接骨院に行けば、隣のベッドのお婆ちゃんが「ポポポポ~ン」……とにかくそこかしこで聞いたし、自分も何度か景気づけに「ポポポポ~ン」と叫んでいたような気がする。

さて、来年はどんなハヤリ言葉が生まれるのだろう。間違っても沖縄防衛局長の発言のような品性に欠ける言葉が流行る世の中にはなりませんように……。

※当方、11月末にひいた風邪をズルズル引き摺ってしまい、まったく頭が働
 かず淋しい一週間を過ごしておりました(当然、酒もタバコも全面禁止)。
 当ブログにお立ち寄りの皆さま、日増しに寒さが募る年の瀬、くれぐれもご
 自愛のほど。



2011/11/25

上野の蕎麦屋と「ナムアミダブツ」


昨日は、「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」を見に上野へ。

昼近くに家を出たので、まずは腹ごしらえ……名宝展の会場である東京国立博物館とは方向が違うが、上野に来たらココ!と決めている蕎麦屋『おきな庵』に直行。いつもどおり「ねぎせいろ()」を注文した。恐らく、蕎麦通なら「こんなの蕎麦じゃない」と文句を言いそうな、緑がかった細めの長い蕎麦(もちろん手打ちではない)。それを、刻んだイカゲソ入りのかき揚げと長ネギが浮かんでいる甘くて温かいつゆで頂くのだが、これが何故かたまらなく美味しい。しばらく食べていないと恋しくなる懐かしい味なのだ。

ということで、ほぼ一年ぶりの「ねぎせいろ」。残りのつゆも蕎麦湯で割って飲み干し、ここで昼メシを喰えば、上野に来た目的の半分は終わったようなもの……と、東京スカイツリーを後ろに見ながら、再び駅方面へ踝を返し「東京国立博物館」まで足を運んだ。

平日なので、会場の混み具合はソコソコ。じっくり見させてもらおうとイヤホンガイドを借りて入場したが、中高年の人が多いせいかなかなか前へ進めない。それでも約1時間半、宗教に疎い私が飽きもせずに鑑賞できたのは、「絶対他力」「他力本願」の言葉通り、ひたすら南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、誰しもが救われるというシンプルな教えに基づく浄土宗、浄土真宗の寛容さと大衆性に好感を持てたからだろう。

みうらじゅん曰く「鎌倉仏教=念仏ロック」。旧体制の強大なパワーに抗い、乱世に苦しむ人々に“念仏オンリー”の救いの道を示した「法然」は“ロック魂”を持つ僧侶。その魂を受け継ぎ、自分はダメな奴なのだと言い続け、肉食、妻帯も厭わなかった「親鸞」は何でもありの“パンク僧”……そういう視点で展示されている肖像や書物・仏画を見ると、自然に鎌倉仏教に対するシンパシーも湧いてくるというもの。予想外の親鸞の顔の厳しさに驚かされたり、直筆の『教行信証』の剣のような字の鋭さと徹底した推敲の後に凄まじい気迫を感じたり、横尾忠則の絵のルーツのような来迎図に惹かれたり……と勝手な想像&妄想を膨らませながら楽しむことができた。

法然没後800年、親鸞没後750年を記念して催されたこの名宝展、肩肘張らずに自由な感覚で「ナムアミダブツ」の世界に親しんでみれば思わぬ発見もあるだろう。逆にそうじゃないと、何が書かれているかも分からない書物に、延々と目を凝らすだけのシュールな展覧会で終わってしまいそうな気がする。



2011/11/23

秋の夜長は……


こんなミステリー小説を読んで過ごすのもいいなあ。

と、読みおえたジョン・ハートの『川は静かに流れ』(ハヤカワ文庫)の余韻に浸っている。

初めは、重苦しくて読みにくかった(しかも面白そうな展開に思えず……)。だが、読書における我慢はムダにはならない。100頁を過ぎるあたりから、メッシの高速ドリブルのように物語が急加速、後はゴールに向かいまっしぐら……読み応えたっぷりの560頁だった。素直にミステリーの傑作だと思う。

ただ作者自身が「わたしが書くものはスリラーもしくはミステリーの範疇に入るのだろうが、同時に家族をめぐる物語である」と序章で述べているように(「家庭崩壊は豊かな文字を生む土壌である」とも言っている)、この小説は家族の悲劇とその原因を解明していく物語であり、ミステリーの常套である結末の意外性をウリにするようなものではない(もちろん“犯人捜し”はあるけど…)。その点ではミステリー・ファンの期待を少し裏切るかもしれないが、それに勝る“さまざまな人生”を味わうことができるのだからケチのつけようはないはず。
深い人間描写、複雑な人間関係の謎解き、詩情溢れる筆致で語られる回想と追憶……主人公は孤独な探偵でも老練の刑事でもないが、極上のハードボイルド小説を読み終えたような重く深い満足感が残っている。それも作者の筆力によるものだろう。

初版から2年も経っているが、この作家を知ったことは、間違いなく今年の大きな収穫。『ラスト・チャイルド』(ハヤカワ文庫)も面白そうだ。



2011/11/18

深夜食堂


先月末、友人からメールで「火曜の深夜、ぜひ録画してご覧あれ」と強くプッシュされていた『深夜食堂2(TBS火曜2455分~2525)を、十三話から3話分まとめて見た。

最初のタイトルは「あさりの酒蒸し」、苦労人の母と口は悪いが心優しき息子のウルっとくる親子話。アルミの器の中で湯気立つ「あさりの酒蒸し」が実に美味そうで、二人の情愛を象徴しているようだった。
続いて「煮こごり」。煮こごりが大好物の清楚で陰のあるソープ嬢に惚れた弁当屋の店員、その恋の行方は……という人生の良きタイミングを描いた路地裏恋愛譚。いいね、いいね、のハッピーエンド。
十五話の「缶詰」は、生と死の間を感覚が行き来するようなミステリアスなお話。「缶詰」のお題でよくこういうストーリーが生まれるものだなあ、と感心してしまった。「深夜食堂」での出会いがもたらした人生の転機に心の中で拍手しつつ、頭の中はコンビーフやパイナップルでいっぱいに……。

というわけで、旧知の友のオススメ通りの面白さ。なぜ今まで見なかったんだろう?と後悔するほど、味のある、余韻の残る素晴らしいドラマでありました。(当然、毎回録画決定。遅ればせながら原作の漫画『深夜食堂』も読み始めた)

で、何がいいって、とにかく主役の小林薫がいい。NHKの朝ドラの飲んだくれオヤジぶりも見事だが、その居住まい佇まいを見ているだけで、あのカウンターに座って「あさりの酒蒸し」や「煮こごり」を肴に一杯やりたい気分になる。(自分が最初に頼むとしたら、「玉子焼き」かな、やはり)

舞台は昭和の薫り漂う「新宿ゴールデン街」。都会の片隅で、ひっそりと温かい灯を点しつづける「深夜食堂」。思わず懐かしい味の記憶に心を馳せる“ソウルフード”をふるまってくれる店、その人にとって忘れられない思い出の一品から醸し出される人間ドラマ。

その雰囲気だけでも、ぜひ……(少し音が残念ですけど)


2011/11/16

一斉の怒号の中で……日本VS北朝鮮


昨日、22年ぶりに平壌で行われた歴史的な一戦。日本代表の敵地初勝利を期待していたが、国歌斉唱も一斉の怒号にかき消される異様な雰囲気の中、相手の激しい圧力に屈してチャンスらしいチャンスも作れず敗戦を喫した。

正直、スターティングメンバーを見た時から、この面子では厳しいだろうなあ……というイヤな予感はあった。攻撃の主力である香川、遠藤を温存、レギュラーと言えるのは、岡崎、今野、長谷部の3人だけ。最終予選を前に控え組を冷静に試したいというザックの意図は理解できるが、目が血走るほど必死の形相で臨む“捨て身の相手”に立ち向かうには、どう見てもコマ不足。パスは繋がらず、キープも出来ず、ボールを奪っても直ぐにプレスをかけられ前に進めない……控え組のメンタル&フィジカル面の弱さも浮き彫りになった。残念だが、セルジオ越後の“つぶやき”どおり「ベストメンバーでなければこの程度」なのが現状の日本代表の姿かもしれない。

改めて、本田、長友、遠藤、香川といった高いレベルの“個の力”の必要性、その存在の大きさを確認した試合でもあった。

それにしても、観戦後の虚無感というか得体の知れない寂しさはなんだろう?

サッカーの歓びが、悪しき政治体制と過剰なナショナリズムに奪われたような気がするせいだろうか、それとも怒りと憎しみが込められた激しい闘争心に、憎しみを持たない自由な個の闘志が粉砕された虚しさなのだろうか。

「日本打破!」の歓喜に沸く平壌の映像を見ながら、拉致問題の解決も含め、この国の代表と自由でフェアな雰囲気の中でサッカーを楽しめるようになるのは、いつの日なのだろうと妙な感慨にふけってしまった。

一糸乱れぬ“日本憎しの怒号”が波濤のようにピッチを襲う光景を見る限り、今のまま経済制裁を加えるだけでは、共に歩ける道も共にサッカーで競える日も遥か遠い気がするのだが……


2011/11/10

不穏なTVドラマと不可解なTPP問題


昨夜、日テレのドラマ『家政婦のミタ』を見た。あらゆる感情の表出を拒否するような松嶋菜々子の無表情な演技が妙に面白く新しい。良からぬ事が起きそうな不穏なドラマの雰囲気と同時に、その“良からぬ事”を良き方向に導くような頼もしさを醸し出している……どうやら自分の子供を何かの理由で亡くしたらしいが、それを含めた家族再生の物語なのだろうか。第5話にして初めて観たが、これはハマりそうだ!

さて、そんな『家政婦のミタ』から急激に話を変えて、日夜ニュースで流れているTPP問題……TPPとは、Trans-Pacific Partnership(環太平洋戦略的経済連携協定)の略だが、いま賛成派、反対派の対立が激化しているのは周知のこと。

賛成派は製造業などの輸出企業、反対派は農業関係者、医療関係者など。でも、本当はその背後にいる各々の既得権益者たち(賛成派=経済産業省、経団連・経済同友会などの経済団体、企業から票・献金を受けている政治家、企業と近い関係にある経済学者、反対派=農林水産省、農協などの農業関連団体、医療団体および各団体から票・献金を受けている政治家、農業に関係のある学者・農政研究者)が利害関係者であり、政・官・業・学が、各々の既得権益でつながっていて、それを守ろうとしているのが対立の構図のようだ。

新聞などのマスメディアは、大体TPP参加賛成の方向性。ただそれも、大手輸出企業から莫大な広告費を得ている既得権益者と見なせば、当然の“賛成派宣言”と言えなくもないので、その論調を鵜呑みにすることはできない。(う~ん、厄介だ)

で、国民、消費者だが、私も含めて賛成とも反対とも言えないのが現状ではないだろうか。その理由は、貿易の利害関係者ではなく、自分にとってどんなメリットがあるのか、あるいはデメリットが何かが、まったく見えてこないからだと思う。

まあ、少ない知識と情報で単純に考えると、関税がなくなれば商品が安くなるので我々消費者にはメリットだろう。また、関税という消費者の負担分が政府へ収益として入って既得権益化しているわけだから、それがなくなることは国民の利益にもなるはず。さらに、農業を独占的に支配し巨大コングロマリット化した「農協(JA)」の既得権益を奪い、農業の再生を図りつつ国民の負担を減らすことにもつながるのではないか……とTPP参加のメリットは少なくないような気もするが、反面、食の安全性、医療の平等性、日本企業の海外移転等に伴う産業の空洞化による雇用の縮小、賃金の下落などが懸念されており、それらに政府がどう対処するかも分からないので、容易には判断できない。

とにかく、国民・消費者に対する政府からの情報があまりに少ないのが一番のTPP問題(交渉する分野は24分野にも及ぶそうだ)。参加した場合、私たち国民にどんな利益がもたらされ、逆にどんな負担が生じるかを政府は早急に示すべきだと思う。その上で、もし状況が変化したときにはどんなリスクが起きるのかを語るべきだし、国民の利益に反するようなルール導入には賛成しないという“譲れない一線”を明確に説明する必要があるだろう。
ただでさえTPPに参加すれば、国益に反してもアメリカの主張に追随せざるを得ないのではないかという日本の外交的稚拙さを不安視されている中で、国民にその内容すら説明できないのであれば、アメリカ相手のタフな交渉力など期待しようがないのだから……

と書いている最中にニュースが流れ、明日、野田首相がTPP交渉参加を正式表明するらしい。

国民の立場から見れば、説明不足という点でかなり拙速に思うが、外交的には“遅すぎる決断”なのかもしれない。いずれにしろ参加を決めた以上、今後の積極的な情報開示と“国民の利益”に適ったルール作りという国民、消費者に対する最低限の責務はきちんと果たしてもらいたいと思う。




2011/11/06

雨を見たかい




いま読んでいる小説『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』の中に、こんな一節がある。主人公は中古レコード店の店員……

“なんでもいいと思って棚から抜いたアルバムは、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『ペンデュラム』。「雨を見たかい」に針を落した”

60年代後半にメジャーデビューし、72年に解散したアメリカのバンドCCRCreedence Clearwater Revival)の「雨を見たかい」……1971年、アルバムからシングルカットされヒットしたカントリー・ロックの名曲だ。日本でも桑田佳祐や氷室京介がカバーしている。

その中で歌われている「晴れた日に降ってくる雨」というのが、当時アメリカがベトナム戦争で無差別投下していた「ナパーム弾」の隠喩ではないかと話題になり、“ベトナム戦争への批判”にあたるとして放送禁止処分にもなったが、「反戦歌」説の正否は不明。それとは別に“CCRの崩壊を示唆した歌”という説もあるし、単なる天気雨のことかもしれない。

雨の日曜日。久しぶりに聴きたくなった。“晴れた日に降ってくる雨”を勝手にイメージしながら… 


2011/11/05

がんばっぺ フラガール!


112():新宿ピカデリー、上映開始1530分。レディースデイにも係らず、席の埋まり具合は2割程度だろうか。テレビのニュースでも度々取り上げられていた割には、映画ファンの関心度はあまり高くないようだ。

東日本大震災から約8ヶ月……震災・復興・原発への人々の関心が薄れているというのではなく、ドキュメンタリー映画に対する取っ付き難さがあるのだと思う。でも、それを振り払えば、自ら被災しながらも復興に力を尽くす人々の姿を追った懸命なカメラワークの成果を観ることができる。

本作は、東日本大震災により甚大な被害を受けた福島・いわき市の大型レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」(旧・常磐ハワイアンセンター)が、今年101日の部分オープンに漕ぎ着けるまでの日々を、ダンシングチーム(フラダンサーたち)の活動を中心にドキュメンタリーフィルムに納めたもの。(若干、編集の粗っぽさは感じられるが、厳しい撮影環境下、製作から公開までのスケジュールもタイトだったのだろう)

再開に向けた46年ぶりの全国キャラバン。焼け付く人工芝のグラウンドや雨に濡れたステージで裸足のまま笑顔で踊るフラダンサーたち。その逞しさが美しい。いつ来るとも分からない“出番”に備えて日々トレーニングに励むファイヤーダンサーの姿も印象的だ。そしてホテルのスタッフ、そのホテルを避難所にしていた被災者の方々、フラダンサーの家族……“絆”という言葉が頻繁に使われることには少し抵抗を感じるが、ここには“絆”と言うほかない人と人を結ぶ強い思いがある。“一山一家”の精神、未だこの地に衰えずとでも言うべきか。
昭和41年の誕生から46年を経て、再び、いわき市の復興のシンボルとなった現代のフラガールたち。その“笑顔を届ける活動”にエールを送りたい。

ナレーターは、2006年に公開され大ヒットした映画『フラガール』での熱演により女優賞を総なめにした蒼井優。音楽も『フラガール』同様、ジェイク・シマブクロ。ウクレレの優しく穏やかな響きが、5年の時を超え、新たな感動と涙を誘う。





2011/10/30

星めぐりの歌


昨夜、NHK BSプレミアムで「宮沢賢治の音楽会~3.11との協奏曲~」という番組を見た。

女優・比嘉愛未が案内役で、宮沢賢治が残した曲の数々を、大貫妙子、坂本龍一、手島葵、一青窈、藤原真里、細野晴臣、富田勲、松山ケンイチらが歌や演奏、朗読で披露するのだが、改めて賢治の世界観に触れながら、そのリズミカルな言葉の魅力を堪能した2時間だった。

なかでも、印象的だったのが藤原真里さんのチェロ演奏。(一青窈の歌も良かったが……)

あかいめだまの さそり  ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ  ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ  つゆとしもとを おとす

アンドロメダのくもは   さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに   五つのばしたところ
小熊のひたいのうへは   そらのめぐりのめあて

美しいチェロの響きに誘われる「星めぐりの歌」は、3.11への鎮魂の祈りのようにも思えた。




2011/10/27

バビロンの陽光


京王線・下高井戸駅から線路沿いを歩いて1、2分。気づかずに通り過ぎてしまいそうな普通のビルの2階に、「下高井戸シネマ」がある。生前、松田優作も度々訪れたという小さな“町の名画座”……そこで観た初めてのイラク映画は、重く心に残るロード・ムービーだった。

『バビロンの陽光』、原題は“Son of Babylon”(バビロンの息子)。

イラク北部からバグダッドを経て、空中庭園の伝説が残る古都バビロンへ。
フセイン政権崩壊から三週間後、クルド人の祖母と孫による900キロに及ぶ長い旅が始まる。

目的は、独裁政権時代に拘留された行方不明の息子・父を探すため。だが、少年は父の顔を知らない。その手から片時も離れない“縦笛”だけが親子を繋ぐ唯一の絆だ。

果てしなく続く荒涼とした大地を行く二人の姿は、荒れ果てた自然の広大さに比して、あまりにも小さく無力に見える。ふと『砂の器』の親子を重ねてみたが、辛く貧しく苦しいのは何も二人だけではない。度重なる戦争で破壊された風景の中、出会うすべての人が深い嘆きと悲しみを抱いていた。

「サダムがクソなら、アメリカはブタだ」と吐き捨てるように語るトラックの運転手。貧しくも健気に生きる路上の少年。クルド人を殺した過去を告白し、祖母に「殺人者」と詰られながらも「助けたい」と二人に寄り添う元兵士……

心に傷を負った人の優しさに触れながら続く二人の旅は、生きて息子・父と再会する希望を絶たれた時、白い布に包まれた無数の遺体が横たわる集団墓地を巡る旅に変わる。それは、常に数字でしか表されない“イラクの死者”から、一人の命の尊厳を救出しようとする魂の彷徨だろうか……独裁政権下での大量虐殺、湾岸及びイラク戦争による夥しい数の行方不明者や身元不明のままの遺体を、今もなお抱える国の現実が、観る者の胸を刺す。

そして結末に向かって、この映画の旅に同行する観客の誰もが、「二人の絆だけは、引き裂かれないでほしい」と強く願うことだろう。だがその思いは虚しくも打ち砕かれる。肉親を喪い、一人で生きていかざるを得ない多くのイラクの子供たちの苛酷な運命を世界に知らしめるように……。

車の荷台に一人残された少年が、埃混じりの涙を拭い、遠ざかるバビロンに向かって縦笛を吹くラストシーンは、まだ見ぬ平和への祈りか、悲しみと苦しみ、そして憎しみを超える明日への希望か。その残像が消えないスクリーンに、エンドロール・メッセージが流れた。

答えを探す人たちと、イラクの子供たちに捧げる。

答えを探す人……告げられた言葉の重さに、駅までの距離が遠く感じられた。



2011/10/24

漫画week② 巨人VS人類


昨日は、なかなか読み進めなかった『九月が永遠に続けば』を暇に任せて何とか読了。私にとっては『ユリゴコロ』に続く“沼田まほかる第二弾“ということで、期待が大きかったのだが……やはりデビュー作、その完成度・興奮度は『ユリゴコロ』に遠く及びませんでした。

書店では、この小説に「極上のホラーサスペンス」「エロ怖い」「R30指定」等の刺激的・煽情的なポップが付いていたけれど、ゾクゾクするような恐怖や興奮を味わうこともなく、ドロドロした人間模様だけが頭に残った感じ。ただ、皮膚感覚を刺激するような文章力は流石だなあと思う。次作に期待しよう。

さて、先週に引き続いて漫画の話……

浦沢直樹の『BILLY BAD』、そして『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『ヒストリエ』(岩明均)、『進撃の巨人』(諌山創)が、現在、続巻が出るたびに自ら購入したり、愚息及びその彼女に借りたりしながら楽しんでいる“愛読コミック”だが、その中で特に展開が気になっているのが『進撃の巨人』。

作品のプロフィールによると、「このマンガがすごい!」の2011版オトコ編1位に選ばれた漫画で、若干24歳の作者・諌山創の処女作ということ。その若さ故か、絵はかなり粗くて拙いが、それを補って余りあるストーリーの斬新さに驚かされる。

で、その内容だが……
舞台は中世のヨーロッパと思しき世界。人間を“捕食”する巨人の侵攻から逃れ、三重に築いた巨大な壁の中でかりそめの平和を保ってきた人類の前に、100年の空腹から解き放たれた巨人たちが突然出現。再び存亡の危機に瀕した人類は、“喰われる恐怖”に脅えつつも自由と平和を取り戻すために、圧倒的な力を誇示する巨人との“絶望的な闘い”を開始する……というかなりダークなお話。

ついでに言うと、その“絶望感”が「先の見えない世相を反映している」と様々なメディアにプッシュされ、既に実写での映画化も決定したようだ。監督は『下妻物語』『嫌われ松子の一生』等でメガホンを取った鬼才・中島哲也。
映像美・独創性・演出力、すべてに高い才能を感じさせる監督だけに、私の期待度はMAX……劇場公開は2013年になるそうだが、原作同様“これは絶対に見逃せない!”と、今からテンションが上がっています。



2011/10/18

オシムの言葉


今日の朝刊(朝日新聞)のスポーツ欄に、「オシム氏に聞く」と題したインタビュー記事が載っていた。オシム氏とは、もちろん元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムのこと。いま彼は母国ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟の正常化委員長として、サッカー界の不正に立ち向かっているらしい。

紙面から伝わるサッカーへの深い愛、そして民族間の融和を希求する姿勢は不変のもの。憎悪を生まない教育の必要性、暴力と政治権力への嫌悪、サッカーがもたらす希望……情熱を込めて語る“オシムの言葉”が気持ちよく胸に響く。朝からこういう記事を目にするのは嬉しい。

以下、私が好きな“オシムの言葉”をいくつか……

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 準備が足らないのです」(怪我をした選手についてのコメント)

「誰かを“不要だ”などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ。その時、自分はどう感じるか、考えてみるがいい」

「他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう」

「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している……新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから」

「アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」

「作り上げることは難しい。でも、作り上げることのほうがいい人生だと思いませんか?」

「夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう」

「練習でできなかったことがゲームで出来るようになるはずがない。人生も同じ。日々の生活でのことが重要な時に必ず出てしまうもの」

「私の心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。サッカーとサラエボの両方への思いの中で気持ちは揺れていましたが、他にもう手の打ちようがないと思った時に身を引くことを決意しました。戦争の始まる数週間前に、サラエボでの代表の最後の親善試合を行いました。あの時は満員のスタジアムでサポーターから近年にないものすごく熱い応援をもらった。今までにない平和なムードに驚くほどでした。今、思えば、それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない」(1992年、オシムは、ユーゴスラビア分裂とユーゴ軍による故郷サラエボへの侵攻に対する抗議の意味を込めユーゴスラビア代表監督を辞任した)

「サッカーとは私の人生だ。人生からは逃げられない」


書いているだけで、グッと胸に迫るものがあるが……イビチャ・オシムとはこういう人です。



2011/10/17

漫画week① 歴史の闇を舞う「コウモリ」


「特定健診」で市内の病院に度々行ったり、中日ファンの友人に誘われて東京ドームの「巨人VS中日」を観戦したり、野暮用で新宿に出かけたり、何かと忙しかった先週だが、基本的には“漫画week”。単行本が出るたびに買い揃えていたヤツを、暇な時間に再度“まとめ読み”していた。

まず、浦沢直樹の『BILLY BAD(17)
ここ10数年の間に『MONSTER』、『20世紀少年』、『PLUTO(プルートウ)』と、次々にヒット作・話題作を生み出してきた浦沢だが、本作も期待に違わぬ“謎が謎を呼ぶ(というか、謎を謎のまま読者に委ねる)”近年の浦沢ワールド全開の面白さ。自分が描いたアメコミ・キャラクター“ビリーバッド”によって、歴史的事件に巻き込まれていく日系2世の漫画家“ケヴィン・ヤマガタ”の運命や如何に?……というサスペンス仕立ての展開で一時も飽きさせない。

1巻の「下山事件」から始まり、「ケネディ暗殺」の真相が明かされる7巻まで読んだが、その間、様々な歴史上の人物が登場する(キリストとユダ、伊賀忍者、フランシスコ・ザビエル、明智光秀、オズワルド等々)。また、9.11を予見するような場面もあり、誰が、何が、どう繋がっていくのか全く予想がつかない。ただ、常に歴史の闇の中から忽然と現れる“コウモリ=ビリーバッド”が、人間及び世界の運命の象徴ではないかという“憶測”はできる。
今後、この“コウモリ”が、どのような警告を人類の歴史と未来に投げかけていくのか? そして、3巻でザビエルがヤジロウに託した巻物には何が記されているのか?……あ~、とりあえず8巻が待ち遠しい。

というわけで、『20世紀少年』の大ブームが去り(実写の映画は酷かった!)、俄かファンを中心に“浦沢漫画はもう飽きた”という声も聞こえてくるが、20数年来のファンである私は、今も十分に彼の作品を楽しんでいる。








2011/10/08

「カーネーション」と、ザックJAPAN


毎朝早く出かけられる方には、あまり関係のない話ですが……
103日スタートの連続テレビ小説『カーネーション』が上々の滑り出し。

前作『おひさま』は、「3.11」のショックの大きさ故か()、途中から脚本のクオリティが一気に落ちた感じでしたが、これは期待できるのでは?!

ドラマのモデルは、コシノ3姉妹の母・小篠綾子さん。注目の女優・尾野真千子がヒロインを演じています。(子供時代を演じた女の子もとても良かった)

そして、ドラマ以上に惹かれたのが、椎名林檎の主題歌「カーネーション」。
NHKの朝ドラに「椎名林檎」?と思ったけど、合うんだなあ、コレが!

以上、比較的に余裕で朝を過ごせる方へ「カーネーション」の簡単な紹介。


さて続いて、昨夜のサッカー「日本VSベトナム」……
今後のW杯予選を見据えたザックの狙いは明確。前半は、ほぼレギュラーメンバーで343のシステムを試すこと。後半は、通常の4バックに戻して、サブメンバーの力を確かめること。

で、格下相手に本来の実力を見せられず「10」。“有意義なテストができた”とは、とても言えないお寒い内容でした。

まず前半は、システムに慣れないせいもあると思うが、中盤で“タメ”を作れる遠藤の欠場も響いて連動性&バランスを欠き、中央での守備が混乱。数的不利な状況に陥ることが度々あった。後半は、パスミスが多く攻撃も緩慢で、かなり雑な試合運びになったなあ、という印象。原口のドリブルと中村憲剛のスルーパスが目立った程度で、新戦力の台頭も?

まあ、それでも明確なプランを持って、テストマッチを最大限に活用しようとするザッケローニ監督の姿勢は評価できるし、新システムの習熟度を含めチームもまだまだ伸び代があるはず。そういう意味で、昨夜の試合もポジティブに捉えたい。

ただ、心配もある。攻撃の中心である香川の調子が一向に上がらないこと。疲れているのか、迷いがあるのか、判断のスピードが遅く、得意のドリブル突破も簡単に止められていた。11日のタジキスタン戦で復調のきっかけを掴んでほしいのだが……

2011/10/06

スバル座、そののち、酒座。


昨夜は、上野でPOG仲間と久しぶりの酒宴……「シンボリルドルフ死んじゃったね~」「えっ“タコ”って名前の馬がいるの?」などと、馬の話題で飲む酒も、なかなか楽しい。肴も文句なし。“のどぐろ塩焼き”“あさりと長ネギの柳川”等々、実に美味かった。

で、その飲み会はやや遅めの20時スタート。端から「有楽町スバル座」で時間合わせの“一映画”と決めていた。
このスバル座……今どき“座”も珍しいが、昭和21年にオープンした歴史ある映画館で、何ともクール、ほどよいレトロ感が心地よい。
座席も余裕の大きさ、緩やかなスロープがついているので、前の人の頭が視界を遮ることもない。その上、傘たてやバック用のフックもある。映画開始を告げるアナウンスも昔っぽくて実にいい。こういう所で上映される映画は幸せだなあ……と思いつつ、スクリーンに見入った。

『僕たちは世界を変えることができない』……“何か物足りない日常”を変えるため「カンボジアに学校をつくろう」と、仲間&資金集めに動き出す医大生たちの物語である。

と聞けば“世間知らずのボンボンが退屈しのぎでボランティアかよ!”と、突っ込みたくなる人もいるだろうが、無知でも無謀でも、何かを始めないと見えないこともある。豊かな国で生きる自分を自覚し「情けは人の為ならず」ということに気づく“きっかけ”になればいいじゃない。と、一見適当で頼りない若者たちを多少なりとも援護したい気分にさせる“青春ムービー”だ。若い世代の共感を集めているようだし、馬鹿にできるような話ではない。

でも、映画としてはどうだろう。大きなテーマなのに掘り下げが浅いし、伝えたいメッセージも描ききれていない。主人公の演技にも違和感を覚える(かっこ悪い「向井理」でもいいのだが、“それは違うよ!”と思いっきり引いてしまうシーンがある)。また、ブルーハーツの『青空』を実質上のテーマ・ソングのように扱いながら、エンドロールで何故それを流さないのか?!という演出センスに関わる疑問も残る……というわけで、個人的には少し残念な一本。若い人の心を動かす“等身大のパワー”は認めても、私のようなオジサンの心をも揺り動かす“作品力”は感じられなかった。

2011/10/03

向田邦子の陽射し


朝から頭がボンヤリしている。月曜だと言うのに……

原因は「太田光」にある。あの爆笑問題の太田だ。

まったく見事な本を出しやがって、人騒がせな奴である。

『向田邦子の陽射し』……

没後30年、時をあわせて出版されたこの本には “最強の向田論、最高の入門書”という惹句がついている。

でも、私は向田邦子という脚本家のドラマをほとんど観た記憶がない。
もちろん存在は知っていたが、彼女の小説やエッセイとも無縁だった。
仕事ができて、料理が上手くて、凛として鋭く、独身で、美人……目と耳に入るプロフィールのせいで、容易に近づく気になれなかったのだと思う。

そんな私が“向田論”を読む理由などサラサラないのだが、帯に書かれていた言葉に惹かれ、つい立ち読みしてハマった。

「日本は向田邦子のように生きてきた」

太田光が惚れ込んでいる向田邦子……どんな人だったのか、どんな作品なのか、遅ればせながら知りたいと思った。

で、その挙句の寝不足だ。

太田光は稀有な芸人でありながら、文芸批評の世界に突然現れた異端の達人に違いない。この本が、向田邦子に捧げた珠玉のラブレターでありながら、私たちの足元を照らす優れた日本論・日本人論でもあるように。

後書きで太田はこう語っている。
《日本は、向田邦子のように生きてきた。昔の日本だけじゃない。今の日本を見ても私はそう思う。だから私は向田邦子が好きなのだ。この人を忘れられるわけがない。そして向田邦子が素晴らしいのは、この国と似ていて、太陽とも似ているからだ。これほど誇らしいことがあるだろうか。だから私は、向田邦子を読むと自信が持てて、楽しくなって、何だかんだ言いながら生きていることを続けていこうと思えるのだ》

何という賛辞だろう。心が薫る言葉だろう。

久しぶりに人に頭を下げたくなった。




2011/09/28

デイ・ドリーム・ビリーバー


ここ3、4日、ずっと頭から離れない曲がある。

カエラ、ミスチル、EXILE……誰の歌がラジオから流れようが、それは幻声のように消えない。

母の墓参りに行ったせいだろうか。ふと、口ずさむこともある。


Daydream Believer』……“夢想家”。80年代に解散したアメリカのロックバンド「ザ・モンキーズ」のヒット曲。

だが、私の頭の中を占領しているのは彼らの歌でも詞でもない。

20数年前、忌野清志郎率いる「ザ・タイマーズ」が日本語カバーし、今は亡き清志郎の名曲として謳われている『デイ・ドリーム・ビリーバー』の方だ。

清志郎が最愛の女性(亡き母)に送ったメッセージ……
その素晴らしい訳詞が、母性のような優しさを感じる彼のビブラートと見事に結ばれ、心に沁みる。




2011/09/24

明日を生きる奴は、


今を生きる俺に殺される。

来ました、悩殺の一言。キメたのは、ウォンビン。

と来れば……そう。いま話題の韓国映画『アジョシ』だ。

R-15指定の韓国作品。これだけで刺激度・興奮度の高さは確定的、『オールド・ボーイ』『チェイサー』『息もできない』に匹敵するコリアン・バイオレンス・ムービーか?と、高まる期待を抑えながら劇場へ。

で、その感想は……エグい、スゴい、超面白い! (まさに期待通り)

容赦ない“悪”、容赦ない“血”、容赦ない“怒”、そして底深い“悲”……手加減のない徹底した演出で、非現実の世界をリアルな感覚(痛覚?)で描き出す韓国バイオレンスアクションの真骨頂。日本映画が喪った“漢”映画、ここにあり!の傑作だと思う。

とにかく、ウォンビンがいい!

ストイックに研ぎ澄まされた肉体、憤怒と孤独を湛えた鋭く深い瞳、強く、速く、美しいアクション……自分を慕う少女を救うために、鬼と化した男の姿が、超絶カッコいいのである。

特に“目”の演技が秀逸だ。常に宿る悲しみ、激闘の末の恍惚、最後に見せる熱い涙……その痛いほどの切なさ、激しさに、男の私が魅せられるのだ。女性なら韓流ファンならずとも胸アツ必至ではないだろうか。
(但し、その前に、残虐なシーンに耐えていただかなくてはならないが)

加えて、脇役陣がいい。ラストもいい。……只々、見事な一本の誕生に拍手!

ちなみにこの映画、韓国では映画を観た女性の「何気なく隣にいる彼氏を見たところ、そこにはタコが座っていた」という素直すぎる感想が、全女性の感想を代弁した名言として評判になり、韓国男性には「デートに使えない映画」として警戒されていたとか……賢明な日本男子はご注意あれ。
(誰しもウォンビンと比べられてはね~……お手上げ、否、八本足上げ~)

2011/09/20

夏の終わりに。


八月は夢花火……

ラジオから陽水の歌が聴こえる。

私の心は夏模様……

皮肉にも夏の終わりを告げる、冷たい雨の朝だ。


気がつけば今日は、彼岸の入り。
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りというわけか。

ところで「彼岸」には当然ながら「あの世」という意味もあり、
彼岸=あの世、に置き換えると耳慣れた慣用句のニュアンスが変わる。

暑さ、寒さを感じられるのも、「あの世」にいくまでの間。
暑い、寒いと言っていられるのも、生きていればこそ……という風に。

原発、復興、増税、仕事レス(ん?)……気になることは多々あれど、
暑い暑い!と文句が言える「幸せ」を、イヤになるほど味わった2011年の夏。

終わればすぐに、酒と肴の旨い、新しい秋が来る。


さあ、今夜は新宿『鼎』で旧知の中年男子会!


2011/09/17

ユリゴコロ


本好きを自認していながら、今年に入って読んだのは漫画と仕事本・趣味本を除けば、まだ片手で数えるほど……少なっ!と、自分でも驚いてしまう。

3.11以降あまりそんな気分になれなくて……という言い訳もできるが、何でも震災の所為にしてはいけない。単に自分の気力が衰えているだけだと思う。
読むスピードも遅くなった。その分、眠気は直ぐにやってくる。(まあ、これは年の所為にしておこう)

ところが、最近そんな事態が二冊の本で一変した。
読めるのだ、グイグイと!……きっかけの一冊は先月読んだ怒涛のエンターテインメント小説『ジェノサイド』。怠惰な脳が慌てて飛び起きるほどの面白さに、今年初の“やめられない止まらない”かっぱえびせん状態に陥った。

そして、もう一冊は時間潰しに寄った練馬の本屋で偶然手にしたミステリー小説『ユリゴコロ』。

妙に惹かれるタイトルだった。著者は「沼田まほかる」……まほかる? 本名だろうか、その名前も気になった。奥付を見ると、1948年生まれ、主婦、僧侶、会社経営を経て50代で作家デビューと書いてある。主婦→僧侶? 50代で作家に?……経歴もかなりミステリアスに思えた。

その時点で「これは、ヤバイかも?!」と、心を持っていかれる予感はあったが、これほどとは……

すーっと背筋を血が走る。いくども肌が粟立つ……小説を読みながら、そんな感覚の震えを味わったのは『1Q84』以来だろうか。
恐怖感、おぞましさ、気味悪さ……ではなく、日常の底に潜む無垢で非情な孤独感、虚無感、無常観が瞬時に重なり迫ってくるような、何とも説明しがたい感覚だ。読むうちに普通の倫理観も飛び散った。人が特別な理由もなく次々に殺されていく話なのに……。

でも、この小説にとって“人が殺されていく話”は、あくまで娯楽小説として不可欠な伏線に過ぎない。読後感が快いのは、物語の根底に誰もが抱える深いテーマが流れているからだろう。

主人公とともに4冊の“殺人記”の謎を追い、いくつかの愛の行方を探す読者を、待っているのは鮮やかな結末……その「幸福」に胸が熱く震えるのは、きっと私だけではないと思う。


2011/09/15

有楽町で“ゴースト”&なでしこ。


ちょうど一週間前の午後5時半過ぎ、私は有楽町の駅前で道行く大勢の人々とともに「なでしこジャパンVS北朝鮮戦」を街頭テレビで見ていた。映画『ゴーストライター』を観て直ぐのことである。

こうして201198日は、珠玉の映画と熾烈なサッカーの記憶が重なる記念すべき日となった……くだらない人生を彩るには十分すぎる一日ではないだろうか。

と、少しハードボイルド小説風()な前置きをしたところで、本題へ。
                                                                        
あの『戦場のピアニスト』から9年……(月日が経つのは早いなあ)。ロマン・ポランスキーの新作は、ヒッチコックの作品とチャンドラーやロス・マクドナルドの探偵小説を足して割ったような雰囲気を感じる社会派サスペンスだ。

とは言え、ストーリー的にはさほど目新しさを感じない政治陰謀モノ(背景はイラク戦争)、ハリウッド的サスペンスの強い刺激や興奮とも無縁だ(派手なアクション・シーンは皆無)。しかも、突っ込みどころに事欠かず、謎解きにも格別の意外性はない……それなのに、あ~、

それなのに、観る者を捉えて離さない映像の魅力・魔力!
静かにじっくりと「不安」を呼び起こすシリアスな空気感、感情を揺さぶりながらスリルへ巻き込む巧妙な「舞台装置」、冒頭からラストまで一切のムダを感じさせない完璧なショット、そして、自らの心象風景を映すように全編を覆う深い寂寥感……

すべては御年80歳を迎えようとする巨匠の成せる業。

その枯れることのない美意識が醸し出す世界に、どっぷり浸る充足の2時間8分……多くの人に味わっていただきたい至福の時間でありました。

主人公の「ゴースト」を演じるユアン・マクレガーも◎



2011/09/11

あの日、失われしものへ。



3.11東日本大震災から今日で半年……先日、近しい友人たちが被災地・宮城県石巻市を訪ね、その現状をカメラに収めてきました。








2011/09/07

引き分けは、良薬か? 日本 VS ウズベキスタン戦


疲れました。あまり多くを語りたくない試合でしたね。特に前半は……。

トップ下に長谷部、ボランチに遠藤、阿部という、アウェー&ピッチ・コンディションを意識したらしい守備的布陣。それで早めの先制点を奪われては、厳しい試合になるのは当たり前……経験をかわれて先発した阿部の動きも良くなかったし、北朝鮮戦のMVP(個人的)長谷部も精彩を欠いた。最初から香川のトップ下で良かったのでは?

でも、アウェーで勝ち点1。相手も予想以上に強かったし、最低限の仕事はしてくれました。(決定的なピンチを川島が防いでくれたのも大きかった)
ただ、やはり本田不在の穴は大きい、個々の巧さ速さは感じても攻撃全体の厚みと迫力を欠く。といって代わりはいないので、昨夜の試合を良い薬として受けに回らず連動性・正確性を高めて前進してもらいたい……顔と体の迫力ならハーフナー・マイクで十分なんだけどね~。

岡崎のダイビング・ヘッド……今さらながらスゲェ~の一言。“地を這うようなシュート”はよく耳にするけど、“地を這うような頭(ヘッド)”は流石に聞かない。本人も怖いだろうけど、相手の恐怖感もさぞかしでしょう。特に最近は髪の長さが目立つし、貞子が飛び込んでくるようで……ゴメン。

さあ、次は1011日、ホームでのタジキスタン戦。

本田は間に合わないが、長友は帰ってくるはず。楽しみに待ちたい。