2019/03/25

映画&エトセトラ(ラスト)




先日(21日)のイチローの引退会見、記者からの最後の質問「現役時代の孤独感」についての返答に、「さすがだなあ」と、思わず保存。

《それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。
孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。》

さて、本題。再び映画の話……

『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(監督:フレデリック・ワイズマン/製作国:アメリカ・フランス、2015年/鑑賞日:2月某日、ユジク阿佐ヶ谷)1
67もの言語が話され、マイノリティが集まり、エスニックな味と多様な音楽があふれる「ジャクソンハイツ」は、“人種のるつぼ”アメリカを体現する町。しかし今、再開発のためにそのアイデンティティが危機に……本作は、その町の様々な場所(教会、モスク、レストラン、集会場、コインランドリーなど)、様々な人(地域のボランティア、セクシャル・マイノリティ、不法滞在者、再開発の波に飲まれる店主など)に向けられる巨匠ワイズマン監督の視線を通して、ニューヨークとは、アメリカとは何かを問うもの。

「多様性を尊重するとは、お互いの言葉に耳を傾けること」。必然、本作を観ることの中には、様々な人の話を聴くという行為が内包される。(つまり“しっかり聴いて、考える”ドキュメンタリー映画ということ)
とはいえ、189分という超長尺……若干老いた我が身にはけっこうキツイものがある(トイレは近いわ、腰は疲れるわ)。120分を過ぎたあたりから集中力が急速に減衰し、後半30分はほぼ死に体。集会場での長い演説シーンで語られた内容が、まったく頭に入ってこなかった。
というわけで“観客失格”。映画前半「自分も多様性の一部。こういうコミュニティで暮らしてみたい」と思えた反面、全体を通して「良い作品だったなあ」と語れるほどの資格もない。(いつかTSUTAYAの棚で見つけたら、改めて自宅で観ようと思う)

『闇の歯車』(監督:山下智彦/2019年/鑑賞日:33日、時代劇専門チャンネル)
藤沢周平の同名小説を初秋の江戸・深川を舞台に、瑛太、橋爪功の共演で映像化したサスペンス時代劇(時代劇専門チャンネルの開局20周年記念作品)。監督は「鬼平犯科帳 THE FINAL」(吉右衛門がイイ!)、「三屋清左衛門残日録」シリーズ(欣也もイイ!)を手がける山下智彦。

最近、我が家はちょっとした時代劇ブーム。もう終わってしまったが、勝海舟を育てた型破りな夫婦(沢口靖子と古田新太)を描いた『小吉の女房』(NHK BSプレミアム)、藤沢周平ドラマシリーズ『橋ものがたり』(BSフジ)など、キャスティングの妙もあり、かなり楽しませてもらっている。(中でも特に“イイ!”のは、「小吉の女房」の沢口靖子&古田新太、「橋ものがたり」の松雪泰子)
で、この『闇の歯車』……とにかく、瑛太がイイ!(カツラがこれほど似合う若手の役者がいるだろうか?)。「男前だなあ…」と唸ったほど、ゾクッとするような色気がある。対する橋爪功もさすがの演技力。闇の世界で生きる男の底知れぬ不気味さ、怖さが漂う。

タイトル通り全編を通して作品のトーンは暗め。その薄闇の世界をさまよう男と女(友人の妻を奪った男、大店に嫁ぐ女、舞い戻って待つ女、女を追う男、黒幕、全てを知る男)、それぞれの人生の歯車が狂いだす……というクライムサスペンス。絶品の“江戸ノワール”ここにあり!の佳作。

以上、映画の話は、ひとまず終了。以下、映画絡みの“エトセトラ”……

「ピエール瀧」逮捕後、彼の出演番組の打ち切りや差替え、所属バンド「電気グルーヴ」のイベント出演中止など、右へ倣えの自粛ムードが漂っていたが、それを打ち破ってくれたのが東映&白石和彌監督(さすが、日本ノワール復活の旗手!)。私も楽しみにしていた『麻雀放浪記2020』のノーカットでの公開が決まった。

もうすぐ平成も終わる。今の社会を覆う「事なかれ主義」や「同調圧力」を一概に“悪しき日本人資質”と否定はできないが、個人的には大嫌い。さっさとおさらばして次の時代に向かえたらなあ…と思う。





2019/03/20

仕事が終わって…再び「映画&エトセトラ」③




6日は中大理工学部・後楽園キャンパスで、とある対談の立会い(&新宿のロック居酒屋でウエちゃんと一杯)。
7日は『府中三億円事件を計画実行したのは私です。』を流し読み。(衝撃的なタイトルにつられて手に取ったが、なにこれ?のひと言。ただの下手くそな青春恋愛小説だった)
8日はTジョイでイーストウッドの『運び屋』を観て英気を養い、9日から16日まで丸々1週間、久しぶりの仕事漬け(テープ起こし2日、編集及びライティング5日)。近所に買い物に出る以外、メシの時間を除いてほとんどパソコンの前にいた。

さすがに疲れたが(仕事の方はまあまあの出来)、ようやく一息……というわけで、前回に続いて映画の話(少し短めにまとめて)。

『バジュランギおじさんと小さな迷子』(監督:カビール・カーン/製作国:インド、2015年/鑑賞日:2月某日、ユナイテッドシネマとしまえん)
インド人の中年男性(正直者の敬虔なヒンドゥー教徒)が、ちょっとしたアクシデントで迷子になったパキスタン人の少女を、親元に送り届けるため旅に出る姿(インドからパキスタンまで700キロの二人旅)を描いた“笑いあり涙あり”のヒューマンドラマ。

インドとパキスタンの複雑な対立の歴史を思えば、そんな風に都合よく事が運ぶはずはないと“分かっちゃいるけどやめられない”のが娯楽の王様・インド映画の面白さ&もの凄さ。その不退転のポジティブパワーに圧倒され、魅了され、“いつの間にやらハシゴ酒”気分。“気がつきゃ”、おじさんと可愛い迷子にへべれけ…という快作。

『デッドエンドの思い出』(監督:チェ・ヒョンヨン/製作国:韓国・日本、2018年/鑑賞日:216日、新宿武蔵野館)
遠距離恋愛中の婚約者を追って名古屋へやってきた韓国女性ユミ。だが彼の住むアパートには見知らぬ女性の姿……婚約者の裏切りに絶望し、あてもなく街を彷徨っていたユミは、ゲストハウスを兼ねた古民家カフェ「エンドポイント」に辿りつく。という展開。

で、失意のユミはそのカフェのオーナーや常連客たちとの交流を通じて、少しずつ自分を取り戻していく……最近お馴染みの“喪失と再生”の物語(日韓合作)だが、少し“辛め”の味付けを期待していた分、物足りなさ(甘ったるさ)が残り満足度はイマイチ。主演のチェ・スヨン(アイドルグループ「少女時代」のリードダンサー)が良かったなあ…と言う以外、特に感想はないが、束の間、名古屋観光気分も味わえるし、「ほっこり癒されたい」と言う人には、悪くない作品だとは思う。(上映終了後、舞台挨拶があり、本作で監督デビューした新鋭、チェ・ヒョンヨン監督登場。31歳という若さ……次回に期待したい)

『誰がための日々』(監督:ウォン・ジョン/製作国:香港、2016年/鑑賞日:218日、新宿K’s cinema
“介護うつ”の果てに母を亡くした青年が、精神病院から退院後、母と自分を残して家を出ていた父親と暮らすことに……という所から始まる社会派・香港映画。周囲の冷たい視線を浴びながらも懸命に生き抜こうとする青年の苦悩と、介護から逃げ出した自分を悔いて息子の人生に寄り添おうとする父の姿を描く。
監督は本作が長編第一作目となる新人監督・黄進(ウォン・ジョン)。(本作により、香港金像奨、台湾金馬奨で最優秀新人監督賞を受賞)

観終った後、ズシッと重い疲れとともに押し寄せてきたのは、「いい映画だったなあ」という満足感と「二人が,ちゃんと寄り添えてよかった」という安堵感……国とか世界とか地球とか、そんな大きな世界に「希望」はない、人の心の中にのみあるもの。
逃げながら懺悔し続ける人生ではなく、辛くても共に前に進むことを選んだ親子の決意に心からエールを送りたくなった。(「人生すべては外注できない」という父親の言葉も印象的。年末恒例「勝手にコトノハ映画賞」入選確実!)
で、このシリアス極まりない作品のメガホンをとったのが、まさか30歳の新人監督とは……本当に世界は広い。このクソみたいな世の中のあちこちに優れた才能と感性が息づいている。(それもまたひとつの希望)

で、映画話の後の“エトセトラ”……
先日(18日)ネットで、映画監督・想田和宏さんのこんな“つぶやき”に遭遇した。

「ホロコーストは捏造だ」というデマを飛ばすAと、Aに対して「デマをやめろ」とたしなめるBがいて、ABが激しく言い合いを始めたとする。すると必ず「どっちもどっちだな」と両方を非難するCが出てくる。この場合、Cは「中立」ではない。明らかにAに加担している。

つまり「報道は中立でなければならない」というのも、権力に加担しているという意味でC……改めてジョージ・オーウェルの言葉を思い起こした。
「ジャーナリズムとは報道されたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報にすぎない」

ちなみに「ホロコーストは捏造だ」と悪辣なデマをとばし世界に恥を晒したのは“Yes!高須クリニック”でお馴染みの自称愛国者・高須克弥氏。
で、12日にコカイン使用の疑いで逮捕された「ピエール瀧」(いい俳優が次々に…)を、連日のように取り上げて騒いでいるテレビが、何故この件でダンマリを決め込んでいるかといえば、高須氏が大量の広告を発注してくれる“大スポンサー”だから(普通は、番組で取り上げる前に、ナチスを礼賛しホロコーストを否定するような人との契約は、広告倫理上それが分かった時点で打ち切るものだと思うけど)……さすが我が日本の堕メディア。金に縛られ、権力に操られ、どこまで堕ちていくのだろう。

 

2019/03/07

映画&エトセトラ②『台北暮色』




『台北暮色』(監督:ホアン・シー/製作国:台湾、2017年/鑑賞日:1月某日、「アップリンク吉祥寺」にて)

舞台は既に高度成長期を終えてしまった台湾の首都・台北の住宅地。インコを飼う若い女性(シュー)、アスペルガーの少年(リー)、そして車で生活をする中年男(フォン)の物語。(孤独に生きる3人がふとしたことから出会い、シューのインコがいなくなったことをきっかけに、彼女の思いがけない過去が明らかに……というのが大まかなあらすじ)

特に大きな出来事が起きるわけでも、ドラマチックな展開や感動的なシーンが待ち受けているわけでもなく、東京のコピーのような、どこか既視感のある風景を眺めながら、淡々と過ぎていく映画の時間……
スクリーンの中の3人は説明しがたい自分の孤独を知ってかしらでか、多くを語らない。“今とは違う”未来や見果てぬ夢を追いかける素振りもない。ただ、おだやかな光とさまざまな色に包まれた街で、それぞれの日々を紡いでいるだけ。(なのに、「いつまでも観ていたい」という気分にさせてくれるのは、そんな何でもない日々と人生への愛しさ故か)

監督ホアン・シーは「フォンは過去、リーは現在、そしてシューは未来を意味している」と言う。カメラはそんな彼らと街に寄り添いながら、一見フラットだが、心に残るさまざまな情景を映し出してくれる。(シューの携帯に度々かかってくる間違い電話。電飾まみれの少年の部屋。赤く揺らぐ光の中ふたりが走る歩道橋。ビルの谷間の水たまりに浮かぶ水紋……雨がキレイだ)

とりわけ「セブンイレブン」の前、薄明りの下で缶チューハイを飲みながら、フォンがシューにボソッと語る言葉が印象的。「距離が近すぎると、人は衝突する」「距離が近すぎると、愛し方を忘れる」……そう。この距離感こそが『台北暮色』の心地よさ。(例えるなら小津さんの映画を観ているような感じ。「台北暮色」という邦題も「東京暮色」に重なるし)

人生、山あり谷あり。詰まって止まって、また歩く(走る)……高速でエンストした車(乗っているのはフォンとシュー)と、それを後押しする人たちを俯瞰で捉えるラストカットも強く心に焼き付いた。

そんなラストの余韻が残ったまま、喫茶店でパンフレットを読んでいたら、こんな一文が目に留まった。
《街が孤独を癒すのではない。孤独が街を癒すのだ。彼女も、彼も、少年も、救いを求めていない。欲しがらないという品性が、この都市を逆に救済している。
無意識という名の情たちによって、いままさに救われつつある台北は、しあわせ色の夕暮れでラッピングされている》

「街が孤独を癒すのではない。孤独が街を癒すのだ」、けだし名言……いつの日か私も“しあわせ色の夕暮れでラッピング”された東京を見てみたいと思った。(気づかないまま、もう、何度か見ているのかもしれないが)

で、余談だが、映画が始まる前、近くの席の女性(おそらく同世代)に「よく、ここにいらっしゃるんですか?」「どんな映画がお好きです?」と唐突に話しかけられ、「どんな映画と言われてもなあ…」と答えに窮し、適当にお茶を濁してしまったが、「こんな映画が好きです!」と、声をかけて帰ればよかったか?…と、今になって思う次第。

※昨日は仕事で文京区にある「中央大学理工学部」へ。(丸ノ内線・後楽園駅から徒歩5分)その    一室(都市環境学科・水理研究室)で行われる対談を録音し記事にするためだが、二人の話(土木工学科教授・山田正氏と“水資源の専門家・竹村公太郎氏)があまりに多岐に渡り(「水の安全保障」から、「量子力学」「治水」「タイ」「ベトナム」「司馬遼太郎」「三国志」まで)、内容的には実に興味深く面白かったが、仕事的にはかなりヘビーな感じ。(でも、今年の初仕事だし、気合いを入れてやらないと!)

 終了後、デザイナーのウエちゃんと後楽園から丸の内線に乗り、新宿・歌舞伎町のロック居酒屋「ROCK CAFE LOFT is your room」へ。
 「ウッドストックへの道/~50周年記念トークライブ~」ということで、心優しきボヘミアン・室矢憲治さんと再会。出会いがしらのハイタッチ後、“伝説の語り部・ムロケン”のナビゲートにより、“元海兵隊”ジミ・ヘンドリックス、“元祖エアギター”ジョー・コッカー、“フォークの女王”ジョーン・バエズなどなど、懐かしい映像と曲に酔った。
 (途中、酔いが回り、何かの話の流れで「打倒、安倍」と声を上げたら、ちょっとウケた)