2019/11/29

11月のメモ②




1111日(月)
「証明写真機」の仕事の引継ぎ研修あり。
西武池袋線の某駅からバスで20分ほどの所に設置されている「写真機」だが、月2回の巡回・集金で3000円程度の請負料(移動費込み)。
この1ヵ所に限れば、自宅からの交通費だけで月1680円(820円×2)、移動時間・往復で約3時間(1.5時間×2)、労働時間1時間20分(40分×2)……という感じで、まったく割に合わない仕事。その駅周辺に私が担当する店が数か所あるので、総計的には何とか帳尻が合うような感じだが、それでも「ここは、いらないなあ…」というのが正直な所。

1113日(水)
「本契約」のため、「証明写真機」本社へ。
終日研修(9時半~18時半)。覚えること、やることが多過ぎて(売上金の管理も含めて課せられる責任も少なくない)、頭も体も疲れる一日。(「この歳で、こんな詰め込み教育を受けるとは…」と、ついグチがこぼれた)
研修を受けながら「これほどの仕事量で、この請負料?…みんな、よく文句も言わずに働いているなあ」と思ったが“乗りかかった船”。本業も暇だし「何事も経験&勉強」と割り切ってやるほかなし。(もちろん、この歳で我慢と無理は禁物。暫くやってみて「どう考えても、間尺に合わないなあ…」と、心から嫌気がさしたら“即、撤退”するつもりで)

で、本契約・研修を終えて改めて思うのは、今の日本の労働環境の厳しさ・セコさ……この「証明写真機」の仕事も「専門職・技術職」とまでは言い切れないものの(若干の技能を伴うルート点検に、集金・納金・伝票及び作業記録票記入等の少し煩わしい事務作業が付随する仕事)、本来なら正規の社員を雇ってもいいような仕事を、労基法から逃れるために「請負契約」という形で高齢者や主婦にやらせているわけで(「請負契約」にした方が人件費の削減も図れるし、労働の流動化も抑えられ、企業側のメリットは大きいのだろう)、広く言えば、そういう企業の在り方こそ現在の日本社会の閉塞感を生みだす一因になっているように思う。
(そんな会社の仕事だが、今のこの国に高齢者が何の不満も不安もなく行える仕事などあるはずもない。私も多くの高齢者と同じ「生きづらさ」を抱える一人であることを自覚しつつ、できるだけ気持ち良く働けるように努めたいと思う。まずは仕事に慣れないと)

1114日(木)
終日、引継ぎ研修(5ヵ所)。

1116日(土)
「沢尻エリカ、合成麻薬MDMA(通称:エクスタシー)所持の疑いで逮捕」……
在日朝鮮人の女子高生役を演じたデビュー作『パッチギ!』(2005年)で、まだ18歳の彼女を観た時から、「この娘はきっと、凄い女優さんになるだろうなあ」と、その可憐な容姿と抜群の演技力、そして気高さ漂う独特の存在感に見惚れ、ファンの一人として息の長い活躍を期待していた私も、只々「残念」というほかなし。本人にとっても日本映画界にとっても、本当にもったいない話だと思う。(薬物依存は「犯罪」と言うより「病気」。今後その病気の治療が、心無いバッシングや誹謗中傷によって妨げられないことを願うばかり)

1120日~25日(水)
「引継ぎ業務」は19日ですべて終了。結局、私が担当する写真機は7か所8台。集金を含めて週2ぐらいのペースで回れそうな感じだが、その分、請負料は低め。聞けば、誰でもスタート時は8台程度で、仕事に慣れるにつれて徐々に増えていくそうだ。(長くやっている人で1820台、平均で1215台程度とのこと……私自身は“台数”より効率性。たまに本業も入るので、今の担当場所から近くて週2~3で回れる台数がベスト。多少の収入増より時間を優先したい)

ということで、“独り立ち”初日を迎えたわけだが、いきなり集金上のトラブル発生。(集金票に表示された売上金額と“金庫”のお金が、何度数え直しても、合わない!)

本部に連絡しても原因が分からず、結局、コールセンターに頼んで投入されたお金が溜まる所の部品を交換してもらうことに……集金額の不足分はとりあえず自分のサイフから出して補填。その旨を管理本部に伝えて機械を離れたが、3040分で終える予定が2時間もかかってしまった。(コールセンターの人に「最初にこういう滅多にないトラブルを経験しておくのも、悪くないと思いますよ」と変な慰められ方をしたが、何とも先行き不安な幕開け)

以降25日まで、写真機内でのトラブル対応や色調整、種々の伝票整理・タブレット入力・ペーパー注文などなど、仕事漬け。(マニュアルや伝票見本、研修時のメモなどを一々確認しながらの作業なので、写真機内でも自宅でも時間がかかるのは致し方なし。慣れてくれば手早くやれるはず)

今日(28日)も巡回に出かけたが、「ペーパー交換」もスムーズにやれたし、引継ぎ時から気になっていた機械の不具合も“パソコンのシャットダウン→再起動”で解消することができた。(慣れれば簡単に出来るようなことに、ちょっとした達成感を覚えるのは“新米”なればこそ)
スタートから一週間が経ち、仕事に慣れるにつれ気持ち的にも少し余裕が出てきた感じ。来週は、映画を観に行く時間もとれそうだ……
あっ!その前に、年賀状を作らなきゃ!!
(今年も友人のY君から制作依頼あり。自分の分も含めて、MIYUKIさんとUEちゃん、写真&デザインよろしく!……まだ、コピーは手つかずだけど)

※明日(30日)は仕事の“自主練”。通常巡回時の作業手順などを“おさらい”すべく、同行研修の際にお世話になった年下の先輩Nさんの仕事に付き合わせてもらうことになった。

P.S.
「桜を見る会(桜事件)」……
政治・行政の私物化、ここに極まれり。と言った感じだが、火中の悪玉・安倍首相や菅官房長官はもとより、「証拠隠滅」を図りながら、その官邸の嘘や詭弁を、子どもじみた言い訳を繰り返して必死に庇おうとする内閣府の役人たちの情けなさも異常の域。
以前は私も、我が身可愛さで(心ならずも?)権力におもねるその姿を「哀れ」と思って見ていたが、「国民全体の奉仕者」という立場を完全に捨て去った今の彼らに「哀れ」を感じることはない。ただ軽蔑するのみ。日本の行政を担うべき集団が、日を追うごとに、無能な人間の集まりにしか見えなくなってしまったのは、私たち国民にとっても不幸なことだと思う。

一方、メディアに目を向ければ、公選法及び政治資金規正法違反の疑いが濃い案件にも関わらず、「(自らではなく)野党が追及」などという書き方で責任逃れのヘタレ記事を垂れ流す新聞(朝日!)や、「沈黙」という形で政権を擁護するテレビ局(最早「共犯」と言っていいかも…NHK!)など、政権同様に、国民がこの問題に飽きるのを待っているかのような体たらく。

で、それらと同様、なんかおかしくない?と思うのは、支出が“予算額の3倍”の「桜を見る会」だけじゃなく、嘘を重ねて招致した五輪やトランプに媚びて買った(買わされた)戦闘機などには湯水のようにカネを注ぎ込むのに、教育・子育て・福祉・年金などの話になると、途端に国は借金だらけで貧乏だから切り詰めろとか、その財源として「消費税(増税)」が必要だ、という話になること……(もう、瀕死の民主主義のみならず、国全体が脳死に近い状態かも?)

 

 

2019/11/18

11月のメモ①

11月2日(土)
先月の『細い目』(監督:ヤスミン・アフマド/2004年製作、マレーシア)に続き、今は亡きヤスミン・アフマド監督の最高傑作と言われる『タレンタイム~優しい歌』(原題「TALEN TIME」)を観に「アップリンク吉祥寺」へ。

上映1時間半前に「アップリンク」到着。チケットとパンフレットを購入した後(何と残り3席!)、
“我が青春の街”吉祥寺をそぞろ歩き……南口徒歩1分、古いビルの地下にある蕎麦屋「ほさか」に入った。
(「ハモニカ横丁」から居酒屋「峠」が消え、紫煙漂う薄暗いジャズ喫茶「FUNKY」は小洒落たバー&キッチンに変身。井の頭公園に降りていく階段の脇にあった珈琲店「もか」の姿も疾うになく、地方都市の商店街のようなホンワカした雰囲気が好きだった駅ビル「ロンロン」は、どこにでもある“おしゃれ”がウリの「アトレ」にかわり、その中にあった品揃いの良い本屋「弘栄堂」もどこかへ行ってしまった。今の吉祥寺に“我が青春”の痕跡なし。50年という長い月日を経て、随分と味気ない街になってしまったなあ…と思う)

で、とろろ蕎麦を食べながら、ちょっとだけパンフレットを覗いてみると、冒頭こんな言葉が……
「私は国境がきらいです。私は人間と人間とを恣意的に分断することがきらいです。私は、ただシンプルにヒューマニティについての映画を作りたいのです。」
「私にとって映画は、人間に、人間であることを思い起こさせてくれる、格好の機会を与えてくれるものなのです。」(Words from Yasmin)

その言葉通り、静かに深く心を揺さぶる映画『タレンタイム』……音楽コンクール(タレンタイム)に挑戦する高校生とその家族を通して、多民族国家マレーシアの日常に潜む「分断と対立」、それに伴う人々の心の葛藤を描きながら、融和と共存の未来に贈る希望の物語として結実させたことに、心からの敬意と感動を覚えた。(まさに、“民族や宗教の壁を軽やかに超えるヤスミン・ワールド”。宝物のような作品を遺してくれたヤスミン・アフマドに深謝!)

11月4日(祝・月)
柳家小三治の「独演会」を聞きに、新富町の「銀座ブロッサム」へ。(内容は前回のブログに記載済)

11月5日(火)
池袋で飲み会あり。会場は西口から徒歩5分の「ino(イノ)」、面子はY君&MARIちゃん、O君、私の4人。
酒席の話題は、政治、映画、仕事、音楽(あいみょん、山下洋輔、寺久保エレナ、井上陽水…)、俄然面白くなってきた『いだてん』(阿部サダヲ、森山未来、仲野大賀、浅野忠信…)など。

で、一番、話が盛り上がったのが、「台風19号の被災地で深刻なボランティア不足」というニュースの件。

まず、自由意思であるボランティアに「不足」という言い方がおかしいし、災害復興において自発的に手伝ってくれる人(無償ボランティア)を当てにしている時点で大間違い。(もし仮に「必要ボランティア数」などという目算を立てている行政があるなら、それはただの怠慢)
要するに、国も県も市も金を出したくないから「タダで働いてくれる人が足りない、もっと増やすにはどうしたらいいか」と言っているだけ(外国人労働者を含め、そんな国で働く人の給料が上がるわけがないし、人々の暮らしが良くなるはずもない)。まさに「ドケチ国家の正体見たり」という感じだが、素直で優しいMARIちゃんは「私にも何かできることはないかしら?…」と心を痛めていたらしく、私とO君の話を聞きながら「そうか……知らなかった。すごくナットク。勉強になる」と気持ちスッキリになった様子。(その間、酒が入って楽しげなO君から「俺たち2ヶ月に1回ペースで会っているのに、ホント話が尽きないね~」との言葉あり。やはり「持つべきものは友」ということ)

2次会は西口公園近くの「ビストロ魚金」でワインとチーズ&ソーセージ。夜10時散会。

11月8日(金)
隣駅の「Tジョイ」で、白石和彌監督の新作『ひとよ』を鑑賞。
期待に違わぬ作品。キャスティングも文句なし。田中裕子、佐藤健、鈴木亮平、松岡茉優、佐々木蔵之介、筒井真理子……みんな良かった。

夜は「誕生日前夜祭」ということで、家人とワイン&ステーキ。

11月9日(金)
67回目の誕生日……
朝、パソコンを開くと、MIYUKIさん&UEちゃんから「HAPPY BIRSDAY」メールあり。
(Thank you so much!)


昼前、息子夫妻から「靴」のプレゼントが届いた。ナイキの「AIR FORCE1」というスニーカー。
スタイリストの息子曰く「不朽の名作」とのこと。(二人に「ありがとう!」)





2019/11/09

新富町で「小三治」



振替休日の4日、柳家小三治の独演会を観に、新富町の「銀座ブロッサム(中央会館)」へ。(今も江戸情緒が残る町。会場に着くまでの数分の間に、和服姿の女性数人とすれ違った)

普段あまり落語を聞かない自分が、なぜに「小三治の独演会」なのかというと……先日、ツレの友人のチエさんから「急な用事が入って行けなくなったんですよ。MITSURUさん行きませんかね?…」という打診があり、「(小三治なら)行くよ!」と即ノリ。4200円のチケットを2000円で譲り受け、生前の「談志」を観て以来、10数年ぶりに落語を聞きに行くことになった次第。

開演は13時。


前座の柳家三之助「のめる」が思いのほか早く終わり、1320分過ぎ、小三治登場。

「三之助に25分は話をもたせろと言ったんですが、たった18分…あいつ、20分ももたずに終わっちゃったよ。真打ち剥奪しようかな」といった調子で始まり、その後の“まくら”の長いこと、長いこと(もちろん「面白い!」ので文句なし)……

「肉弾相打つとはあのこと。もう命懸けですよ、あれは」、「分かりやすく例えるなら、大相撲の土俵だね。グラウンド全体が大相撲の土俵のようなもの。しかも、あちこちでぶつかりあってさ……で、人間のゴミの山からボールが出てくるんだから(スゴイったらありゃしない)」、「野球もサッカーもそれなりに楽しめますが、ラグビーを知っちゃうとね~…日本シリーズ?そういえば、なんかタラタラやってたなあ」等々、W杯での日本代表の戦いぶりを通じて、すっかりラグビーの魅力に取り憑かれたらしい小三治師匠、名言・珍言目白押し。未だ興奮覚めやらずといった感じだったが、極めつけは、日本代表のSH・田中史朗への「ありがとう」……

数年前、パリ空港で海外遠征中のラグビー日本代表一行に遭遇した師匠。2階の待合室に自分の荷物を運ぶのに四苦八苦していたところ、見かねた小柄な選手が親切にも「私、持ちますよ」と言って、重いスーツケースを軽々と担ぎ運び上げてくれたそうだ。その時は、何処の誰かも分からなかったのだが、W杯初戦のロシア戦、途中出場した「田中」を見て、「あっ、あの時の!」となり(師匠ひと言「そりゃあ、忘れられませんよ、あの顔は」)、さらに興奮度上昇、その後の声援にも相当な力が入ったらしい。

というわけで、まくらの〆は「ありがとう、田中!!」。

そんな話の途中、舞台の袖から「師匠、この後、(ホールには)別の催しも入っているんですから、二席やる時間がなくなりますよ。どうするんですか」という女性(マネージャー)の“厳しい声”あり。「どうするたって、そんな…アタシだっていきなり気持ちを切り替えられないよ」とぶつぶつ言いながら、ようやく一席目の『死神』を話しはじめた。

柳家小三治/「死神」(1996年)

小三治の『死神』は、TVやネットを通じて何度か聞いたこともあり、オチも分かっていたが、やはり生で聞くのは新鮮かつ格別の味わい。“まくら”で十分に盛り上げた後、スッと飄々とした死神のキャラに入っていく巧みさ・凄さ……そのくぐもるような声に導かれ、束の間、ちょっと不思議で滑稽な江戸の世にタイムスリップした気分に。(「死神」の静かな声が眠気を誘うのか、気持ちよさそうに寝ている人もチラホラ。私もついウトウト)

『死神』終了後「仲入り(休憩)」を挟んで、二席目の『小言念仏』……マネージャーの“忠告”に従い、今度は“まくら”短め。
(師匠自身は宗教とは無縁のようだが、お父上が熱心な神道の信徒だったらしく、天皇を神として崇めていたという事から、いつの間にか天皇の話に……「あの方々は、何処へ行くにも御付きの人が付いてくるんでしょ。可哀想だよね~、自由がないんだもん…江戸城から吉原あたりにまっすぐ行ける抜け道でもあればいいけど」。で、「大臣がバカなことやって何人も辞めちゃって……そのたんびに、任命責任は私にあります。って、お前が辞めろ!」と少しだけ時事話。会場は拍手、拍手、私も拍手)

何やかや10分程話した後、おもむろに左手を前に出し、右手で木魚がわりに床を扇で叩きながら、ナムアミダブナムアミダブと読経を始めた。

10代目柳家小三治『小言念仏』

床を叩く音はリズミカルだが、瞑想にふけるような表情をしながらも絶えず脇見&文句タラタラで注意散漫。信心に身が入らない様子が面白い。(信仰も長く続けていると惰性になってしまうという話のようだ…)

で、最後は、殺生を禁じているはずの仏教を信心しながら、「ざまあみろ」とドジョウの断末魔を笑い飛ばす……というオチ。そんな江戸の庶民のいい加減さが、小三治のすっとぼけた表情と重なって、実に楽しい演目だった。

独演会終了、1520分。(20分オーバー)

小三治師匠「私は落語家じゃなくて“話し家”です」と言っていたが、なるほどなあ。だって、「小三治」そのものが落語だからね~……「いやあ~、面白かった!」。と、一人、ほくそ笑みながら帰路に就いた。