2020/04/20

「自粛」の日々の中で。


先日、生物学者・福岡伸一さんのこんな言葉を目にした。

《…つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ》

《その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない》(4/6朝日新聞デジタルより)

言うならば「新型コロナウイルス」は、みんなが忘れかけた頃にふらっと家に帰ってくる「フーテンの寅さん」のようなもので、(感染から身を守る必要はあっても)戦うべき相手ではないということ。世界中で感染爆発が起こり、死者が続出する現状は、何とも辛く、悲しく、不自由なことこの上ないが、「ウイルスと共生する新しい生活」にお互いが慣れていくしかないのだと思う。

さて、外出自粛の日々が続く中、急遽加入した「ネットフリックス(Netflix)」で映画やドラマを楽しむ時間が増えた。(もちろん、朝のTVやネットでのニュースチェックは欠かせず、“ムカムカうんざり”の時間も増えたが…)

映画はすでに『サニー 永遠の仲間たち』(2011年)、『大統領の理髪師』(2004年)、『新感染 ファイナルエクスプレス』(2017年)の韓国映画3本&マット・デイモン主演の「ジェイソン・ボーン」シリーズ3本と『コンテイジョン』(2011年)の計7本。(すべて面白かったが、特にオススメは「サニー」!)

ドラマは主演・小林薫の「深夜食堂」をシリーズ1の頭から観だして、すでに26話目(この時期、こういう奥深い人情ドラマが染みる)……観ているうちに定番の「豚汁」をはじめ、「あさりの酒蒸し」「バターライス」などが食べたくなって、晩メシで“実践”することも。
(「豚汁」はツレの十八番。今までは豚小間で作っていたが、「深夜食堂」を観て豚バラに。ぐーんとコクが増した感じ。「酒蒸し」は刻んだニンニクを入れて蒸すのがコツ。炊き立ての白飯に小さじ1杯ぐらいのバターを乗せ、醤油を少し垂らして食べる「バターライス」も、旨し!)

という具合に、「外出自粛」をできるだけ前向きに捉え、時折友人たちとメールや電話で情報交換を行い、普段通りに政権・政策を批判しながら、今ある生活をできるだけ楽しむようにしているのだが、世間には「こんな緊急時に政府を批判するな」(いつなら批判すべきなの?)、「責任の追及、糾弾はウイルスが終息してからにしろ」(追及も糾弾もリアルタイムじゃなければ意味ないと思うが?)、「安倍さんも小池さんも頑張ってるんだから…」(「頑張ってるから」といって、間違った方向の努力を肯定しても良いわけ?)などと、70年以上も民主主義体制を採用してきた国の主権者とは思えないような言葉を大っぴらに発信する人たちも多いようで(糸井重里、山下達郎、スガシカオ、太田光、テリー伊藤など)……

 中でも引っかかったのが「責めるな。じぶんのことをしろ」という糸井重里氏の呟き。
(その前にも彼は「わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」と呟き、それに対して“真っ当な”右翼団体・花瑛塾が「それは殺されようとしている民が殺しにかかる権力を責め立てているのです。怒りの抵抗の声です。もっともっとよく感じ、つらくなりなさい」と返していたが……もちろん私は「花瑛塾」に“一票”)

「責めるな。じぶんのことをしろ」などと公然と呟けば、「あなたも私たちにかまっていないで、どうぞ自分のことをしてください」と速攻で返されるのは容易に推察できること。名コピーライター・糸井重里が「自家撞着」という言葉を忘れるはずもないだろうに…やはり駿馬も老いるか……と、がっかりすると同時に、少し淋しくも思った。
(「批判するな」を「責めるな」に置き換えているのも彼一流のレトリックだろうが、「あざとさ」だけが浮き立つ感じ)

というわけで、太宰治『御伽草子・浦島さん』の一節。(「浦島さん」と「亀」の掛け合い)

浦島は苦笑して、「身勝手な奴だ。」と呟く。亀は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着してゐますぜ。さつきご自分で批評がきらひだなんておつしやつてた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるぢやないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちつとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。

要するに、〈個別の批判内容〉を批判するのではなく、〈批判すること〉自体を批判すると、糸井さんのみならず誰もが自家撞着に陥るということ。「心をひとつに」とか「国民(日本全体)が一丸となって」とか、同調圧力が強まりやすいこの時期、特に気を付けないと。

P.S.
最近、「コロナウイルス」関連で、特に印象深かったのは、京都大学・ウイルス再生研の宮沢孝幸先生の「ウイルスの性質を周知することで、感染機会の80%削減を目指し、経済活動の崩壊を防ぐ」という主張。
北大の西浦教授や白鷗大学の岡田先生が言う「接触機会80%減」ではなく、「感染機会80%減」……「この日本で接触機会80%減なんて、どう考えても無理じゃない?」と思っていた矢先、宮沢先生の一連のツイート及び解説動画(なぜか、今は非公開になっているが)を見て“目からうろこ”。とても優れた提案だと思った。
 
 

2020/04/02

雑感(「コロナ」にまつわる色々)


 
映画は我慢(我慢して我慢して、やっと解放された時に、アップリンク、武蔵野館、Ks cinema、シネマ・ロサ、ポレポレ東中野などなど、自分の好きな映画館は残っているのだろうか?早く補償を!)。飲み会は中止。友人に誘われて行くはずだった「ラグビートップリーグ」も「ウーマンラッシュアワー村本独演会」も延期。カラオケ・食べ歩き当然ムリ。まして、海の向こうへ旅に出るなど叶わぬ夢のようなもの……
(なぜか急に、30年前に家族で行った「佐渡金山」の蝋人形の声を思い出した。
「酒も飲みてえー、メシも食いてえー、馴染みの女にも会いてえなー」)

「不要不急の外出」を控えて思うのは、「不要不急」のことこそが人生を豊かにしているということ。

さて、「1日に東京で確認された感染者66人の約7割が40代以下だった」とか、今日もテレビは「コロナ」で持ち切り。
(今なお続く混雑した電車での通勤という日本特有の事情がもたらした結果…だとすれば状況はなお深刻)

中でも驚かされたのは(というか呆れたのは)、1000万人以上が住む東京で、受け入れ可能な病床が500床しかなく、それすらもうほとんど残っていないということ(五輪延期が決まった途端に118床だったことが明らかになり、それからやっと500床……これじゃあPCR検査なんてやれっこないわ)。ここ2ヶ月の間、東京都は一体何をしていたのか?「医療崩壊」以前に行政が崩壊しているとしか言いようがない。

一方、政府はと言うと…相変わらずグダグダと「所得補償」なき「自粛要請」を繰り返すのみで、真っ先に発表されたのは「五輪の日取り」と「五輪の予算の確保」、そして「1住所あたり2枚の布マスク配布」。
(マスク2枚???……昨日、それを聞いたとき、あまりのバカさ加減に、怒りを通り越して、笑ってしまった。「エイプリルフールだったか、今日は!」という感じで。もちろん、嘘でも冗談でもなかったけれど)
 
アメリカ:年収800万円以下の大人1人に13万円、子ども1人に6万円を直接給付(しかも家賃支払い・納税猶予)、
イギリス:フリーランスを対象に、月額33万円を上限に所得の8割補償、
ドイツ:フリーランスに対し最大3カ月間・最大9000ユーロ(約108万円)の給与補償(一例として、フリーランスの日本人夫婦に対し日本円で60万円ずつ計120万円振り込まれたとの呟きあり)、
香港:現金14万円支給、韓国:所得下位70%の世帯に最大9万円支給、
イタリア:30万円以上支給、フランス:休業補償(全額)、スペイン:休業補償(全額)等々。

で、我が日本はマスク2枚(&フリーランス1日あたり4100円)って……
さすが「竹槍でB29を撃墜せん」とした国。「まさにワンチームで」とか言いながら、
コロナとの戦いにも「欲しがりません勝つまでは」の精神で臨めというメッセージだろうか。
(要するに政府及び自民党は、当然果たすべき「生活者支援」を“施し”のように思っている証拠。大体、マスク2枚をそれぞれの住まいに届けるのに、どれだけの費用がかかるのか?なぜ、その金と手間を直接的な生活支援である「現金給付」に回せないのか!)

最早(というか以前から)現政権にとって、国民は主権者ではなく、殴ろうが何をしようが逆らわず、わずかな“施し”で黙って働き、従う「奴隷」のようなものなのだろう。

その「奴隷」の側の一人として言わせてもらえば「もう、我慢の限界」……

(既に負けている)コロナとの戦いを契機に、安倍政権との戦いは「やるか、やられるか」の段階に入ったようだ。
(「民主主義の危機」どころか「生存権の危機」。一日も早く政権の座から引きずり降ろさないと、「自己責任」の名のもとに、こっちがくたばってしまいそう)