2019/08/18

夏の日々のメモ③



811日(日)
録画しておいた「フランケンシュタインの誘惑E “水爆 欲望と裏切りの核融合”」を観る。(Eテレ8/8放映。「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーと「水爆の父」エドワード・テラーの物語)

「水爆はジェノサイド、大量殺戮兵器」と言って研究に消極的なオッペンハイマーに、「水爆を使用するか否かを決定するのは科学者の仕事ではない。発見することが科学者の仕事だ。いかなる科学においても重要なのはできることをすることなのだ」と、かつての師に反旗を翻し開発に執念を燃やすテラー……

普段、科学者の欲望などに無縁かつ興味のない私には、発見や発明の名誉にひたすら執着し「無限の破壊力の実現」に執念を燃やす彼の姿は“イカれてる”としか思えなかったが、この世界に大量破壊兵器が数多く存在している現実は、その狂気が普通の意識として正当化され、延々受け継がれていることの証左。
原爆犠牲者の鎮魂を祈るこの時期、広島・長崎の人々はもとより多くの日本人にとって赦しがたい「原爆の父」の存在も、「水爆の父」のイカれ具合に比べれば……と、空恐ろしくも虚しい気分にさせられる45分間だった。

夜は、「いだてん」からのNHKスペシャル「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」…
日本陸軍の精鋭部隊(一木支隊)916名が、1万人を超えるアメリカ海兵隊に戦いを挑み、全滅した「ガダルカナルの戦い」を、アメリカが保有する膨大な戦闘記録を基に検証したもの。

個人的に、以前から「大和魂を最重視する無謀で好戦的な陸軍、理性的かつ合理的な思考を有しながら陸軍中心の開戦勢力に追従してしまった海軍」というイメージを持っていたが、この番組を見た後は「慢心の陸軍・邪心の海軍」という印象に(とりわけ海軍の独善性に唖然)……つまり、どちらも“ろくなもんじゃなかった”ということ。

正しいデータを把握せず、自分たちの都合の良い結果を捏造し、全滅という悲劇を招いた陸海上層部。にも関わらず、その失敗の全ての責任を現場に押し付けるという度し難さ……今の政権及び官僚たちの姿に通じる恥ずべき日本人の姿に、怒りを通り越して悲しくなってしまった。(で、何が悲しいって、これら膨大な資料のほとんどがアメリカ側から提供されたものであること。公文書やデータに関する認識があまりに違いすぎる)

812日(月)
連日の録画鑑賞。(暑い日は“家で映画”が一番)
ドキュメンタリー『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー』(製作:TBS2017年)を観る。(8/11、日本映画専門チャンネルにて放映)

第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人、度重なる弾圧にも屈することなく「民主主義」を求め米軍に立ち向かった男・瀬長亀次郎。民衆に支えられ、那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた彼の知られざる実像と抵抗の人生を、関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリー。(監督は元TBSキャスターの佐古忠彦。テーマ音楽は坂本龍一。ナレーターの一人に今は亡き名優・大杉蓮)

現在の「オール沖縄」という連帯も、さかのぼれば亀次郎さんが原点。何度アメリカに潰されそうになっても、余裕の笑みを浮かべて起き上がる「カメジロー」の姿に見惚れ、今なお沖縄県民の抵抗と希望の象徴として慕われ続ける、その不屈の魂のしなやかな強さに感じ入る一本。改めて「民主主義は勝ち取るべきもの」と思う。

夜は、「やすらぎの刻~道」(テレ朝)と並んで、いま最も気に入っているドラマ「監察医 朝顔」(フジ)を観た後、NHKスペシャル「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~」……

《戦前最大の右派メディアが見つかった。時の司法大臣・小川平吉が、1925年に創刊した「日本新聞」である。新聞が発行されていた11年間は、日本が「大正デモクラシー」から急速に「軍国主義」に傾斜していった時代だった。なぜ日本人は、一度は手にしていたはずの「自由」を手放し、「戦争への道」を進んだのか。「日本新聞」を手がかりに、見つめていく》(NHK)という濃厚なドキュメンタリー。

で、私も最近知ったのだが、例えば「自分の感情」を「国民感情」に、「私の心」を「日本人の心」に拡大しちゃうこと(主語を大きくして語ること)や、自分(だけ)が思っているのに「みんながそうだと思い込む」ことを、流行りのCMにかけて「ハズキルーペ症候群」と言うらしいが、自分の意に沿わない主張や人物に「売国奴」「非国民」等のレッテルを貼り攻撃を繰り返していた「日本新聞」の11年間も、その「ハズキルーペ症候群」が徐々に蔓延し、過激化・拡大化していったような印象。現在の日本の状況とよく似ていることに慄然とする。
番組では大正デモクラシーで自由を謳歌した人が、「仕事がなくなった」等の理由で、いとも簡単に国家主義に傾倒していった事例が紹介されていたが、それも「民主主義教育」や欧米のカルチャーに囲まれて成長した6070代の高齢者たちが今、少なからず「ネトウヨ」にハマってしまう構図によく似通っているように思えた)

結局、日本は民主主義を追い続けながらも成熟できないまま、戦争、敗戦を経て再び“危うい今”に至っているということだろうか…う~ん、マジ虚無。(と、諦めてもいられませんが)

 

2019/08/15

夏の日々のメモ②




89日(金)長崎原爆の日
水木さんの『カランコロン漂流記』を読了。その中に「従軍慰安婦」と題された漫画が載っていた。(以下、その“吹き出し”の言葉)

「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には100人くらい、ナワピー(沖縄出身)は90人くらい、朝鮮ピーは80人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人30分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。
(体調が悪そうなその女性は、水木さんが見ているのもかまわず小屋の外で排泄…)
とてもこの世のこととは思えなかった。第一これから80人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。それはまさに「地獄の場所」だった。兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。と、トイレに行った朝鮮ピーを見て思った。よく従軍慰安婦のバイショウのことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが・・・・やはり「地獄」だったと思う。だからバイショウはすべきだろうナ。」
(「ココポ」は、パプアニューギニア東部のニューブリテン島東部の州都。彼女たちはその後、輸送船でココポを離れたが、途中潜水艦の魚雷にやられ、全員が死亡したという)

従軍慰安婦問題が存在すること自体を否定したい人たちは「自由意思で売春の道を選んだ」などと主張し、日本軍の罪を免罪しようとしているが、水木さんの本や多くの従軍経験者たちの記録・証言にもあるように、日本軍の管理下で兵士同様に人身の自由を奪われ性奴隷の状態にあったことは明らか。
いま普通に考えても、パプアニューギニア奥地のジャングルにまで連れてこられた女性たちが自由に故郷に帰ることなどできるわけがないし、体調不良にも関わらず一日に数十人もの男の相手をすることが自由意思であるはずもない。

というわけで、改めて「慰安婦問題」を学び、考える一日に…以下、特に印象深かった記事3本。

相模原の男性が語り続ける 慰安婦への加害の記憶
今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞くhttps://www.cyzowoman.com/2019/08/post_244183_1.ht...

なぜ兵士は慰安所に並んだのか、

夜はテレビ。「報道1930」(BS TBS)からの「凪のお暇」(TBS)。

8月10日(土)
朝から、Eテレ「あの夏を描く 高校生たちのヒロシマ」、NHK BS1「アニメ 大好きだったあなたへ ヒバクシャからの手紙」の2本を録画鑑賞。(「ヒバクシャからの手紙」の番組ナビゲーター及び主人公の声は、注目の女優・清原果耶……透明な光と微かな影を感じさせる、演技力抜群の17歳)

夜は、友人たちとサッカー観戦(FC東京 VS ベガルタ仙台)……午後4時過ぎに家を出て西武池袋線→武蔵野線→南武線と乗り継ぎ、京王線の「飛田給」に着いたのは午後540分。
チケットを手配し誘ってくれたY君、O君と改札で落ちあい、10分ほど歩いて「味の素スタジアム」へ。
試合開始までの1時間ほど、私が持参した「たこ焼き」「唐揚げ」「ソーセージ」などを“つまみ”に、ビールを飲みながら映画&時事談議。(時期的に「小泉進次郎」「表現の不自由展」「五輪」などが話題に…「親父と同じ新自由主義者で、所詮アメリカの手先にしかならないような実績ゼロの政治家を何故“ポスト安倍”などとマスコミはもてはやす!?ふざけんな!」で、意見一致)

1杯目のビールを飲み干し、食い物もほとんどなくなったところで、試合開始(午後7時)。前半は、良く言えば両チームとも落ち着いた試合運び。悪く言えば、どちらも決め手に欠く退屈な展開……後半も似たような展開になったが、15分過ぎ、ゴールキックの流れからMF東がFW永井にスルーパス。裏に抜け出したところで仙台のDFシマオに倒されPK獲得。それをFWディエゴが決めて1:0。その後、両チームとも度々ゴールに迫ったが、シュートに精度を欠き、そのまま試合終了。

FC東京の大ファンであるY君はリーグ優勝に近づく「勝ち点3」に大喜びだったが、私とO君は流れからのゴールが見られず消化不良気味……「軽く一杯」だけを楽しみにスタジアムを後にしたのだが、28,000人を超える観客が集まったせいか、駅周辺の飲み屋はどこも超満員。仕方なく「一杯」をあきらめ、駅にて散会。それぞれ帰路に就いた。(帰宅時間22時半)

2019/08/14

夏の日々のメモ①




8月2日(金)
先月中旬、新聞の折り込み求人チラシを見て応募した仕事(「証明写真機」のメンテナンス業務)の採用が決まり、その研修及び仮契約のため「中野新橋」へ。
研修時間は6時間(10時~16時、休憩1時間30分)。社内での研修はこの日の一日だけで、後は「同行巡回」という実地研修を経て「本契約」となるらしい。

で、本契約後の私の仕事だが、週1回程度(曜日・時間は基本自由)、担当エリアの写真機を回り、清掃、保守・管理、集金などを行うこと。(立場的には写真機メーカーでもある運営会社と雇用関係を結ぶのではなく業務委託という形…つまり今と同じ「個人事業主」)
今後は、コピーライター兼「証明写真機」メンテナンスという“二足のわらじ”を履くことになる。(本業の広告制作はド暇状態で先行き不透明……というより“真っ暗”で、かなり厳しい状況。自分にとって生きる糧でもある映画・書籍・飲み代に事欠くようでは困るので、早目に手を打った次第)

86日(火)広島原爆の日
想田和弘監督の「観察映画」第8弾、『ザ・ビッグハウス』(監督・製作・編集:想田和弘/製作国:アメリカ、日本、2018年)を録画鑑賞。

ミシガン大学のアメフトチーム、ミシガン・ウルヴァリンズの本拠地で「ザ・ビッグハウス」という別名もある「ミシガン・スタジアム」に、想田和弘監督を含む17人の映画作家が密着。
事前準備なし、シナリオなしの即興撮影で、11万人超の観客を集める巨大スタジアムの表と裏の顔(表は…熱狂する観衆、マーチングバンドのパフォーマンス、セクシーなチアリーダー、VIPルームの客など。裏は…厨房、配膳、清掃、救護スタッフとして働く人々、ダフ屋、大道芸人、チョコを売る親子など)を映し出しながら、スポーツと軍事及び教育・経済・政治の関係性や、宗教、人種、階級(格差)、マチズモ、ナショナリズムの台頭といったアメリカ社会が抱える様々な問題を浮かび上がらせる……という実に興味深く面白い「観察映画」。華やかな熱狂が鎮まった朝のスタジアムで、ゴミを拾い集める若い女性が「私、フットボールが大嫌い」と溜息まじりに呟くシーンが妙に心に残った。(鑑賞後、町山智浩さんの解説を読んで分かったのだが、スタジアムで売られるハンバーガーのコンボセットの値段が16ドルという驚きの高さ。改めて円の凋落を思い知らされた)

夜はNHKスペシャル「“ヒロシマの声”がきこえますか ~生まれ変わった原爆資料館~」を観る予定だったが、少し疲れたので録画予約し早目に就寝。翌朝鑑賞。(この時期、やはりNHKのドキュメンタリーは見逃せない。常にこうした番組作りを行ってくれるなら、受信料が高いとか、払うのがイヤだとか、文句を言うつもりはない。但し、ニュース番組は「ぶっ壊したい」レベル)

8月8日(木)
午前中、行きつけの床屋さんで頭スッキリ。一旦、家に戻り再び外出。先に出かけていたツレと中村橋で待ち合わせ、バスで阿佐ヶ谷へ。1983年製作の台湾映画『風櫃(フンクイ)の少年』を観てきた。
(小屋は「ユジク阿佐ヶ谷」、上映開始15時半。その前に中華料理店「青松」で冷やし中華を食し、上島珈琲店で喉を潤しながら1時間半ほど読書&昼寝……お互い老いたとはいえ喫茶店で二人揃って昼寝とは!? 連日の暑さで脳みそまで溶けてしまった感)

監督は台湾の巨匠・侯 孝賢(ホウ・シャオシェン)、映画の舞台は、台湾海峡上にある澎湖島(ポンフー・ほうことう)の漁村・風櫃。そこで育った3人の若者たちの物語(ホウ・シャオシェン監督の自伝的作品とのこと)……
去りゆく少年期への感傷と、大人になることへの焦燥、(友情、喧嘩、恋へのあこがれ、将来への戸惑い…)その無為ではあるがかけがえのない日々を、どこか懐かしく美しい台湾の情景を背に描き出した傑作。(やはり台湾は青春映画の宝庫!)

で、最も印象的だったのは……「高雄」の街中で出会ったポン引きに「映画もあるよ。カラーでワイドだ」と騙され(チケット代を巻き上げられ)、廃墟ビルの11階に上った3人が、やけ気味に「確かにカラーでワイドだな」と言って、ガラスの欠片ひとつない大きな窓枠から高雄の街並を眺めるワンシーン。その風景が切なく明るく美しかった。(劇中、少年たちが「モノクロかよ」と悪態をつきながら観ていた映画がヴィスコンティの『若者のすべて』だったのも、個人的にツボ)


夜は、アマゾンで購入した水木しげるの『カランコロン漂泊記』(小学館)を読みながら就寝。

2019/08/06

「あいちトリエンナーレ」の件



金銭的余裕があれば(暇はソコソコあるので)、ぜひ観に行きたいなあ……と思っていた「あいちトリエンナーレ」の『表現の不自由展・その後』が、政治家(松井一郎、河村たかし、菅官房長官など)の圧力と、それに勢いづいた何者かの「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫FAXによって中止に追い込まれた。

まさかと思ったが、やはりこの国は「大日本帝国」の時代に戻っているようだ。しかも、思った以上の速さで……。
(「慰安婦像」と呼ぼうが「平和の少女像」と名付けようがどちらでもかまわないが、戦時性暴力をテーマにした作品ひとつ自由に展示できないような国、また、昭和天皇をモチーフにした数点を、その制作意図・経緯に触れもせず「御真影を傷つけた」「不敬」などと、まるで戦中・戦前のようにバッシングする国は、既に「民主国家」でも「先進国」でもない。そんな国で平和の祭典・オリンピックとは……笑止!)

それにしても、少女がただ静かに座っているだけのオブジェに「心を踏みにじられる」って、一体(河村たかし名古屋市長は)、どの様なメンタリティの持ち主なのだろう……「私には負の歴史と向き合う知性も勇気もありません」と、暗に白状しているようにしか思えないのだが。
さらに、それを「日本人の、国民の心(を踏みにじる)」と、歴史改竄主義者である自分の本性を隠すようにすり替える姑息さ・醜悪さ。
とりあえず、彼が言う日本人の中に、俺を入れるな!とだけは言っておきたい。

で、“お口直し“に、ちょっといい「旅行記」を発見。タイトルは「いま韓国を旅して感じたこと」https://note.mu/tabi_gari/n/n0222be99d9e2

P.S.
以下、ネットで目にした「表現の不自由展」に関する政治家・タレント・学者・著名人の発言。(「極々まとも」な右翼団体、「戦前メンタリティ」の政治家、「自由より日本(愛国)」の芸人・タレントなど……色々あぶりだされてきた感じ。その中で、少し見直したのは「大村愛知県知事」)

松川るい(自民党参議院議員)
日本政府上げて慰安婦像撤去を世界中で取り組んでいる中で、これはありえない。ましてや、日本国民の象徴たる天皇陛下のお写真を焼くということは、日本という国で許されるべきことではない。それは芸術とか表現の自由とかそういう問題ではない。撤去は当然だし、そうなって本当に良かった。

原口一博(国民民主党衆議院議員)
聖書やコーランを火にくべることが何を意味するのか。日本人が大切にしているものを燃すことが何を意味するのか。表現の自由、芸術の名の下に許されていいのか?表現の自由といえども人々の心を傷つけることまで容認されていいのか?私は許されていいとは思いません。抗議の声をあげるのは当然です。

松井一郎(大阪市長・日本維新の会代表)
税金を投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ、単なる誹謗中傷的な展示はふさわしくない。朝日新聞自体が謝罪した、デマの象徴である慰安婦像を、行政が展示すべきではない。

船井俊輔(自民党衆議院議員・宏池会)
間違えてはいけないのは、税金は政府や行政に批判的な人でも納税しているものであり、それを再配分するもの。 政府や行政に従順、ないしは意向に沿ったものにしか拠出しないということでは、決してあってはならないということ。
「国益に反するものに税金投入はおかしい!」確かにその論は受け入れられやすいが、国益が何かという定義は国民の皆さんそれぞれに考えがあり、政治の側がそれを言い立てることには、くれぐれも慎重になければなりません。

花瑛塾(右翼団体)
公権力が表現の自由に踏み込み、その内容の改変や公開中止を求める行為は憲法が禁じる「検閲」であるが、警察が本来有している警察力を行使せず表現の自由への暴力的な妨害を放置し、これを間接的に中止に追い込むことも、事実上の「検閲」である。
一方で花瑛塾として、同展の展示内容について強い違和感と不快感を覚えたことも事実。

立川志らく(落語家)
日本人の多くの人が反日の像だと思っているわけでしょ。多くの人が不愉快に思うのだったのなら(芸術監督の)津田(大介)さんも自分のお金で、個人でやる分にはいいんだけど、国で名古屋で愛知でやったことに、かなり問題があるんじゃないかと思います。
表現の自由を阻害することになるといいますけど、なんでも自由にしていいのかってことですよ。人を考えさせるのは大事だけど、不愉快にするっていうのは果たして芸術か。

松井計(元ホームレスの小説家)
そもそも、全ての人を満足させるような芸術表現なんかありえないんですから。誰もが満足するなんてのは、受け手の個性の否定じゃありませんか。芸術表現は、表現が意図されたその瞬間から、対立の可能性を内包する性格のものです。

町山智浩(映画評論家)
「表現の不自由」展が「公費使うな」と叩かれてるが、その何十、何百倍もの税金が吉本興業や秋元康やクールジャパンなんとやらにムダに流れてるんだけどな。

つるの剛士(タレント)
たとえ近所で開催されていても、無料でも、夏休みでも、 自国ヘイト作品を展示するアート展なんかに子供連れて行くわけない。 ああ、 表現の自由も不自由?も守られて、 連日近くでミサイルは飛んでいて、 日本はなんて寛容で平和な国なんだろ。

ロバート・キャンベル(日本文学研究者)
不自由展なら唾棄すべき内容だと言う人も共感する人も声高に議論すればいい。手続きに不正がなかったか検証するも良し。しかしそれを経ずに首長が唐突に中止を求め誰かが「撤収しなければガソリン」と脅迫し挙句に止むを得ず中止とするのは自由な議論を奪う流れ、とても残念だ。
(「星条旗を踏みにじる展示物をアメリカ人として歓迎ですか?」との質問に)
歓迎も攻撃もしません。私はしませんが、仮に焼いたとしても言論の自由と認められ、公権力を向けられることはありません。

安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
今投げかけられているのは、「表現の自由」の問題だけではないと思う。この国ではすでに、パスポート発給拒否で渡航の自由が奪われたり、夫婦別姓を選択する自由が認められなかったり、外国人の方々が長期で収容され自由を侵害されたりしてきた。だから「今回”は”仕方ない」と見過ごしたくないと思う。

山崎雅弘(戦史・現代史研究家)
河村たかし名古屋市長は、少女像の展示を公的行事で認めれば「韓国側の主張を認めたことになる」かのように吹聴しているが、これこそ過去の歴史問題を「日本対韓国」の戦いにすり替える「歴史戦」の手法。日本人なら日本側につけと脅し、大日本帝国擁護に加担させようとする。

大村秀章(愛知県知事)
憲法21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と書いてある。最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。

山本太郎(政治家・れいわ新選組代表)
表現の自由は最大限まで認められるべき。(今回の件は)自民党の改憲草案21条を彷彿とさせる。権力側にとって公の秩序乱すなら表現の自由認めない。実際に改憲進んでもいないのに、すでにそんな状態。どのような表現でも叩かれたり称賛されたり。色々な声を受け入れて次の表現に繋げていくことが本当の表現だと思う。それさえも許さない。気に入らない表現であるならばガソリンまくぞとか、政治的圧力かけるぞってことで、その表現自体をなかったことにしようということ自体がちょっとまずいなと思う。非常に危機的な状況。(85日、TBSラジオ「セッション22」荻上チキ氏との対談にて)

自民改憲案第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
(1項を2項によって「骨抜き」にするという、“いつもの手”)

 

 

 

2019/07/31

「無縁者」として。




《れいわ新選組は、左派ポピュリスト政党、などではない。それはそもそも「政党」ではなく、「左派」でもなく、「ポピュリスト」でもない。れいわ新選組は、無縁者の集まりであり、その無縁のエネルギーが、ガチガチに固まって人間を閉塞させている有縁の世界に、風穴を開けつつある。人々の支持を集めているのは、その風穴から、空気が吹き込んでおり、息ができるようになったからだ、と私は考えている。》(安冨歩「内側から見た「れいわ新選組」」より)

という、安冨歩さんの分析に「触発されて」書かれた、映像作家・想田和宏さんの記事「れいわ新選組は野良猫の集団である」……


読んですぐに「そうか…そうなんだよね!」と唸った。どうして自分が「れいわ新選組」に共鳴するのか(&猫が好きになったのか?)……それは、私自身も「無縁者」だから。

この間、その「無縁者」の一人として、ひとつ(叶いそうな)夢ができた。
それは、彼らが政権を担う社会で生きること。その姿を見届けること。
そして、「無縁者」として共に闘い続けること。考え続けること。


さあ、明日はどうなる?
(テレ朝・モーニングショー「そもそも総研」、初登院、新宿での街宣など)


P.S.
昨日、録画で観たNHK「ノーナレ」(729日放映)は、川崎のラッパーたちに密着した「川崎 South Side Rap


遠い昔のある時期、3交代勤務の工場労働者として働き、遊ぶ金も夢もなく鬱々と日々を過ごしていた街は、今、「ジャパニーズラップの聖地」と呼ばれているらしい。(京浜工業地帯に隣接する南部の地域は、生活保護を受けて暮らす世帯も多く、在日韓国・朝鮮人、フィリピンやブラジル出身者などルーツも多様)

くすんだ空の色、コンビナートから吹き上がる煙、下町の生活音、ドヤ街の人たち、一杯酒場の孤独と温もり……あの頃と変わらぬ風景の中、あの頃の自分のように、行き場のない感受性だけを必死に守りながら、魂の発露を探して生きる若者たち。そのリアルな叫びが胸に響いた。


「親がいるならいい、両方そろわないのが俺らだぜ」
「涙の数だけ強くなれるなら、とっくに俺は最強だよ」



 

 

2019/07/30

『新聞記者』…など。




「たまには“男同士で映画”もいいんじゃない?」と企画した「映画デート(からの飲み会)」。その初デートに選んだのは話題のヒット作『新聞記者』。(男3人で観に行くはずが、「私も観たい!」「あっ、ワタシも」の声を受け、ツレとY君の連れ合いMARIちゃんが加わり5人での鑑賞。鑑賞日は17日、場所は「新宿ピカデリー」。映画の後は伊勢丹会館4F「あえん」で“ワイワイ”)

監督は若干32歳の藤井道人、原案は菅官房長官の“天敵”として有名な東京新聞「望月衣塑子」記者。
主役は二人、東都新聞記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)と、内閣情報調査室の若手官僚・杉原拓海(松坂桃李)……加計・森友問題とそれに絡んだ公文書改竄、元TBS社員で安倍総理と深い関係にある記者「山口敬之」によるレイプ事件など、現実に起きた事件とフィクションをリンクさせたストーリー展開が巧み。ただの一人も政治家を登場させない(巨悪の姿を見せない)という作り方もサスペンスの緊張感を生む上で効果抜群、真実を求める記者と政治の暗部に気付いた官僚の苦悩の只中に、ジワジワと私たちを引きよせる。

で、ラスト近く、「この国の民主主義は形だけでいいんだ」という作品中で最も印象的な一言が杉原の上司で内閣情報調査室のボス・多田(田中哲司)から発せられ、観客一同「こわーっ」「この国ヤバい」……となるのだが、もともとアメリカから与えられた民主主義。マッカーサーの指揮下で作られた現行憲法の改正(改悪)を一貫して目指している政権(及び日本会議や神社本庁)にとっては、その憲法同様に「戦後民主主義」も邪魔な存在。
「形だけの民主主義」以前に、現政権の中枢にいる政治家たちの理想郷はナチスドイツではないのか?とまで疑っている自分にとっては、「さもありなん」という感じで特に意外性もなく、改めて恐怖を覚えるほどのこともなかった。

寧ろ本当に「ヤバい」のは、その言葉に象徴された現政権の体質ではなく、誰もが一人の人間として自由に生き、自由に発言する権利を持っているはずのこの国で、多くの人が「立場」でしか話が出来なくなっているという現実のほう。
その立場が社会的に重ければ重いほど、個人の意思など何処へやら、「立場」で生きるほかなく、「立場」でしかモノが考えられなくなっていくことの怖さ・異常さ……

杉原が微かに口を開いて何かを呟いたラストシーンを改めて思い浮かべながら、この息苦しい言語環境を作ってしまった責任は、ほかの誰でもなく(もちろん「安倍のせい」でもなく)、日本社会を形成する「私たち」自身にあることを痛感せざるを得なかった。
(そんな「杉原」のラストの言葉……私には、「一個人としての思いを捨て、立場で生きる道を選んでしまった」ことに対する「ごめん」だったたように思えたが、如何に?)

まあ、何はともあれ、こういう政権批判を含む社会派サスペンス映画が選挙期間中に上映され、しかも大ヒットしたことは、映画界にとっても日本社会にとっても、良い兆し。

どんな時代であろうが、どんな社会で生きていようが、結局、最後は主人公ふたりのように「人としてどう生きるか」という個々の選択の問題なのだから、形だけでも「民主主義」が存在しているうちに、自分自身の「自由」を取り戻し、その権利を常に行使しながら“息苦しさ”を社会から払拭する努力を重ねること。それしか道はないように思う。

P.S.
元号が変わって既に3カ月。「令和」の“令”には未だに抵抗感を覚えるが、ひらがなの「れいわ」は目にも耳にも、しっくり馴染む今日この頃……

明後日(81日)は、「れいわ新選組」の国会議員2名(ALS患者の舩後さん、重度障害者の木村さん)の初登院。そして新宿駅西口では、参院選後、初の街宣となる「山本太郎 街頭記者会見」が行われる。
このところメディアへの露出度も一気に増したし、まさに「れいわ」の夏の始まり…と言った感じ。(鉄は熱いうちに…早く来ないか、衆院選!)

にしても今回の参院選、「N国(NHKから国民を守る党)」の実態をよく知らずに、NHKの受信料及び政権ベッタリの報道姿勢に疑問を感じて投票した人たちは(私の友人も危うく一票入れそうになった)、今ごろ、きっと後悔しているのでは?

続いて、相変わらずの「日韓」…

一昨日(28日)読んだデジタル版の日経新聞に「ソウルで数百人が反日集会 輸出規制強化に抗議」と題する記事が写真付きで載っていたが、その写真で、デモの参加者たちが掲げているプラカードに書かれた文字はハングルで「NO安倍」……(な~んだ、俺たちと一緒。全然「反日」じゃないじゃん!と、嫌韓を煽るメディアの姿勢に“喝”)

で、そのデモの心は?…「コリアンポリティクス」の徐台教(ソ・テギョ) 氏の呟きを読んで納得。
《ソウル光化門広場で行われている「安倍糾弾 第二次キャンドル文化祭」デモに来ています。見る人が見ればすぐ分かりますが、これは「日本不買デモ」ではなく、いわゆる自主派のデモです。安倍政権=韓国旧親日右翼=南北融和反対vs民族自主という図式です。敵は日本ではなく、冷戦守旧体制ですね。》

さらに徐さん10日前にはこんなつぶやきも。
《東アジア再編を信じ、その過程で冷戦構造をはじめ朝鮮半島にまつわるあらゆる「くびき」を無くしたい韓国政府と、そんなものはそもそもあり得ないと切り捨て、既存の秩序を維持しそれを基盤に勢力拡大を目指す日本政府。日本から見る韓国は「妄想」、韓国から見る日本は「妄執」。交わらないだろう。》

いつまで続くぬかるみぞ……といった感じだが、まずは日本が自ら「妄執」を解き放つ道を探ること。それですぐに関係が改善するわけではないだろうが、隣国の「妄想」を、お互いの「夢想」に変えることはできるのでは?と思う。