2022/01/31

最近のあれこれ②(新聞記者&「自分を耕す」)


ドラマ『新聞記者』

113日にNetflixで世界配信が開始され、国内はもちろん、台湾・香港を始め海外でも少なからぬ反響を呼んだドラマ『新聞記者』(脚本・監督:藤井道人)。

テーマが「森友学園問題をめぐる公文書偽造・隠蔽事件」とくれば、個人的にも見逃すわけにはいかず、一気見、必至!…なわけで、ネトフリで日本のドラマを観たのは1本だけ(清原果耶主演『透明なゆりかご』)という私も、配信と同時に観だして全6話を3日で“完走”。真実を暴こうとする人たちと、それを隠蔽しようとする人たちの徹底した攻防戦を、時にムカつきながら、時に歯痒く思いながら、そして時に嘆き、哀しみ、安堵しながら、楽しませてもらった。

もちろん、主人公役の米倉涼子、事件のキーマンで総理夫人付きの官僚を演じた綾野剛(今や日本映画界を代表する俳優の一人と言ってもよいのでは?)をはじめ、役者陣の演技も素晴らしかった。(ユースケ、田中哲治、吉岡秀隆、田口トモロヲ、でんでん……みんなに拍手!)

ただ惜しむらくは、観る者を引きつけるスピード感やスリリングさはイマイチな印象、韓国ドラマのヒット作のように次のエピソードが待ち遠しくなるようなインパクト、爆発力は秘めておらず、恐らく続編もなく一過性の花火で終わる可能性大。(テーマ的にこれで終わるのは、少しもったいない気がするけど)

海外的にも〈ドラマ後半は、日本が国民の無関心によって不正の沼に陥っている国だと明確に示している。より良い政治を求めるなら、一人ひとりが個人として声を上げなければならない、このドラマはそう言っている。〉と、5つ星中3つ星(要するに、普通)を付けた英・ガーディアン紙の評価が一般的だろうし、「日本はこんなにひどい国なのか」「なぜ、大きなデモが起きないの?」的なネガティブな感想・疑問はあっても、それ以上のポジティブな反応は期待できないように思う。

ところで「組織の中では言いたいことも言えないリアルな日本人の姿」(言い換えると「立場主義」)は、世界の人たちにどのように映ったのだろうか……。


 「自分を耕す」一年に。

60代最後の年。といって格別な思いも、これといった具体的な目標もないのだが、かなり前から、人生の節目として「若い頃によく読んだ太宰の小説を今一度、読み返してみるか…」とは思っていた。

で、数日前、古い文庫本やCDを収めている階段棚から『パンドラの匣』をチョイス。 その中の『正義と微笑』を読み始めた。

日記の形式で書かれたこの小説の主人公は資産家の息子で16歳の芹川進。彼には、帝大の英文科に4年前に入ったものの未だ卒業せず、毎晩、徹夜で小説を書いている兄がいる。進はそんな兄を「兄さんは頭が悪くて落第したのではなく、正義の心から落第したのだ」と敬愛しており、彼に教えてもらったマタイ伝(六章・第十六節)の中の言葉に刺激を受け、日記の開始にあたり「微笑もて正義を為せ!」というモットーを掲げる。

というのが、物語のイントロ。そこからつらつらと読み進めると、進が尊敬する中学教師の言葉として、太宰流「学問のすすめ」と言ってもよい箇所にぶつかった。

《勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!》カルチベート=「耕す」「〈才能など〉をみがく、高める、洗練する」

さすが太宰!と手を打ちたくなる含蓄に富んだ一節。今さら「真にカルチベートされた人間になる」のは無理としても、せめて「自分を耕し続ける」一年にしなきゃなあ…と、思う。

 

 

2022/01/29

最近のあれこれ①


オミクロン株「爆発的感染状況」ですが…

「検査受けるな」「病院で受診するな」「コロナ陽性でも家で寝てろ」「無症状なら仕事行け」…って、一体どんな国なんだろう、日本は? と、政府及び新型コロナウイルス対策分科会(尾見会長)の相変わらずの無能・無策ぶりに呆れ、憤っていた矢先、遂に私の周りでも感染者が出た。

埼玉に住む友人のカミさんだが、16日に東京の介護施設に入居中の父親が嘔吐したという連絡を受け、看病に行った際に感染したらしい。もちろん、コロナを警戒してマスクも手洗いも欠かさなかったに…(以下7行、友人の話)

17日に父親のコロナ陽性が判明。父親の周り(介護施設)で感染があったが、保健所の判定で父親は濃厚接触者に該当しないと言われていた。(中略)わかったのは、オミクロンの感染力の強さ。保健所はデルタの感覚で濃厚接触か否かの判断をしたんだろうけど、感染していた。気をつけてね」

「それにしても、日本の行政は何回同じ間違いをするのかね。保健所はパンク状態で機能していない。(自分も)濃厚接触者に該当するのに、(22日時点で)埼玉・東京どっちからも未だに連絡なし」とのこと。

伝えられるところによると、オミクロン株は従来株のように「ミスト感染(飛沫、接触)」ではなく「空気感染」しやすい変異をしているらしい。となると、日常的に最も有効なのは換気と加湿。分科会・尾身会長は、そのことをいち早く国民に伝え、対策を講じなければならないのだが、元朝日新聞記者でジャーナリストの佐藤章氏によると「分科会の対策は飛沫感染・接触感染を前提していて、空気感染を認めると、これまでのすべての対策が無意味になるという理由で言葉を濁している」そうだ……本当かな?と、俄かに信じがたい話だが、この間の泥縄的対応を見ていると、それも然りと思う。

で、一昨日、友人からメールが届き、自前で抗原検査を行った結果は「陰性」。彼のカミさんも回復に向かっているそうで、まずは一安心。「それは良かった!」と返信しつつ、こんなやり取りをした。

「しかし、濃厚接触者でも自前で検査とは…ついこの前まで「検査と隔離がコロナ対策の原則」だったはずなのに、もうめちゃくちゃだね、この国は。最近は検査せず、症状だけで陽性判定するとか言ってるし」

友人「ホントにメチャクチャ。検査で確定しなければ、基本データである感染者数自体が不正確になるし、濃厚接触者の判定もいいかげんになる。ということは、感染拡大を放置することになる。感染拡大による集団免疫の獲得を目指しているとしか思えない施策。この10日間TVをまったく見ていないので、評論家が何を言っているか知らないけど、そういう指摘はないのかね」

というわけで、今後ますます「受診難民」「検査難民」が増えていくことは確実。オミクロン株は重症化しにくいとは言われているが、「国民皆保険」が蔑ろにされている現状、自分の身は自分で守るほかなし。お互い気を付けないと!

 

NHKの「字幕捏造疑惑」

年末にNHK BSで放映されたドキュメンタリー「河瀬直美が見つめた東京五輪」の字幕捏造疑惑(「五輪反対デモはお金で動員」というデマを流した件)……NHKも東京五輪の公式記録映画製作を任せられた河瀬監督側も、真実を隠すために次から次へ嘘を並べなければならなくなっているようで、何だか森友問題と同じ様相を呈してきた感がある。        (その番組の中で河瀬監督が「オリンピックを招致したのは私たち」 「みんなは喜んだはずだ」 「だからあなたも私も問われる」 「私はそういうふうに描く」と、反対派の声をなきものにして語ったことにも批判殺到……もちろん、私も「怒!」)

で、この問題、突き詰めれば事はデマ・テロップに留まらず、映画自体の取材過程、番組の制作過程、NHKの対応など、疑問が山積しているわけで、本来ならば、公共放送を標榜し受信料を強制的に徴収するNHKの屋台骨を揺るがすほどの大問題になるはず。なのだが、思いのほかテレビ、新聞など大手メディアが騒がない。というか、ほとんど取り上げないのは、一体どうしたことか!?とムカつきながら思っていたら、元朝日新聞記者・ジャーナリスト鮫島浩氏のこんなコメントが…

「大手新聞社の追及が甘いのは、彼らが安倍政権の国策だった東京五輪のスポンサーになったからだ。あれはジャーナリズムの自殺行為だった。五輪スポンサー問題を徹底検証して関係者を断罪しなければ新聞ジャーナリズムの復興はありえない」

今更ながら、あゝ、情けなや。N党の「NHKを、ぶっ壊す」なんて、もう古い。NHKも大手メディアも「ぶっ壊れてる」よね、既に。                    (「メディアと政治の癒着」が常態化している現状…本当に何とかならないものか)

ならば、一市民として、ささやかな抵抗を続けるのみ。その①今後もNHKの受信料の支払いは拒否。②大手新聞社の有料ニュースは買わない・読まない。③カンヌで賞を取ろうが、カンヌの審査員に選ばれようが、五輪映画はもとより、河瀬直美の作品は一切見ない!こと。

(まあ、勝手に言わせてもらえば、彼女の作品は映画というより「映像ポエム」のようなもの。国際的にはその「芸術性」が高く評価されているようだが、その分、大衆性・娯楽性は皆無(と言っていいほど)。私的にも退屈であまり面白くないので、何かと話題になっても観る気が起きない。故に“抵抗”とは言えませんが) 

2022/01/24

2021面白本ベスト5


三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』『三体Ⅲ 死神永生』(劉慈欣)

文化大革命から始まり、異星文明との戦いを経て宇宙の興亡へと突き進む……という、中国の歴史と天体学、物理学を組み合わせることで生まれた壮大なスケールのSF超大作&大傑作(総頁数2000超)。そのボリュームと耳慣れない科学・物理用語のオンパレードにたじろぎ、何度か挫折しかけたが、「黒暗森林」半ばぐらいから一気に引き込まれ、ほぼ半年かけて読了。(にしても、驚くべき想像力&構想力。この作家の頭の中はどうなってるんだろう?)


他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ』(ブレイディみかこ)

内面から湧いてくるシンパシーではなく、認知的なエンパシー(意見の異なる他者を理解する知的能力)を掘り下げた良書。エンパシーには相手の気持ちを感じすぎてしまう負の側面もあり、アナーキーな独立した自己とエンパシーはセットで必要なもの、と説く。

 「たった一つでなければならず、たった一つであることが素晴らしいのだという思い込みから外れること。そうすれば人は一足の自分の靴に拘泥せず、他者の靴を履くために脱ぐことができるようになるのかもしれない。言葉はそのきっかけになる。既成概念を溶かして人を自由にするアナーキーな力が言葉には宿っているのだ」…(理解は易し「身につける」は難し)


岸恵子自伝』(岸恵子)

副題の「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」とは、「居心地のよい生活を壊してでも、未知の世界に踏み入ってみろ」というフランスの諺(ことわざ)。人生で3回「慣れ親しんだ卵を《えいっ》とばかりに割った」と言う著者が求め続けた心の自由とは?……その人生の「潔さ」と「豊穣な孤独」に魅了される自伝本。(御年89歳。「国際ジャーナリスト」としても活躍…とは、ちょっとびっくり)


死をポケットに入れて』(チャールズ・ブコウスキー/訳・中川五郎)

1994年に73歳で亡くなったアメリカの作家&詩人ブコウスキーが、その死の3年前から前年まで書き留めた日記風エッセイ。競馬場を日々の居場所にしながら、死と人間存在、長編小説や詩へのこだわり、大好きな酒と女とクラシック音楽&大嫌いなハリウッド映画など、独特の視点で見つめ、語り、魂の果てへと思考の羽根を広げて飛んでいく彼の言葉に魅了され、幾度となく寝際に読んでいた一冊。厭世感満載なのに実に痛快で頗る心地よい読後感は何故?と思う。この日記を書いた頃のブコウスキーの年齢に近づいたせいだろうか…(時折入る、ロバート・クラムの挿絵も味わい深く、心惹かれる)


同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬)

アガサ・クリスティー賞受賞作。《第二次世界大戦時、最前線の極限状態に抛りこまれたソ連の女性狙撃手セラフィマの怒り、逡巡、悲しみ、慟哭、愛が手に取るように描かれ、戦争のリアルを戦慄とともに感じさせる傑作》(ロシア文学者・沼野恭子)、《復讐心に始まった物語は、隊員同士のシスターフッドも描きつつ、壮大な展開を見せる。胸アツ》(翻訳家・鴻巣友季子)という帯に書かれた二人の言葉に惹かれて購入。  その期待通り、読み出したら止まらない超ド級の戦争冒険小説。(彼女たちの戦いは、私たちの戦いと地続き…という意味で、とりわけ若い人たちに読んで欲しい一冊)

 

2022/01/23

年明けのもろもろ


正月気分は…

息子夫婦が訪れた元旦のみ。息子の連れ合いAYUちゃんのご両親に頂いたシャンパンで乾杯。おせち代わりの焼肉・焼き野菜を食べながら、ささやかに新年を祝った。(2日は初仕事、3日はネトフリで映画・韓ドラ三昧。特に面白かったのは、ディカプリオ主演の『ドント・ルック・アップ』。おバカ映画の極致というくらいに笑える映画なのに、ふと気づけばリアルそのもの。人類に対する警告と強烈な皮肉が込められた傑作だった。メリル・ストリープ他、豪華なキャスティングも魅力的)

新年会(4日)

オミクロン株が猛威を振るう前に……と、友人の呼びかけに応える形で昨年末に企画した「新年会」。

「このご時世、年寄り同士の飲み会は昼間に限る!」ということで開始は午後2時。新宿の雑居ビル最上階にある居酒屋「米助」に6人の仲間が集まった。(席に着いた途端、店の方に「エアコンが故障して…」と言われ、一瞬「ええーえっ!?」と声を上げたが、皆オトナ。「まあ、寒かったらコートを羽織ればいいし…」と、お湯割り焼酎と熱燗で身体を温めながら、いつも通り会話も弾み、酒もすすみ、時折、笑いも起こる楽しい3時間。「次は春頃かな…」と再会を期して午後5時散会)

新年会の前に…

ツレと「シネマカリテ」へ。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』で、主人公を破滅に導く美少年タジオ役を演じたビョルン・アンドレセンの半生を追ったドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』(製作2021年、スウェーデン)を鑑賞。

のっけから、“世界一の美少年”を探すためにヴィスコンティが行ったオーディションの模様が映し出され、「美しい」と言葉をかけながらアンドレセンを見つめるヴィスコンティの威圧的とも思える眼の鋭さにギクッとしたまま、映画の中に……それから1時間半、『ベニスに死す』出演後、数奇な運命を辿った“美少年”の悲劇的ともいえる人生に見入った。

※ちなみに私自身はヴィスコンティの映画が少し苦手(尺が異様に長いし、ハイソサエティ感が半端なく、その貴族趣味が鼻につくというか…要するに、高尚過ぎるわけです。観て良かった!と思えたのは『若者のすべて』だけ)。それなのに何故『ベニスに死す』及びアンドレセンが強く記憶に残っているかというと、20代の頃に3回観に行って、3回とも途中で寝てしまったという(黒歴史的に)思い出深い作品だから。

(成金オヤジが美少年に恋してストーカー化する…という、どうしようもないストーリーの何処が面白い?という感じで、その「抒情性」を味わうどころの話ではなかった)

宝島社の企業広告

毎年楽しみにしている、「宝島社」の新春・新聞広告。

今年のメインビジュアルはドイツのメルケルさん。テーマは「ジェンダー平等」。

 


(キャッチ&ボディコピー)

男でも、首相になれるの?

ドイツでは、子どもたちからこんな質問が出るらしい。16年間、女性が首相を務めた結果だ。何だか痛快な気持ちになるのはなぜだろう。人類の間にはびこるつまらぬ上下関係が、鮮やかにひっくり返されているからだろう。わずか16年で、常識なんてぱっと変わる。さあ2022年。ちょっと上を見上げてみる。次のガラスの天井は何だろうか。変わりそうで変わらない働き方改革だろうか。いまだはびこる長老政治だろうか。ほんの少しでもひびが入れば、ガラスはもろく壊れてゆく。

初詣

7日、阿佐ヶ谷の神明宮へ。前日に降った雪の影響か、参拝者は少な目。(毎年、参拝を堅苦しく考えず、もっと自由に拝めばいいのに…と思うのだが、相変わらず、神職でもないのに「二礼二拍手一礼」を律儀に実践する人多し。別に神様が喜ぶわけじゃなく、日本会議の主力でもある極右団体「神社本庁」が喜ぶだけなのにね)

参拝後は駅近くの中華料理店「翆海」でランチ。本場四川の麻婆豆腐に舌鼓。その後、阿佐ヶ谷駅前商店街をぶらり散策。(帰り際、アーケード入口近くの「鉢の木」で和菓子を2点購入)

ということで、遅まきながら「ブログ始め」。今年もどうぞよろしく。

P.S.

今日(23日)の「鮫島タイムス(SAMEJIAM TIMES)」の記事、実に面白かった。

駅のゴミ箱撤去とレジ袋の有料化と保育園のおむつ持ち帰りに共通する重大なこと

https://samejimahiroshi.com/politics-gomibako-20220123