2017/12/29

勝手にコトノハ映画賞(2017)




《外国映画部門》
●最優秀作品賞
『希望のかなた』(製作国:フィンランド/監督:アキ・カウリスマキ)
※港町三部作の二作目に位置づけられていたが、難民三部作に名称変更。三作目も必見!


●優秀作品賞
『人生タクシー』(製作国:イラン/監督:ジャファル・パナヒ)
※イランにパナヒあり!
『密偵』(製作国:韓国/監督:キム・ジウン)
※韓国映画ここにあり!の面白さ。
『エンドレス・ポエトリー』(製作国:フランス、チリ、日本/監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)
※色が踊る。言葉が突き刺さる。88歳の巨匠による珠玉の人生謳歌!
『ハクソー・リッジ』(製作国:アメリカ/監督:メル・ギブソン)
※こんな戦争映画、観たことない!

●監督賞
アキ・カウリスマキ(『希望のかなた』)
※アキ・カウリスマキがこの世界にいるという希望。
アレハンドロ・ホドロフスキー(『エンドレス・ポエトリー』)
※ホドロフスキーがこの世界にいるという奇跡。

●脚本賞
ジャファル・パナヒ(『人生タクシー』)
※コミカルとシリアス。手作りのレジスタンス作品。

●主演男優賞
ソン・ガンホ(『密偵』)
※圧倒的な存在感と演技力。韓国を代表する役者さん。

●主演女優賞
ハン・イェリ(『春の夢』)
※飛び切りの美人ではないが踊る姿がとても美しい韓国の女優さん。

●助演男優賞
サカリ・クオスマネン(『希望のかなた』)
※寡黙な演技、でも確かな存在感。カウリスマキ映画ではお馴染みの役者さん。

●助演女優賞
ドロレス・フォンシ(『しあわせな人生の選択』)
※とても印象的で魅力的なアルゼンチンの女優さん。

●特別賞
『スモーク(デジタルリマスター版)』(製作国:アメリカ、日本/監督:ウェイン・ワン/製作年1995年)※舞台はニューヨーク・ブルックリン。珠玉のクリスマス・ストーリー。
『動くな、死ね、甦れ!(HDリマスター版)』(製作国:ソ連/監督:ヴィターリー・カネフスキー/製作年1989年)※「衝撃度」では、今年一番。とにかく凄い映画!としか言えない。


 《邦画部門》
●最優秀作品賞 
『湯を沸かすほどの熱い愛』(監督:中野量太)
※これほどの熱量を持った日本映画と久々に出会った感じ。心の中の湯も沸いた。

●優秀作品賞
『探偵はBARにいる3』(監督:吉田照幸)
※シリーズ3作目にして、一番の面白さ。ススキノの街が実にイイ感じ。

●監督賞
中野量太(『湯を沸かすほどの熱い愛』)
※商業映画監督デビュー作とは思えない確かな演出力。血縁に捉われない新しい家族像を描
 いたオリジナルの脚本も素晴らしい。

●主演男優賞
大泉洋(『探偵はBARにいる3』)
※ドジで笑えてカッコ良し……やるときゃやる男・大泉洋に大拍手!

●主演女優賞
宮沢りえ(『湯を沸かすほどの熱い愛』)
※その圧倒的な「母性」の力に“心鷲づかみ”。素晴らしい女優さんになりました。

●助演男優賞
松田龍平(『探偵はBARにいる3』)
※探偵(大泉洋)が輝くのは、相棒・内田(松田龍平)の存在があってこそ。
オダギリジョー(『湯を沸かすほどの熱い愛』)
※本来カッコいい男がダメな男を演じると、ダメさも際立つが何故か憎めずいじらしくもなる。とい
 う見本。

●助演女優賞
安藤玉恵(『探偵はBARにいる3』)
※探偵と「峰子」の掛け合いもこの映画の欠かせない魅力。最早この人なしでシリーズ続行は無
 理!と思えるほどの存在に。
杉咲花(『湯を沸かすほどの熱い愛』)
※「宮沢りえ」を食っちゃうほどの演技力。お見事!

●長編ドキュメンタリー映画賞
『禅と骨』(監督:中村高寛)

2017/12/24

ホーチミン6人旅 ④(ラスト!)


4日目のメインは「メコン・ミトー観光」。

9時にホテルを出発、いつものマイクロバスでメコン川クルーズの拠点となる河口の町「ミトー」に向かった。(ミトーには約1時間45分)

30分ほど走り、車窓からの景色が少しローカルな雰囲気に変わった辺りで、売出し中の高層マンションが目に入った。「販売価格は?」とカンさんに聞くと「70平米強の広さで850万円」という答え。市の中心部はかなり高いそうで(多分3~5倍)、「お買い得」らしい。ちなみに地方から出て来た学生が住むような安目のアパートの家賃を聞いたところ、6畳ぐらいの広さで(共同トイレ&シャワー)1万5千円程度。平均的なアパートの家賃は5、6万といったところか?
衣料品・食料品などの安さに比べて、かなり高い感じがした。(ベトナムは地震もなく、台風もあまり来ないので、蒸し暑さが苦にならなければ住みやすい国。地価が高いのは外国人の需要も多いせいだろう)

バスが高速に乗ると、景色は一変。のどかな田園風景が広がり、所々にお墓が立っているのが見えた。(道路近く、ベトナムで人気という北京ダックを売る店もちらほら)

それから1時間ほどでメコンデルタの入口「ミトー」に到着。すぐに船着き場へ向かいエンジン付の中型ボートで「メコン川クルーズ」……







走り出してすぐに「しかし、大きな川だなあ~」(川幅がものすごく広い!)と感嘆の声が出たが、それもそのはず、メコン川は中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムと国を越え約4200kmにも及ぶ世界最大規模の「国際河川」。メコンデルタ地方では9つの支流に分かれることから「九龍(クーロン)」とも呼ばれているらしい。川の色は赤茶色で、一見汚いように思うが、これは土砂が入り混じった土の色。メコン川から採取される土は品質がよく、ベトナム全土に運ばれているそうだ。(ちなみに、メコンデルタ地方はカンボジア国境に近いことから、ベトナム戦争時は米軍との激戦の場にもなっていた)





20分ほどしてボートは中洲の島に到着。そのまま島に降りて、ココナッツキャンディー作り、はちみつ作りなどを見学した後、小舟に乗ってジャングルクルーズ。
ヤシやマングローブの林を4人乗りの手漕ぎボートでくぐるように走るのだが、その小舟が観光客を乗せて降ろして、後ろからも前からも次々にやってくるので、狭い川が余計に窮屈に感じられ「ジャングル情緒」は全くと言っていいほど無い。
面白かったのは、「お孫さんが5人もいるんだって、男の子3人…」「ハードワークですごく肩が凝るらしいよ」……などと、一番前の席で60歳ぐらいの女性の船頭さんと楽しそうにコミュニケーションをとっていたツレが、ボートを降りる間際「チップください」と早口&片言の日本語でシレっと要求され、呆気にとられたように固まってしまい、サヨナラもいわずに舟から降りたこと。(もちろん、チップを払う必要はないが、まだまだ貧困率も高い国。特にメコンデルタ地方は温暖化の影響もあってベトナムの貧困層の課題が集積しているところ。観光客にダメ元でチップを要求するのは当然のことかも)



メコンでの昼食は、初めて見る・食べる「エレファント・イヤー・フィッシュ」などのベトナム料理。(丸ごと素揚げされた「象の耳」を、身をほぐしてライスペーパーにのせ、キュウリやサラダ菜などをはさんで調味料につけて食べるのだが、予想外にうまかった。大きな魚なので一匹を3人でシェア)


食事を終え、バスは再びホーチミン市内へ。
市内に着くや、2日目に続いてスイーツタイムが用意され、「シントー」というベトナム風フルーツスムージーを味わう。気温32度というとても蒸し暑い日だったので実に有難かった。
スイーツの後は、リラクゼーション。「センススパ」という店で45分間のフットマッサージ……20分ほど経ったころ、隣からO君の寝息が聞こえてきた。(施術後、足首と甲が細くなった気がしたのは、むくみがとれたせいだろうか)

少しリフレッシュできたところで、時間合わせを兼ねて40分ほど「シェラトン・サイゴンホテル」のロビーで休憩。そして、最後の見学場所「水上人形劇場」へ。

「水上人形劇」は、1000年以上も前にベトナム北部で生まれたそうで、元々は娯楽を兼ねて農家の人が豊作を祈り行ったもの。1時間弱の間に十六話の演目があり(一話3、4分)、舞台の両サイドで民族楽器を奏でる人たちが語りながら、歌いながら、劇は進んでいく。もちろん、すべてベトナム語なので何を言っているのか分からないが、パンフレットに日本語で「カエル採り」「獅子舞」などと演目が書かれているので、「何がなんだか?」ということはなく、人形のコミカルな動きも面白く思いのほか楽しめた。



そしてホーチミンでのラスト・ディナー……「本当に楽しかったね」と、4日間の旅の印象を語り合いながら「フエ料理」を堪能。ワインも進んだ。

翌朝の集合時間は午前320分(モーニングコールは220分!)。なので、この日は食事後すぐにホテルへ帰り、そのまま解散&就寝……

で、16日早朝。時間通りに全員集合。そのままバスに乗り込み「ホーチミン・タンソンニャット国際空港」へ。(4日間、私たちをエスコートしてくれた素晴らしいガイドのカンさんとは空港入り口でお別れ)

午前545分。行きと同じベトナム航空でホーチミンを発った。
飛行機の席は横一列。前夜ほとんど寝ていないので、みんな機内でウトウトしていたが、成田に着く2時間ぐらい前にはシャキッとした様子で、時折クスクス笑いながら旅談義に花を咲かせた。

1315分、飛行機は成田に……空港ターミナルでY君、O君たちと「じゃあ、また、反省会(という名の飲み会)で!」と言葉を交わしながら散会。楽しく、美味しく、印象深いホーチミンの旅が終わった。

では、皆さま、メリークリスマス(イヴ)!


※気が早いY君のお陰で、早くも「反省会」の日時と場所が決まった。
    2018131日・池袋「サイゴン・レストラン」!







2017/12/23

ホーチミン6人旅 ③


終日自由行動の3日目(14日)。朝起きてテレビを付けたら映画『ハクソー・リッジ』をやっていた。字幕はもちろんベトナム語だが、私は内容が分かっているので、ツレにストーリーを説明しながらそのまま暫し鑑賞。
映画のクライマックス(熾烈を極めた沖縄戦)を観ているうちに、昨日の「戦争証跡博物館」の印象がオーバーラップしたのか「戦争はダメ。絶対にイヤ!」と、いつになくツレが熱く語っていた。(映画の合間、ベトナム戦争の背景についても質問に答える形で、知っている限りのことを話すなど、ルームナンバー「704」は、朝から反戦モードに)

7時過ぎ、Y君・O君たちと一緒に朝食をとった後(朝食も質・量ともに文句なし)、30分ほどカメラを手にツレとホテル界隈を撮影散歩。裏道で現地のかわいいお婆ちゃんを見かけ、レンズを向けた。


午前中、女性二人はリフレッシュを兼ねて「エステ」……だそうで、その二人とは昼頃にホテルで落ち合うことにして、私とY君、そしてO君夫妻は、ホーチミンの街を散策。
まずは「高い所から景色を眺めよう」と、ホテルから歩いて2、3分、ホーチミンで一番高いビル「ビテクスコ・フィナンシャル・タワー」の49階にある展望台「サイゴン・スカイデッキ」へ。
早目にホテルを出たため営業時間前に着いてしまい、待ち時間の間は個人的に“撮影タイム”。
朝の街を走るバイクのカップル、人気のパン屋さんの店先などをパチッ。



 930分、「スカイデッキ」営業開始。120万ドン(約1000円)の入場料が65歳以上は13万ドンとチケット・カウンターの横に書いてあった。超お得!なのに、全員パスパートをホテルの金庫に入れてきたので、証明するものがない。それをO君が説明すると、窓口の男性が4人の顔を見て即「OK」とのこと。(嬉しいやら、悲しいやら……でも、ラッキー!)。
で、スカイデッキからの眺めはこんな感じ。
蛇行しながら市内を流れているのは「サイゴン川」。





 スカイデッキからの眺めを堪能した後に向かったのは、歩いて20分ほどのところにある「ホーチミン市美術博物館」(入場料は約50円)。
長い戦乱の影響で国全体が芸術に親しむどころではなかったのか、ベトナム戦争時に描かれた暗いタッチのものが多く、急激な経済発展を遂げている現在のベトナムのエネルギーと瑞々しく鋭い感性を感じるような作品には出会えずじまい。展示の仕方も雑然としていて、やや期待外れだった。
(ベトナムの画家といえば、唯一知っているのは「国の宝」と呼ばれる絹絵の創始者「グエン・ファン・チャン」。日本人修復家・岩井希久子さんの姿を追ったテレビ・ドキュメンタリーを通じて、その絵の素晴らしさを知っていただけに、少し期待しすぎたのかもしれない。ちなみに「グエン・ファン・チャン」の作品はハノイ美術館で観られるそうだ)

帰り道、大学生相手に飲み物・食べ物を売っていたオバサンたちが、露店ごとリヤカーに乗せて慌ただしく反対側の歩道に移動する光景に遭遇。何かと思ったら警察の取り締まりだった。(商売を禁止されている道で営業していたのかも?)
逃げ遅れたのか、歩道にはカラフルな露店が置き去りになっていた。



散策とエステが終わり、12時半、ホテルに全員集合。タクシーで7、8分のベトナム料理店「フォー・クイン」へ(店内は外国人旅行者、地元の若者たちで一杯)。旅行前から食べてみたかったベトナム風ビーフシチュー「フォー・ボー・コー」をオーダーした。食べてみると、中にフォーが入っているだけで、まさにビーフシチュー(ちょっと薄めの)。肉も柔らかく、これで65,000ドン(約330円)は、バカ安という他なし。

帰りはタクシーに乗らず、ホテルまでぶらぶら歩き。途中、車道と歩道の境に群生して咲く赤い花を発見、カメラに収める。バイクの上で昼寝中のオジサンも。



ホテルに着いた後は、一旦、部屋で休んで、午後3時半頃に再び集合。ベトナムのファッション・
トレンドを牽引する「9X」世代(1990年代生まれ)と呼ばれる若者たちが創るプティックを覗いてみようと、隠れ家ショップのある「古アパート」へ。
100年近く前に建てられたと思われるアパートは、外観や内部はかなりローカル感があふれているが、各フロアには一般住宅に混ざって小さなショップやカフェが点在していた。
2階奥のプティックで、Y君が私の勧めたお洒落なピンクのシャツを購入)




「古アパート」巡りの後は、ドンコイ通りをそぞろ歩き……少し疲れた男たちはカフェでベトナム珈琲、元気な(貪欲な?)女たちはショップでお買物。午後6時過ぎ、全員が揃ったところで、初日に行ったベトナム料理店「An」へ。
「333」とベトナムワイン(意外にイケる!)を飲みながら、美味い料理に舌鼓。
話も弾んでワイワイゲラゲラしていたところ、後ろの席から「よく、この店をご存じでしたね」と、夫婦で来ていたベトナム通らしい日本人男性に声をかけられた。
で、その彼に「この店で一番!ぜひ、食べてみてください」と勧められたのが「海鮮鍋」。もちろんオススメに乗り即オーダーしたが、これまた絶品!感動的なうまさ。

その夜、私たちにとってホーチミンは、食い倒れの街でもあると実感した。


2017/12/22

ホーチミン6人旅 ②


2日目のランチは瀟洒な邸宅風レストランでの「ベトナム料理」。
フォー以外、料理名はよく分からないが、いずれも美味。昨夜と同じく香草類もむしゃむしゃ。ベトナム料理は本当にうまい!
ランチ後、女性陣が「服を作りたい!」とのことで、ガイドのカンさんお勧めのオーダーメイドの洋服店「Chi Chi Tailor」へ。生地選びと採寸の時間を合わせて1時間ほどかかりそうなので、その間、男3人は「セブンイレブン」「ファミマ」などを覗きながら表通りを散策。(おにぎり、お菓子、ドリンク類、日用品など、コンビニの品揃えはほとんど日本と同じで特に珍しいものはなかった)


 洋服店を出た後は、ベトナムの象徴とも言われる観光スポット「ベンタイン市場」へ。
その入口に立った瞬間(入口は複数あり、私たちが入場したのはNo.「5」)、香草と肉や魚介が混ぜ合わさったような独特の匂いに包まれ、強烈な熱気と混沌としたエネルギーを感じて頭がクラッとした。
市場の中は食料品売り場、雑貨売り場、服飾売り場とカテゴライズされてはいるものの、闇雲に歩き回っていると迷子になってしまいそうな路地風の広い空間(東京に例えると“カオスなアメ横”といった感じ)……というわけで我々は、カンさんの後を離れずについて歩きながら、偽物・バッタものが混在した種々雑多な商品を眺めるといった見学スタイル。
カンさんの話によると「ここで物を買うのは、地方から来た人と観光客だけ。ホーチミンに住んでいる人はほとんど買わない」らしく、私たちも何も買わずに歩き回るだけだった。



続いて向かったのは、旧アメリカ行政機関の建物内に作られた「戦争証跡博物館」。(ツアーの予定には組まれていなかったが、参加者が私たちだけということで、カンさんにお願いして特別に加えてもらった見学場所)
入場後(入場料15000ドン。日本円で約80円)、屋外に展示用として造られた建物の中(拷問の島と呼ばれたコンソン島の刑務所の牢獄を再現したという建物内には、ギロチン台、拷問道具、南ベトナム民族解放戦線の兵士への弾圧・拷問の資料や写真などが展示)を見学してから館内へ。
1階には「ベトナム戦争の終結に向けて応援してくれた世界の人たち」として、世界で展開された反戦運動の様子が。日本の「ベ平連」の活動も細かく紹介されていた。(ものの本によると、アメリカの圧倒的な軍事力に対抗する北ベトナム側の戦略のひとつが、アメリカの民主主義のシステムを利用して、ベトナム反戦運動の気運を盛り上げていくことだった。北ベトナム側からの情報の中には、そのために操作された意図的なものも多くあったという。この博物館も「戦争の恐ろしさを世界の人々に伝える」場所であると同時に、現政権のプロパガンダを担う場のようにも思えた)

2階、3階は、ソンミ村の虐殺や枯葉剤の影響を受けた人々の写真及び各国の従軍カメラマンたちが撮影した作品など、写真中心の展示。2階にはインドシナで命を落としたジャーナリストたちへのレクイエムコーナーもあった。ロバート・キャパ、沢田教一、一ノ瀬泰造、そして名も無きカメラマンたちへ、合掌。


 見学が終わり、1階フロアに集まったところ、ベトナムの女子大学生3人が「ベトナムの印象を聞きたい」と私たちに話しかけてきた。比較的英語が話せるO君が筆談を交えて対応。横からチラッと覗いたら、VitalityChaosの文字が。「生命力と混沌」……うん。まさに、私(たち)が感じたベトナム。

博物館を出てバスはチョロン(中華街)へ。その街のシンボル、巨大卸売り市場の「ビンタイ市場」は老朽化により改修工事中ということで外から眺め、すぐ近くのティエンハウ廟をバスから降りて見学。1760年に建てられた道教の寺だそうで、天井から吊るされた渦巻き型の線香の煙が充満していた。

その後、人気のスイーツ店「ファニー」でのベトナム風珈琲&アイスクリームのスイーツタイムを経て、雑貨店やカフェ、レストランなどが立ち並ぶホーチミン観光のメインストリート「ドンコイ通り」へ。「土産はここで買うべし」というカンさんのアドバイスに従い、一同、思い思いに物色。

買物でほどよいエネルギーを発散した後は、ホテル近くのレストランで夜景を見ながら夕食。今宵はベトナム料理ではなく「選べる西洋料理」……私は、海老と何とかのラタトゥーユ添え(海鮮&野菜)&ガーリックトーストを頂いたが、これも実にうまし。昨夜に続き「333」で乾杯。


夕食後はホテルに戻り、1時間半後にロビーに再集合。サイゴン・プリンスから歩いて5分ほどの「ホテル マジェスティック・サイゴン」の8階にあるBarで、一杯やりながら翌日の「自由行動」の打合せ。道すがら、バイク上で語り合う(じゃれ合う?)カップルたちと遭遇。やや暗いが遠目からカメラに収めた。(大通りの真ん中に位置し長く伸びる広場は、夜7時を過ぎる頃から大勢の若者で溢れんばかりの賑わい。露天も多く立ち並ぶ。
路上に止まったバイクの上も人・人・人……バイクには金をかけるが、それ以外は節約。「金をかけずに遊ぶ」のがホーチミンに住む若者たちのスタイルのようだ)






ホーチミン6人旅 ①


12日から16日まで、私を含め仲間3人&それぞれのカミさんとホーチミン5日間の旅へ。(JTBのツアーだが、参加者は私たち6名のみ。お陰でバスもガイドも“ひとり占め”)

旅の初日……成田発1455分のベトナム航空に乗り、時差2時間のホーチミンに着いたのは1930分頃。(行きは約6時間半。偏西風に乗る帰りは約5時間半の空の旅)
着後、すぐに迎えのマイクロバスに乗り、ホテル(サイゴン・プリンス)へ。
途中、夜の街を走るバイクの多さにびっくり。現地ガイドのカンさん(メコンデルタ出身の40代の女性)の話によると、ホーチミンの人口は約1000万人でバイクの登録台数は700万台以上とのこと。(ベトナムではバイクは「バイク」と呼ばず、すべて「ホンダ」。例えば、ホンダのバイクは「ホンダのホンダ」、スズキのバイクは「スズキのホンダ」という具合)


ホテル着後、軽くメシ&一杯……6人揃ってホーチミンの街中へ。カンさんの道案内でベトナム料理店『An』に入る。生春巻、揚げ春巻、貝料理(ジャンボタニシ?など)、海老と野菜の炒めものなどをオーダーし、現地のビール「333(バーバーバー)」で乾杯。
次々に出てくる料理に「うまい!」「おいしい!」と一同、歓喜の声。初日なので酒も料理も控え目だったが、早くもベトナムの味に馴染んだ感じ。苦手だったパクチーの匂いも気にならず、添えられた香草類をバクバク食べてしまった。

2日目は、ホテルを9時に出てホーチミン市内観光。(人民委員会庁舎→統一会堂→サイゴン大教会→中央郵便局→ベンタイン市場→戦争証跡博物館→ビンタイ市場→ティエンハウ廟)
最初に向かった「人民委員会庁舎」(旧サイゴン市庁舎)は、フランスの統治時代にコロニアル様式で建てられた高級ホテルのような建造物。現在は政府が使用しているため一般の入場は禁止されており、その豪華な外観をカメラに収めただけだった。(ライトアップされた夜が見ものらしいけど…)


「統一会堂」は、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府及び官邸だった所(南北が統一した場所として名称変更)。戦争終結時、北ベトナム軍の戦車がこの建物のフェンスを破り突入し、首都サイゴンが陥落したのだが、その時の映像はベトナム戦争終結(&サイゴン時代の終焉)の象徴として未だに瞼の奥に焼き付いている。O君・Y君もその映像を思い出したのか、「ああ、あの時の……」と、感慨深げだった。(入口付近、円状の噴水広場で建物をバックに記念撮影)
建物は地上3階、地下1階の4階建てで、部屋の数は100を超えるとのこと。施設の一部は実際の会議用に改修されているが、そのほとんどは当時のままの様子を再現しており、ホールの真ん中には台湾から贈られた豪華な絨毯(龍と鳳凰)が敷かれ、会議室・応接室には超高価な漆絵など目を引く絵画が飾られ、高級な調度品の数々や麻雀台、ピアノ、ビリヤード台などが当時のままに置かれていた。



さらに大理石に彩られた大統領夫妻の居住スペース等々、それらの豪華さもさることながら、最も驚かされたのは官邸の中に映画館(内戦中にもプライベートシアター?!)と「象の足(はく製)」があったこと。親子と思しきその3本の足はタイからの贈り物だそうだが、何とゴミ箱に使われていたらしい。贅を極め、暴虐の限りを尽くした当時の政権の証拠を見せられたようで、まったく何をか言わんやだが、加えて海外に亡命する際に国内外から集めた多くの貴重品を持ち出したように、大統領及び側近たちが私利私欲に走り、その目が全く国民に向いていなかったのは明白。当時の人々の目にも、自由と平等を求めて独立を目指した革命の指導者ホー・チ・ミンとの品位と意識の違いが歴然と映っていたに違いない。(といって、国民が政治に関わることを大きく制限している現在の一党独裁体制も“何をか言わんや”。さらに「民主化」が進むことを期待したい)


続いて「サイゴン大教会」から「中央郵便局」へ。
サイゴン大教会はフランスの植民地だった19世紀末に建てられたもの。工事中のため中に入れず、写真撮影のみ。(観光客目当ての“物売り”多し)



中央郵便局は、フランス・パリのオルセー駅(現在はオルセー美術館)の駅舎をモデルにして、フランスの統治下時代の1891年に建てられたフレンチコロニアルの代表作。2015年に古びた外観が塗り替えられ、現在の少しがっかりな橙色になったそうだ。(この塗り替えには市民の大半が反発。在住外国人の間でも「“古き良き”を知らないベトナム人」と揶揄されたらしい)
建物内は国内外の観光客でかなり混雑していたが、とても開放的な空間。アーチ状の高い天井は奥行きがあり、その最奥部には故ホー・チ・ミン主席の大きな肖像画が飾られていた。入口傍の左右にはクラシカルな造りの電話ボックスとATM、その上には1892年のサイゴンの地図が描かれていた。(左側の地図は、1936年の南ベトナムとかカンボジアの電信網)


見学後、外に出ると見学に来ていた現地の小学生の集団に遭遇。カメラに収める。
ついでに、若いカップルの姿もパチッ。




2017/12/11

雑感・北朝鮮戦(&明日からホーチミン)




9日(土)夜はサッカー三昧。
(日本代表VS北朝鮮の後は、BS日テレでクラブW2017「パチューカVSヴィダード・カサブランカ」を観戦。「浦和レッズVS アルジャジーラ」は試合開始が深夜1時半のため録画を録って観ることに……翌朝、ニュースで結果を知り観る気がなくなった)

国内組のアピールの場となる北朝鮮戦はもちろんのこと、本田が所属するパチューカ(メキシコ)の試合も見逃せず、久しぶりの夜更かしになってしまった。

で、北朝鮮の結果は周知の通り、井手口の素晴らしいゴールで1:0勝利。(こういう何も起きずに終わりそうな状況の中でゴールを決められるのが、トップレベルになる選手であることの証。
これで井手口の代表定着は確実になったと思う)

但し、勝つには勝ったが、内容的にはお寒い限り。ムダにパスを回すだけでチャンスらしいチャンスも作れず(横パス多すぎ!)、守備の連係も噛み合わず、北朝鮮にいくつも決定的なチャンスをつくられ主導権を握られていた感じ。GK中村航輔の素晴らしいセーブがなければ惨敗していた気さえする。

必然、井手口と中村を除いて全員平均点(もしくはそれ以下)といった感じで、目を引くプレーもなければ印象に残った選手もいない。(途中出場の伊東純也は、ドリブルが切れてスピードもあり、試合の流れを変える上で面白い選手だと思ったが、そういうタイプは乾や浅野など既に代表にいるので、W杯となると……)

というわけで、個人的に注目していたFW金崎(鹿島)、小林悠(川崎フロンターレ)も期待外れ。宏樹、高徳の両酒井と長友の3人に匹敵するようなサイドバックも見当たらず、この試合での収穫はゼロに等しいものだった。

唯一、良かったと思うのは、試合前の記者会見でのハリル監督のコメント。

北朝鮮と対戦するにあたって、フランス人の記者から政治的なことを聞く質問が出たらしく、その問いを避け答えを止めようとする日本代表の広報を制して、ハリル監督は「サッカーに政治はいらない。私はサッカーで友情や親愛を伝えたい」とはっきりとした答えで返したそうだ。

サッカーの記者会見で政治的な質問をするのはナンセンスなことだが、そんな質問にも「ノーコメント」で逃げるのではなく、ポジティブな言葉で自分の考えを伝えるのはとても重要なこと。サッカーを愛する人はもちろん、その言葉によって勇気づけられる人や、幸せな気分になれる人が世界中にたくさんいるのだから。(オシムさんや浦和の元監督ペトロヴィッチなど、東ヨーロッパから日本に来る選手や監督も同様の主旨のコメントをすることが多いが、ユーゴスラビア紛争の経験を通して誰よりも政治とスポーツの関係や、スポーツの社会的な意味を分かっているからだと思う)

ハリルが指揮官として本当に優れているか、日本代表の監督で良かったか否かは、ロシアW杯後に答えがでるだろうが、サッカーに対する愛情の深さと、パーソナリティの強さは疑いようもないこと。ぜひ、来年も多くの人たちがハッピーになれる結果とメッセージを残してほしい。

さて、最近にはないハイペース(?)でブログを更新してきたが、今週はこれで打ち止め。
明日の夜から16日の朝までは、ベトナム「ホーチミン」にいます。(友人たちと5日間の旅行ツアー。成田出発1430分)

2017/12/09

「闘い疲れ」に効く瞑想?(&決まった!大谷!)




白鵬より、貴乃花親方より、大谷翔平が気になる今日この頃……

現代プロ野球では常識的に不可能な投打の二刀流(ツーウェイ)。しかも、それをメジャーでやろうと言うのだから、遠い昔の野球少年としては「ぜひ、そのチャレンジを見届けたい!」と久しぶりに期待で胸が高鳴るのは当たり前。球団のネームバリューやマーケットの大きさには目もくれず、あくまで「自分のゴールに到達するのにベストな環境」を見極めて着実に夢の階段を上がろうとしている大谷君が、一体どこの球団を選ぶのだろう……とワクワクしながら待っていたら、今朝、その球団がロサンゼルス近郊のアナハイムに本拠内を置く「エンジェルス」に決まった!との速報あり。

エンジェルスがどんな球団かは詳しく知らないが、二刀流に対する不安を解消すべく綿密な育成・起用プランを提示したのは確実。私も早速、田中マー君の居るヤンキースから、エンジェルス・ファンへの転向を決めた。(とにかく来年以降がすごく楽しみだが、今はただ、その大きな夢と類まれな才能の開花を祈るのみ。焦るなよ~、ケガするなよ~)

さて、トランプが「エルサレム」をイスラエルの首都に認定した矢先、政治や社会の様々な問題も気になるが、年末くらいは日頃の憤りや嘆きを抑えて、大谷君のチャレンジのような夢のある話や好きな映画やサッカーの話題でブログを埋めたいと思っているが、日夜ツイッターで“闘い”続けている映画監督の想田和弘氏も似たような気分らしく、「マガジン9」(ウェブマガジン)でこんなことを言っている。

《自分のコラムを振り返ってみると、そのほとんどは政治に関するもので、世の中の現象や出来事に対する批判や危機感に満ちている。ツイッターやフェイスブックの投稿を振り返ってみても同様だ。
祖国である日本でも、生活の場であるアメリカでも、デモクラシーが危機的状況にあることを考えれば、半ばしかたがないことではある。書かざるをえない理由がある。
しかし、驚き呆れるようなニュースに毎日反応し続け、批判ばかりしていると、心身ともに疲れてくるのも事実だ。僕は怒りに火がつかないように気をつけているし、ついてもすぐに消火するように心がけているけれども、それでもやはり怒りは生じていて、知らない間に心身を焦がしているのだと思う。
マガジン9の読者には、僕と似たような状況の人も多いのではないだろうか。
だから年末くらいは政治や社会への批判はお休みにして、今回は日頃の“闘い疲れ”に手当てをし、傷を癒す方法について書いてみたい》

……で、彼自身は“闘い疲れ”を癒すために1年半くらい前から「観察瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」という“ブッダが悟りを開いた究極の瞑想法”を毎日30分ほどやり続けているらしく、最近はそれに加えて「慈悲の瞑想」というのも始めたとのことで、それを読者に紹介している。

《これもブッダの教えに基づく古い瞑想法だが、別に宗教色があるわけではない。そして簡単だ。具体的には、次の言葉を心をこめて唱える。口に出してもいいし、心の中で唱えてもよい》そうだ。

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように 
私は幸せでありますように(3回くり返す)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回くり返す)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回くり返す)

これを毎日15分~30分くらい行うのが基本。でもそこまで長く唱えなくても、念じはじめた瞬間から心が落ち着いてくる(そうだ)。

そうかなあ?と微妙に疑いながら、試しに1回やってみた……

なるほど、悪くない気分だが、想田さんのように“闘い疲れ”が残るほど日夜闘い続けているわけでもなく、日頃から拝んだり念じたりするのが苦手でその習慣もない自分には、少しくすぐったい感じもする。

さらに彼が言うには、この瞑想に慣れたら、次のオプションがあるそうで……それは11回唱えるだけで十分とのこと。

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私の嫌いな人々も幸せでありますように (3回くり返す)
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように (3回くり返す)

う~ん、これはどう考えても俺には無理だよなあ……と思いながら、試しにまた薄目をあけて唱えてみた。

が、意外や意外。嫌いな人々・嫌っている人々と何度か唱えているうちに、嫌いな人々の顔がまったく浮かばなくなり、想田さんが言うように《自分や他者を慈しむ心が、自分の中にもちゃんとあるのだということ》が多少なりとも気づかされたせいだろうか、妙に心が落ち着き、ふんわりと穏やかな気分になれる不思議。

そのコラムの最後、彼はこう結んでいる。
《思えば、僕が政治や社会のあり方に危機感を抱き、批判を続けているのも、「自分も、親しい人も、知らない人も、動物も、植物も、みんなが幸福でいられたらよいのに」と願うからではなかったか。ところが批判を続けていると、いつのまにか「怒り」に火がついてしまって、誰かを敵対視してしまうようになる。本当はそういう「敵」も含めたみんなが幸福でいられる世の中を目指したいのに、そのことをついうっかりと忘れてしまう》

このご時世、私にさえも、“闘い疲れ”を癒し、爆発しそうな怒りを抑えるために、この瞑想を唱えずにはいられない日が幾度も来るのかもしれないが、とても今は「嫌いな人々(例えば、安倍とかトランプとか)」の幸せを祈る気にはなれない。まずは本当に祈りたいことだけを唱えておきたい。

私は幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように

2017/12/06

『希望のかなた』




35mmフィルムの深い味わい&色合い、淡々としたセリフ回しと独特のテンポ、ひねりをきかせたユーモアと極上の音楽、そして、じんわり沁みてくる無償の優しさ……

いま、最も注目し敬愛する映画監督「アキ・カウリスマキ」の6年ぶりの新作『希望のかなた』は、北欧フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に、生き別れの妹を探すシリア難民の青年が、レストランのオーナーとその仲間たちに出会い、彼らの小さな善意に救われる物語。(いつもながら、社会的「弱者」に対する視線があたたかい)

カウリスマキの映画を観た後は、妙に心も足取りも軽くなる。その日(2日)も「ユーロスペース」を出てから「109」、その脇の階段を下り副都心線の渋谷駅まで。急ぐ理由もないのに弾むように(傍から見れば、そうは見えないだろうけど)歩いていたせいか、あっという間に着いてしまった。

はて?なぜ、そんな気分になってしまうのだろう……「映画とは、一日一生懸命働いた人が その日の終わりにリラックスし、楽しむために観るエンターテインメントだ」「シネマによってその日をリフレッシュできて、 翌日いい人間関係が築けるのであれば、その映画は成功じゃないかと思う」と自身が言っているように、カウリスマキの映画は、社会の片隅でコツコツ働く人々や名もない市井の人たちの心に寄り添い、あたためるもの。
それゆえ彼の映画は、日常の中で味わう小さな不幸(当の本人にとっては大問題だが)や、小市民的な幸せにこだわり続け、経済的に成功するのが幸せじゃない。お金がなくても、好きな人とどこかの町で暮らせればいい。小さなお店や地味な仕事がうまくいって、夫婦仲良く暮らせればいい。仲間と楽しく過ごせればいい……そんな静かで優しいメッセージを込めながら、欲張りな私たちが中々気づくことのできない“幸せ”を感じさせてくれるのだ。

この『希望のかなた』も、そんな作品のひとつ。

ドナルド・トランプの時代への
アキ・カウリスマキからのプレゼント

予告編を観た際に目に留まった「スクリーン・デイリー紙」の記者の言葉通り、不寛容がはびこる社会で生きる私たちの心の拠り所にもなりうる映画だと思う。

というわけで、「今度のカウリスマキも凄くイイよ。観に行けば?!」と近しい友人たちには勧めているのだが、如何せん単館上映(東京1ヵ所、神奈川1ヵ所。他の道府県は今の所なし)。
横浜在住のHIROKO嬢は「ジャック&ペティ」があるからいいとして、福岡のHIRANO君や北海道のSINYAに勧めても観る小屋がない。
せめてもの慰めに、プログロム冒頭に載っていたカウリスマキのメッセージを読んでイメージを膨らませてほしいと願っている。

私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。

ヨーロッパでは歴史的に、ステレオタイプな偏見が広まると、そこには不穏な共鳴が生まれます。臆せずに言えば『希望のかなた』はある意味で、観客の感情を操り、彼らの意見や見解を疑いもなく感化しようとするいわゆる傾向映画(階級社会及び資本主義社会の矛盾を批判したプロレタリア映画)です。

そんな企みはたいてい失敗に終わるので、その後に残るものがユーモアに彩られた、正直で少しばかりメランコリックな物語であることを願います。一方でこの映画は、今この世界のどこかで生きている人々の現実を描いているのです。

ちなみに、アキ・カウリスマキは小津安二郎の映画と「サッポロ・ビール」をこよなく愛しているそうだ。(この映画でも爆笑モノの日本愛が炸裂するが、それは観てのお楽しみ)

以上、今年の「勝手にコトノハ映画賞」最優秀作品賞、決定です。

2017/12/03

10日間のメモ③(ラスト)



11月26日、27日(日、月)
日がな一日、仕事……先日、明石での打合せを踏まえ「営業案内パンフ」のキャッチ&ボディコピーを再考。2日がかりで書き上げた。

27日夜の「クローズアップ現代+」は、サブちゃんとキタサンブラック……その強さの秘密はハードな調教に耐えられる丈夫な体にあり。人も馬も体が資本、健康第一ということか。

11月28日(火)
午前中にページ構成、レイアウト上の注意点をまとめ、午後、デザイナーのUEちゃん(&MIYUKIさん)と打合せ。あとはデザインの上がりを待つのみ。

夜は、MIYUKIさんにもらった北海道の「長芋」をすりおろして、とろろ芋に。

11月29日(水)
仕事の手が空いたので、録画していた番組を一気鑑賞。

まず1116日にBSプレミアムで放映された《英雄たちの選択「本当の幸いを探して 教師・宮沢賢治 希望の教室」》(司会:磯田道史、渡邉佐和子、出演:赤坂憲雄、高橋源一郎、大島丈志)……時代の逆風に晒されながらも「みんなの本当の幸い」を探し求めて前へ進もうとする賢司の姿に、惹かれ続けている人たちの熱く深いトークが展開される60分。

賢司が東京に上京した際、神保町辺りで春画を買い漁って同僚に土産代わりに配ったという話は何処かで聞いたことがあるが、それを教材に農学校の生徒たちに性教育を行っていたという話には「へえー、そうだったんだ」と少しビックリ。
生涯、女性と深く関わらなかった賢司が行う性教育とは、どんなものだっただろう。その教室の隅で彼の授業を聴いてみたいと思った。(賢司同様、私も岩手生まれ。「風の又三郎」の幻燈などを通して、幼い頃から賢司の童話や歌に親しんできたが、この話を聞いてますます彼の人生に興味が湧いてきた。高校時代の恩師も編集委員として名を連ねている「賢司全集」、改めて読み始めようかな…)

続いて、ETVEテレ)特集「ロシア革命100年後の真実」(1125日放映/60分)。

私もその昔、大した知識も思想性も持ち合わせてないのに、民衆蜂起による社会主義革命と、その指導者レーニンに対して、漠とした憧れを持っていた多くの若者の一人だったが、革命後の熾烈な権力闘争(後のKGBによる「反革命分子」の殺害)も含め、ロシア革命は一千万人を超える死者を出した「血に彩られた革命」であり、本来“憧れ”などという甘い感傷とは無縁の世界にあったもの。
また労働者の解放といっても、「労働者と農民が中心になって作る平等で平和な社会主義国家」を目指したレーニンの理想からはほど遠く、その内実は「皇帝のために働け」から「ボリシェビキのために働け」に変わっただけ。労働者及び大衆に平等と平和と自由を期待させていた分、余計に罪深い気さえしてくる。

というわけで、革命への憧れも幻想もすっかり消え失せ、今は「自由のない平等」より「自由のある不平等」の方がまだマシ。と、かなり冷めた目で見ている自分が、テレビで「ロシア革命」の暗部を見せられても、がっかりすることや驚くことはないはず……と思って観ていたが、次々に公開されている当時の極秘資料の中に、抵抗する民衆に向けた毒ガス兵器使用の命令書があったことには、一瞬、背筋が凍りつくほどの衝撃を受けた。もちろん、命令書に記されたサインは革命の指導者「レーニン」その人のもの。番組では、毒ガスで鎮圧されたタンボフの農民蜂起の現場取材の様子も映されていた。(そんな「革命」、絶対にいらない)

録画の最後はBSプレミアム 金曜夜8時の「赤ひげ」。山本周五郎のヒューマニズム溢れる世界をテレビで味わえる嬉しさ。“平成の赤ひげ” 新出去定役の船越英一郎の演技が光る。(三船敏郎の「赤ひげ」とはまた違った魅力。独特の優しさと繊細さを感じる。青年医師・保本登役の中村蒼もイイ感じ)