2017/12/06

『希望のかなた』




35mmフィルムの深い味わい&色合い、淡々としたセリフ回しと独特のテンポ、ひねりをきかせたユーモアと極上の音楽、そして、じんわり沁みてくる無償の優しさ……

いま、最も注目し敬愛する映画監督「アキ・カウリスマキ」の6年ぶりの新作『希望のかなた』は、北欧フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に、生き別れの妹を探すシリア難民の青年が、レストランのオーナーとその仲間たちに出会い、彼らの小さな善意に救われる物語。(いつもながら、社会的「弱者」に対する視線があたたかい)

カウリスマキの映画を観た後は、妙に心も足取りも軽くなる。その日(2日)も「ユーロスペース」を出てから「109」、その脇の階段を下り副都心線の渋谷駅まで。急ぐ理由もないのに弾むように(傍から見れば、そうは見えないだろうけど)歩いていたせいか、あっという間に着いてしまった。

はて?なぜ、そんな気分になってしまうのだろう……「映画とは、一日一生懸命働いた人が その日の終わりにリラックスし、楽しむために観るエンターテインメントだ」「シネマによってその日をリフレッシュできて、 翌日いい人間関係が築けるのであれば、その映画は成功じゃないかと思う」と自身が言っているように、カウリスマキの映画は、社会の片隅でコツコツ働く人々や名もない市井の人たちの心に寄り添い、あたためるもの。
それゆえ彼の映画は、日常の中で味わう小さな不幸(当の本人にとっては大問題だが)や、小市民的な幸せにこだわり続け、経済的に成功するのが幸せじゃない。お金がなくても、好きな人とどこかの町で暮らせればいい。小さなお店や地味な仕事がうまくいって、夫婦仲良く暮らせればいい。仲間と楽しく過ごせればいい……そんな静かで優しいメッセージを込めながら、欲張りな私たちが中々気づくことのできない“幸せ”を感じさせてくれるのだ。

この『希望のかなた』も、そんな作品のひとつ。

ドナルド・トランプの時代への
アキ・カウリスマキからのプレゼント

予告編を観た際に目に留まった「スクリーン・デイリー紙」の記者の言葉通り、不寛容がはびこる社会で生きる私たちの心の拠り所にもなりうる映画だと思う。

というわけで、「今度のカウリスマキも凄くイイよ。観に行けば?!」と近しい友人たちには勧めているのだが、如何せん単館上映(東京1ヵ所、神奈川1ヵ所。他の道府県は今の所なし)。
横浜在住のHIROKO嬢は「ジャック&ペティ」があるからいいとして、福岡のHIRANO君や北海道のSINYAに勧めても観る小屋がない。
せめてもの慰めに、プログロム冒頭に載っていたカウリスマキのメッセージを読んでイメージを膨らませてほしいと願っている。

私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。

ヨーロッパでは歴史的に、ステレオタイプな偏見が広まると、そこには不穏な共鳴が生まれます。臆せずに言えば『希望のかなた』はある意味で、観客の感情を操り、彼らの意見や見解を疑いもなく感化しようとするいわゆる傾向映画(階級社会及び資本主義社会の矛盾を批判したプロレタリア映画)です。

そんな企みはたいてい失敗に終わるので、その後に残るものがユーモアに彩られた、正直で少しばかりメランコリックな物語であることを願います。一方でこの映画は、今この世界のどこかで生きている人々の現実を描いているのです。

ちなみに、アキ・カウリスマキは小津安二郎の映画と「サッポロ・ビール」をこよなく愛しているそうだ。(この映画でも爆笑モノの日本愛が炸裂するが、それは観てのお楽しみ)

以上、今年の「勝手にコトノハ映画賞」最優秀作品賞、決定です。

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