12日から16日まで、私を含め仲間3人&それぞれのカミさんとホーチミン5日間の旅へ。(JTBのツアーだが、参加者は私たち6名のみ。お陰でバスもガイドも“ひとり占め”)
旅の初日……成田発14時55分のベトナム航空に乗り、時差2時間のホーチミンに着いたのは19時30分頃。(行きは約6時間半。偏西風に乗る帰りは約5時間半の空の旅)
着後、すぐに迎えのマイクロバスに乗り、ホテル(サイゴン・プリンス)へ。
途中、夜の街を走るバイクの多さにびっくり。現地ガイドのカンさん(メコンデルタ出身の40代の女性)の話によると、ホーチミンの人口は約1000万人でバイクの登録台数は700万台以上とのこと。(ベトナムではバイクは「バイク」と呼ばず、すべて「ホンダ」。例えば、ホンダのバイクは「ホンダのホンダ」、スズキのバイクは「スズキのホンダ」という具合)
ホテル着後、軽くメシ&一杯……6人揃ってホーチミンの街中へ。カンさんの道案内でベトナム料理店『An』に入る。生春巻、揚げ春巻、貝料理(ジャンボタニシ?など)、海老と野菜の炒めものなどをオーダーし、現地のビール「333(バーバーバー)」で乾杯。
次々に出てくる料理に「うまい!」「おいしい!」と一同、歓喜の声。初日なので酒も料理も控え目だったが、早くもベトナムの味に馴染んだ感じ。苦手だったパクチーの匂いも気にならず、添えられた香草類をバクバク食べてしまった。
2日目は、ホテルを9時に出てホーチミン市内観光。(人民委員会庁舎→統一会堂→サイゴン大教会→中央郵便局→ベンタイン市場→戦争証跡博物館→ビンタイ市場→ティエンハウ廟)
最初に向かった「人民委員会庁舎」(旧サイゴン市庁舎)は、フランスの統治時代にコロニアル様式で建てられた高級ホテルのような建造物。現在は政府が使用しているため一般の入場は禁止されており、その豪華な外観をカメラに収めただけだった。(ライトアップされた夜が見ものらしいけど…)
「統一会堂」は、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府及び官邸だった所(南北が統一した場所として名称変更)。戦争終結時、北ベトナム軍の戦車がこの建物のフェンスを破り突入し、首都サイゴンが陥落したのだが、その時の映像はベトナム戦争終結(&サイゴン時代の終焉)の象徴として未だに瞼の奥に焼き付いている。O君・Y君もその映像を思い出したのか、「ああ、あの時の……」と、感慨深げだった。(入口付近、円状の噴水広場で建物をバックに記念撮影)
建物は地上3階、地下1階の4階建てで、部屋の数は100を超えるとのこと。施設の一部は実際の会議用に改修されているが、そのほとんどは当時のままの様子を再現しており、ホールの真ん中には台湾から贈られた豪華な絨毯(龍と鳳凰)が敷かれ、会議室・応接室には超高価な漆絵など目を引く絵画が飾られ、高級な調度品の数々や麻雀台、ピアノ、ビリヤード台などが当時のままに置かれていた。
建物は地上3階、地下1階の4階建てで、部屋の数は100を超えるとのこと。施設の一部は実際の会議用に改修されているが、そのほとんどは当時のままの様子を再現しており、ホールの真ん中には台湾から贈られた豪華な絨毯(龍と鳳凰)が敷かれ、会議室・応接室には超高価な漆絵など目を引く絵画が飾られ、高級な調度品の数々や麻雀台、ピアノ、ビリヤード台などが当時のままに置かれていた。
さらに大理石に彩られた大統領夫妻の居住スペース等々、それらの豪華さもさることながら、最も驚かされたのは官邸の中に映画館(内戦中にもプライベートシアター?!)と「象の足(はく製)」があったこと。親子と思しきその3本の足はタイからの贈り物だそうだが、何とゴミ箱に使われていたらしい。贅を極め、暴虐の限りを尽くした当時の政権の証拠を見せられたようで、まったく何をか言わんやだが、加えて海外に亡命する際に国内外から集めた多くの貴重品を持ち出したように、大統領及び側近たちが私利私欲に走り、その目が全く国民に向いていなかったのは明白。当時の人々の目にも、自由と平等を求めて独立を目指した革命の指導者ホー・チ・ミンとの品位と意識の違いが歴然と映っていたに違いない。(といって、国民が政治に関わることを大きく制限している現在の一党独裁体制も“何をか言わんや”。さらに「民主化」が進むことを期待したい)
中央郵便局は、フランス・パリのオルセー駅(現在はオルセー美術館)の駅舎をモデルにして、フランスの統治下時代の1891年に建てられたフレンチコロニアルの代表作。2015年に古びた外観が塗り替えられ、現在の少しがっかりな橙色になったそうだ。(この塗り替えには市民の大半が反発。在住外国人の間でも「“古き良き”を知らないベトナム人」と揶揄されたらしい)
建物内は国内外の観光客でかなり混雑していたが、とても開放的な空間。アーチ状の高い天井は奥行きがあり、その最奥部には故ホー・チ・ミン主席の大きな肖像画が飾られていた。入口傍の左右にはクラシカルな造りの電話ボックスとATM、その上には1892年のサイゴンの地図が描かれていた。(左側の地図は、1936年の南ベトナムとかカンボジアの電信網)
見学後、外に出ると見学に来ていた現地の小学生の集団に遭遇。カメラに収める。
ついでに、若いカップルの姿もパチッ。
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