『台北暮色』(監督:ホアン・シー/製作国:台湾、2017年/鑑賞日:1月某日、「アップリンク吉祥寺」にて)
舞台は既に高度成長期を終えてしまった台湾の首都・台北の住宅地。インコを飼う若い女性(シュー)、アスペルガーの少年(リー)、そして車で生活をする中年男(フォン)の物語。(孤独に生きる3人がふとしたことから出会い、シューのインコがいなくなったことをきっかけに、彼女の思いがけない過去が明らかに……というのが大まかなあらすじ)
特に大きな出来事が起きるわけでも、ドラマチックな展開や感動的なシーンが待ち受けているわけでもなく、東京のコピーのような、どこか既視感のある風景を眺めながら、淡々と過ぎていく映画の時間……
スクリーンの中の3人は説明しがたい自分の孤独を知ってかしらでか、多くを語らない。“今とは違う”未来や見果てぬ夢を追いかける素振りもない。ただ、おだやかな光とさまざまな色に包まれた街で、それぞれの日々を紡いでいるだけ。(なのに、「いつまでも観ていたい」という気分にさせてくれるのは、そんな何でもない日々と人生への愛しさ故か)
監督ホアン・シーは「フォンは過去、リーは現在、そしてシューは未来を意味している」と言う。カメラはそんな彼らと街に寄り添いながら、一見フラットだが、心に残るさまざまな情景を映し出してくれる。(シューの携帯に度々かかってくる間違い電話。電飾まみれの少年の部屋。赤く揺らぐ光の中ふたりが走る歩道橋。ビルの谷間の水たまりに浮かぶ水紋……雨がキレイだ)
とりわけ「セブンイレブン」の前、薄明りの下で缶チューハイを飲みながら、フォンがシューにボソッと語る言葉が印象的。「距離が近すぎると、人は衝突する」「距離が近すぎると、愛し方を忘れる」……そう。この距離感こそが『台北暮色』の心地よさ。(例えるなら小津さんの映画を観ているような感じ。「台北暮色」という邦題も「東京暮色」に重なるし)
人生、山あり谷あり。詰まって止まって、また歩く(走る)……高速でエンストした車(乗っているのはフォンとシュー)と、それを後押しする人たちを俯瞰で捉えるラストカットも強く心に焼き付いた。
そんなラストの余韻が残ったまま、喫茶店でパンフレットを読んでいたら、こんな一文が目に留まった。
《街が孤独を癒すのではない。孤独が街を癒すのだ。彼女も、彼も、少年も、救いを求めていない。欲しがらないという品性が、この都市を逆に救済している。
無意識という名の情たちによって、いままさに救われつつある台北は、しあわせ色の夕暮れでラッピングされている》
無意識という名の情たちによって、いままさに救われつつある台北は、しあわせ色の夕暮れでラッピングされている》
「街が孤独を癒すのではない。孤独が街を癒すのだ」、けだし名言……いつの日か私も“しあわせ色の夕暮れでラッピング”された東京を見てみたいと思った。(気づかないまま、もう、何度か見ているのかもしれないが)
で、余談だが、映画が始まる前、近くの席の女性(おそらく同世代)に「よく、ここにいらっしゃるんですか?」「どんな映画がお好きです?」と唐突に話しかけられ、「どんな映画と言われてもなあ…」と答えに窮し、適当にお茶を濁してしまったが、「こんな映画が好きです!」と、声をかけて帰ればよかったか?…と、今になって思う次第。
※昨日は仕事で文京区にある「中央大学理工学部」へ。(丸ノ内線・後楽園駅から徒歩5分)その 一室(都市環境学科・水理研究室)で行われる対談を録音し記事にするためだが、二人の話(土木工学科教授・山田正氏と“水資源の専門家・竹村公太郎氏)があまりに多岐に渡り(「水の安全保障」から、「量子力学」「治水」「タイ」「ベトナム」「司馬遼太郎」「三国志」まで)、内容的には実に興味深く面白かったが、仕事的にはかなりヘビーな感じ。(でも、今年の初仕事だし、気合いを入れてやらないと!)
終了後、デザイナーのウエちゃんと後楽園から丸の内線に乗り、新宿・歌舞伎町のロック居酒屋「ROCK CAFE LOFT is your room」へ。
「ウッドストックへの道/~50周年記念トークライブ~」ということで、心優しきボヘミアン・室矢憲治さんと再会。出会いがしらのハイタッチ後、“伝説の語り部・ムロケン”のナビゲートにより、“元海兵隊”ジミ・ヘンドリックス、“元祖エアギター”ジョー・コッカー、“フォークの女王”ジョーン・バエズなどなど、懐かしい映像と曲に酔った。
(途中、酔いが回り、何かの話の流れで「打倒、安倍」と声を上げたら、ちょっとウケた)
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