久しぶりに映画の話。ここ1ヶ月半ぐらいの分を順番に、サクッと(のつもりですが…)。
『バハールの涙』(監督:エヴァ・ウッソン/製作国:フランス、ベルギー、2018年/新宿ピカデリーにて1月20日鑑賞)
英題は「Girls of the Sun」。《イスラム教スンニ派過激組織「IS(イスラム国)」に夫を殺され、息子が捕虜にされたイラクのクルド民族少数派ヤズディ教徒の女性バハール(元弁護士。自らはISに拉致され性奴隷に。奴隷市場で売買されるが、命がけで脱出)が、女性武装部隊「太陽の女たち(娘たち)」のリーダーとなって戦う》物語。映画はもう一人の主人公マチルダ(夫を紛争地で失くし、愛娘を国に残したま戦地取材を続ける隻眼のジャーナリスト)とバハールが出会う所から始まる……
という壮絶なストーリーで、必然、スクリーンには張り詰めた緊張感が漂うが、決して沈鬱な気分のままでラストを迎えるような作品ではない。まず、特筆すべきは主人公バハールの圧倒的な存在感(端正な顔立ち、強固な意思と慈愛を秘めた眼差し……演じるは、「世界で最も美しい顔100人」のトップ10の常連でイランを代表する女優ゴルシフテ・ファラハニ)。その凛とした姿と、行動を共にする女性たちが醸し出す厳しくも温かい空気感が、映像の美しさと相俟って「戦争と人権」という重いテーマを描いているにも関わらず、不思議な心地よさと深い味わいを与えてくれる。(「太陽の女たち」という部隊名を聞いた時は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」というフレーズが頭に浮かんだが、「太陽」はヤズディ教のシンボルマークで“神の象徴”。銃を手に「女、命、自由!」というスローガンを叫ぶ姿も印象的だった)
で、映画を観て初めて知ったのだが、イスラムの戦闘員たちは「女性に殺されたら天国へ行けない」と信じているらしく、それ故「太陽の女たち」は男たちを心底から脅かすことのできる存在のようだ……信仰心の欠片もない自分には、何故そんなに「天国(に行くこと)」にこだわるのか理解できないが、イスラム教徒は「天国で素晴らしい思いをするために、現世で宗教的な努力をする」とのこと。
現世で可能な限り欲を慎むことで、来世では欲を思う存分に満たす(というか解放する)ことが出来るという事なのだろうか。これまた本末転倒では?と思うが、それは宗教を必要としない私のような人間の考え方。
地球上には16億人以上のイスラム教徒ほか「宗教を拠り所として生きる人」がたくさんいて、「天国に行けないと困る」と真剣に思って生きている人がいることを、心に刻んでおかなくてはいけない…そう改めて気づかされた映画でもあった。(但し、「聖戦」と言って戦う者たちが何故、映画の中のような蛮行を繰り返すのか。それが「現世での宗教的努力」とどう結びつくのか。という点に関しては全く理解不能だし、只々許しがたいこと)
ところで、作家・橋本治の言葉を借りれば、現在危機に瀕している「グローバリズム」も「人はみんな我々と同じであればいいのだから、我々のようになれ!」と言っている点で、ISなどのイスラム過激派と対立関係を構成する同じような信仰……コピーライター的にも、どこもかしこも「グルーバル、グルーバル」と得意げに語る風潮にうんざりし、胡散臭く感じていた時期もあり、そういつまでも上手くいくはずはないと思っていたが、その“エリート主導の信仰”が力を失った後にやってくるのが、右派ポピュリズム主導のナショナリズムというのでは、あまりにも心貧しく危ない気がするのだが、さて、はて?(ちなみに日本にはもっと危ない「森羅万象・安倍信仰」というのがあるそうで…)
※注目の「米朝会談」は「合意に至らず」。肩すかしを食らった感じになったけど、仕切り直し…かな? 明日は六本木まで「北斎展」を観に行く予定。
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