今朝、『アベノミクスによろしく』の著者・明石順平さんのツイッターを覗いたら「シン・アベノミクス3本の矢」という“つぶやき”が載っていた(1月31日付)。
1 インチキ官製相場 →日銀マネーと年金マネーで株価維持
2 インチキGDP改定 →国際的GDP算出基準と全然関係ない「その他」でGDPを粉飾(ソノタノミクス)
3 インチキ賃金統計 →算出方法の違う2018年と2017年を「そのまま」比較して賃金伸び率をかさ上げ
以前から「おかしい、おかしい…」とは思っていたけれど、株高もGDPも賃金上昇もすべてフェイクだった。中でも特に許しがたいのは、(私たちの)年金資産がアベノミクスの株高を演出するための株価買い支えにつぎ込まれ、過去最大の15兆円近い運用損を出してしまったこと。(しかも、そのことに誰も責任を取らない!)
なのに、「それって、国家的な詐欺行為じゃないか!?」とか「安倍政権はなぜ国民に謝罪しないのか!?なぜ辞めないのか!?」という声が、メディアや国民の間から湧き上がることなく、漫然と平成の日々が流れて行く。
なんかつまんねー(というかメチャクチャな)世の中だなあ……と、一人ごちながら、どう世相にコミットすればいいのか分からない「時代の迷子」のような気分で、先日70歳で亡くなった作家・橋本治さんの著書『明日は昨日の風が吹く』をパラパラとめくっていたら、こんな一文に目が留まった。(小見出しは「ついにきちゃったリーマンショック」。書かれたのは2008年11月)
《金融とか投資関係って、「大損した」ってことは認めても、反省はしないんだよな。だから、株が暴落したって、「底値を待って、もう一度復活の時を」という考え方しかしない。「資金が底をついたから、市場から撤退する」ということはあっても、反省はしない。「底値を待って、もう一度」という考え方しかしないから、経済というものは根本のところで、「永遠の右肩上がりの成長神話」という呪縛から自由になれないんだ。》
《株が暴落して、一日にして何十兆円あるいは百兆円以上の「あったはずの資産」が消滅してしまうということは、「そんなものをあると思って、そのことを前提にしてなにかをしようとしていた」ということ自体が間違いだったかもしれないということで、「あるはず」という思い込み、あるいは「思い込ませ」を前提にしていたからこそ、「実体経済から遊離した経済」などというものが生まれてしまう。それはつまり「仮構(ヴァーチャル)経済」で、経済というものが「未来の決済」を前提にして動いている「予測含みのもの」であるからこそ、こんなものも生まれてしまう。「予測含みのもの」を、「だからこそ仮構であってもいい――仮構であって仮構でない」と言ってしまうのは詐欺だと思う。詐欺は犯罪で、犯罪者が反省するかどうかは分からないけども、犯罪を抑止するのは、詐欺に引っかかった人間が反省するしかないと思う。》
なるほど。結局、反省すべきは、実体経済を無視して国民資産を食い潰しながら辛うじて株価を維持している連中(アベノミクス詐欺集団)を、長きに渡り野放しにしてきた私たち国民ということか……
というわけで、「毎月勤労統計(の不正)」「不毛な日露首脳会談」「フォトジャーナリスト・広河隆一氏による性暴力問題」等々、あまりに情けなくて心寂しくなるようなニュースばかりの今日この頃。加えて、昨夜はサッカー日本代表がカタールに負け、4日前には敬愛する作家・橋本治(同じ高校の先輩でもある)をこの世から喪い、なんともアンニュイな気分の週末になってしまった。
(でも、明日は旧友たちとの飲み会。“昨日の風に吹かれながら”楽しく語り合いたいもの)
(でも、明日は旧友たちとの飲み会。“昨日の風に吹かれながら”楽しく語り合いたいもの)
P.S,
気分直しに、こんな曲。フラワー・カンパニーズの「あったかいコーヒー」。
大きな男達が 足跡残したまま
吹き上げる蒸気の中 去ってった
静かな雪景色が 一夜の夢に変えて
あたりは一面 木綿色
春には雪も溶けて 花びらも昇り出し
きっと悲しくなるでしょう
涙の玉ひとつ 肩に落としたなら
そっとあなたに 寄り添うから
ほろり ほろり 注いでください
ほろり ほろり からっぽの心に
あったかいコーヒー
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