2011/10/18

オシムの言葉


今日の朝刊(朝日新聞)のスポーツ欄に、「オシム氏に聞く」と題したインタビュー記事が載っていた。オシム氏とは、もちろん元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムのこと。いま彼は母国ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟の正常化委員長として、サッカー界の不正に立ち向かっているらしい。

紙面から伝わるサッカーへの深い愛、そして民族間の融和を希求する姿勢は不変のもの。憎悪を生まない教育の必要性、暴力と政治権力への嫌悪、サッカーがもたらす希望……情熱を込めて語る“オシムの言葉”が気持ちよく胸に響く。朝からこういう記事を目にするのは嬉しい。

以下、私が好きな“オシムの言葉”をいくつか……

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 準備が足らないのです」(怪我をした選手についてのコメント)

「誰かを“不要だ”などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ。その時、自分はどう感じるか、考えてみるがいい」

「他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう」

「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している……新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから」

「アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」

「作り上げることは難しい。でも、作り上げることのほうがいい人生だと思いませんか?」

「夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう」

「練習でできなかったことがゲームで出来るようになるはずがない。人生も同じ。日々の生活でのことが重要な時に必ず出てしまうもの」

「私の心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。サッカーとサラエボの両方への思いの中で気持ちは揺れていましたが、他にもう手の打ちようがないと思った時に身を引くことを決意しました。戦争の始まる数週間前に、サラエボでの代表の最後の親善試合を行いました。あの時は満員のスタジアムでサポーターから近年にないものすごく熱い応援をもらった。今までにない平和なムードに驚くほどでした。今、思えば、それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない」(1992年、オシムは、ユーゴスラビア分裂とユーゴ軍による故郷サラエボへの侵攻に対する抗議の意味を込めユーゴスラビア代表監督を辞任した)

「サッカーとは私の人生だ。人生からは逃げられない」


書いているだけで、グッと胸に迫るものがあるが……イビチャ・オシムとはこういう人です。



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