京王線・下高井戸駅から線路沿いを歩いて1、2分。気づかずに通り過ぎてしまいそうな普通のビルの2階に、「下高井戸シネマ」がある。生前、松田優作も度々訪れたという小さな“町の名画座”……そこで観た初めてのイラク映画は、重く心に残るロード・ムービーだった。
『バビロンの陽光』、原題は“Son of Babylon”(バビロンの息子)。
イラク北部からバグダッドを経て、空中庭園の伝説が残る古都バビロンへ。
フセイン政権崩壊から三週間後、クルド人の祖母と孫による900キロに及ぶ長い旅が始まる。
フセイン政権崩壊から三週間後、クルド人の祖母と孫による900キロに及ぶ長い旅が始まる。
目的は、独裁政権時代に拘留された行方不明の息子・父を探すため。だが、少年は父の顔を知らない。その手から片時も離れない“縦笛”だけが親子を繋ぐ唯一の絆だ。
果てしなく続く荒涼とした大地を行く二人の姿は、荒れ果てた自然の広大さに比して、あまりにも小さく無力に見える。ふと『砂の器』の親子を重ねてみたが、辛く貧しく苦しいのは何も二人だけではない。度重なる戦争で破壊された風景の中、出会うすべての人が深い嘆きと悲しみを抱いていた。
「サダムがクソなら、アメリカはブタだ」と吐き捨てるように語るトラックの運転手。貧しくも健気に生きる路上の少年。クルド人を殺した過去を告白し、祖母に「殺人者」と詰られながらも「助けたい」と二人に寄り添う元兵士……
心に傷を負った人の優しさに触れながら続く二人の旅は、生きて息子・父と再会する希望を絶たれた時、白い布に包まれた無数の遺体が横たわる集団墓地を巡る旅に変わる。それは、常に数字でしか表されない“イラクの死者”から、一人の命の尊厳を救出しようとする魂の彷徨だろうか……独裁政権下での大量虐殺、湾岸及びイラク戦争による夥しい数の行方不明者や身元不明のままの遺体を、今もなお抱える国の現実が、観る者の胸を刺す。
そして結末に向かって、この映画の旅に同行する観客の誰もが、「二人の絆だけは、引き裂かれないでほしい」と強く願うことだろう。だがその思いは虚しくも打ち砕かれる。肉親を喪い、一人で生きていかざるを得ない多くのイラクの子供たちの苛酷な運命を世界に知らしめるように……。
車の荷台に一人残された少年が、埃混じりの涙を拭い、遠ざかるバビロンに向かって縦笛を吹くラストシーンは、まだ見ぬ平和への祈りか、悲しみと苦しみ、そして憎しみを超える明日への希望か。その残像が消えないスクリーンに、エンドロール・メッセージが流れた。
答えを探す人たちと、イラクの子供たちに捧げる。
答えを探す人……告げられた言葉の重さに、駅までの距離が遠く感じられた。
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