2021/12/30

来年もよろしくお願いいたします。

 

    今年も、コトノハ舎ブログにお立ち寄り頂きありがとうございました。

    木たるべき2022年が、世界中の人々にとって、そしてあなたにとって、

    幸せで実り多い素晴らしい一年になりますように。



勝手にコトノハ映画賞2021②


《邦画部門》

●最優秀作品賞

『ヤクザと家族 The Family(監督・脚本:藤井道人/2020年)

あの『新聞記者』(2020年、日本アカデミー賞・作品賞受賞)でメガホンをとった藤井道人監督の新作だが、私的には『新聞記者』以上の傑作。1992年の暴対法施行後(2009年には暴力団排除条例が制定)、「反社会勢力」として徹底的に追い込まれ、食うことすらままならない存在となった「ヤクザ」の、その消えゆく生き方を、見事なまでに哀しく、優しく、圧倒的な熱量で描き出した藤井監督のふり幅の広さ・凄さに只々驚嘆するばかり。(東海テレビ製作のドキュメンタリー『ヤクザと憲法』が描いた反社会であるが故の人権喪失”……その過剰なまでの締め付けの是非を観客に考えさせるという意味でも稀有な作品)

※吉田惠輔監督の『空白』と、どちらを最優秀にするか迷ったが、自分の好みでコレ。

●優秀作品賞

『空白』(監督:吉田恵輔/2021年)

万引きを目撃され逃走中に車と衝突した女子中学生の死をめぐり錯綜する、被害者の父親と事故に関わる人々の姿を緻密な脚本のもとに丁寧に(というか、執拗に)描写。全員が加害者にも被害者にもなり得る物語が危うい緊張感を伴い映し出される、というヒューマンサスペンスの秀作。監督は『ヒメアノ~ル』の吉田惠輔、主演は古田新太(共演・松坂桃李)、その他、寺島しのぶ、田畑智子、片岡礼子、藤原季節などなど……だが、最も印象に残ったのは、古田でも松坂でもなく、逃走中の交通事故死であっという間にスクリーンから姿を消してしまう古田の娘・花音を演じた「伊東蒼」。〈学校でも自宅でも居場所がなく、自分のことを変えたくてもその手立てすらわからず、自分の声は誰にも届かないのだと静かに絶望している少女〉の複雑な内面を見事なまでに表現していた。

『茜色に焼かれる』(監督:石井裕也/2021年)

「社会的弱者VS不条理な日本社会(上級国民、DV、コロナ禍での飲食店への締め付け、不当解雇、職業差別等々)」というテーマ(?)を基に描かれるシングルマザーと息子、そしていくつもの不幸と苦難を背負う女たちの哀しき友情の物語……(で、ラストは文字通り「茜色に焼かれる」)

まず、このコロナ禍に、これだけのパワーと怒りと哀しみ&愛情とユーモアを詰め込んだ作品を、よくぞ撮ってくれました!と、オリジナル脚本も手掛けた石井監督に拍手。(必然、登場人物はマスク姿、フェイスシールドやアクリル板、パソコン画面越しの高齢者施設の面会シーンなど、コロナ禍のリアルな日本が描かれている)

そして、クソみたいな社会&クズな男たちと鬼気迫る演技で戦った主演・尾野真千子に大拍手!(加えて、薄幸の風俗嬢・片山友希、強面クールな風俗店長・永瀬正敏にも拍手!)

『すばらしき世界』(監督・脚本:西川美和/原案:佐木隆三/2021年)

《下町の片隅で暮らす、短気だが実直で情に厚い男は、実は人生の大半を刑務所で過ごした元殺人犯だった。一度社会のレールを外れた男が出会う、新たな世界とは――》とパンフレットのイントロにも書いてある通り、殺人罪で13年の刑期を終えた主人公・三上(役所広司)が、不寛容と善意が入り混じった今の日本で、職探しに七転八倒しながら(&怒りの衝動を必死に抑えながら)、社会復帰への道を辿ろうとするのだが……というお話。

前述の『ヤクザと家族』もそうだが、コロナ禍というのに、こんなに素晴らしい作品が続々と上映されるとは……ここ数年、ほとんど観る気も起きなかった日本映画界に、一体、何が起きているのか?と不思議に思うが(何十年に一度の当たり年かも?)、全ては監督と脚本と役者の力。韓国にポン・ジュノ、ソン・ガンホがいるように、日本には西川美和、役所広司がいる。そう強く感じさせてくれる作品だった。

『孤狼の血 LEVEL2(監督:白石和彌/2021年)

柚月裕子の小説を原作に、広島の架空都市を舞台に警察とやくざの攻防戦を過激に描いて評判を呼んだ、白石和彌監督による「孤狼の血」の続編。(再び広島を舞台にしている点でも分かるように、昭和の東映を象徴するヤクザ映画『仁義なき戦い』へのオマージュとして作られているようだ)

で、名匠・白石監督が撮る以上、当然ながら、ある意味エネルギッシュで陰謀・欲望渦巻く、頗る面白い一級の「ヤクザ映画」になっているのだが、監督いわく「この映画は基本的にヤクザ映画と言うよりは、ゴジラ映画みたいなもの」とのこと。う~ん、確かに。暴走するゴジラ(鈴木亮平扮する「上林」)VS 広島県警、といった感じの展開&締めくくり。それほどに“荒ぶる魂”「上林(鈴木亮平)」の狂暴性&存在感が際立っていて、その暴走を阻止し裏社会を取り仕切るはずの“メカゴジラ”松坂桃李(刑事・日岡役)が少し頼りなく見えるほど。(映画評論家・町山智浩氏によると「この映画は上林と日岡のラブストーリー」だそうだが、言われてみればそういう面もあるのかも。いわば強面ボーイズラブ映画…的な?)

と、まあ、そんなこんな色々楽しめる極上の一本。(但し、とってつけたようなラストは疑問)

加えて、吉田鋼太郎、中村梅雀、滝藤賢一、寺島進、中村獅童、宮崎美子、村上虹郎、斎藤工など、一癖も二癖もある脇役陣も実に良かった(特に中村梅雀と村上虹郎)。

その他、今泉力哉監督の『街の上で』、吉田恵輔監督の『BLUE/ブルー』、劇団ひとり監督作で柳楽優弥の好演が光った『浅草キッド』、重いテーマにも関わらず圧倒的なスピード感で152分という長尺を感じさせない問題作『由宇子の天秤』、時代は変わっても「青春」に変わりなし…と、高校生4人の「青春アルアル」を楽しんだ『アルプススタンドのはしの方』、なども好印象。

●監督賞

吉田恵輔(『空白』、『BLUE/ブルー』) 

●主演男優賞

綾野剛(『ヤクザと家族』)

次点:役所広司(『すばらしき世界』)

●主演女優賞

尾野真千子(『茜色に焼かれる』)

次点:瀧内公美(『由宇子の天秤』)

●助演男優賞

鈴木亮平(『孤狼の血』)

好漢・鈴木亮平だからこその怖さ。凶悪・非道・アナーキーな役柄を見事に演じきった。

次点:磯村勇斗(『ヤクザと家族』)

●助演女優賞

伊東蒼(『空白』)

瑞々しい才能の息吹に触れた思い。視線だけで様々な感情を表現できる恐るべき16歳。

次点:片山友希(『茜色に焼かれる』)

●長編ドキュメンタリー映画賞

『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。』(監督:島田陽磨/2021年製作)

1959年から84年にかけて、日朝政府の後押しによって行われた在日朝鮮人とその家族による北朝鮮への帰国事業。これにより長年会うことができなかった姉妹の姿を追ったドキュメンタリー。

8月の終わりにポレポレ東中野で鑑賞。上映後《今、「自己責任」という言葉が「自業自得」と同義で使われていないだろうか。もっと、血の通った人間の話をしよう。この映画を通して。》というコメントをこの作品に寄せたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんと島田監督のトークショーあり。(安田さんには、在日朝鮮人の父との思い出から、普段TVドラマなどまったく観ないのに「沼に落ちてしまった」という韓国ドラマ『愛の不時着』まで、興味深い話を聞かせて頂いた)

TBS「報道特集」のキャスター・金平茂紀さんからも、こんなコメントあり。

《「あの国」への憎悪の原点を考えるために———「あんな連中、帰ってくれた方がありがたい」。右も左もなく国策として遂行された「あの国」への帰国事業は一体何だったのか。運命に翻弄された日本人女性のその顔には深い皺が刻まれていた。家族の再会を阻む国と国との敵対関係を超えるヒューマニズムの視点を、僕らはいつから放りだしたのだろうか。》








2021/12/29

勝手にコトノハ映画賞2021①


《外国映画部門》

●最優秀作品賞

『アメリカン・ユートピア』(監督:スパイク・リー/アメリカ、2020年製作)

《元トーキング・ヘッズのフロントマンで、グラミー賞受賞のデイヴィッド・バーンが2019年にブロードウェイで上演したショーを、映画『ブラック・クランズマン』でアカデミー賞(脚本賞)を受賞したスパイク・リー監督が映像化した音楽映画》だが、これほどまでに心を奪われ、魂が浄化されるような快感に酔わされ、その映画体験を(多くの)誰かとシェアしたいと思えた音楽映画は他にない。

●優秀作品賞

『少年の君』(監督:デレク・ツァン/香港・中国合作、2019年製作)

進学校での壮絶ないじめの標的となる少女と、ストリートで生きる孤独な少年の出会いを通して、中国社会の過酷な現実(いじめ、貧困、超・学歴&格差社会など)を描きながら、弱者の連帯に希望を託す…などというストーリー&素晴らしい映画が「中国・香港合作」から生まれるとは。ラストも秀逸。

『消えない罪』(監督:ノラ・フィングシャイト/アメリカ、2021年製作)

警官殺しの罪を背負う女性が、出所後に唯一の家族である妹に会おうとする物語。周囲の視線の冷たさ、故郷の地での厳しい批判等々、当然ながら、その道のりは容易ではなく、重く暗いトーンが全編に漂う…が、暗いままで終わらせないのがハリウッド映画。ラストにちゃんと再生の手が差し伸べられる。その展開たるやお見事!の一言。主演のサンドラ・ブロックも素晴らしかった。

『ミナリ』(監督・脚本:リー・アイザック・チョン/アメリカ、2021年製作)

韓国系移民家族の物語なので、全編、セリフのほとんどが韓国語。なので、韓国映画と勘違いしている人も多いようだが、純然たるアメリカ映画。出てくる人たちも「韓国から来たおばあちゃん」を除いてみんな韓国系アメリカ人(アカデミー賞・助演女優賞を獲ったのは、そのおばあちゃん「韓国俳優・ユン・ヨジョン」)、なのに、移民大国アメリカで「これは、私たちの物語だ」と大ヒット……やはり、人種・民族・国家を超えた家族の物語は人の心を強く打つ、ということ。

MINAMATA ミナマタ』(監督:アンドリュー・レビタス/アメリカ、2020年製作)

ジョニー・デップが製作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」を題材に描いた伝記ドラマだが、著名な報道写真家でありながらアルコール中毒及び薬物中毒で廃人同様の生活をしていたユージン・スミス自身の再起の物語にもなっている所がミソ。スミスを演じたジョニー・デップ、美緒子役の美波、チッソ社長役の國村準など、役者陣の存在・演技が強く印象に残る作品だった。(音楽は坂本龍一)

『モーリタニアン 黒塗りの記憶』(監督:ケビン・マクドナルド/アメリカ、2021年製作)

モハメドウ・ウルド・スラヒの著書を原作に、悪名高きグアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話に基づき描いた法廷サスペンス。9.11後のアメリカの狂気と憎悪の象徴のような収容所で日常的に行われていた拷問・虐待の卑劣さに憤りつつ、ジョディ・フォスター扮する弁護士ナンシー・ホランダーの信念と執念に、心底、エールを送りたくなる秀作。(スラヒさん本人の笑顔とボブ・ディランの歌に救われるラストも印象的)

※その他、イ・ビョンホン主演の韓国映画『KCIA 南山の部長たち』『それだけが、僕の世界』、ホン・サンス監督の『逃げた女』、コン・ユとパク・ボゴムのダブル主演作『SEOBOK/ソボク』などが印象に残った。(今年も韓国映画にハズレなし。一番観たかった『白頭山大噴火』を見逃したのは痛恨の極み)

●監督賞

スパイク・リー(『アメリカン・ユートピア』) 

●主演男優賞

デイヴィット・バーン(『アメリカン・ユートピア』)

※滲み出る優しさのオーラ。インテリジェンス溢れるその舞台の姿に。

次点:イ・ビョンホン(『KCIA 南山の部長たち』『それだけが、僕の世界』

※あまりイケてないイ・ビョンホン、ちょっと笑えるイ・ビョンホン。どちらも良し。

●主演女優賞

ジョディ・フォスター(『モーリタニアン 黒塗りの手帳』)

※『タクシー・ドライバー』の少女が、こんなに素晴らしい俳優に。

次点:サンドラ・ブロック(『消えない罪』)

※これほど「荒地」の似合う女優はいないかも。人の世の荒廃を一身に背負ったような。

●助演男優賞

國村準(『MINAMATA ミナマタ』)

※あのジョニー・デップと五分で渡り合える独特の存在感&演技力。

●助演女優賞

美波(『MINAMATA ミナマタ』)

※「こんな女優がいたんだね」という新鮮な驚き。パリで暮らしているとか。

●長編ドキュメンタリー映画賞

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』      (監督:アミール・“クエストラヴ”・トンプソン/アメリカ、2021年製作)

1969年の夏、ニュウーヨーク州マンハッタンのハーレム地区で開催された「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」を追った音楽ドキュメンタリー。スティーヴィー・ワンダー、BB・キング、フィフス・ディメンションといった、ブラックミュージックのスターたちが続々登場。その熱気、盛り上がりようは正に「黒いウッドストック」。 音楽フェスティバルというよりは決起集会のようで、観ているこちらも大興奮。とりわけ、本作最強の“アジテーター”ニーナ・シモンの歌&アピールが胸にズーンと響いた。(にしても、あのウッドストックの裏でこんなイベントが開かれていたとは…)

●特別賞

『非情城址』(監督:ホウ・シャオシエン/台湾、1989年製作)

台湾現代史において、最も激動的な1945年の日本敗戦から1949年の国民党政府の樹立までの4年間を、カタギとはいえない大家族(長老・阿祿とその息子たち)の姿を通して描いた一大叙事詩。ホウ・シャオシエン監督は本作でベネチア映画祭金獅子賞を受賞、その評価を決定づけた傑作……ということでどうしても観たかった一本。時代の波に翻弄されながらも、生きる意味と幸せを求めんとする人々の姿は痛ましく、かつ愛おしいもの。

(今夏「ホウ・シャオシエン監督特集」を企画した新宿K’sシネマのみでの上映。驚くほどの人気で、残り1席を何とかネットで確保し観ることができた)

P.S.

ついうっかり、優秀作品賞に『スウィート・シング』を入れるのを忘れてしまった。 監督は米インディーズのアイコン、アレクサンダー・ロックウェル。ろくでもない大人たちの世界から飛び出し、逃走と冒険の旅にでる子供たち……ビリー・ホリディ、ヴァン・モリソン等、流れる曲も沁み沁み。



 

2021/12/24

『東洋の魔女』「篁牛人」、そして神保町。


今日はイブだが、何気にハードで楽しい一日だった今週の火曜(21日)の話……

8時半に家を出て、まずは渋谷へ。ユーロスペースでドキュメンタリー映画『東洋の魔女』を鑑賞。

「東洋の魔女」とは、もちろん1964東京五輪で金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表チームのこと。(1961年の世界選手権でソ連を破るまでは「東洋の台風」と呼ばれていたらしい)

で、タイトルからして当然、「日紡貝塚&鬼の大松(のスパルタ指導)」「市川昆の東京オリンピック」「日本の戦後復興」等々、幾度となく観たような映像が流されるだろうし、何も今さら……という気がしないでもなかったが、何故に興味を惹かれたかといえば、このドキュメンタリーがフランス人の監督(ジュリアン・ファロ)によるフランスの映画だったという、その一点。

バレーボールがフランスで人気のスポーツだとも思えないし(ラグビーやサッカーなら分かるが)、まして50年以上前の東京五輪&「東洋の魔女」にヨーロッパのドキュメンタリー監督が惹かれる理由が謎だったわけだが、映画を観て納得。

「東洋の魔女」=「アタックNo.1」だったわけね……

(フランスでもポピュラーなアニメとして知られている「アタックNo.1」が、「東洋の魔女」、とりわけ魔女たちの「常識を超えた過酷な訓練」に影響されて作られた作品ということに監督ジュリアン・ファロ曰く「私の神経路が反応した」とのこと)

というわけで、日紡貝塚女子バレーボール・チームの元メンバーたちのインタビューを軸に、「日本の戦後復興と魔女たちの活躍」が実写とアニメ映像で描かれるドキュメンタリー映画『東洋の魔女』。

その感想といっても、「アタックNo.1」の主題歌〈アタック アタック ナンバーワン♪〉が、いつまでも耳に残る、ちょっとシュールなドキュメンタリーだったなあ…という程度で特に強く心に残ることもなかったが、映画を通じて「鬼の大松」の知られざる一面を知ることがてきたのは収穫。ちょっとした驚きでもあった。

(「鬼の大松」こと大松博文監督は、今なお「史上最悪の作戦」として語り継がれるインパール作戦に40人の部隊を率いる少尉として従軍。部下を一人も死なせず、共に奇跡の生還を果たしたという。元メンバーの女性たちからも「やわらかい叱り方をする人」「彼にするならこんな人がいいなあと思っていた」あるいは「父のように慕っていた」という意外な言葉が……当時私たちが抱いていた“鬼”のイメージも、メディアによって作られた部分が大きかった。ということか)

映画終了後、渋谷から銀座線で虎ノ門へ。

ホテルオークラ併設の美術館「大倉集古館」で、特別展「篁牛人 ~昭和水墨画壇の鬼才~」を鑑賞。


《孤独と酒を最良の友とした異色の水墨画家・篁牛人(19011984)。特定の師につくことも美術団体に属すこともなく、芸術に至上の価値を置く自由奔放な生きざまを貫いた孤高の画家であった牛人は、「渇筆」という技法(渇いた筆などで麻紙に刷り込むように墨を定着させる)によって、独自の水墨画の世界を開拓した。大胆さと繊細さを併せ持つ渇筆は、細くたおやかな筆線と共存し、中間色層が極端に少ない白と黒の画面の中で、デフォルメされた特異な形態表現が不思議な緊張感をみなぎらせる。本展では、牛人の画業を三章に分けて構成し、水墨画の大作を中心として、初期の図案制作に関連する作品なども含め、水墨画の鬼才・篁牛人の世界をあまさず紹介する》

という案内文を事前に読んだだけで、あまり知らない画家。ささっと気楽に見てくるか……と入ったのだが、その絵に視線を投げた瞬間「わっ、すげえ!」と、思わず声が出るほどの圧倒的な迫力。大胆にデフォルメされた動物、人物が紙面狭しと躍動する様は、ちょっと大袈裟に言えば、日本のピカソここにあり!という感じ。(あとで知ったがキュビズムや藤田嗣治の影響を強く受けた画家のようだ)

友人のY君に「なかなか良かったよ」と勧められて足を運んだのだが、期待以上。観て良かった!の美術展だった。(出口で「風神雷神」と「蚊龍」のポストカード購入)


その後、地下鉄で虎ノ門から神保町へ。

午後2時からの忘年会の会場「揚子江菜館」に向かった。

メンバーは、長年の仕事仲間のJINさんとデザイナーのフェアリー(ことO林さん)&私。久しく一緒に仕事をすることもなく、ほぼ2年ぶりの再会だが、コロナに感染することもなく変わらず元気な様子。美味しい中華に舌鼓を打ちながら、酒もすすみ、会話も弾み、あっという間に楽しい時が過ぎていった。

「じゃあ珈琲でも…」と場所を変え、神保町にオフィスがあるJINさんの案内で、日本で最初にウインナーコーヒーを出した店として有名な喫茶店「ラドリオ」へ。

濃厚なホイップクリームが特徴のウインナーコーヒーは、さすがの美味さ。当然ながら、ここでも会話は弾み、小一時間ほど。再会を期して店を出た。

(みんな、また来年、会おうね!)

 

2021/12/11

12月頭の(かなり長い)メモ②


123日(金)

先月末、同じ沿線に住む旧知の友人N君から「池袋線つながりで、二人でささやかな年末飲み会でもしますか?」という誘いのメールがあり、この日、所沢で会うことに。

待ち合わせの時間は1350分……その前に、自動車免許返納及び運転経歴証明書の申請手続きを行うため石神井警察署へ。(路頭に迷ったときの“命綱”と思って取った資格だったが、結局、50年間、車とも運転とも全く縁のないまま無事返納)

手続きを済ませ、石神井公園駅前のドトール経由で(コーヒー&読書)、所沢駅に着いたのは1時間以上早い12時半頃。約30年ぶりの所沢ということで、時間つぶしを兼ねて西口「プロぺ商店街」を、ぶらり散策。(所沢のメインストリートらしく、約300mの道沿いに居酒屋、料理店、カラオケ店、献血ルーム、クリニック、薬局、スポーツジム、金融機関などがひしめいており、中々の活気)。

その後、20209月にグランドオープンした駅ナカ商業施設「グランエミオ」へ。

正直、「所詮、所沢の駅ナカ。大したことはない(はず)」と、甘く見ていたが、入ってびっくりの大空間&開放感。

エスカレータを上がれば、BOOK&CAFÉスタイルの立派な本屋がドーンと目の前に(在庫冊数18万冊とか)。そこを起点にさらに奥のフロアへ進んでいくと、グルメ好きが喜びそうなカフェやレストランが適度に並び(中でも気になったのは、4種類のエビスが味わえるビヤバー「YEBISU BAR」)、これはもう、わざわざ池袋に出る必要がなくなったなあ。と思えるほどの充実ぶり。(これで近くに映画館があれば何も言う事なし、なのだが……う~ん、残念!)

というわけで、2年ぶりにN君と会った途端の会話は…「いやー、久しぶり!…しかし、所沢、変わったね~ 驚いちゃった」「そうなんだよ、すごいだろ。西武はとにかく土地もってるからなあ…平気でこんなの作れちゃうんだよね」という感じ。

お互いの無事を喜びつつ、“二人忘年会”の場所「百味」(所沢プロぺ店)に向かった。

この店、BS TBSの人気番組『吉田類の酒場放浪記』で取り上げられたこともあり、酒場ファンの間で「所沢を代表する大衆居酒屋」として、つとに有名のよう。創業は昭和40年…ということだが、コロナ禍の折、20205月に惜しまれつつ閉店。したのだが、再スタートを願う多くのファンの声に応え202012月、新オーナーのもと、装いはそのままに大復活オープンを果たしたそうだ。

私は「食べログ」の評価を見て予約を入れたわけだが、そんな話を聞かされると、初めての店なのに馴染みの客のように情が湧き、さらに期待度アップ……それに違わず、表の看板には「本日、ボトル半額」という嬉しすぎる告知あり(聞けば、毎週金曜日は“フライデースペシャル”と称して、全てのボトルが半額になるとか)。

「ラッキー!焼酎、ボトルで頼まなきゃ」「おいおい、そんなに飲めるかよ!?」「いや、だって、二人で5杯も飲めば、十分、元が取れるでしょ!」と、語り(笑い)合いながら階段を降り入店。

 


2時というのに、かなり賑わっている店内を見渡しつつ席につき、まずはビールで乾杯…と思ったら、N君「ビールは飲まない」とのことで、即、芋焼酎「一刻者」をボトル&お湯付きでオーダー。豊富なメニューの中から、煮込み、焼き鳥10本などを選んで、再会を祝した。

それから延々4時間……ひたすら飲み、食い、話し続け、気が付けばボトルは空。追加で注文した肴(刺身の盛り合わせ、鍋料理など)もすべて食べつくし、酔っ払いの爺二人、「じゃあ、また来年の春に!」と上機嫌で帰路に就いたわけだが(「百味」の料金。〆て、一人3500円という安さ!)……

で、4時間も二人でどんな話をしていたかというと、

1964東京五輪(市川昆監督の『東京オリンピック』は「やはり名作。凄かった!」、リーフェンシュタールの『オリンピア』が参考になったのかも?…というような話から始まり、「あの映画の真の主役は誰だったか? 」というN君の問いに行き着いた。「う~ん?アベベ?チャスラフスカかな?」と答えあぐねていた所、彼曰く「美智子さん」とのこと。それだけ多くの場面に当時の皇太子妃の姿があったという。なるほど。高度経済成長の象徴、華族制度がなくなりみんなが平等になった自由の象徴が「美智子さん」であり、五輪の主役にふさわしかった、ということか)

朝鮮戦争とマッカーサーと平和四原則(話の出どころはN君がいま読んでいるという、ディヴィッド・ハルバースタム著『朝鮮戦争』…これが頗る面白い本のようで、「朝鮮戦争の最終的なターゲットは“日本”……つまり、朝鮮戦争はソ連と金日成が日本攻撃の足場を確保する準備だった」という話。日本では朝鮮戦争と言えば「朝鮮特需」…というだけで、あまり知られていませんが)

ゴジラVS警視庁30年ほど前「広告制作会社」時代に提案し、即、却下された警視庁のリクルート用パンフの企画案だが……随分昔からN君えらくお気に入りの様子で、未だ「もし出来ていたら日本の警察もなかなかのもんだぞ。と、アメリカも驚いたと思うよ」などと、楽しそうに絶賛してくれる。正直、自分としてはそこまで褒められるほどのもんじゃない、とは思うが、この企画のおかげで30年経っても二人で笑い合えるのは幸せなこと。やはり“持つべきものは友”)

日大・田中前理事長(先月末、日大・田中英寿理事長が所得税法違反の疑いで逮捕されたが、話にでたのはその脱税の件ではなく、50年以上も前の「日大闘争」と田中前理事長の関係……当時日大には、「関東軍」と呼ばれる“プロのヤクザ”のような集団(柔道部や相撲部、空手部などの体育会系の学生とそのOB)がいて、日本刀やハンマーを手に学生たちに襲いかかるなど、全共闘つぶしの急先鋒として大学側に重宝されていたわけだが、その「関東軍」を率いていたのが、日大相撲部で学生横綱にもなった「田中英寿」その人。68年当時は経済学部の4年生だったらしいが、“全共闘つぶし”後も大学に居座り、権力の座にのし上がっていった…というわけ。要するにあの頃の“番犬たち”が今の日大を牛耳っているという皮肉。「そういえば、あれだけいた左翼は一体どこへ消えてしまったんだろう?」と、お互い昔を思い出して、少しため息)

などなど。(もっと色々あるけど、きりがない)

P.S.

帰りがけ、N君から自身が書いた雑誌論文のコピー2点を頂く。タイトルは《戦後労使関係史余滴「京浜小唄」》と《最低賃金制の回顧》……もともと労働経済学者である彼。年相応に老いた今も頭脳は衰えることなく某大学名誉教授という肩書で、度々雑誌に論文を発表しているようだ。

(気の置けない仲間の一人なのだが、彼と飲むときは常に楽しく学んでいるような気分。身近な先生というか、賢い兄貴というか……また会う日まで、お互い、元気で! と、切に思う)

 

12月頭の(かなり長い)メモ①


121日(水)

午前3時過ぎ、凄まじい雷鳴で目が覚めた。強い風と激しい雨……雷嫌いの愛猫ジャックが大慌てで階段を駆け下りる音が聞こえた。(ジャックは私の寝床の横を通って押し入れに身を隠した)

やはり目を覚ました家人と、見たばかりの夢の話をしている間に雷は鳴りやみ、ジャックもノソノソ押し入れから出てきて私の足元に蹲った。そこからまたウトウトして、6時半頃。今度は「ニャー」と餌を催促する声で起こされた。

8時近く、いつもより少し遅めの朝食を食べながら朝刊を開くと、昭和の名曲「神田川」の作詞者・喜多条忠さん逝去(享年77歳)の記事あり。ふと、高校時代の友人のことを思い出した。

九州男児で実直かつ頑固な男だったが、大学のゼミで知り合った女性と、あっという間に半同棲生活を始めるような大胆さと熱情を併せ持った人間でもあった。

当時その彼が、かけてきた電話で言った言葉が「オレ、いま“神田川”なんだよね」……

3畳一間の小さな下宿 貴方は私の指先見つめ 悲しいかいって聞いたのよ

二人の“愛の棲家”(3畳一間……よりは少しだけ広かった)は、土曜の夜ともなると仲間たちのたまり場に変わった。バイト暮らしの貧しい者同士、各々トリスや角(たまにオールド)を持ち寄り、映画・文学・思想・漫画等々、明け方まで「〈永島慎二〉風の朝焼けだなあ」などとほざきながら、時を忘れて語りあったものだった(あれからもう50年。昭和も友も遠くなりにけり)

122日(木)

中村吉右衛門が亡くなった(1128日)……というより、私的には「鬼平が死んだ」と言うべきか。それほどに「鬼平犯科帳」長谷川平蔵役の吉右衛門は素晴らしく、敬愛する池波正太郎の世界に酔わされながら、幾度となくその姿に見惚れたものだった。

(ドラマの余韻が染み渡るテーマ曲、ジプシー・キングの「インスピレーション」もゾクっとするほど良かった。まるで「鬼平」に合わせて作ったかのように)

https://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEc

脇を固めた粂八(蟹江敬三)や五郎蔵(綿引洪)の姿もこの世になく、本当に淋しい限りだが、「おまさ」は健在。梶芽衣子の末永い活躍を願いつつ、吉右衛門さんのご冥福を祈りたい。

2021/11/30

「批判ばかり」と「批判」する風潮に?


先日(23日)、韓国の斗煥元大統領が亡くなった(享年90歳)。

「悪名高い軍部独裁者の最期」というだけで、その死に殊更の感慨はないのだが、束の間、以前に観た二つの映画のシーンがいくつか脳裏にちらついた。

一つは光州事件時の実話に基づいた『タクシー運転手 約束は海を越えて』、もう一つは朴正熙大統領暗殺の舞台裏を描いた『KCIA南山の部長たち』。

朴正熙暗殺は1979年(その6年前には「金大中事件」があった)、全斗煥が徹底的な武力弾圧を敢行し多数の死傷者を出した光州事件(518民主化運動)は1980年……    その頃20代だった私は「一体、韓国はどうなってるんだろ?」と、ちょっと身震いするくらいイヤな感じがしたものだが(当時は、寧ろ北朝鮮の方がまともな国に思えた)、それから40年以上経った今、すっかり民主化された隣国の姿に、羨望の念すら抱くことになるとは……それだけ日本が変容してしまったということなのだろう。(とりわけ「民主性」ということに関しては、完全に後れをとってしまった気がする)

ということで、今日のタイトルの件……

この国の大手メディアが政権批判を避けるようになっている所為か何か分からないが、最近(特に立憲民主党の代表選が告示されて以降)、「(野党は)批判ばかり」という「批判」の声が以前にも増して強くなっているような気がする。(単に野党が嫌いなのか、何かを「批判する」という行為そのものが好きじゃないのか、ちょっとよく分かりませんが)

で、そもそも何故「(野党は)批判ばかり」なのかと言えば、民主主義国家におけるその役割上(与党とは異なる国家観を国民に示す「対立軸」であること)の必然だから、と言うほかない。つまり、国民の多様な考え方が社会に反映されるためには、与党と野党が似たような国家観では困るわけだし、国家観が違えば、掲げる政策も違ってくるのは当たり前(与野党仲良く同じ政策、などという状況は「翼賛体制」であって、「いつか来た道」を再び歩むことになるだけ)。そのような役割を持つ存在が「(与党を)批判ばかり」するのは至極当然なことであって(民主党政権時代の自民党も「批判ばかり」だった)、それを批判する方がお門違いというもの。

なのだが、批判を受ける野党側も律儀というか、間抜けというか(特に立憲)……そんな“お門違い”は放っておけばいいのに、つい乗せられて「いや、私たちも与党が出した法案に70%以上賛成しています」「政策提案は数多くだしています」等と弁明したり、果ては「批判ばかりから脱却する」などと宣言したりするから話が分からなくなる。(「70%以上に賛成」して「批判ばかりから脱却」って、それで「賛成ばかり」の野党が増えれば、そりゃあ与党は楽だよね。政権交代の必要もなくなるし)

で、そんな「野党」を傍目で眺めるメディア側はどうかといえば……

《維新の吉村副代表、立憲の代表選に「何でも反対から脱却を」》(朝日新聞デジタル)

《ゲストはABCテレビ「キャスト」の上田剛彦アナウンサー。「第4の権力たれ」と、何もかも批判ばかりする報道は時代に合ってないかも。優しさや多様性を大切にするお笑いにヒントがあるのでは。「芸人さんは劇場で生のお客さんの反応をみている」》(朝日新聞ポッドキャスト)

と、「批判ばかり」を批判する風潮にあっさり迎合(つまり与党及びその周辺の策略に同調)して、およそジャーナリズムとは思えない軽薄かつ愚劣な言説を垂れ流すだけ。よくもまあ、ここまで酷くなったものだ……と、発行部数激減中の「朝日」の凋落と堕落ぶりを改めて垣間見た思い。

(そういえば、今年90歳で亡くなられた作家・半藤一利さんがその著書『昭和史探索』の中で、戦前にも、朝日新聞が体制迎合的になった結果、「朝日新聞お断り」に転じた元読者が多数いた、と語っていたが……ん?ということは、今もまた「戦前」?)

こんなメディアばかりの国で、野党がいま「批判ばかりから脱却」などしようものなら、一体この先どうなってしまうのか? 例えば「改憲も反対ばかりじゃダメ。緊急事態条項も含めて与野党で話し合わないと…」みたいなことになりかねない。

故に、「批判ばかり」の野党、大いにけっこう。(与党と戦わない、批判し続けない野党など「民主主義国家」において何の存在意義もない)

かつて購読していた「朝日新聞」には、その復活を願って、もう一度、この言葉を。

「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない」(ジョージ・オーウェル)

 

2021/11/24

吉祥寺で『スウィート・シング』からの「いせや」


先週の金曜、2年ぶりに吉祥寺へ。

アップリンクで、米インディーズ映画『スウィート・シング』(2020年製作、アメリカ)を観てきた。

 


主人公は姉ビリーと弟ニコ……極貧暮らしで学校にも行けず、頼れる大人もいない二人が(初老の父アダムは酒狂い、家を出て行った母イヴは男狂い)、ある日出会った少年マリクと共に逃走と冒険の旅に出る…という話。時折カラーが入るモノクロの映像で、子供たち3人の逃避行が生き生きと美しく描かれる。ビリー・ホリディ、ブライアン・イーノ、シガー・ロス、ヴァン・モリソンなど、流れる音楽が実にイイ。

《逃げろ!ロクでもない大人たちから。逃げろ!その瞳の輝きを奪おうとする行き詰まりの世界から。逃げろ!どんな手を使ってでも、逃げろ! 走って、走って、たどり着いた先がまたしても酷い大人たちの世界であったとしても、今はただ振り向かず逃げろ!いつかどこかに、幸せな瞬間は必ず待っていてくれるから……》そんな声がスクリーンの彼方から聞こえてくるような映画だった。

監督は米インディーズのアイコンとして名高いアレクサンダー・ロックウェル。主人公の姉弟にはロックウェル監督の実の娘ラナと息子のニコ。母親イヴを実際のパートナーであるカリン・パーソンズ、父親アダムをアカデミー助演女優賞受賞作『ミナリ』の名脇役ウィル・パットンが演じている。

ちなみにタイトル「スウィート・シング」は、北アイルランド出身のロックシンガー、ヴァン・モリソンの名盤「アストラル・ウィークス」に収録された1曲『SWEET THING』からとったもの。映画の中で主人公ビリー(監督の娘で15歳のラナ)がその歌を口ずさむシーンも、その声の美しさと共に印象的だった。(詞がまたイイんだよね~)


心浮き立つ あの道を歩き 

生け垣を跳び越えよう

澄み切った水で 渇きを癒して

波間に浮かぶ 連絡船を眺めよう

いつもより青い海は 明日の空を映してる

もう2度と年をとったりしない

あの庭を歩き 話し続けるんだ

愛しい君よ 愛しい君 …スウィート・シング

https://www.youtube.com/watch?v=1XGLoUmeNHg (ヴァン・モリソン)


映画の後は、「いせや」でランチ替わりの焼売&焼き鳥2本(当然ハイボール付き!)。いい映画を観た後のちょい飲み……実に気分良し。

 


2021/11/14

池袋で「アート展」&『モーリタニアン』


一昨日の金曜、東京新聞で紹介されていたアート展「聞かれなかった声に耳を澄ませる」を観に、池袋・東京芸術劇場(B1Fアートスペース)へ。


 並べられている作品は、生活困窮者に食品が配られる会場で、利用者(生活保護を利用する人、路上生活者など)が自由に創作したもの。作品ボードの横には作者のコメントが添えられており、それぞれの思いや人生を垣間見ることができる。

例えば、路上生活をしている男性の添え書き…「この黒い大きな物体は目に見えない自分にのしかかる圧力です。何かに抑え込まれている感じ。汚いものに取り囲まれている自分。いつも縮こまっていて大きく描けない。でもはっきりと自分を表現する人」

(また、生活保護を受給しながらアパートで暮らすトランスジェンダーの女性は「女風呂にも男風呂にも入れないない私。だからこんな風にお風呂に入れたらいいなあと思って描きました」と、絵に託したその切実な胸の内を綴っていた)

724日オリンピックの開会式があった頃の土曜日。炊き出し参加者は過去最高の400人。オリンピックのためにあちこちから追い出された困窮者は多かった」そうだ。

帰りがけ「よかったら感想を書いてください」という女性(アート展の企画者でアーティストの尾曽越理恵さん)の声に促され、一筆。

路上で生きる人のいない世界のために。

路上アートに光を。それぞれの人生に色を。もっと強い光と豊かな色を!


その後、芸術劇場から「池袋HUMAXシネマズ」へ。

モハメドウ・ウルド・スラヒの著書を原作に、悪名高きグアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話に基づき描いた法廷サスペンス『モーリタニアン 黒塗りの記録』(監督:ケヴィン・マクドナルド/2021年製作、イギリス・アメリカ)を鑑賞。

9.11後のアメリカの“正義と狂気”(主に狂気)の象徴とも言えるグアンタナモ収容所で、日常的にどのような拷問・虐待が行われていたのか?

本作の上映に先立ち、直接、本人(本作の主人公であるスラヒ氏)にオンライン取材した東京新聞の記事によれば《スラヒさんは「手錠をかけて宙づりにされたり、冷たい部屋で20時間以上も同じ姿勢を強要されたり、非人道的な尋問を繰り返された。女性兵士による強制的な性交などの性的虐待も受けた」と振り返る。耐えきれず、米政府が用意した自白調書に署名した》とのこと。また、実行はされなかったが「警察が母親を署に連行し、男性だけの獄舎に入れるぞ」と供述を迫ってきたこともあったようだ。

その拷問・虐待・脅迫の数々は、映画の中でも隠されることなく(&容赦なく)再現される。(手錠と足かせで身動きできない状況下、真っ暗にした部屋にフラッシュライトが点滅し、大音量でヘビーメタルがかけられる中での尋問シーンも衝撃。目を覆いたくなりつつも、あまりの卑劣さに沸々と怒りが……)

で、拷問・虐待以上に驚かされ、強く震撼したのは、裁判所の「アルカイダの一部との政府の主張は根拠なく、スラヒさんの拘束は不当」という釈放命令が下ったにも関わらず(普通なら「これでメデタシ」「アメリカの狂気にアメリカの良心が勝利した」…となるのだが)、釈放されるまで、拘束はさらに6年間、オバマ政権になっても続いたという事実(思わず「ひでえなあ…」と声が出た)。悪い意味でアメリカ恐るべし。(人権問題で中国を非難している場合じゃないぞ!)

と、ここまでだと、「とても見る気にはなれない」だろうが、さにあらず。映画自体は頗る付きの秀作。とりわけ主人公の弁護を引き受ける弁護士ナンシー・ホランダーを演じたジョディ・フォスターが素晴らしい。(対する軍側の弁護士ステュアート大佐役のカンバーバッチもお見事。この二人が映画の中での“アメリカの良心”か)

加えて、現在のスラヒさん&ホランダーさんの本人映像が流れるエンディングが気持ちいい。

ボブ・ディランの「ザ・マン・イン・ミー」を上機嫌で口ずさむ彼の屈託ない笑顔に、少し肩の力が抜け、ほっと安堵のため息。ディランの歌にも救われた。


P.S.

今月9日はMy Birthday……UEちゃん&MIYUKIさんから、ド派手かつパワフルな“祝い”が届いた。

 



 

 

 

 

2021/11/08

極めて的確な指摘。


立憲代表選に意欲を見せた小川淳也に「3つの懸念」急浮上

https://samejimahiroshi.com/politics-ogawa-20211107

この「3つの懸念」は、正に私も抱いていたもの。それを超えられなければ、彼に期待するものは即座に失われる。

というわけで、「なぜ君」小川淳也、これからが正念場。今後、維新(及び国民民主)に寄っていくのか、共産・れいわと手を繋ぐのか……立憲民主党の動向と共に注視したい。

※記事を書いたのは、今年5月に49歳で朝日新聞を退社し独立。《「新しいニュースのかたち」を「無料」で届けること》を目指して「SAMEJIMA TIMES」を立ち上げた政治ジャーナリスト・鮫島浩さん。

で、今日は歯医者(クリーニング&抜歯)に行くまでの時間、こんな記事にも目を通し……書いているのは、芥川賞受賞後「反日は出て行け」など“匿名の悪意”を浴びている台湾籍の作家・李琴峰さん。

https://note.com/li_kotomi/n/n8f548e377387

ちなみに、彼女、受賞時の記者会見で「最初に好きになった日本語と、忘れてしまいたい日本語を教えてください」という質問に対して、「最初に好きになった日本語は一期一会……キレイだなあと思ったのは、せせらぎ、木漏れ日……忘れてしまいたい日本語?う~ん……美しいニッポン(フフッ)」と答えていた。

(なかなかセンスのいい、鋭い人だなあ、と思ったが、その絶妙の「答え」がネトウヨ化の元凶である安倍信者たちの怒りを買いバッシング&ヘイトの嵐……とは、何ともはや……とりわけ外国籍の人が生きにくいこの国の今が、恥ずかしすぎて言葉もない)




2021/11/06

この対談が面白い!!


《温暖化対策として、あなたは、なにかしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバッグを買った? ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている? 車はハイブリッドカーにした?

はっきり言おう。その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害でさえある。

なぜだろうか。温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ。良心の呵責から逃れ、現実の危機から目を背けることを許す「免罪符」として機能する消費行動は、資本の側が環境配慮を装って私たちを欺くグリーン・ウォッシュにいとも簡単に取り込まれてしまう。

では、国連が掲げ、各国政府も大企業も推進する「SDGs(持続可能な開発目標)」なら地球全体の環境を変えていくことができるだろうか。いや、それもやはりうまくいかない。政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。

かつて、マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。》

という、なかなか衝撃的かつ挑発的な序文から始まる新書『人新世の「資本論」』(2021年新書大賞受賞作)の著者・斎藤幸平(経済思想史研究者)と立憲民主党・小川淳也の対談だが、実に刺激的(小川じゃなくて斎藤幸平の話が)。二人の話を聞き終えた後、衆院選後モヤモヤしていた思考的視界が少し開けたような気がした。(かなり長いですが、お時間の空いている時に、ぜひ!)

https://adayasu.hatenablog.com/entry/20210721/1626871301

P.S.

昨日(5日)は田無の「坂平」で“うなぎ会”。一年前の約束通り、友人のUEちゃん&MIYUKIさんに「うな重・特」をご馳走。ビールを飲みつつ久しぶりの「うなぎ&肝吸い」に舌鼓を打った。

(その後、3人で“お茶”。話題は衆院選、韓ドラ「愛の不時着」他、8月に観たドキュメンタリー映画『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん』そして「エレカシ・宮本浩次」……BSの音楽番組「The Covers」で聴いた『春なのに(柏原芳恵/1983)詞・曲:中島みゆき』は絶品だった)

今日(6日)は、池袋HUMAXシネマズで『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を鑑賞(誕生日も近いということで、ツレの驕り)。主演ダニエル・クレイグのボンドとしての最終作ということで、かなり期待していたのだが、個人的には最後までテンションが上がらず消化不良。特に後半が全く楽しくないし、メロドラマ臭が強すぎて興奮度&爽快感ゼロ。お別れ感たっぷりの寂しい結末に「うーん…どうなんだろう?」と、首を傾げるだけだった。

 

2021/11/03

選挙後余談


昨日、旧知の友人で飲み仲間のO君(3つ年上の法学者)と、メールでこんなやり取り。

O

大阪では維新と公明で議席独占。気持ち悪い。共産党が端っこの方に少数でいることはあまり気にしないが、表に出てきそうになると異常なまでの拒否反応を示す連中が根強く存在するんだ、日本には。枝野も本心はそうだったんじゃない?「冷たい共闘」なんて言われているのもそういうことが関係してそうだ。

ちなみに、ツイッターで、枝野も志位も福島も演説下手って言ったら、知らない人から、頑張った枝野の「悪口」を言うべきではない、という反応が返ってきました。こういう単純な発想の連中が多いことも残念。

立憲のシンパか何か知らないけど、「ご飯論法」の命名者である上西充子(法政大学教授)も、立憲や市民連合への真っ当な批判・意見に対して「与党を利するから…」と抑えこもうとしていたし、支持する気持ちが強いあまりに「応援と批判はセット」という当たり前のことを忘れちゃう人たちが多く見られるのは、由々しきことだよね。(それじゃ自公維及びその周辺と大して変わらない…ってことになっちゃうし)

そういえば、上西氏……2019年の参院選の時に「カリスマ的な指導者に頼ろうとするうねりが大きくなることには警戒すべき」と「れいわ新選組」の盛り上がりを、まるでファシズム(の台頭)かのように危険視し喧伝していたっけ……まあ、どっちがファシズムだよ!という話だけど。

共産党に関しては、今時、革命政党などと思っている、あるいは信じている人がいるの?という感じですが、今回の結果を見ると、本当にいるのかもしれませんね。なんせ、ジェンダー平等、気候変動など世界共通の社会課題に取り組むことすら、「中道」ではなく「左(ネトウヨ的に言うとパヨク)」に位置づけられるそうだから。それほどこの国の軸が大きく「右」に寄っているということでしょうか。

O

真っ当な批判を「ケチ」だとして抑圧することがすでにファシズムなんですよ。このファシズムが無意識裡に革新系に浸潤していることを僕は憂いています。

僕は、あの『憲法改正限界論のイデオロギー性』の本(O君の著書)の元になった論文を学会の仲間に渡したら、それを読んで、どうして、憲法改正を画策する反動政権と闘っている学者を批判するのか、憲法改正に賛成なのか、と詰め寄ってきた人がいたが、そんな軸でしか考えられないのか、と思い、その人とは付き合いをやめました。目的さえ共感できれば、何をどう言っても受け入れるって、ガキのような恋愛感情にしか思えない。それが確固たる未来を創り出すとは思えない。

けだし同感。

思えば、「山中竹春(現横浜市長)」の経歴詐称・パワハラ疑惑問題に真摯に向き合うこともせず、衆院選に繋げる「共闘」の成果だけを求めて、ひたすら彼を推し続けた横浜市長選の際の立憲・共産の姿も酷かった。(その結果、市議会ぐちゃぐちゃみたいだし…)

そのあたりも含めて、我々は野党の動向を冷静に見守りつつ絶えずチェックしていきましょう。(立憲も「小川淳也」あたりが代表になれば、かなり面白くなりそう……彼を追ったドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』オススメです)

で、さっきネットのニュースを見ていたら、英ガーディアン紙が日本維新の会を「右翼ポピュリスト政党」と紹介していた。よくわかってらっしゃいますね、外国のメディアは。(「日本共産党」も、海外メディアから見れば「中道左派政党」という所でしょうね)

O

維新を加えると憲法9条改正発議が出来るわけで、警戒を怠れないね。

ですね! 

早速、「日本維新の会」代表の松井が「来年夏の参院選と同時に国民投票を実施すべき」とぶち上げてるようだし……ホント、とんでもない奴ら。

以上。(やり取りはまだ続くかも…だけど)