2021/11/14

池袋で「アート展」&『モーリタニアン』


一昨日の金曜、東京新聞で紹介されていたアート展「聞かれなかった声に耳を澄ませる」を観に、池袋・東京芸術劇場(B1Fアートスペース)へ。


 並べられている作品は、生活困窮者に食品が配られる会場で、利用者(生活保護を利用する人、路上生活者など)が自由に創作したもの。作品ボードの横には作者のコメントが添えられており、それぞれの思いや人生を垣間見ることができる。

例えば、路上生活をしている男性の添え書き…「この黒い大きな物体は目に見えない自分にのしかかる圧力です。何かに抑え込まれている感じ。汚いものに取り囲まれている自分。いつも縮こまっていて大きく描けない。でもはっきりと自分を表現する人」

(また、生活保護を受給しながらアパートで暮らすトランスジェンダーの女性は「女風呂にも男風呂にも入れないない私。だからこんな風にお風呂に入れたらいいなあと思って描きました」と、絵に託したその切実な胸の内を綴っていた)

724日オリンピックの開会式があった頃の土曜日。炊き出し参加者は過去最高の400人。オリンピックのためにあちこちから追い出された困窮者は多かった」そうだ。

帰りがけ「よかったら感想を書いてください」という女性(アート展の企画者でアーティストの尾曽越理恵さん)の声に促され、一筆。

路上で生きる人のいない世界のために。

路上アートに光を。それぞれの人生に色を。もっと強い光と豊かな色を!


その後、芸術劇場から「池袋HUMAXシネマズ」へ。

モハメドウ・ウルド・スラヒの著書を原作に、悪名高きグアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話に基づき描いた法廷サスペンス『モーリタニアン 黒塗りの記録』(監督:ケヴィン・マクドナルド/2021年製作、イギリス・アメリカ)を鑑賞。

9.11後のアメリカの“正義と狂気”(主に狂気)の象徴とも言えるグアンタナモ収容所で、日常的にどのような拷問・虐待が行われていたのか?

本作の上映に先立ち、直接、本人(本作の主人公であるスラヒ氏)にオンライン取材した東京新聞の記事によれば《スラヒさんは「手錠をかけて宙づりにされたり、冷たい部屋で20時間以上も同じ姿勢を強要されたり、非人道的な尋問を繰り返された。女性兵士による強制的な性交などの性的虐待も受けた」と振り返る。耐えきれず、米政府が用意した自白調書に署名した》とのこと。また、実行はされなかったが「警察が母親を署に連行し、男性だけの獄舎に入れるぞ」と供述を迫ってきたこともあったようだ。

その拷問・虐待・脅迫の数々は、映画の中でも隠されることなく(&容赦なく)再現される。(手錠と足かせで身動きできない状況下、真っ暗にした部屋にフラッシュライトが点滅し、大音量でヘビーメタルがかけられる中での尋問シーンも衝撃。目を覆いたくなりつつも、あまりの卑劣さに沸々と怒りが……)

で、拷問・虐待以上に驚かされ、強く震撼したのは、裁判所の「アルカイダの一部との政府の主張は根拠なく、スラヒさんの拘束は不当」という釈放命令が下ったにも関わらず(普通なら「これでメデタシ」「アメリカの狂気にアメリカの良心が勝利した」…となるのだが)、釈放されるまで、拘束はさらに6年間、オバマ政権になっても続いたという事実(思わず「ひでえなあ…」と声が出た)。悪い意味でアメリカ恐るべし。(人権問題で中国を非難している場合じゃないぞ!)

と、ここまでだと、「とても見る気にはなれない」だろうが、さにあらず。映画自体は頗る付きの秀作。とりわけ主人公の弁護を引き受ける弁護士ナンシー・ホランダーを演じたジョディ・フォスターが素晴らしい。(対する軍側の弁護士ステュアート大佐役のカンバーバッチもお見事。この二人が映画の中での“アメリカの良心”か)

加えて、現在のスラヒさん&ホランダーさんの本人映像が流れるエンディングが気持ちいい。

ボブ・ディランの「ザ・マン・イン・ミー」を上機嫌で口ずさむ彼の屈託ない笑顔に、少し肩の力が抜け、ほっと安堵のため息。ディランの歌にも救われた。


P.S.

今月9日はMy Birthday……UEちゃん&MIYUKIさんから、ド派手かつパワフルな“祝い”が届いた。

 



 

 

 

 

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