金銭的余裕があれば(暇はソコソコあるので)、ぜひ観に行きたいなあ……と思っていた「あいちトリエンナーレ」の『表現の不自由展・その後』が、政治家(松井一郎、河村たかし、菅官房長官など)の圧力と、それに勢いづいた何者かの「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫FAXによって中止に追い込まれた。
まさかと思ったが、やはりこの国は「大日本帝国」の時代に戻っているようだ。しかも、思った以上の速さで……。
(「慰安婦像」と呼ぼうが「平和の少女像」と名付けようがどちらでもかまわないが、戦時性暴力をテーマにした作品ひとつ自由に展示できないような国、また、昭和天皇をモチーフにした数点を、その制作意図・経緯に触れもせず「御真影を傷つけた」「不敬」などと、まるで戦中・戦前のようにバッシングする国は、既に「民主国家」でも「先進国」でもない。そんな国で平和の祭典・オリンピックとは……笑止!)
それにしても、少女がただ静かに座っているだけのオブジェに「心を踏みにじられる」って、一体(河村たかし名古屋市長は)、どの様なメンタリティの持ち主なのだろう……「私には負の歴史と向き合う知性も勇気もありません」と、暗に白状しているようにしか思えないのだが。
さらに、それを「日本人の、国民の心(を踏みにじる)」と、歴史改竄主義者である自分の本性を隠すようにすり替える姑息さ・醜悪さ。
とりあえず、彼が言う日本人の中に、俺を入れるな!とだけは言っておきたい。
とりあえず、彼が言う日本人の中に、俺を入れるな!とだけは言っておきたい。
で、“お口直し“に、ちょっといい「旅行記」を発見。タイトルは「いま韓国を旅して感じたこと」https://note.mu/tabi_gari/n/n0222be99d9e2
P.S.
以下、ネットで目にした「表現の不自由展」に関する政治家・タレント・学者・著名人の発言。(「極々まとも」な右翼団体、「戦前メンタリティ」の政治家、「自由より日本(愛国)」の芸人・タレントなど……色々あぶりだされてきた感じ。その中で、少し見直したのは「大村愛知県知事」)
松川るい(自民党参議院議員)
日本政府上げて慰安婦像撤去を世界中で取り組んでいる中で、これはありえない。ましてや、日本国民の象徴たる天皇陛下のお写真を焼くということは、日本という国で許されるべきことではない。それは芸術とか表現の自由とかそういう問題ではない。撤去は当然だし、そうなって本当に良かった。
原口一博(国民民主党衆議院議員)
聖書やコーランを火にくべることが何を意味するのか。日本人が大切にしているものを燃すことが何を意味するのか。表現の自由、芸術の名の下に許されていいのか?表現の自由といえども人々の心を傷つけることまで容認されていいのか?私は許されていいとは思いません。抗議の声をあげるのは当然です。
松井一郎(大阪市長・日本維新の会代表)
税金を投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ、単なる誹謗中傷的な展示はふさわしくない。朝日新聞自体が謝罪した、デマの象徴である慰安婦像を、行政が展示すべきではない。
船井俊輔(自民党衆議院議員・宏池会)
間違えてはいけないのは、税金は政府や行政に批判的な人でも納税しているものであり、それを再配分するもの。 政府や行政に従順、ないしは意向に沿ったものにしか拠出しないということでは、決してあってはならないということ。
「国益に反するものに税金投入はおかしい!」確かにその論は受け入れられやすいが、国益が何かという定義は国民の皆さんそれぞれに考えがあり、政治の側がそれを言い立てることには、くれぐれも慎重になければなりません。
花瑛塾(右翼団体)
公権力が表現の自由に踏み込み、その内容の改変や公開中止を求める行為は憲法が禁じる「検閲」であるが、警察が本来有している警察力を行使せず表現の自由への暴力的な妨害を放置し、これを間接的に中止に追い込むことも、事実上の「検閲」である。
一方で花瑛塾として、同展の展示内容について強い違和感と不快感を覚えたことも事実。
一方で花瑛塾として、同展の展示内容について強い違和感と不快感を覚えたことも事実。
立川志らく(落語家)
日本人の多くの人が反日の像だと思っているわけでしょ。多くの人が不愉快に思うのだったのなら(芸術監督の)津田(大介)さんも自分のお金で、個人でやる分にはいいんだけど、国で名古屋で愛知でやったことに、かなり問題があるんじゃないかと思います。
表現の自由を阻害することになるといいますけど、なんでも自由にしていいのかってことですよ。人を考えさせるのは大事だけど、不愉快にするっていうのは果たして芸術か。
松井計(元ホームレスの小説家)
そもそも、全ての人を満足させるような芸術表現なんかありえないんですから。誰もが満足するなんてのは、受け手の個性の否定じゃありませんか。芸術表現は、表現が意図されたその瞬間から、対立の可能性を内包する性格のものです。
町山智浩(映画評論家)
「表現の不自由」展が「公費使うな」と叩かれてるが、その何十、何百倍もの税金が吉本興業や秋元康やクールジャパンなんとやらにムダに流れてるんだけどな。
つるの剛士(タレント)
たとえ近所で開催されていても、無料でも、夏休みでも、 自国ヘイト作品を展示するアート展なんかに子供連れて行くわけない。 ああ、 表現の自由も不自由?も守られて、
連日近くでミサイルは飛んでいて、
日本はなんて寛容で平和な国なんだろ。
ロバート・キャンベル(日本文学研究者)
不自由展なら唾棄すべき内容だと言う人も共感する人も声高に議論すればいい。手続きに不正がなかったか検証するも良し。しかしそれを経ずに首長が唐突に中止を求め誰かが「撤収しなければガソリン」と脅迫し挙句に止むを得ず中止とするのは自由な議論を奪う流れ、とても残念だ。
(「星条旗を踏みにじる展示物をアメリカ人として歓迎ですか?」との質問に)
歓迎も攻撃もしません。私はしませんが、仮に焼いたとしても言論の自由と認められ、公権力を向けられることはありません。
歓迎も攻撃もしません。私はしませんが、仮に焼いたとしても言論の自由と認められ、公権力を向けられることはありません。
安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
今投げかけられているのは、「表現の自由」の問題だけではないと思う。この国ではすでに、パスポート発給拒否で渡航の自由が奪われたり、夫婦別姓を選択する自由が認められなかったり、外国人の方々が長期で収容され自由を侵害されたりしてきた。だから「今回”は”仕方ない」と見過ごしたくないと思う。
山崎雅弘(戦史・現代史研究家)
河村たかし名古屋市長は、少女像の展示を公的行事で認めれば「韓国側の主張を認めたことになる」かのように吹聴しているが、これこそ過去の歴史問題を「日本対韓国」の戦いにすり替える「歴史戦」の手法。日本人なら日本側につけと脅し、大日本帝国擁護に加担させようとする。
大村秀章(愛知県知事)
憲法21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と書いてある。最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。
山本太郎(政治家・れいわ新選組代表)
表現の自由は最大限まで認められるべき。(今回の件は)自民党の改憲草案21条を彷彿とさせる。権力側にとって公の秩序乱すなら表現の自由認めない。実際に改憲進んでもいないのに、すでにそんな状態。どのような表現でも叩かれたり称賛されたり。色々な声を受け入れて次の表現に繋げていくことが本当の表現だと思う。それさえも許さない。気に入らない表現であるならばガソリンまくぞとか、政治的圧力かけるぞってことで、その表現自体をなかったことにしようということ自体がちょっとまずいなと思う。非常に危機的な状況。(8月5日、TBSラジオ「セッション22」荻上チキ氏との対談にて)
自民改憲案第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
(1項を2項によって「骨抜き」にするという、“いつもの手”)
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