2019/08/25

夏の日々のメモ(ラスト)




817日(土)
午前中、録画しておいた映画『ひろしま』(監督:関川秀雄/製作:日教組プロ、1953年)を鑑賞。

《原爆の恐怖と惨状を伝えようと、被爆から8年後に製作された反戦ドラマ。(8万人を超える広島市民が撮影に参加)》……「反米色が強すぎる」という理由で“お蔵入り”になった作品だが、いま観ると「反米色?…どこが?!」という感じ。
確かに「ドイツではなく日本に原爆が落とされたのは、日本人が有色人種だからだ」という、アメリカにとっては「痛い所を突かれた」的な台詞はあるが、それで上映禁止では「木を見て森を見ず」みたいな話。
観ている側は、原爆投下直後の惨状、その後の被災者たちの苦しみの再現を目指した執拗なリアリズムに目を奪われ、台詞ひとつに捉われている暇などない。(もしかすると、台詞だけじゃなく「日教組」製作という点も、気に入らなかったのかも?)

で、題材・演出・製作経緯の意義深さを踏まえた上で、とりわけ印象深かったのは、その「タイトルバック」。
山田五十鈴、岡田英次、月岡夢路、加藤 嘉……母が生きていれば大喜びしそうな新劇系の渋い顔ぶれがズラズラと。さらに、花沢徳栄、信欣三、原保美、若き日の松山英太郎、河原崎健三などなど。これだけの俳優たちが参加した反戦映画というだけで、観る価値大。それが地上波で流れるとは……やるね、Eテレ!

午後はネットでニュースチェックなど。

荻上チキのラジオ番組「Session-22」出演後のソ・テギョ氏のツイート。
「日韓関係悪化について一番言いたかったことは、日本国内の嫌韓感情がボディーブローのように効いているということだ。嫌韓感情と右派政治家が出会う所に居丈高な外交が生まれる。その片翼を担うメディアと記者は心の底から恥じよ」

この日、最も「いいね!」を押したかったのは、「はな」さんという方のツイート。
《「朝から晩まで文在寅批判して、分析する暇あったら、安倍晋三の6年半の内政、外交の検証しろや!」と、老父が怒り心頭。本当にその通りだと思う。いい加減にしろよ。日本メディア》(この老父、私の分身のような…)

夜は、またまたNHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記~」。
初代宮内庁長官として昭和天皇のそばにあった田島道治による410カ月の記録(1949年~)……
昭和天皇には「反省の気持ちを公にしたい」という気持ちがあったが、吉田茂に止められたとのこと。その時ちゃんと「反省」の言葉が述べられ、広く知られていれば、歴史修正主義者が大手を振って歩けるような“今”になることもなかったろうに……。(なんてことをしてくれたんだ、「吉田茂」は!)

で、「反省」を口にしながら「憲法を改正して再軍備」とか……何を言ってるんだろうこの人は?という感じ。自分が「象徴」として生き残れたのは「憲法9条」のお陰なのに!
(戦争末期~終戦直後、アメリカ国内で天皇の戦争責任を問う声が多い中、また極東委員会主導で日本国憲法が制定された場合に天皇制の廃絶が明文化され、東京裁判の被告席に天皇が立たされる可能性が高い中、マッカーサーは「天皇制を残しても日本が二度と再び軍事国家の道を歩むことはない(歩めない)」ことをアメリカ及び極東委員会に納得させるため「憲法一条と九条二項はワンセット。バーターで制定された」という、故・加藤典洋氏の論は非常に説得力がある。と私は思っている)

以前にも「(広島市民には気の毒ではあるが)原爆投下はやむを得なかった」などと公の場で平然と語っていたわけで、「無責任かつ無神経な人」という印象は番組を観たあとも変わらず残ったまま。(まあ、長い間「神」をやっていた人だから、仕方ないか…)

818日(日)
11時頃ツレと一緒に家を出て、新宿へ。シネマカリテで『カーマイン・ストリート・ギター』を観る。

ギターを弾けないワタシでも、一度は行ってみたいなあ……と思わせてくれる「手作りギター店」の一週間を捉えたドキュメンタリー。
店員は3人、パソコンも携帯も持たない寡黙なギター職人のリック・ケリーと彼の母親ドロシー、そしてリックが“後継ぎ”と期待する見習いのシンディ……
で、この店には守り続けているルールがあり、それが「ニューヨークの建物の廃材を使って作る」こと。その唯一無二のギターを求めて、世界中から有名・無名のギタリストがやってくる。
(ギターを肩に来店した映画監督ジム・ジャームッシュの姿に、思わずニンマリ)

撮影風景はほとんど変わらない、ざわつくドラマも起きない、淡々とした一週間……なのに、とても心地よい気分にさせてくれる80分。
「俺のこの仕事は大した金にはなってないよ、貯金もないし。でも好きすぎて家でもギターを作ってるぐらいなのさ」……リックの声を聞きながら、久しぶりに「トリスの味は人間味」という仲畑さんのコピーを思い出した。

映画の後は、「手打そば大庵」で、遅めのランチ(ミニ天丼&蕎麦)。海老天うまし!

※このところ、高村薫の最新刊『我らが少女A』を読みながら寝るのが日課になっているが、いつも2ページほど読んだ所でウトウトしだし、そのままグッスリ……一向に進まない。

819日(月)
18日の香港「民主化デモ」、主催者発表で170万人とか。スゴい!のひと言。

日本で民主主義が根付かないのは、戦って勝ち取ったものではないから。と思っていたが、かつてイギリスの植民地だった香港の人々も、民主主義を戦って勝ち取ったわけではない。なのに、デモが嫌悪され迷惑がられる日本との、この違いは何?

「自由を奪われる」危機感・切迫感の違いもあるだろうが、恐らく教育の問題。イギリスが定着させようとした欧米型民主主義の理念・原則を、香港の人たちは子どもの頃からしっかり学び、返還後は「中国化」を目論む中国政府との軋轢を繰り返す中で、その本質的価値を自ら血肉化していったのだと思う。
日本のように「民主主義をしっかり教えない・教えたくない」人たちが長きに渡り教育行政を担い、一部の教科書とはいえ、中学「公民」の基本的人権の項目内容が自民党の改憲草案になっているような国とは、そもそも土台が違うし、とりわけ権利意識に大きな差が出るのは当然と言えば当然か。

午後、録っておいたETV特集「少女たちが見つめた長崎」を観る。

74年前、勤労動員中に被爆した長崎高女の生徒たちの日記が次々に見つかり、そこに綴られた様々な思いに触れた現代の女子高生たち(被爆した方々の後輩にあたる長崎西高生)が、その体験を受け継ごうと生存者の聞き取りを始める“ひと夏”を追ったドキュメンタリー。

「国家のお役にたちたい」と心底願う戦中の少女の日記に、「共感できるポイントを見つけ出せない」とまっすぐな眼差しで話す現代の女子高生。「被爆者の方々がなぜ、被害者なのに罪の意識に苛まれなくてはいけないのか」と怒りを込めて疑問をぶつける、もう一人の女子高生……その心情のリアルさ、頼もしいほどの思慮深さにほだされ、(何故か泣かされ)、これからの日本も捨てたもんじゃないと思えた。

以上で、「ひたすらドキュメンタリー」な“夏の日々”終了。

 

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