まず、「なるほど」から。
昔のお客は笑うまいとし、いまのお客は、とにかく笑おうとする。(立川談志)
《昔は、寄席通の客は「落語家の芸の年輪を味わう」ような聞き方をした。反対に、ウケを狙った「底の浅い」噺(はなし)にはソッポを向いたと、落語家は言う。その点、今の客は「こらえ性がない」というか、「笑い声の陰でじっとみている」ことができない。噺家はそういう連中を笑わせてこそほんものなのにと。ウケることと優れていることは違う。若き日の『現代落語論』から。》(朝日新聞8/28朝刊「折々のことば」より)
「笑い声の陰でじっとみている」ことができない(客が多い)のは、「自分だけの価値基準や批評眼、落語及び笑いに対するこだわりと探究心を持っていない(人が多い)」からだろう。
談志の言う“いまのお客”の“いま”が何時頃を指しているのか分からないが、ここ数年、私たちが暮らす社会では、例えばNHK「なつぞら」の“一久さん”のように、思い入れが強く、自分にも人にも高いハードルを課すような人、論理的に物事を突き詰めようとする人などは「面倒くさい」と避けられ、「ノリがいい」とか「場を和ませる」とか“笑いのハードル”が低く、物事にあまりこだわらない人の方が好まれる…みたいな風潮があるように思うし、多くの客が「とにかく笑おうとする」のも、そんな社会の風潮と無関係ではないはず。
知らず知らずのうちに自らの個性を薄めて周囲に合わせるような、意識・姿勢が身についてしまう社会……それが今の日本なのかも? と、あの世に行っても気づかせてくれるあたり、やはり、談志の感覚は鋭かった。
(ちなみに現在、私が“笑おう”とせずに笑える芸人は「千鳥」「サンドイッチマン」、たまに「爆問」「ナイツ」「中川家」……と、ごくわずか。最近は「和牛」のように、「上手すぎて、笑えない」という漫才コンビもいて評価に困るけれど)
続いて、「お粗末すぎ」の方。
台風も日本のせいと言いそな韓
8/27の毎日新聞「仲畑流万能川柳」に載った一句(仲畑貴志選 “秀逸”マーク入り)が、「ネトウヨ川柳」「ヘイトだ!」「嫌韓を煽るな」など批判が殺到し、炎上→デジタル版の記事・ツイート削除に…。
う~ん、お粗末。載せた毎日も選んだ仲畑さんもダサすぎて「なんも言えねぇ」…と言う感じ。
一見、その句自体は「ヘイト!」と決めつけ糾弾するほど目立って乱暴なものとは思えないが、韓国の人の立場に立って読めば偏見・嘲りが透けて見えるのは確かで、連日メディアが不毛な韓国叩きに興じている今、その風潮に迎合するような、風刺精神に欠ける“笑えない一句”をわざわざ選び掲載した人たちの見識とセンスが問われるのは当然のこと。
かつて「世の中、バカが多くて疲れません?」とテレビを通じて世相に斬り込み、女性たちの生きづらさを社会に問いかけた人が、今の日本の“バカたち”だけが喜びそうな川柳もどきを「秀句」に選んでしまったという、その無神経ぶりとセンスの雑さ加減に驚かされると同時に、何とも言えぬ寂しさを感じる。
時の流れと言えばそれまでだが、コピーライターとして私が最も影響を受けた二人(仲畑貴志と糸井重里)が、年々つまらない人になっていくような……
「あなたの人間は、大丈夫ですか?」というキャッチコピーを、今一度、作った本人に思い出してもらいたい、と思う。
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