空高く入道雲。アスファルトに陽炎が揺れ、街路樹からジイジイと蝉の声が聞こえる。
気がつけば、とっくに夏休み。駐輪場でも子供たちの姿が目につくようになってきた。
さて先日、隣駅のシネコンでクドカン脚本・監督の『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』を観たのだが(地獄でロック!映画はメチャメチャ面白かった)、その道すがら駅ビル内の「ジュンク堂」をプラプラ……何気に覗いた児童文学コーナーで、遠い日の夏休みを思い出す懐かしい本を発見。表紙の絵を見ただけで心が躍り、ほとんど反射的に買ってしまった。(子どもの頃の夏休みと言えば、プールとアニメと少年文学が定番だった)
本のタイトルは『飛ぶ教室』(岩波少年文庫)
裏表紙に《ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなセバスティアーン。個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます》と、本の簡単な紹介があり、「小学4・5年以上」と記されている。作者の名前とその中に書かれていたある言葉以外、ストーリーも登場人物もすっかり忘れてしまったが、私が読んだのも小6~中2の頃だったと思う。
で、期せずして50余年の時を経ての再読となったわけだが、「これほど素晴らしい本だったのか!?」と、今さらながら5人の少年たち(&良き大人たち)の“知恵と勇気の物語”に心を奪われ、何度も胸を打たれっぱなしの数時間……短くも大切な夢のような出来事の中に、子どもたちの柔らかな心に寄り添う言葉と、大人たちの堅い心を溶かす言葉がぎっしり詰まった名作だった。(「少年文庫」とはいえ、子どもだけに読ませておくのはもったいない!)
作者はドイツの国民的作家エーリヒ・ケストナー(1889-1974)。ケストナーがこれを書いたのは1933年。この年のはじめ、ドイツはナチス政権の手に落ちた。
訳者の池田香代子さん(「あべしね」ツイートで有名な翻訳家)は「あとがき」でこう書いている。
《ナチスにとって、ケストナーは好ましくない作家だったので、図書館の棚からケストナーの本が引っ込められたりしました(自由にものが言えなくなる時代は、こんなふうに始まるのですね。わたしたちもおぼえておきましょう)。それでもなにくそと、ひと夏かけて書きあげられたのが、この作品です。この先どうなるのか、ケストナーは不安でいっぱいだったと思います。そんな時だったからこそ、ケストナーは腕によりをかけて、とびきりのクリスマスプレゼントを当時のドイツの子どもたちに贈りたかったのだと思います》
訳者の池田香代子さん(「あべしね」ツイートで有名な翻訳家)は「あとがき」でこう書いている。
《ナチスにとって、ケストナーは好ましくない作家だったので、図書館の棚からケストナーの本が引っ込められたりしました(自由にものが言えなくなる時代は、こんなふうに始まるのですね。わたしたちもおぼえておきましょう)。それでもなにくそと、ひと夏かけて書きあげられたのが、この作品です。この先どうなるのか、ケストナーは不安でいっぱいだったと思います。そんな時だったからこそ、ケストナーは腕によりをかけて、とびきりのクリスマスプレゼントを当時のドイツの子どもたちに贈りたかったのだと思います》
《ケストナーは、クロイツカム先生の口を借りて、「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」と言っています。戦後、ナチスに協力した人だけでなく、なにもしないで黙っていた多くの人びとにも責任があるのではないか、ということが言われました。クロイツカム先生の言葉と重なりますが、でもそれは、事が起こってしまったあとの反省です。ケストナーは、ナチスの時代が始まったとき、そういうことがもうわかっていたから、沈黙する時代にむけて、命がけの警鐘を鳴らしたわけです。ケストナーってすごいな、と思います》
昔、好きだった言葉「かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!」(賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない)も、この本の長い「まえがき」の一文だった。
その一文はこう続く。
「世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。勇気のある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう」
『飛ぶ教室』から80余年。いまの私たちは進歩の道を歩けているのだろうか。
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