2015/07/02

「素粒子」に、座布団一枚!(&「女の敵は女」)


もう7月……バイト生活も早1ヶ月が過ぎた。

仕事が暇な雨の日に20分ほど立ち話をしたツーリング好きの高校生は、それ以来、通りかかった際に、目ざとく私を見つけて頭を下げ親しげに笑みを送ってくる。
いつもド派手な服装で現れる80歳の女性は「おたく、株やる?」と怪しい笑顔で聞いてくる。
つい先日は、中川家の礼二にそっくりな顔の酒臭いお兄さんに「ここは、2時間たたないとロックがかかんないですよね。そういうタイプなんですね~……うんうん。なるほど色々あるんですね~。番号も覚えなくていいんですよね~、2時間以上置くつもりじゃなきゃね。でも、つい覚えっちゃって精算機でボタン押しちゃうんですよね。なんなんでしょうね~」と、礼二そっくりの喋り口調で話しかけられ、ひとり大ウケ忍び笑い。

絵描きで猫好きのNさん、鉄道オタクのS君(30代)、「夢も希望もない(でも、お金はあるらしい)」一人暮らしで犬好きのOさん、性格も背筋もピンと張っている紅一点のKさん等々、職場の人たちの生活&個性の一端も見えてきた。

そんな日常にも仕事にも慣れ、肉体的余裕も出てきた今日この頃……そろそろブログの更新も通常ペースに戻さないとなあ~。(映画の話もだいぶ溜まっているし)

ということで、まずはこんな話から。

627日土曜日の夕刊の一面、「素粒子」欄を読みながら、思わず「うまい!」と声が出た。(特に百田尚樹を揶揄した一文)

軍事協力を平和安全と称し兵站を後方支援と言うがごとく。
言論弾圧を文化芸術と呼ぶ自民党のダブルスピーク。

勉強会で学ぶ沖縄いじめ。
先生の「つぶさんとなあ」のギャグで生徒が笑う。
理解できる可能性は永遠に0

別の意味が隠されているのか、冗談か。
輝く女性はトイレから。掃除すれば女神様がべっぴんさんにしてくれる?

最早、文化人などと口が裂けても呼べない安倍内閣専属講師・百田尚樹の妄言「(沖縄の新聞2紙を)つぶさないといけない」に関しては、その言論弾圧的発想及び安倍応援団のトンデモ発言&おバカ体質を含めてメディアも大きく取り上げているし、批判の声も高まっているので、今さら言うこともなし。「お前(たち)は、ヤクザか、チンピラか!?」と唾棄するだけで済ませたい。

で、個人的に注目したのは最後の「輝く女性はトイレから」……
この一文は、肝心の女性たちから「そこじゃないやろ!」と嘲笑されつつ批判を浴びている、「暮らしの質」向上検討会(内閣官房に設けられた有識者会議)が5月にまとめた提言に絡めてのもの。
《人間は1日に大小便を合わせて5~7回、計1020分間トイレを使用しているが、これは一生に換算すると、15万~20万回……》と、妙な数値的根拠をあげながら(有識者が集まって、こんなことを話しているわけ?)、「トイレが快適になれば、女性は輝く」といい、「女性が暮らしやすくなる空間へと転換する『象徴』として、トイレを中心に取り上げる」と説明しているそうだ。
発案したのは有村治子・女性活躍担当相。

……まあ、かねてから安倍内閣の女性閣僚は“軍国レディーズ”と呼んだほうがいいくらい見事に右寄り(改憲、軍備増強、国民の人権制限を主張し、先の戦争や従軍慰安婦を肯定。東京裁判は否定)、「反女性」的な古い価値観(母乳強制、中絶禁止、DV擁護など)を持つ人ばかりで、とても「輝く女性」の象徴とも女性の味方とも思えなかったが、案の定そのアタマの古さと感性の鈍さは犯罪レベル。

何故かトイレに目を付けた「有村治子」についても、プロフィールや過去の言説などをネットで調べてみたが、「女性活躍担当相」なのに、関心があるのは女性の社会進出・活躍よりも“国家の強靭化”。
「子育て中の女性議員が、国防の重要性、あるいは私たちの未来の安全保障を考える、そういうことを自らの活動の原点にして発信していくことも大事だと思っています」(「めざせ、皇軍兵士の母」かよ!?)というような“かなりヤバイんじゃない、この女…”的な発言がわんさか出てきた。

で、女性問題に関心が薄い一方で、夫婦別姓や人工中絶には大反対。人工中絶に反対する団体「天使のほほえみ」(「祖国の英霊及び戦後中絶された胎児に心からの謝罪・鎮魂を」という分けのわからない主張をしているNPO法人)主催の講演会においても、ヤバイ女の面目躍如、こんなイミフな発言を行っている。
「日本はいつから、『子供ができた・できない、作った・作らない、堕す・堕さない』などの言葉を使う国になってしまったのか。その頃から、子が親を殺し、親が子を殺す世相になってしまったのではないか。これからは、『神様から、仏様から、天から、ご先祖から、子供が授かった』という言葉を使いたい」(ほとんどオカルト。「言霊が人工中絶を阻止する」と信じているようだ)

こういう発言を聞くと、この人の本音というかイメージの中にあるのは「女性の社会進出」ではなく「銃後の母」or「銃後の女性労働者」ではないか……と疑ってしまう。だから、家庭内の閉じられた空間に目をつけ、TOTOの営業マンでもないのに「快適なトイレ空間=輝く女性」などと変な等式を立て、居住空間をキレイにするのは女性の役割、「暮らしは女のもの、社会は男のもの」。という古い価値観を体よく押し付けながら女性の社会進出を「国家の強靭化」のために制限しようとしているのではないか……
「輝く女性はトイレから」には、そんな本音が隠されているように思う。

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