「今年(くとぅし)しむ月(ちち)や 戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み 沖縄(うちなー)ぬ思(うむ)い 世界(しけ)に語(かた)ら」— 嘉手納米軍基地内に土地を所有しながら、基地への土地提供を拒み日本政府との契約を拒否する「反戦地主」として長きに渡り反戦平和の大衆運動を牽引してきた有銘政夫さんが、名護市辺野古で詠んだ琉歌。その一節がタイトルになった映画『戦場ぬ止み』。
「沖縄にはもう基地は要らない」と基地建設反対の意思を示す人たちの日々をとおして、普天間基地“移設”の欺瞞性を見つめ、沖縄の決意を「日本人」とアメリカ及び世界に問うドキュメンタリーだ。(新基地反対運動で揺れる辺野古の今を映し出すのは、2年前オスプレイ訓練用ヘリパッド建設に反対する東村高江の人たちの闘いを追ったドキュメンタリー『標的の村』の監督・三上智恵さん)
この映画を観たのは6月4日(ハコは「ポレポレ東中野」)……それから3週間近く経つ今日6月23日は、沖縄戦の戦没者の霊を慰め、平和を祈る日として、沖縄県条例によって定められた「慰霊の日」。しかし、この「慰霊の日」及び戦死者20万人超、その約半数の9万4000人余りが子供を含む一般県民だった軍民入り乱れての激しい地上戦のことを知っている日本人は、どれだけいるだろうか。(恥ずかしながら私も、6月23日が「慰霊の日」であることを知ったのは、つい最近のこと)
「やっぱり沖縄は植民地なんだ」
「国はストーカー。一種の犯罪」
「待っているだけでは沖縄は解放されない」
3週間前、スクリーンから聞こえてくる言葉に打たれ、込み上げる怒りと日本人としての情けなさ、そして沖縄の人たちへの連帯の思いを胸に収めながら劇場を後にした時、改めて痛感させられたのも「本土に住む私たち日本人は、沖縄のことをほとんど知らない」ということだった。
例えば、「普天間飛行場の危険性除去」「沖縄の基地負担軽減」などという言葉の裏で、名護市辺野古の海を埋め立てて建設されようとしているのは、巨大な軍港を備え、オスプレイ100機が配備される最新の米軍基地。それはアメリカの新たな東アジア戦略基地であり、もはや普天間の代替基地などと呼ぶようなものではない。
また、民主主義を標榜しながら、補償金と補償格差で住民を分断し強権発動する政府の沖縄政策も浮かび上がってくる。
そして極めつけは、「基地NO」の民意が示された知事選の数日後、キャンプ・シュワブのゲート前で抗議の声を上げる住民を排除し、安倍政権の意のままに再開される新基地建設作業……
などなど。新基地反対運動の渦中にある人々を中心に描きつつも、基地と折り合い、生きざるを得なかった地域の人々の暮らしにも寄り添い、無知な私(たち)に辺野古の今を見せてくれる『戦場ぬ止み』。
戦いの中でも歌と踊りとユーモアを忘れない人々の明るさと優しさに沖縄の底力を感じながら、「安保法制」をめぐる不毛な議論の中で、私たちが忘れかけている“民主主義への不断の決意”を真正面から見せてくれる映画。まさに、「今を生きる日本人、必見!」のドキュメンタリーではないだろうか。
最後に、三上監督のこんな声と、映画を観ながら久しぶりに口ずさんだ労働歌「がんばろう」……
「『戦場ぬ止み』というタイトルは、沖縄は70年間戦場にされてしまったが、もうとどめを刺して終わらせるんだ、という意味です。しかし、それだけではなく、日本の戦争の息の根を止める、安倍政権の軍事国家に進んでいく道のりをやめさせる、ということでもあるのです。『14、15年に戦争する国になりかけたけれど、沖縄からの運動で踏みとどまったんだよね』って、10年後、20年後に言われるような闘いにしないといけないと思います」
がんばろう 突き上げる空に
くろがねの男の こぶしがある
もえあがる女の こぶしがある
闘いはここから 闘いは今から
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