2015/07/23

熱い心を冷ます「悪態」と「呪詛」



2、3週間前、岩手で起きた中2・いじめ自殺……週刊誌の新聞広告の小見出しを読むと“いじめの首謀者(?)”と目される少年は誰にでもすぐ「死ね」と言うのが口癖だったとか。

その少年が心にどんな闇を抱えていたかは知る由もないが、この「死ね」が「力の強い者が弱い者を威嚇し、退ける手段としての常套句」であるのは、社内イジメ、パワハラが未だになくならない大人の世界も同じ。また、「ゴミ」と同様、短く叫びやすい嫌悪発言、憎悪表現として、ヘイトスピーチ・デモなどでも頻繁に使われていたのも周知のことだ。

で、最近ネットで目にした「あべしね」……『ソフィーの世界』などの翻訳で知られるドイツ文学翻訳家の池田香代子さんが昨年4月に投稿したツイートだが、当然ながらすぐに、「『死ね!』っていうのは一番短いヘイトスピーチ。その言葉を使ったことであなたは安倍と同類」「『平然と人にしねというような人権軽視のクズに講演なんてさせるな』って主催者に抗議しないといけませんね」「池田さん、語るに落ちましたね。あなたを心から軽蔑します。最低です」などの批判コメントが殺到して炎上状態になったそうだ。(もちろん、「あべ」とは、内閣総理大臣・安倍晋三)

まあ、彼女のように著名な知識人が、対象が誰であれ「死ね」などとネット上でつぶやけば、“非難の嵐”は必然。その刺激的かつ乱暴な言葉に即反応して批判を浴びせる人々の気持ちも分からないではない。
が、時の権力者に対する「あべしね」を、イジメやヘイトスピーチ・デモの場合の「死ね」と同列に並べて、「人権軽視のクズ」「安倍と同類」などと批判するのは少し違うんじゃないの?と思う。

だって、人権を含め自らが握る強大な権力によってその存在を守られている安倍晋三には、我々国民と同じように「保証されるべき人権」などあるはずはないし、我々の人権のように、簡単に権力の意思で制限されたり、奪われたりすることなどないのだから。

そういう絶対的な権力者に対しての「死ね」は、理不尽なものに言葉で抗うしかない民衆の単なる悪態であって、怒りを込めた呪詛のようなもの。他者が目くじらを立てて騒ぐようなことではない。

その後「あべしね」は児童文学者的見地(?)でツイートから削除されたようだが(でも削除後のコメントは「くたばっちまえ、アーベ」……何とも見上げた根性!)、私的には今も、平和運動家でもある池田香代子さんが、自らの意思と立場に気合いを入れるつもりでつぶやいた正当な抗議の声として耳に響くだけ。

で、私も安倍晋三に対しては「デューク東郷(ゴルゴ13)にでも頼んで、あのイカレタ左脳を撃ち抜いてもらいたい」くらいに思っている一人。
特に最近は、法案の強行採決という暴挙を批判もせず、論理も言語も破綻している政権に関して「より一段と丁寧な説明が求められる」などと一様にとぼけた解説をしている腑抜けの放送メディアに対する憤りも加わり、「アホか!」「くそボケ!」「シネバカ!」「消えちまえ!」……と、テレビを見ながら悪態の度合いも激しくなっている。

これからますます暑さが厳しくなる中、バイト生活的に熱中症にも十分注意するつもりだが(対策は、首タオル&グリーンダカラ2本)、権力なき民衆の一人としての怒りとストレスで熱を帯びた心を冷ますのは、短く吐く悪態と時折つぶやく呪詛のような言葉のみ。狭い世界の中であれ、今後も気合いを入れて、反安倍政権の意思を示したい。

ホント シネバイイノニ アベ コウムラ……コウメイ…トウ…(また、言っちゃった)

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