2015/05/02

「ゴジラ」のビルで、映画『セッション』。



連日の夏日。今日の東京は29度……暑い!

さて、今年初の夏日となった月曜日(427日)、身体は少しダルかったが、連休で込み合う前に映画の1本も観ておこうと、新宿へ。

ゴジラの頭がランドマークになっている「TOHOシネマズ新宿」で、いま話題の映画『セッション』を観てきた。(4月17日にオープンしたばかりの映画館。夜7時には、ゴジラの目が光り、鳴き声をあげるらしい)

で、何がそれほど話題かと言うと、わずか3億円の製作費、たった19日間の撮影期間で作られた映画が、アカデミー賞5部門にノミネート、うち3部門受賞という快挙を達成……したことではなく、この映画をめぐりネット上でバトルが勃発していたらしいこと。

ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏が、公開前に自身のブログで約1万6000字を駆使して音楽的根拠を示しながら映画を酷評したのが発端。これに対して、映画評論家の町山智浩氏が大反論。映画として優れた点を挙げながら、映画批評には暗黙のルールがあり、影響力のある人物が公開前の映画を批判するのは間違っている!と、その是非を問うたわけだ。

私も映画を観た後、二人のブログを読ませてもらったが、両者とも「お説、ごもっとも」と頷ける内容。要するに「ジャズを愛する人」と「映画を愛する人」が、大事なものを守るために互いの立場で憤りの声を発していただけで、“バトル”と騒ぎ立てるほどのことはない。(町山氏は“わずか3億円&たった19日間”で作られた小さな映画を守ろうとし、菊地氏は「音楽映画」と言いながら、予算と時間のせいで(?)追求できなかった「音楽性&文化性」の欠如に腹を立てていたように思う)

この映画の監督は、弱冠28歳(撮影時)のデイミアン・チャゼル。
《高校時代にジャズドラムに傾倒した彼は、名門バンドでプレイするほどの才能を開花させるが、鬼コーチのスパルタ指導がトラウマとなり、音楽の道を断念。その後、ハーバード大学に入学し映画を先攻したものの、バンド時代の悪夢にうなされる日々が続く。そしてデイミアンは、この悪夢を克服するために、自らの経験を映画化する事を決意した》そうだ。
プレスのインタビューに応えて彼はこう言っている。「決して到達できないゴールに到達しようとする、絶え間ない苦痛。力強いサスペンススリラーのような音楽映画を作りたかったんです」

このように、若い映画作家が実体験を基に作品を作るのは正しいことだと思う。無理に観念的な背伸びをしなければ、自身のエネルギーを空回りさせることなく、疾走感と緊迫感に満ちた力作を生み出すことができるものだ。まずは、見事な“サスペンススリラー”に拍手。(特に、「え~っ!!」と声をあげそうになったラスト10分!)
だが、いくら悪意と狂気のドラムバトルが目を離せないほど面白くても、すべてにおいて音楽の魅力を感じることが難しい作品。自己顕示欲と名誉欲があるだけで、とても音楽的才能や音楽愛があるとは思えない主人公の青年に感情移入はできないし、いくら猛スピードでドラムをかき鳴らしても、心に響くことはない。菊地氏の味方をするわけではないが、音楽的興奮&感動と無縁の作品を“音楽映画”と言うには少々無理があるように思う。(だから、トラブルの元にもなる)

というわけで、「面白かったけど、そんなに誰もが絶賛するほどイイかしら?」というのが私の感想……にしても、この映画を観て「人生が変わるかもしれない」って、何なの? どんだけ生あったかい人生を歩んできたわけ?と、聞き返したくもなるが、ジャズシンガー・綾戸智恵さんのコメントが大人的に正解のような気がする。
「音楽をする私としては吐きそうな映画や でもいろんな人が見る。先生も生徒も親も。それぞれに強烈なメッセージを送れるという点ではピカイチの 映画や!」

※明日は午後3時から「森伊蔵と獺祭を呑む会」。天皇賞はキズナを応援!

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