2011/10/30

星めぐりの歌


昨夜、NHK BSプレミアムで「宮沢賢治の音楽会~3.11との協奏曲~」という番組を見た。

女優・比嘉愛未が案内役で、宮沢賢治が残した曲の数々を、大貫妙子、坂本龍一、手島葵、一青窈、藤原真里、細野晴臣、富田勲、松山ケンイチらが歌や演奏、朗読で披露するのだが、改めて賢治の世界観に触れながら、そのリズミカルな言葉の魅力を堪能した2時間だった。

なかでも、印象的だったのが藤原真里さんのチェロ演奏。(一青窈の歌も良かったが……)

あかいめだまの さそり  ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ  ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ  つゆとしもとを おとす

アンドロメダのくもは   さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに   五つのばしたところ
小熊のひたいのうへは   そらのめぐりのめあて

美しいチェロの響きに誘われる「星めぐりの歌」は、3.11への鎮魂の祈りのようにも思えた。




2011/10/27

バビロンの陽光


京王線・下高井戸駅から線路沿いを歩いて1、2分。気づかずに通り過ぎてしまいそうな普通のビルの2階に、「下高井戸シネマ」がある。生前、松田優作も度々訪れたという小さな“町の名画座”……そこで観た初めてのイラク映画は、重く心に残るロード・ムービーだった。

『バビロンの陽光』、原題は“Son of Babylon”(バビロンの息子)。

イラク北部からバグダッドを経て、空中庭園の伝説が残る古都バビロンへ。
フセイン政権崩壊から三週間後、クルド人の祖母と孫による900キロに及ぶ長い旅が始まる。

目的は、独裁政権時代に拘留された行方不明の息子・父を探すため。だが、少年は父の顔を知らない。その手から片時も離れない“縦笛”だけが親子を繋ぐ唯一の絆だ。

果てしなく続く荒涼とした大地を行く二人の姿は、荒れ果てた自然の広大さに比して、あまりにも小さく無力に見える。ふと『砂の器』の親子を重ねてみたが、辛く貧しく苦しいのは何も二人だけではない。度重なる戦争で破壊された風景の中、出会うすべての人が深い嘆きと悲しみを抱いていた。

「サダムがクソなら、アメリカはブタだ」と吐き捨てるように語るトラックの運転手。貧しくも健気に生きる路上の少年。クルド人を殺した過去を告白し、祖母に「殺人者」と詰られながらも「助けたい」と二人に寄り添う元兵士……

心に傷を負った人の優しさに触れながら続く二人の旅は、生きて息子・父と再会する希望を絶たれた時、白い布に包まれた無数の遺体が横たわる集団墓地を巡る旅に変わる。それは、常に数字でしか表されない“イラクの死者”から、一人の命の尊厳を救出しようとする魂の彷徨だろうか……独裁政権下での大量虐殺、湾岸及びイラク戦争による夥しい数の行方不明者や身元不明のままの遺体を、今もなお抱える国の現実が、観る者の胸を刺す。

そして結末に向かって、この映画の旅に同行する観客の誰もが、「二人の絆だけは、引き裂かれないでほしい」と強く願うことだろう。だがその思いは虚しくも打ち砕かれる。肉親を喪い、一人で生きていかざるを得ない多くのイラクの子供たちの苛酷な運命を世界に知らしめるように……。

車の荷台に一人残された少年が、埃混じりの涙を拭い、遠ざかるバビロンに向かって縦笛を吹くラストシーンは、まだ見ぬ平和への祈りか、悲しみと苦しみ、そして憎しみを超える明日への希望か。その残像が消えないスクリーンに、エンドロール・メッセージが流れた。

答えを探す人たちと、イラクの子供たちに捧げる。

答えを探す人……告げられた言葉の重さに、駅までの距離が遠く感じられた。



2011/10/24

漫画week② 巨人VS人類


昨日は、なかなか読み進めなかった『九月が永遠に続けば』を暇に任せて何とか読了。私にとっては『ユリゴコロ』に続く“沼田まほかる第二弾“ということで、期待が大きかったのだが……やはりデビュー作、その完成度・興奮度は『ユリゴコロ』に遠く及びませんでした。

書店では、この小説に「極上のホラーサスペンス」「エロ怖い」「R30指定」等の刺激的・煽情的なポップが付いていたけれど、ゾクゾクするような恐怖や興奮を味わうこともなく、ドロドロした人間模様だけが頭に残った感じ。ただ、皮膚感覚を刺激するような文章力は流石だなあと思う。次作に期待しよう。

さて、先週に引き続いて漫画の話……

浦沢直樹の『BILLY BAD』、そして『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『ヒストリエ』(岩明均)、『進撃の巨人』(諌山創)が、現在、続巻が出るたびに自ら購入したり、愚息及びその彼女に借りたりしながら楽しんでいる“愛読コミック”だが、その中で特に展開が気になっているのが『進撃の巨人』。

作品のプロフィールによると、「このマンガがすごい!」の2011版オトコ編1位に選ばれた漫画で、若干24歳の作者・諌山創の処女作ということ。その若さ故か、絵はかなり粗くて拙いが、それを補って余りあるストーリーの斬新さに驚かされる。

で、その内容だが……
舞台は中世のヨーロッパと思しき世界。人間を“捕食”する巨人の侵攻から逃れ、三重に築いた巨大な壁の中でかりそめの平和を保ってきた人類の前に、100年の空腹から解き放たれた巨人たちが突然出現。再び存亡の危機に瀕した人類は、“喰われる恐怖”に脅えつつも自由と平和を取り戻すために、圧倒的な力を誇示する巨人との“絶望的な闘い”を開始する……というかなりダークなお話。

ついでに言うと、その“絶望感”が「先の見えない世相を反映している」と様々なメディアにプッシュされ、既に実写での映画化も決定したようだ。監督は『下妻物語』『嫌われ松子の一生』等でメガホンを取った鬼才・中島哲也。
映像美・独創性・演出力、すべてに高い才能を感じさせる監督だけに、私の期待度はMAX……劇場公開は2013年になるそうだが、原作同様“これは絶対に見逃せない!”と、今からテンションが上がっています。



2011/10/18

オシムの言葉


今日の朝刊(朝日新聞)のスポーツ欄に、「オシム氏に聞く」と題したインタビュー記事が載っていた。オシム氏とは、もちろん元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムのこと。いま彼は母国ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟の正常化委員長として、サッカー界の不正に立ち向かっているらしい。

紙面から伝わるサッカーへの深い愛、そして民族間の融和を希求する姿勢は不変のもの。憎悪を生まない教育の必要性、暴力と政治権力への嫌悪、サッカーがもたらす希望……情熱を込めて語る“オシムの言葉”が気持ちよく胸に響く。朝からこういう記事を目にするのは嬉しい。

以下、私が好きな“オシムの言葉”をいくつか……

「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 準備が足らないのです」(怪我をした選手についてのコメント)

「誰かを“不要だ”などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ。その時、自分はどう感じるか、考えてみるがいい」

「他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう」

「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している……新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから」

「アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない」

「作り上げることは難しい。でも、作り上げることのほうがいい人生だと思いませんか?」

「夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう」

「練習でできなかったことがゲームで出来るようになるはずがない。人生も同じ。日々の生活でのことが重要な時に必ず出てしまうもの」

「私の心のどこかでまだ、友愛と共存を信じていたかった。サッカーとサラエボの両方への思いの中で気持ちは揺れていましたが、他にもう手の打ちようがないと思った時に身を引くことを決意しました。戦争の始まる数週間前に、サラエボでの代表の最後の親善試合を行いました。あの時は満員のスタジアムでサポーターから近年にないものすごく熱い応援をもらった。今までにない平和なムードに驚くほどでした。今、思えば、それは多民族が平和に共存する国家への最後のラブコールだったのではないかと思います。平和を求めるあの時の人々の柔和な表情を私は忘れることができない」(1992年、オシムは、ユーゴスラビア分裂とユーゴ軍による故郷サラエボへの侵攻に対する抗議の意味を込めユーゴスラビア代表監督を辞任した)

「サッカーとは私の人生だ。人生からは逃げられない」


書いているだけで、グッと胸に迫るものがあるが……イビチャ・オシムとはこういう人です。



2011/10/17

漫画week① 歴史の闇を舞う「コウモリ」


「特定健診」で市内の病院に度々行ったり、中日ファンの友人に誘われて東京ドームの「巨人VS中日」を観戦したり、野暮用で新宿に出かけたり、何かと忙しかった先週だが、基本的には“漫画week”。単行本が出るたびに買い揃えていたヤツを、暇な時間に再度“まとめ読み”していた。

まず、浦沢直樹の『BILLY BAD(17)
ここ10数年の間に『MONSTER』、『20世紀少年』、『PLUTO(プルートウ)』と、次々にヒット作・話題作を生み出してきた浦沢だが、本作も期待に違わぬ“謎が謎を呼ぶ(というか、謎を謎のまま読者に委ねる)”近年の浦沢ワールド全開の面白さ。自分が描いたアメコミ・キャラクター“ビリーバッド”によって、歴史的事件に巻き込まれていく日系2世の漫画家“ケヴィン・ヤマガタ”の運命や如何に?……というサスペンス仕立ての展開で一時も飽きさせない。

1巻の「下山事件」から始まり、「ケネディ暗殺」の真相が明かされる7巻まで読んだが、その間、様々な歴史上の人物が登場する(キリストとユダ、伊賀忍者、フランシスコ・ザビエル、明智光秀、オズワルド等々)。また、9.11を予見するような場面もあり、誰が、何が、どう繋がっていくのか全く予想がつかない。ただ、常に歴史の闇の中から忽然と現れる“コウモリ=ビリーバッド”が、人間及び世界の運命の象徴ではないかという“憶測”はできる。
今後、この“コウモリ”が、どのような警告を人類の歴史と未来に投げかけていくのか? そして、3巻でザビエルがヤジロウに託した巻物には何が記されているのか?……あ~、とりあえず8巻が待ち遠しい。

というわけで、『20世紀少年』の大ブームが去り(実写の映画は酷かった!)、俄かファンを中心に“浦沢漫画はもう飽きた”という声も聞こえてくるが、20数年来のファンである私は、今も十分に彼の作品を楽しんでいる。








2011/10/08

「カーネーション」と、ザックJAPAN


毎朝早く出かけられる方には、あまり関係のない話ですが……
103日スタートの連続テレビ小説『カーネーション』が上々の滑り出し。

前作『おひさま』は、「3.11」のショックの大きさ故か()、途中から脚本のクオリティが一気に落ちた感じでしたが、これは期待できるのでは?!

ドラマのモデルは、コシノ3姉妹の母・小篠綾子さん。注目の女優・尾野真千子がヒロインを演じています。(子供時代を演じた女の子もとても良かった)

そして、ドラマ以上に惹かれたのが、椎名林檎の主題歌「カーネーション」。
NHKの朝ドラに「椎名林檎」?と思ったけど、合うんだなあ、コレが!

以上、比較的に余裕で朝を過ごせる方へ「カーネーション」の簡単な紹介。


さて続いて、昨夜のサッカー「日本VSベトナム」……
今後のW杯予選を見据えたザックの狙いは明確。前半は、ほぼレギュラーメンバーで343のシステムを試すこと。後半は、通常の4バックに戻して、サブメンバーの力を確かめること。

で、格下相手に本来の実力を見せられず「10」。“有意義なテストができた”とは、とても言えないお寒い内容でした。

まず前半は、システムに慣れないせいもあると思うが、中盤で“タメ”を作れる遠藤の欠場も響いて連動性&バランスを欠き、中央での守備が混乱。数的不利な状況に陥ることが度々あった。後半は、パスミスが多く攻撃も緩慢で、かなり雑な試合運びになったなあ、という印象。原口のドリブルと中村憲剛のスルーパスが目立った程度で、新戦力の台頭も?

まあ、それでも明確なプランを持って、テストマッチを最大限に活用しようとするザッケローニ監督の姿勢は評価できるし、新システムの習熟度を含めチームもまだまだ伸び代があるはず。そういう意味で、昨夜の試合もポジティブに捉えたい。

ただ、心配もある。攻撃の中心である香川の調子が一向に上がらないこと。疲れているのか、迷いがあるのか、判断のスピードが遅く、得意のドリブル突破も簡単に止められていた。11日のタジキスタン戦で復調のきっかけを掴んでほしいのだが……

2011/10/06

スバル座、そののち、酒座。


昨夜は、上野でPOG仲間と久しぶりの酒宴……「シンボリルドルフ死んじゃったね~」「えっ“タコ”って名前の馬がいるの?」などと、馬の話題で飲む酒も、なかなか楽しい。肴も文句なし。“のどぐろ塩焼き”“あさりと長ネギの柳川”等々、実に美味かった。

で、その飲み会はやや遅めの20時スタート。端から「有楽町スバル座」で時間合わせの“一映画”と決めていた。
このスバル座……今どき“座”も珍しいが、昭和21年にオープンした歴史ある映画館で、何ともクール、ほどよいレトロ感が心地よい。
座席も余裕の大きさ、緩やかなスロープがついているので、前の人の頭が視界を遮ることもない。その上、傘たてやバック用のフックもある。映画開始を告げるアナウンスも昔っぽくて実にいい。こういう所で上映される映画は幸せだなあ……と思いつつ、スクリーンに見入った。

『僕たちは世界を変えることができない』……“何か物足りない日常”を変えるため「カンボジアに学校をつくろう」と、仲間&資金集めに動き出す医大生たちの物語である。

と聞けば“世間知らずのボンボンが退屈しのぎでボランティアかよ!”と、突っ込みたくなる人もいるだろうが、無知でも無謀でも、何かを始めないと見えないこともある。豊かな国で生きる自分を自覚し「情けは人の為ならず」ということに気づく“きっかけ”になればいいじゃない。と、一見適当で頼りない若者たちを多少なりとも援護したい気分にさせる“青春ムービー”だ。若い世代の共感を集めているようだし、馬鹿にできるような話ではない。

でも、映画としてはどうだろう。大きなテーマなのに掘り下げが浅いし、伝えたいメッセージも描ききれていない。主人公の演技にも違和感を覚える(かっこ悪い「向井理」でもいいのだが、“それは違うよ!”と思いっきり引いてしまうシーンがある)。また、ブルーハーツの『青空』を実質上のテーマ・ソングのように扱いながら、エンドロールで何故それを流さないのか?!という演出センスに関わる疑問も残る……というわけで、個人的には少し残念な一本。若い人の心を動かす“等身大のパワー”は認めても、私のようなオジサンの心をも揺り動かす“作品力”は感じられなかった。

2011/10/03

向田邦子の陽射し


朝から頭がボンヤリしている。月曜だと言うのに……

原因は「太田光」にある。あの爆笑問題の太田だ。

まったく見事な本を出しやがって、人騒がせな奴である。

『向田邦子の陽射し』……

没後30年、時をあわせて出版されたこの本には “最強の向田論、最高の入門書”という惹句がついている。

でも、私は向田邦子という脚本家のドラマをほとんど観た記憶がない。
もちろん存在は知っていたが、彼女の小説やエッセイとも無縁だった。
仕事ができて、料理が上手くて、凛として鋭く、独身で、美人……目と耳に入るプロフィールのせいで、容易に近づく気になれなかったのだと思う。

そんな私が“向田論”を読む理由などサラサラないのだが、帯に書かれていた言葉に惹かれ、つい立ち読みしてハマった。

「日本は向田邦子のように生きてきた」

太田光が惚れ込んでいる向田邦子……どんな人だったのか、どんな作品なのか、遅ればせながら知りたいと思った。

で、その挙句の寝不足だ。

太田光は稀有な芸人でありながら、文芸批評の世界に突然現れた異端の達人に違いない。この本が、向田邦子に捧げた珠玉のラブレターでありながら、私たちの足元を照らす優れた日本論・日本人論でもあるように。

後書きで太田はこう語っている。
《日本は、向田邦子のように生きてきた。昔の日本だけじゃない。今の日本を見ても私はそう思う。だから私は向田邦子が好きなのだ。この人を忘れられるわけがない。そして向田邦子が素晴らしいのは、この国と似ていて、太陽とも似ているからだ。これほど誇らしいことがあるだろうか。だから私は、向田邦子を読むと自信が持てて、楽しくなって、何だかんだ言いながら生きていることを続けていこうと思えるのだ》

何という賛辞だろう。心が薫る言葉だろう。

久しぶりに人に頭を下げたくなった。