2017/10/31

10月の映画メモ




●『ユリゴコロ』(監督:熊澤尚人)
101日、西武池袋線・豊島園駅近くの「ユナイテッドシネマとしまえん」で鑑賞。

吉高由里子、松山ケンイチ、松阪桃李などキャスティングも良く、中々見応えのある完成度の高い映画だったが、原作に比して満足度・感動度はイマイチ。
尺の問題だと思うが、登場人物を一部カットしていて、人間関係の相関が簡略化されるなど、ストーリー的にかなりはしょった所があるせいで、大事なクライマックスが原作とはまったく別物。心に温かい血が流れ出すような深い余韻を味わうことなく、エンドロールが流れた。

で、映画館を出たら、豊島園駅前がすごい人だかり……何かと思ったら「駅前対話」と称して自民党の小泉進次郎が遊説に来ていたようだ。
ツレは「どこ?どこ?」とアイドルを探すように食いついていたが、私は自民党シンパでもイケメン好きでもないので特に興味なし。寧ろヤジを飛ばしてトラブルになる危険性もあり、後に「責任VS 無責任の戦い」とニュースで流れた彼の演説を聴くことなく帰路に就いた。(しかし、凄まじいほどの進次郎人気。今回の衆院選でも、安倍政権の救世主的存在だった)

●『動くな、死ね、甦れ!』(監督ヴィターリー・カネフスキー/1989年製作・ソビエト連邦)
1990年のカンヌ映画祭でカメラ・ドールを受賞した異色の青春映画(HDリマスター版)。
10月某日、渋谷「ユーロスペース」で鑑賞。

まず、邦題が凄い。英語タイトル「DON'T MOVE, DIE AND RISE AGAIN!」の直訳だが、「革命的なギャング映画か?!」と見まがうほどのインパクト。
だからというわけではないが、監督カネフスキーの自伝作と言われる映画の印象も鮮烈だった。

舞台は、第二次大戦直後の強制収容所のあったロシア極東の小さな炭鉱町「スーチャン」(1935年、カネフスキーはここで生まれ、育った)。「少年は極東の町スーチャンから来た」「みんな準備はいいか?始めよう(よーい、スタート!)」という監督カネフスキーの声で、観ている者は、いきなりその空間に放り込まれる。

暗い穴倉に潜りひたすら炭鉱を掘り続ける大人たち。労働地区では受刑者や捕虜として抑留された日本兵たちが強制労働に就いていて、時折、彼らが歌う日本の歌(「南国土佐を後にして」「五木の子守唄」「炭坑節」)が流れる……抜け出たい思いを抱えながらも、抜け出す術のない者たちの絶望と無力感が漂う中、降り積もる雪のように深い寂寥感がスーチャンの町を覆う。
そんな環境下、自分を疎ましく思う大人たちに抵抗し、存在を示そうと声を張り上げる12歳の悪戯好きな少年ワレルカと彼を見守るようについて行く少女ガリーヤの物語……

結末は予感通り悲劇的。しかし、二人の苛酷な運命には感動も涙も無縁。カネフスキーの映像は薄味の感傷を拒否するように迸る狂気を走らせ、「よし、ここでいいだろう」と自ら声を上げ自伝の幕を閉じる。

そのぶっきらぼうさに唖然としながらも、なぜか心が震え、すぐに席を立つことができなかった。

●『あしたは最高のはじまり』(監督:ユーゴ・ジェラン/2016年製作・イギリス、フランス合作)
1027日、高校時代からの親友たちとの飲み会の前に「角川シネマ新宿」で鑑賞。

「最強のふたり」の好演が未だに心に残る俳優オマール・シーが主演を務めたフランス製ヒューマンコメディ。フランスで8週連続トップ10入りを果たし大ヒットした作品……だが、あまりに脚本が雑すぎて(人物描写も雑)、最初から最後まで馴染めず腑に落ちず一向に楽しめない。必然、コメディなのに笑えず、ヒューマンなのにジーンと胸にもこない。
期待していたオマール・シーの演技も毎度同じでステロタイプ化しており、まったく面白味なし。唯一の救いは子役の演技が自然で良かったこと。
当然、酒席の話題にする気も起きなかった。

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