2017/04/24

イランに「パナヒ」あり。




ポカポカ陽気が続く週明け。まずは、先週火曜(18日)、新宿武蔵野館で観たイラン映画の話……

監督は、政府への反体制的な活動を理由に2010年より“20年間の映画監督禁止令”受けながら、自宅で撮影した映像をUSBファイルに収め、菓子箱に隠して国外へ持ち出し、カンヌ映画祭に応募するなど、大胆かつユニークな方法で作品を発表し続けている「ジャファル・パナヒ」(なんと、名匠アッバス・キアロスタミの愛弟子)。

『人生タクシー』(原題:Taxi2015年製作)は、そのパナヒ自身がタクシー運転手に扮して、厳しい情報統制下にあるテヘランの街に暮らす人たち(乗客たち)の人生模様を描き出し、2015年ベルリン国際映画祭で審査員長のダーレン・アレノフスキー(『ブラック・スワン』等の映画監督)から、「この作品は映画へのラブレターだ」と称賛され、金熊賞及び国際映画批評家連盟賞をダブル受賞した作品だ。(車内に固定された数台の小型カメラ及びスマートフォンの動画&デジカメの映像のみで作られているそうだが、そんな制約を感じさせない編集力&ライブ感)

(パナヒの運転する)「タクシー」に乗り込んでくるのは、死刑制度について議論を始める相乗りの男女(路上強盗VS女教師)、海賊版レンタル業を営む小柄な男、何故か金魚鉢を手に道を急ぐ二人の老婆、学校で発表する映画の題材を求めて写真を撮りまくる“おしゃべりな小学生”の姪などなど……揃いもそろって個性的というか、濃い目のキャラクターばかり。(はじめは「ドキュメンタリーか?」と思ったが、この“濃さ”でさすがにソレはない。やはり「乗客」は全員監督の知り合いの俳優で、おしゃべりな小学生は実の姪っ子ハナちゃんとのこと)

で、ドキュメンタリーとフィクションの境界線上にある映像を観る新鮮な感覚を味わいながら、その乗客たちが巻き起こすコミカルなドタバタ劇に、思わずハハハと笑いが漏れる数十分(乗客の話に律儀に付き合うパナヒの表情・言葉も魅力的)。そして、ユーモラスなやりとりの中で、ごく自然に語られていく「自由なき巨大な独房」の核心。

終盤、ダッシュボードに置かれた一輪の赤いバラ(道すがら、偶然?出会った友人の女性弁護士がくれたもの)に目を奪われ、きっと心地よい余韻に包まれる希望に満ちた美しいラストが待ち構えているのだろう……と予測したのも束の間、無力な日本人の浅はかな期待は見事に裏切られてしまった。

というわけで、最後はテヘランの街に置き去りにされたような気分で大きく息を吐いて席を立ったが、素晴らしい映像と敬愛しうる「人間」に同時に出会えた“嬉しさの余韻”の方が、強く長く心に残る珠玉の一本。(「映画を愛する人、ものづくりに関わる人、そして壁に立ち向かうすべての人々に贈る、奇跡の人生讃歌!」という宣伝コピーに偽りなし)

今日の〆に、そのセンス・風貌こみで、すっかりファンになってしまった「ジャファル・パナヒ」の創作活動に敬意を表しつつ、プログラムに載っていた彼のメッセージを紹介したい。

私は映画作家だ。
映画を作る以外の事は
何も出来ない。
映画こそが私の表現であり、
人生の意味だ。
何者も私が映画を作るのを、
止める事は出来ない。
何故なら最悪の窮地に
追いやられる時、
私は内なる自己へと沈潜し、
そのプライベートな空間で、
創作する事の必然性はほとんど
衝動にまで高められるからだ――
あらゆる制約を物ともせず。
芸術としての映画は
私の第一の任務だ。
だから私はどんな状況でも
映画を作り続け、
そうする事で敬意を表明し、
生きている実感を得るのだ。      Jahar Panahi

クゥ~、沁みる!!

※映画の後は、旧知の友人のN君と新宿「鼎」でサシ飲み(N君は日本の労使関係研究の第一人者)。お互いの近況から始まり、現在の政治状況や「天皇の人権宣言」、フランス大統領選、電通・過労自殺問題、日中関係など、温和で博識な彼の「講義」に、私が質問・意見を加えつつ楽しく飲んだ3時間半……特に彼が「園遊会」に招かれた際のエピソードは面白かった。

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