●『騎士団長殺し』(著者:村上春樹/新潮社)
「優れたホラー」だとか「大人のファンタジー小説」だとか「<喪失―探索―発見―再喪失>という、従来の物語パターンを更新する、この作家にとっての新境地を切り開く作品」だとか、様々な評が飛び交っている村上春樹の新作『騎士団長殺し』……
私的には、物語の核となる「イデア」と「メタファー」の世界に入り込む前に、よく分からないクルマのうんちくやオペラ&クラシック音楽の造詣及び「こんなカップル、いるの?」的な興醒めの寝物語&露骨な性描写など、作者特有のセンスと少し煩わしいサービス精神に、その都度、思考力・想像力がブレーキをかけられる感じで、最後まであまり没頭できなかったなあ……という印象。(自分の根気が薄れたせいもあると思うが)
で、読後ぼんやり思ったのは「ティム・バートンが映画にしてくれたら、普通に面白くなるのかも……(もちろん、ハードな絡みは抜きで)」ということ。
まあ、そんな適当なことを言っている時点で、村上春樹の良い読者ではないのかもしれないが、かなり凝った舞台設定&ユニークな人物キャラクターを作り上げ、様々なモチーフを散りばめた割には『1Q84』のようなスケールの大きさや奥深さが感じられず、残ったのは「何も解決されないまま終わってしまった」物足りなさと脱力感。誰かが言うように、「大人のファンタジー小説」(もしくは軽めの哲学風ミステリー?)という以上の感想は持てなかった。(もちろん、1000頁を超える長編を破綻なく書き切る筆力は流石と思うが)
加えて、主人公に大きな影響を及ぼす、絵画「騎士団長殺し」を描いた洋画家「雨田具彦」(後に日本画へ転向)に象徴されるように、改めて欧米文学と日本文学の接点に立ち位置を定めようとする作者の意志は何とか理解できても、私たちの目に映る世界があまりに無残で混沌とした様相を呈している今、また、持ち味の「ファッショナブルなセンス」が、とても「ファッショナブル」とも思えなくなった今、その作品は今後も世界と日本の人々の感性に、強くコミットできていくのだろうか? 「自分の心の闇との対峙」を繰り返すだけで、世界が向き合う問題に対する言葉を持たない・及ばない、ただの観念小説に終わるのではないのだろうか?という疑念も湧いた。さて、次はどんな「村上春樹」が読めるやら。
●『犬を飼う』(著者:谷口ジロー/小学館文庫)
一週間ほど前、池袋に出たついでに寄った西武の三省堂で、ふいに目に留まった文庫本。「帰りの電車で読むのに丁度いい」と思ったのだが、あにはからんや、練馬を過ぎたあたりで胸アツ制御不能に陥り、鼻をかんだり、目頭を拭ったり……という感涙モノの一冊。ガラガラの電車で幸いだった。
というわけで、「犬を飼う」というより「(飼っていた)犬が死ぬ」物語……作者は今年2月に亡くなった漫画家・谷口ジロー。
作者自身の体験をもとに、子どものない夫婦と、長年一緒に暮らしてきた愛犬(タムタム)との心の交流を、14歳の愛犬が死ぬ数日間を中心に描き上げられたもの。敬愛する谷口ジローさんがより身近に感じられる短編集だった。続編「そして…猫を飼う」も入っているので、犬を飼う人のみならず猫を飼う人も必読!
ちなみに『犬を飼う』は、1991年6月に「ビッグコミック」に掲載され、翌1992年に第37回小学館漫画賞審査員特別賞を受賞。その後、続編「そして…猫を飼う」「庭のながめ」「三人の日々」、そしてアンナプルナ登頂の夢を追う男の物語「約束の地」と一緒に単行本としてまとめられ、2011年に文庫化されたそうだ……我が家が猫を飼うことになったのは2013年、発行と同時に読んでいたら「涙腺決壊」は多分なかったと思う。
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