2015/05/30

遠方の友から、「歌」便り。



福岡から上京中の友人と新宿「鼎」で酒を酌み交わしたのは、丁度2週間の前の土曜日(16日)。

彼は、遠い昔、同人誌を共に立ち上げた仲間の一人で、男同士の“遠距離交際”はかれこれ40年にも及んでいる。(同人誌の発行は、彼の帰郷により僅か3号で途絶えた)

で、「やあ、久しぶり。元気?!」とジョッキを合わせ、お互いの近況をざっくり話した後は、政治、文学、映画……などなど、昔と変わらぬ話題でお互いの政治的指向&文化的嗜好の「不変」を確かめ合うのが再会時の常。この間もその流れで、こんな会話につながった。

「短歌…最近は書いてるの?」
「ああ……故・前田透さんの『詩歌』を通じて昔から親交のある歌人・角宮悦子さんが主宰する『はな』という短歌会に誘われて、そこで発表しているよ。今年に入ってからは、健さんと文太の追悼歌、それから例の「川崎事件」で殺された十三歳の少年、上村遼太君のことを歌ったものとか」
「えっ、そうなの?!だったらオレにも送ってくれよ。いくつか選んでブログに載せるからさあ~……もちろん、選歌権はオレにあるけど(ニヤッ)」
「ああ、分かった、分かった(苦笑)。帰ったら送るから……」

というわけで、今週の火曜、彼から「歌」便りが届いた。

歌は全部で60首。彼の昔の歌のように、センチメンタルでありながら鋭く自分を突き放す情念の激しさ、切なさは影を潜めた気はするが、昔と変わらぬ律義さと気骨、そして守るべきものを守り、愛すべきものを愛すという、まっすぐな優しさと怒りが秘められた31文字の詩だった。
以下、その中から独断で選ばせてもらった15首を紹介。

 

幼き日単身赴任の父のもと日田彦山線で会いに行きしと

スクリーンの無口な健さん納得し肩で風切る思いになれず

鹿児島の知覧の歴史思うたび特攻兵には無念ばかりか

極道を演じ続けし俳優に文化勲章ふさわしかりや

スクリーンで義理と人情に哭きながら声に出さない背中のあらば

(「高倉健追悼・全16首」より。「はな」2月号掲載)

 

隠岐諸島夜釣りは駄目と言われたら夜明けの釣りは少年の知恵

子の世界楽しくあれと思いつつその日に追われ親は気づかず

如月の嘆きの河原吹きすさび君への弔意届ける人ら

死を前に多摩川泳ぎ紺碧の島の海辺を思えば昏し

川崎の夜景の近き河口にて死者へ捧げる祈りの河原

(「遼大・全22首」より。「はな」4月号掲載)

 

文才でいのうえひさし抜けねどもモデル俳優土に生きたり

任侠より極道らしくふるまえり文太の反骨役になりすぎ

あくまでも命支える農のため土から換える小さな思い

男には言わずにおれぬ時もあり終わりが近く思えるときに

辺野古にも足を運びて仁と義を唱える姿余命を知りて


                   (「菅原文太追悼・全22首」より。「はな」6月号掲載予定)

2015/05/27

「コピーライター やめました」



という糸井重里さんのインタビュー記事が、25日の朝刊に載っていた。

そのコメントの理由は、「自分が薦めたい商品ならいい。でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない」「よいキャッチコピーを作るのと売れる商品を作るのは別で、よくない商品をキャッチコピーで売るようなことはしたくない」というもの。

私のように長年マジメに(?)コピーライターをやってきた人間なら、誰もが思っているようなことで、何を今さら……という気はするが、言い分自体は同感で何の文句もない。(もちろん、糸井さんの現状に関しても)

それに加え、彼がバリバリ書いていた頃とは広告制作の状況も大きく異なる。当時は「広告は商品を輝かせるための裏方ではあるが、同時にアートである」という観点で、制作に関わる者はそれぞれの立場で真剣に取り組んでいたし、広告自体も販売する商品と同等の価値を持つものとして大切にされていたはず。それゆえクリエイティブ界のスターも次々に生まれ、競うように刺激的で面白い広告が数多く作られたわけだが、糸井さんのような一人のスターが引っ張るのではなく、マーケティング主導の「集団作業」によるスピーディで廉価な広告作りが普通になっている現在の広告業界において、お金も時間もかかる(もちろん、体力・精神力も)「アート性の追求」など無用の長物。必然、クリエイティブ畑の連中に元気がなくなり業界も衰退……テレビCM以外、制作物自体が話題になることもほとんどなくなり、客観的かつ実感的に、コピーライターという肩書きの影響力も失われてしまった。当然そのあたりも「コピーライターやめました」の一因になっているように思う。

だから尚更、糸井さんほどの大スターなら、人気コピーライターとして引く手あまたの時(と言うか広告業界が疲弊する前)に堂々と言い放って欲しかった。
虚業から独自の実業を創り上げて成功を収めた人間に、こんな厳しい時に大っぴらにそんなことを言われてもね~……というのが、大方の現役コピーライターの偽らざる気持ちではないだろうか。

で、わたしですが……「よくない商品をコピーで売るようなことはしたくない」けど、たとえ仕事が無くてもアタマが働く限り「コピーライターやめません」。

 

 

只今、研修中。



1ヶ月余りに渡ったバイト探しも、新聞の折込求人広告で見つけた「駐輪場の巡回・整理」の仕事が決まり、ようやく終了。昨日から、職場での業務研修が始まった。(先日、会員となった「シルバー人材センター」からも「放置自転車の整理誘導の仕事はいかがですか?」という問合せがあったが、既にバイトを決めた後だったので辞退……「人材センター」と言っても、別にキャリアを活かせるような仕事があるわけじゃなく、ハローワークや折込広告同様、屋内外の清掃・施設管理・駐輪場など、会員に提供されるのは臨時的・短期的で軽易な仕事に限られる)

働く場所は、西武新宿線某駅の駅前大型スーパーの大駐輪場及び駅北口駐輪場(巡回エリアはAFブロックに分かれ、かなり広い)。私を含め「整理員」は6名(60代中心)、1日早番(11時~16時)・遅番(12時半~17時半)の2名体制でローテーションを組み、1人月10日の勤務となる。(多少、本業に未練を持つ身としては肉体的にも精神的にも丁度いい感じ。でも当然、観る映画の本数は激減するはず)

職場の方の話によると、1日5時間とはいえ1万歩以上歩くのでかなり足が疲れるとのこと(スニーカーを買わなきゃ!)。おまけに不正駐輪の対応などで、ストレスも溜まるらしい。
そのせいか、月1回「飲み会」があるとか……私も早速「お酒は飲まれますか?」と聞かれ、「あっ、ハイ!」と即答。

というわけで、年寄りじみた感覚もないまま、なんだか普通に地域の高齢者の仲間入り。

今週の土曜(30日)には「シルバー人材センター」のボランティア活動(半強制的)ということで、「ごみゼロ運動」にも参加することになった。(早朝30分ほど、100均で買ったごみ拾いトングを手に、自宅から集合場所まで、歩きながら路上ゴミの回収を行う手はず)

にしても、5月なのに連日の夏日……ビールはウマいが、仕事はキツイ(はず)。

2015/05/15

月はおぼろ 花麗し ♪




春は霞か 桜は紅枝垂(べにしだれ)

……朝から頭の中を、サザンの歌が流れていた。

簾越し 鴨川(かわ)は流れ
祗園囃子に浮かれて蝉時雨


溜め息に訳など無いわ
未練など 嗚呼
悲しみを置き去りにして
慰めの言葉で殺(あや)めてくれ

「安保法案閣議決定」絡みのニュースで、見たくもない安倍晋三の聞きたくもない声を聞いてしまったせいだろうか……曲名も含めて、やけに胸に沁みる。

 ヤな事だらけの世の中で
ひとり生きるのは辛いけど
この町はずれの夕焼けが
濡れた頬を朱で真っ赤に染める

年越しライブでの“紫綬褒章ジョーク”の件で、辛い思いをしたであろう桑田佳祐が、太田光いわく「グッと言葉を呑みこんで」世に返した名曲『イヤな事だらけの世の中で』……少し口ずさむだけで涙が出そうになる。(やっぱ桑田クンは凄いや!)

午後2時過ぎ、O君から携帯に訃報あり。
昔、臨時雇用先の会社で共に労働組合を結成して戦った仲間の一人が亡くなった。その時の同志でもあった旦那様の腕の中で静かに息を引き取ったとのこと。もう、40年以上も会っていないが「喧嘩するほど仲がいい」を地で行く激しい恋愛の末に結ばれた二人だった。合掌。

真夏のように暑い一日だったが、夜になって涼しい風が吹いてきた……


明日は、福岡から上京中の友人と、新宿『鼎』でサシ飲み。

 

 

2015/05/11

「驚愕の確変」――昨日の本田は凄かった。



9日のローマ戦で2アシスト、2-1の勝利に貢献。

本田が活躍した朝は、気分がイイ。早速、「サンデーモーニング」が始まる前に20分ほど、You Tubeでタッチ集を見させてもらった。

開始13分でアントネッリのパスに抜け出して放ったシュートは惜しくもGKに防がれたが、こんなシーンを目にするのは本当に久しぶりのこと。アジアカップ後、低迷するチームに合わせるように、試合に出てもサポートに追われるだけの消極的なプレーが目についた本田だったが、まるで別人のような積極性で、縦へ、縦へと攻撃を牽引する背番号10の姿に、「ヨシッ!これが、本田!」とパソコンの前で小さくガッツポーズ。

「球際の強さと縦への意識」を強く求める日本代表ハリルホジッチ監督の影響だろうか、無駄な横パスもほとんどなく、幾度もボールに絡み、攻撃のギアを上げながら右サイドを駆け抜け、迷うことなくゴールへ向かっていたように見えた。常々「足が遅い(&攻撃が遅い)」と言われている本田だが、タッチ集を見る限り明らかに足が速くなっているようにも思う。(「常に進化し続ける男」の面目躍如といったところか、攻撃につなげる判断のスピードも更に増している気がする)

イタリアメディアも今までの酷評から一変して絶賛の嵐……

 「トンネルを抜けるとともに、既存の枠をも超えた。ミランのプレーおける驚愕の確率変動で、ローマを驚かせ右足で2アシストを供給。味方のパスに対して自らを差し出し、常に決意を持ってカウンターに挑んでいた」(『ガゼッタ・デロ・スポルト』)

「シーズン最初のように、極上にしてまた芳醇だった。この日本人は素晴らしいボディーコーディネーションからボレーシュートを放ったが(前半13分)、デ・サンクティスの素晴らしいセーブで弾かれた。そして1-0となるファン・ヒンケルのゴール、2-0となるデストロのゴールは彼のアシストによるもの」(『コリエレ・デッロ・スポルト』)

ミランは意地を見せたが、彼はその魂である。まずは自らゴールを狙い(左足のボレーは危険なものだった)、そしてスピードを発揮して味方に貢献する。2ゴールは彼のアシストによるもので、そして他にもたくさんのいいプレイがあった」(『コリエレ・デッラ・セーラ』)

5月の暑い夜にあって、春の日本の桜のように咲き誇った。花見の季節からは幾分遅れてしまったが、機能をする様を目で楽しむのは素晴らしい。2アシストを記録したが、それだけではなかった。調子を持続させ、フィジカルパワーを発揮して挑んでいた」(民放TV局『メディアセット』電子版)

……などなど。

しかし、「驚愕の確立変動」「極上にして芳醇」「ミランの魂」「春の日本の桜のように」とは、手のひら返し過ぎるんじゃないの?と、いつもながらイタリアメディアの過剰な表現には苦笑するしかないが、贔屓の選手が称賛されるのはファンとして当然ながら悪い気はしない。

そしてダメ押しは、監督インザーギのこんな言葉……「本田はみんなの模範になる。彼の持っている文化が素晴らしい。練習で、彼はいつもやる気に満ちていている。日々向上したいと励んでいる。こういう選手、こういうクオリティーから(我々ACミランは)スタートしなければいけない」

残り3試合も、素晴らしいパフォーマンスを期待したい。できればゴールも!

で、試合後、本田はCSKAモスクワ時代の盟友ドゥンビア(ASローマ/コートジボアール代表)とユニフォーム交換。ドゥンビアもCSKAからローマに移籍するのに時間がかかったし、お互いのキャリアの成長とも言えるセリエAの舞台での再会は嬉しく懐かしいものだったはず。こういうシーンを見ることのできるサッカーは、尚更素晴らしい。

※長友は13戦ぶりに復帰、「誰よりも追い込んできた自信がある」とのこと、代表にも復帰してほしい。フランクフルトの長谷部は代表でもチームでも安定のクオリティ。守備を統率して勝利に貢献、チームは1部残留が確定。ドルトムントの香川は「あれを外すか?!」と思わず声が出たほどの決定機を決められず……相変わらず好不調の波が激しく、パフォーマンスが安定しない。代表の攻撃的中軸としては、かなり不安。

2015/05/04

森伊蔵を呑む会(&谷口ジロー)



昨日は午後3時から、鶴ヶ島の友人宅で「森伊蔵と獺祭を呑む会」。

少し早目に家を出て、西武のリブロに立ち寄り、連休中に読む本を物色……
カッスラーの新作『パンデミックを阻止せよ』も気になったが、急に小説から漫画に気が移り、4階のコミックフロアで谷口ジローの『千年の翼、百年の夢』、しりあがり寿の『あの日からの憂鬱』を購入。鶴ヶ島に着くまでの電車の中で『千年の翼、百年の夢』を読み終えてしまった。

「ルーヴルの守り人」たちに導かれた日本人作家が、ルーヴルの迷宮を彷徨いながら、夢と現実の間で体験する不思議な出来事の数々……谷口ジローらしい詩情豊かな表現力と圧倒的な描写力は衰えることなく今も健在。

ゆめに、うつつに、まぼろしに……

見ゆるは、何ぞ、いつもいつも

心に纏ひて離れざるは、

いかなる愛(なさけ)、いかなる夢ぞ、

こういう絵の中に、中原中也を持ってくるところが、谷口ジローなんだよなあ……と、その変わらぬセンスにゾクッ。頗る気持ちのいい時間だった。

で、「森伊蔵を呑む会」に話を戻すと……

Y君(&奥さま)が用意してくれた料理は、激ウマの東坡肉風豚肉の煮込み、筑前煮など。お招きにあずかった私は、西武の地下で春巻と焼売、東武の魚力で刺身、小女子とくるみの佃煮を買って、持ち込んだ。(同じく友人のO君は、カミさんに教わった手作り料理を持参)

会のスタートは3時半過ぎ。ビールを2、3杯飲んだところで、「森伊蔵」に切り替えた。

さすが幻の焼酎と謳われるだけのことはある。その味たるや「なにコレ?!」と呆れて笑っちゃうくらいのまろやかさ!これまで呑んだどの焼酎、否、どの酒よりも美味い、美味すぎる!(同時に振舞われた「獺祭(だっさい)」も簡単に手に入らないほどの銘酒だが、私の中では、断然「森伊蔵」)

お陰で、会も盛り上がり、夜9時近くまで、サッカー、映画、旅行などの話題で楽しい時を過ごした。(6月中旬に3人で、味スタで行われるJリーグ「FC東京」の試合を観に行くことを決め、散会)


※天皇賞、キズナ惨敗。「メイウェザーVSパッキャオ」も残念な結果。

2015/05/02

「ゴジラ」のビルで、映画『セッション』。



連日の夏日。今日の東京は29度……暑い!

さて、今年初の夏日となった月曜日(427日)、身体は少しダルかったが、連休で込み合う前に映画の1本も観ておこうと、新宿へ。

ゴジラの頭がランドマークになっている「TOHOシネマズ新宿」で、いま話題の映画『セッション』を観てきた。(4月17日にオープンしたばかりの映画館。夜7時には、ゴジラの目が光り、鳴き声をあげるらしい)

で、何がそれほど話題かと言うと、わずか3億円の製作費、たった19日間の撮影期間で作られた映画が、アカデミー賞5部門にノミネート、うち3部門受賞という快挙を達成……したことではなく、この映画をめぐりネット上でバトルが勃発していたらしいこと。

ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏が、公開前に自身のブログで約1万6000字を駆使して音楽的根拠を示しながら映画を酷評したのが発端。これに対して、映画評論家の町山智浩氏が大反論。映画として優れた点を挙げながら、映画批評には暗黙のルールがあり、影響力のある人物が公開前の映画を批判するのは間違っている!と、その是非を問うたわけだ。

私も映画を観た後、二人のブログを読ませてもらったが、両者とも「お説、ごもっとも」と頷ける内容。要するに「ジャズを愛する人」と「映画を愛する人」が、大事なものを守るために互いの立場で憤りの声を発していただけで、“バトル”と騒ぎ立てるほどのことはない。(町山氏は“わずか3億円&たった19日間”で作られた小さな映画を守ろうとし、菊地氏は「音楽映画」と言いながら、予算と時間のせいで(?)追求できなかった「音楽性&文化性」の欠如に腹を立てていたように思う)

この映画の監督は、弱冠28歳(撮影時)のデイミアン・チャゼル。
《高校時代にジャズドラムに傾倒した彼は、名門バンドでプレイするほどの才能を開花させるが、鬼コーチのスパルタ指導がトラウマとなり、音楽の道を断念。その後、ハーバード大学に入学し映画を先攻したものの、バンド時代の悪夢にうなされる日々が続く。そしてデイミアンは、この悪夢を克服するために、自らの経験を映画化する事を決意した》そうだ。
プレスのインタビューに応えて彼はこう言っている。「決して到達できないゴールに到達しようとする、絶え間ない苦痛。力強いサスペンススリラーのような音楽映画を作りたかったんです」

このように、若い映画作家が実体験を基に作品を作るのは正しいことだと思う。無理に観念的な背伸びをしなければ、自身のエネルギーを空回りさせることなく、疾走感と緊迫感に満ちた力作を生み出すことができるものだ。まずは、見事な“サスペンススリラー”に拍手。(特に、「え~っ!!」と声をあげそうになったラスト10分!)
だが、いくら悪意と狂気のドラムバトルが目を離せないほど面白くても、すべてにおいて音楽の魅力を感じることが難しい作品。自己顕示欲と名誉欲があるだけで、とても音楽的才能や音楽愛があるとは思えない主人公の青年に感情移入はできないし、いくら猛スピードでドラムをかき鳴らしても、心に響くことはない。菊地氏の味方をするわけではないが、音楽的興奮&感動と無縁の作品を“音楽映画”と言うには少々無理があるように思う。(だから、トラブルの元にもなる)

というわけで、「面白かったけど、そんなに誰もが絶賛するほどイイかしら?」というのが私の感想……にしても、この映画を観て「人生が変わるかもしれない」って、何なの? どんだけ生あったかい人生を歩んできたわけ?と、聞き返したくもなるが、ジャズシンガー・綾戸智恵さんのコメントが大人的に正解のような気がする。
「音楽をする私としては吐きそうな映画や でもいろんな人が見る。先生も生徒も親も。それぞれに強烈なメッセージを送れるという点ではピカイチの 映画や!」

※明日は午後3時から「森伊蔵と獺祭を呑む会」。天皇賞はキズナを応援!