2015/03/03

仕事と酒と『アメリカン・スナイパー』



はや3月……先週あたりから花粉の影響で頭がボーッとしている。そのせいか、取材のテープ起こしに時間がかかり(ダラダラと丸2日)、仕事も思うようにはかどらなかった。金曜(27日)の朝、クライアントからメールで「コピー、いつ上がりますか?」と催促がきたところで、慌ててねじを巻き、ようやく日曜(1日)の夕方に書き終えた次第。(「来週早々にお見せできます」という約束は、何とかクリア)

で、昨日は旧友と池袋ではしご酒。酒豪の二人につられて飲み過ぎ、千鳥足でフラフラ帰り、今朝は見事に二日酔い(若干、記憶も飛んでいる)……朝メシを喰う気にもならず、ダル重・胸やけ状態でパソコンを立ち上げ、サッカー情報などをチェックした後、メールを見たら、クライアントから先日送ったコピーに対する絶賛コメントあり。お陰で少し頭もシャキッとした感じ。(まだまだ腕衰えず。でも、腕を活かす仕事が足らん!)

さて、先週の木曜(26日)に観た映画の話。

神と国家と家族、それがアメリカの絆か……と、鑑賞後、ひとり胸で呟いた『アメリカン・スナイパー』。
主人公は、喧嘩をすることは許しても負けることは許さない父に育てられ、子供の頃から銃に親しみ自分の判断で引き金を引く自由をもっていた、マッチョな男「カイル」。自分の家族は自分の銃で守る――羊と狼の真ん中に立つ「番犬」として弱い弟を守ることを教えられた彼は、9.11を機に政府のプロパガンダを丸ごと信じ、国と国民を守るため志願してイラクへ。その戦場で女子供も含め160人もの人間を「自分の判断」で狙撃する。
子供を撃った後も、仲間と笑いながら話し、携帯で妻に電話しながら銃を構えるカイルの姿は、まるで危険地域に出張中のビジネスマンのようで、観ているコチラの違和感は膨らむばかり。
だが、名匠が淡々と描くフィルムの力に引き込まれ、眼はスクリーンに釘づけ。

やがてカイルは任務を終え帰国するが、心はイラクに残したまま。家族の元に落ち着くことなく、戦場こそが自分のホームであるかのように、再び志願……4度の従軍の後、心身共に蝕まれた状態で祖国に帰り、家族の支えでようやく心の平安を取り戻したかのように見えたある日、突然PTSDを患う元海兵隊員に射殺される。
爆撃も戦闘もない祖国アメリカで迎えた“英雄”の最後は、異国の敵ではなく守ってきたはずの味方からの狙撃だったという虚しいだけの皮肉な結末。

そして、伝説の狙撃手「クリス・カイル」の実写が流されるラスト。葬送の車を見送る人々が振り続ける無数の星条旗、音楽のない無音のエンドロール……私には、狂信的愛国者へのオマージュのようにも見えたが、この間違った戦争で偶像となった主人公カイルもまた戦争の犠牲者なのだという「愛国者」クリント・イーストウッドの無言のメッセージなのだろうか。
難しい題材を抑制の効いた戦場エンタメに仕立て上げる腕は、さすがというほかないが、私の頭の中では愛国的かつ好戦的な主人公への違和感が最後まで拭えず、素直に反戦映画とは言いにくい重苦しさが残った。(当然、同じ愛国者でも、人生が醸し出す風格と自己犠牲の精神の尊さを見せてくれた『グラン・トリノ』の主人公の魅力には遠く及ばない)

0 件のコメント:

コメントを投稿