2015/03/16

「フットボールの情熱」



という言葉が何度も口を突いて出てきた金曜(12日)の記者会見。(もちろん、サッカー日本代表監督に就任したハリルホジッチ氏の話。私は日本サッカー協会のホームページで生中継を見ていた)

「気鋭の名将」「多彩な戦術を持つ情熱家」という評判通り、サッカーへの情熱と勝利へ向かう強い意志がひしひしと伝わるものだった。特に、言葉の端々から感じられるモチベーターとしての高い能力&揺るぎない姿勢は、とても魅力的で頼もしい限り。「この人なら、自信を失いかけている選手たちを立ち直らせ、世界の舞台で輝ける日本代表を築いてくれるのではないか」と、ここ数か月しぼみ気味だったコチラの期待感も再び膨らみ、非常に良い印象を持つことができた。(アギーレ監督の解任問題で揺れていた頃のモヤモヤ気分も解消された感じ)

ところで、私が「ハリルホジッチ」の名前を知ったのは、アギーレ監督解任の直後……「ラウドルップ」「オリヴェイラ」「スパレッティ」「ストイコビッチ」など10人近い候補の名がメディアを賑わす中で、「ハリルホジッチ」の扱いはそれほど大きくはなかったように思う。でも、先のW杯で優勝国ドイツを最も追い詰めた「アルジェリア代表」の監督であり、候補者の中では唯一、異なる地域・異なる文化のクラブ&代表チーム(フランス、コートジボワール、アルジェリア)を指揮した経験のある人物であることから、個人的には最も注目していたし、サッカー以外のこんなエピソードにも、心を動かされていた。

《指導者としてのスタートは90年、古巣ベレジュ・モスタルから。この時にはボスニアに広がった民族紛争に巻き込まれ、あやうく生命を落とす経験をしている。92年の春、自宅前の路上で銃撃戦が始まった。ハリルホジッチは何とかそれを阻止するべく「戦争になったら、みんなが敗者だ!」と叫んだ。名門ベレジュの監督として顔が知られていたので、双方とも撃つのを止めるだろうと考えたのだ。しかし自身に銃弾が命中し(所持していた拳銃が暴発?)、自宅の庭で重傷を負ってしまう。
ハリルホジッチはけがをおして、病床でテレビの取材に応じて、戦争を止めるように訴えた。この発言のせいか、民族主義者からたびたび脅迫を受けている。その後、ボスニアの戦争が激化し、サッカーどころではなくなると、知人を頼ってフランスに脱出。直後に、モスタル市内の自宅は民族主義の民兵によって焼き払われた。このてんまつは「モスタルのワハよ、生きているか」と流行歌の題材にもなった(「ワハ」とはハリルホジッチの愛称)。》

また、同郷の先輩、イビチャ・オシム元日本代表監督との親交も深く(現役時代はオシム監督のタイトル獲得を阻んだライバルチームのエースストライカー。指導者になってからも、コートジボアールを率いて初来日した08年のキリンカップなど、幾度か偶然の出会いがあり旧交を温めてあっていたようだ)、そうした“縁”も含めて日本代表監督に最も適した人ではないだろうかと思い、その就任を待望していた。(ものごとに筋を通すプロフェッショナルとして知られるだけに、協会の交渉次第で決裂するリスクはあったと思うが、契約がうまくまとまり本当に良かった。色々ごたごた続きだったが、この難しい時期にベストの選択と仕事をしてくれた日本サッカー協会に拍手!)


とは言え、一押しの監督が決まって一安心……というわけにもいかない。アギーレジャパンでの半年間を生かすも殺すも選手次第。まずは、ブラジルW杯一次リーグ敗退およびアジア杯敗退の精神的ダメージを完全に払拭することから新たなスタートを切るべきではないだろうか。そのためにも「劇的なメンタル改善を施すことで日本代表を立ち直らせたい」と考えている新監督の手腕に期待するところ大。W杯後、燃え尽き症候群のような状態に陥っている(?)長友や、自信喪失気味で代表でもクラブでもプレーに精彩を欠く香川を、勝者のメンタリティーを持つ選手として再び輝かせてほしいものだ。
そして、「サッカーのおかげで私の人生はすばらしいものになった。魔法のようなものだ」という言葉の重みと深い歓びを、3年後、我が代表選手たちの胸にもたらしてほしいと思う。

もちろん、私も魔法が見たい。まずは、チュニジア戦(27日)!

※ちなみに、日本サッカー協会の話によると、ハリルホジッチ氏の国籍は出身国ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)ではなく「フランス」。選手時代からフランスで長く生活をしていて家もあり、奥さんもフランス人……ということで国籍はフランスとのこと。(なるほど、だから記者会見もフランス語だったのか)

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