10年以上前、仕事仲間と四方山話をしていた際、ふと「小泉政権」に批判的な言葉を吐いたら、「小泉さんだって一生懸命やっているんだから……文句があるなら、政治家にならなきゃ」というような事を言われ、瞬間「おいおい、それは違うでしょ!」と言いつつも、そういう考えに対抗するのがバカバカしくなり、即、打ち切ったことがある。
それ以降も、「小説や映画を批判するなら、自分が書くなり、撮るなりすればいい」とか「政治を変えたいなら、選挙に出て訴えなきゃ」とか、まるで作家や政治家じゃない人間が、文学や政治を語ってはイケないかのような反応をされ、「それじゃあ、何の話もできないじゃん」とがっかりしたことが度々あった。(まあ元々、そういう人たちは文学にも政治にも関心がないのだろうけど)
普通の国民が、自由に自分の考えで、政策に疑問を投げかけたり、政権を批判したりすることが民主主義の基本であり、政治家はその国民の声を聞いて事態の改善を図るべきものだと思うのだが、「政治はプロの政治家がやるもの。素人である国民は黙って任せなきゃ」的な意識は随分前からこの社会に蔓延していたような気がする。
で、先日読み終えた『バカになったか、日本人』(著者・橋本治)……
けっこう挑発的なタイトルだが、別に橋本治が日本人をバカにしているわけではない。バカにしているのは政治を司る人たちの方。「俺たちが決めるんだから、何も決められないバカなお前たちは黙っていろ」的に、反対意見に耳もかさず、キチンとした議論もせずに(できずに)、「特定機密保護法」も「集団的自衛権の行使」も意のままに押し通す安倍内閣と政治家たちに「ちゃんと文句を言おうじゃないか!」という趣旨の卓見に満ちたスグレ本。
その本の中で彼は、実行力を欠き敗退した民主党政権の反動で、この「批判するだけじゃだめだ」という空気がさらに国民間に広がり、一層、言論は後退してしまったのではないかと言いつつ、2012年末に戦後最低の低い投票率で成立した内閣が、未だに50%超の高い支持率を保っているという不思議な現象も、安倍政権の二枚看板「景気回復」と「憲法改正」に対する積極的な支持ではなく、この「批判するだけじゃだめ」という国民側の「言論の後退」に起因していると説く。
そして、さらにこう続け「安倍政権の支持率安定」を予測する。
《憲法改正の議論を持ち出しても引っ込めても、安倍内閣の支持率はそうそう変わらない。はっきりしているのは、日本人の関心が「景気回復」に集中していて、内閣の思惑に反して、「憲法改正」への関心も問題意識も高くはない。安倍内閣を支持する日本人の過半数は、「景気が良くなること」にしか関心がないのだ……「憲法改正の必要」を訴えようと訴えまいと、国民の関心は「景気回復の実現性」だけにあって、それを「着々と実行している」とする安倍政権に批判の矢は向かわない。》
事実、「日本経済回復」のために、中東や東欧で日本製の原発をセールスする首相に対して、批判の声はほとんど聞かれなかった。あれほどの大事故を日本中が目の当たりにし、原発には人間の手におえない巨大なリスクが伴うことを、身を以て知ったというのに……
領土問題や歴史認識に端を発した中国や韓国との関係悪化にも、批判の声は湧き上がらず、街角インタビューなどを見ても、アベノミクスの良し悪しも不明なのに「安倍さんはよくやっている。頑張ってもらいたい」という能天気な声ばかり。
また、最近の話で言えば、朝日新聞の世論調査(2月14~15日実施)で、安倍内閣の支持率は50%(読売では何と58%!)、「IS(イスラム国)」による日本人人質事件をめぐる政府の対応に関しても、「評価する」が50%となり、「評価しない」の29%を上回ったとのこと。
「言論の後退」が無思考の波を巻き起こしているのか、これはヤバい!としか言いようがない。
「集団的自衛権の行使」を容認しようとする際は「国民の命と安全を守るため」と言いながら、知らぬ間に「有志連合」に加わり、日本人2人がISに拉致されていることを知っていたにも関わらず、“アラブの敵”イスラエルと日本の二つの国旗の前で、イスラエルの首相とにこやかに握手(その会談の様子が「IS」の反発を招いたのは容易に想像できる)。人質事件発覚後は、最初から「テロには屈しない」「テロリストと交渉はしない」と勇ましげな姿勢で「有志連合」に同調し裏取引での金銭解決の可能性を自ら放棄、「IS」との交渉はISの敵国であるヨルダンに任せっきり。もともと無理なヨルダン主導の「人質交換」に賭けた結果、湯川・後藤両氏の命を守れず終わったのに、どこをどう捉えれば評価できるのだろう。
領土問題や歴史認識に端を発した中国や韓国との関係悪化にも、批判の声は湧き上がらず、街角インタビューなどを見ても、アベノミクスの良し悪しも不明なのに「安倍さんはよくやっている。頑張ってもらいたい」という能天気な声ばかり。
また、最近の話で言えば、朝日新聞の世論調査(2月14~15日実施)で、安倍内閣の支持率は50%(読売では何と58%!)、「IS(イスラム国)」による日本人人質事件をめぐる政府の対応に関しても、「評価する」が50%となり、「評価しない」の29%を上回ったとのこと。
「言論の後退」が無思考の波を巻き起こしているのか、これはヤバい!としか言いようがない。
「集団的自衛権の行使」を容認しようとする際は「国民の命と安全を守るため」と言いながら、知らぬ間に「有志連合」に加わり、日本人2人がISに拉致されていることを知っていたにも関わらず、“アラブの敵”イスラエルと日本の二つの国旗の前で、イスラエルの首相とにこやかに握手(その会談の様子が「IS」の反発を招いたのは容易に想像できる)。人質事件発覚後は、最初から「テロには屈しない」「テロリストと交渉はしない」と勇ましげな姿勢で「有志連合」に同調し裏取引での金銭解決の可能性を自ら放棄、「IS」との交渉はISの敵国であるヨルダンに任せっきり。もともと無理なヨルダン主導の「人質交換」に賭けた結果、湯川・後藤両氏の命を守れず終わったのに、どこをどう捉えれば評価できるのだろう。
このイミフな50%という数字が、安倍政権の自信をさらに深めさせていることは、野党を舐めきった“首相の野次”などを見れば明らか。辺野古移設反対派の沖縄県知事との面会を避け、その立場を無視し続けているように、ますます「反対勢力が何を言っても聞く耳を持たない」という傲慢さをオブラートで包みながら増長し、事を進めていくように思う。当然、「憲法改正」への動きも早くなるに違いない。
その「憲法改正」と「集団的自衛権」について、橋本治はこう言っている。(かなり長い引用になるが、とても興味深い内容なので…)
《「集団的自衛権の行使」とは、どう考えても「よその国と一緒になって戦争をすること」です。「よその国と一緒になって日本を守る。日本を守ってもらうではありません。それだったら、日米安全保障条約があります。「それだけじゃだめだ。日本は独自の軍事力をもたなければならない」と考える人がいたって、「集団的自衛権の行使」はそれとも違います。「既に日本には自衛隊という軍事力があって、その軍事力をもって他国と共同で軍事行動に当たる」というのが、「集団的自衛権の行使」です。だから、「これは集団的自衛権の行使だ」と言えば、日本とは全然関係ないところへ自衛隊が行って、他国と一緒に軍事行動が出来ます。そのことと「日本の安全」がどう結びつくのかはまったく分かりません。
「集団的自衛権」の分かりにくさはその一点にあって、だからこそ「これで日本は外国で戦争が出来ます」と言いづらい総理大臣が、「これで日本は安全です」と言って、平気で通ってしまうのかもしれません。だって、「日本が外国で戦争をする」とか「外国と戦争をする」と言ったって、具体性が全然湧きません。「どこで?」で「なんのために?」で、その軍事力の行使が「日本のあり方」とどう結びつくのかが、まったく想像出来ないからです。「一体どこへ行って日本は戦争をしたいんだろう?」と考えて、その先に思いつくことは一つです。日本は、国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがっています。自民党政権ではかつて常任理事国になることを「悲願」としていました。安全保障理事国だと、きっと「ウチには軍隊がないんで、海外派遣は出来ません」とは言えないのでしょう。邪推ですが、「安全保障理事会の常任理事国入り」ということは、「日本でのオリンピック開催を!」に似た、グローバリズムの一流国願望でしかないように思います。
日本が国連安保理の常任理事国入りすることは、「イスラム国を空爆する」に参加するのに近いようなもので、「イスラム国からの危険を防ぐ」ということになると見事に「集団的安全保障」ですが、キリスト教国でもない日本が、キリスト教対イスラムのつまらない宗教戦争に巻き込まれる必要なんかまったくないですけどね。
でも、「世界の一流国はみんな軍事力を持って“世界平和の敵”と戦っているんだから、日本だってそういう一流国にならなきゃいけない!なりたいんだ!」という声は、きっとどこかにありふれて存在するんでしょう。だから私は、「一流志向のグローバリズム」が嫌いなんですけどね。》
《「集団的自衛権の行使」とは、どう考えても「よその国と一緒になって戦争をすること」です。「よその国と一緒になって日本を守る。日本を守ってもらうではありません。それだったら、日米安全保障条約があります。「それだけじゃだめだ。日本は独自の軍事力をもたなければならない」と考える人がいたって、「集団的自衛権の行使」はそれとも違います。「既に日本には自衛隊という軍事力があって、その軍事力をもって他国と共同で軍事行動に当たる」というのが、「集団的自衛権の行使」です。だから、「これは集団的自衛権の行使だ」と言えば、日本とは全然関係ないところへ自衛隊が行って、他国と一緒に軍事行動が出来ます。そのことと「日本の安全」がどう結びつくのかはまったく分かりません。
「集団的自衛権」の分かりにくさはその一点にあって、だからこそ「これで日本は外国で戦争が出来ます」と言いづらい総理大臣が、「これで日本は安全です」と言って、平気で通ってしまうのかもしれません。だって、「日本が外国で戦争をする」とか「外国と戦争をする」と言ったって、具体性が全然湧きません。「どこで?」で「なんのために?」で、その軍事力の行使が「日本のあり方」とどう結びつくのかが、まったく想像出来ないからです。「一体どこへ行って日本は戦争をしたいんだろう?」と考えて、その先に思いつくことは一つです。日本は、国連の安全保障理事会の常任理事国になりたがっています。自民党政権ではかつて常任理事国になることを「悲願」としていました。安全保障理事国だと、きっと「ウチには軍隊がないんで、海外派遣は出来ません」とは言えないのでしょう。邪推ですが、「安全保障理事会の常任理事国入り」ということは、「日本でのオリンピック開催を!」に似た、グローバリズムの一流国願望でしかないように思います。
日本が国連安保理の常任理事国入りすることは、「イスラム国を空爆する」に参加するのに近いようなもので、「イスラム国からの危険を防ぐ」ということになると見事に「集団的安全保障」ですが、キリスト教国でもない日本が、キリスト教対イスラムのつまらない宗教戦争に巻き込まれる必要なんかまったくないですけどね。
でも、「世界の一流国はみんな軍事力を持って“世界平和の敵”と戦っているんだから、日本だってそういう一流国にならなきゃいけない!なりたいんだ!」という声は、きっとどこかにありふれて存在するんでしょう。だから私は、「一流志向のグローバリズム」が嫌いなんですけどね。》
《憲法改正というと、どうしても第9条の問題だと思っていた。しかし、自民党の改憲草案を知って、そういう問題ではなかったんだと気がついた。憲法改正というのは、日本国憲法を大日本帝国憲法に近づけようという動きだったんだと、自民党草案の第1条にある「天皇は、日本国の元首」という条文で思った。》
《天皇を日本の「象徴」ではなく「元首」にしてしまうと、国旗や国歌は「国民のもの」ではなく「天皇のもの」になってしまう。だから自民党草案では第3条第2項に「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」が新設される。「そうでしょう?」と尋ねて「そうです」という答が返って来るとも思わないが、だからこそ現行憲法にはない「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という条項も付け加えられる。
現行憲法でその「尊重の義務」を負うのは、国民ではなくて、行政、立法、司法に関わる人間だけで、現行憲法は国民ではなく政府を縛るものだし、そもそも憲法とはそういうものだ。
自民党草案には「自分たちが憲法を変えて、その憲法に国民を従わせる」という姿勢が明確にあって、だからこそ「国民の基本的人権」を保障する現行憲法の第97条が、自民党草案では丸ごと削除されている。「そこが一番の問題だ」と言っても、そういう抽象的な総論は今の日本人にはピンと来ないだろう。そこを突つき出すと、「基本的人権とはなにか」という、今の日本人にとってむずかしすぎる話になってしまう。
だったら、「憲法改正なんて知らない」の無関心のままでいるのが一番いい。知らないまま、憲法改正の国民投票に「NO」の一票を投じればいい。なにしろ、今の日本人には、「議論の仕方」が分からなくて、それをいいことにして、憲法を改正したがる人間は「焦点の合わない説明」をいくらでも展開するはずなのだから。一番重要なのは、「なんでそんなことをしなきゃいけないのか分からない」という頑固でバカな姿勢を貫くことだろう。私は、なんで憲法を改正しなきゃいけないのかが、分かりません。》
《天皇を日本の「象徴」ではなく「元首」にしてしまうと、国旗や国歌は「国民のもの」ではなく「天皇のもの」になってしまう。だから自民党草案では第3条第2項に「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」が新設される。「そうでしょう?」と尋ねて「そうです」という答が返って来るとも思わないが、だからこそ現行憲法にはない「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という条項も付け加えられる。
現行憲法でその「尊重の義務」を負うのは、国民ではなくて、行政、立法、司法に関わる人間だけで、現行憲法は国民ではなく政府を縛るものだし、そもそも憲法とはそういうものだ。
自民党草案には「自分たちが憲法を変えて、その憲法に国民を従わせる」という姿勢が明確にあって、だからこそ「国民の基本的人権」を保障する現行憲法の第97条が、自民党草案では丸ごと削除されている。「そこが一番の問題だ」と言っても、そういう抽象的な総論は今の日本人にはピンと来ないだろう。そこを突つき出すと、「基本的人権とはなにか」という、今の日本人にとってむずかしすぎる話になってしまう。
だったら、「憲法改正なんて知らない」の無関心のままでいるのが一番いい。知らないまま、憲法改正の国民投票に「NO」の一票を投じればいい。なにしろ、今の日本人には、「議論の仕方」が分からなくて、それをいいことにして、憲法を改正したがる人間は「焦点の合わない説明」をいくらでも展開するはずなのだから。一番重要なのは、「なんでそんなことをしなきゃいけないのか分からない」という頑固でバカな姿勢を貫くことだろう。私は、なんで憲法を改正しなきゃいけないのかが、分かりません。》
もちろん、私も分かりません!……というわけで、ストンと胸に落ちるしなやかな言葉と衰えない思考力&深い洞察力で、世の中と日本人の今を捉えた『バカになったか、日本人』。読み終えた後、私のように強い味方を得た気分になる人も多いはず。ぜひ、ご一読のほど。
※先週の木曜(5日)は、新宿ピカデリーで映画『はじまりのうた』を観て(音楽は良かったが、ストーリーがイマイチ。というか、感動作という触れ込みなのに話が浅すぎ!)、金曜(6日)は池袋の「トラベルカフェ」で代理店のJさんと仕事の打合せ(A4パンフ4頁とA4チラシ表裏のコピー&ビジュアルアイデア出し)。今週は、ちょっぴり仕事で忙しくなりそうだ。
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