2013/07/26

二度見、二度泣き、「風立ちぬ」



思い起こせば、私もゼロ戦に憧れた一人。

小さな愛国心の芽生えだろうか、絵が下手なくせに「ゼロファイター」の名で米英から恐れられたその美しい戦闘機だけはキレイに描こうと、少年誌に載っていた絵か写真を見ながら何度もチャレンジした覚えがある。まだ、日本の歴史も戦争の悲惨さも知らない貧しい子供の頃のことだ。

そんな遠い日の記憶を呼び覚ましながら、二度も劇場(Tジョイ)に足を運んで観たジブリの新作『風立ちぬ』(一度目は参院選のあった21日。二度目は24日)

理想は儚く遠く風の中、純粋な命は刹那に輝き雲の果て、
そして美しい夢は地獄へと続いていた“あの頃”の話……

その光と影、純真と狂気、ポエムとテクノロジーが大胆な構成力によって結ばれ、繊細に融け合う映像世界は、泣けるほど素晴らしく、震えるほど美しく、事実、泣けて、震えて、涙が止まらなくなってしまった。

「一体、オレの胸はなぜ震え、どこから涙腺は緩み始めたのか?」と、その理由と場所を確かめたくなっての“二度見”。きっかけの場面だけは分かった。
軽井沢のホテルで出会ったドイツ人・カプストルが、ピアノの弾語りで懐かしい曲を歌いだした辺りからラストまで……その曲は映画『会議は踊る』の名シーンで歌われた「ただ一度だけ Das gibt’s nur einmal(ダス・イスト・アイン・ヌル)」。






では、この映画で何故に泣けて、泣けてしまったのだろう? その理由は「純愛」でも「反戦」でも「ノスタルジー」でもなく、本当の所よく分からないのだが、無理やり言えば「自分という存在の肯定」に貫かれた作品であったということ。その真っ直ぐな意思を圧倒的なアニメーションと気迫漲るロマンチシズムによって見事に昇華し、生き難い“あの頃”の時代を懸命に生きぬいた人々からのメッセージのように、「生きて」「生きねば」と、今の日本、とりわけ若い世代に伝えようとしているのが痛いほど熱く激しく感じられたからだと思う。

宮崎駿はその制作企画書の中でこう語っている。
《私たちの主人公二郎が飛行機設計に携わった時代は、日本帝国が破滅にむかって突き進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心得もない。
自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人間を描きたいのである。夢は狂気をはらむ。その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである》

夢を持ち続けて生きること、純粋に人を愛すること、そして何より自分を愛し、その存在を肯定して生きることが難しく思える時代。
多くの心からすっぽりと抜け落ちた自己愛の反動として露出してきたような、過剰で排外主義的な愛国心の台頭、意見や考えの異なる他者に対する激しい攻撃的言辞の氾濫……そんな時代の姿を見据えながら彼は、日本を代表するアニメーターとして、あらん限りの才と技を尽くし、「生きて」「生きねば」という自己肯定的なメッセージを、この美しい作品に込めたのではないだろうか。

それは、“あの頃と似ている今”への警鐘であると同時に、「徹底的に自分の存在を見つめて生きよ!」、そして「才能が枯渇しないうちに、その夢を形にしろ!」「ガムシャラにセンスを磨き、限界まで己のロマンを突きつめろ!」と、若い世代、特にジブリをはじめとする日本の若きアニメーターたちに送る、力強くも早すぎる遺言のように思えた。



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