2012/12/05

『世界から猫が消えたなら』


3週間ほど前、池袋西武の「リブロ」で購入。何気に新刊コーナーの書棚を見ていたら、そのタイトルが目に入り“ムムッ?!”と思わず反射的に手を伸ばした本だ。(恐らく2か月前なら、こういうタイトルの本に食指が動くことはなかったはずだが……)

その著者の名は「川村元気」。『電車男』『悪人』『告白』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』などを製作した33歳の映画プロデューサーで、本書が処女作らしい。(映画のヒットメーカーにして小説家……また、瑞々しい才能の誕生!)

主人公は重度の脳腫瘍に侵され、医者に死を宣告された30歳の郵便配達員(猫と暮らす映画好きの男……私に「さあ、読め!」と言わんばかりの、どストライクな設定)。その男の前に突然、派手なアロハを着た明るい悪魔がやってきて「実は……明日あなたは死にます」と、天からの指令を伝える。さらに悪魔は、絶望する男に“寿命を延ばす唯一の方法がある”と告げ、意想外の取引を持ちかける。それは、1日の命を得るために「この世界からひとつだけ何かを消す」こと。
こうして男の周りから、携帯、映画、時間など“失って気づく大切なもの”が次々に消えていく。そして最後(7日目)に残った取引の対象は、キャベツと言う名の愛する猫……

という奇想天外でファンタジックなストーリーだが、帯にも「「泣けて泣けて仕方ない……この小説はまるで聖書じゃないか!」という映画監督・大根仁のコメントが紹介されているように、巧みなユーモア&軽妙な筆致に釣られて油断していると、不意に心を揺さぶられ涙腺の決壊を余儀なくされるのでご用心。

本を開く前は「感動的、人生哲学エンタテインメント」というキャッチフレーズを見て、「ホントかな?」と少し疑ったが、そのフレーズどおり、ネット社会で生きる私たちにライトな感覚で“身近に存在する大切なもの”を改めて思い起こさせてくれる切なく深い一冊。私も同じ屋根の下で生きる猫のことなどを想いつつ読ませてもらった。(ちなみに帯には、女優・中谷美紀の「読み終わった後、大切な人に逢いに行きたくなりました」という、ありがちなコメントも……まあ、どうでもいいけど)

以下、特に心に残った後半の数節をご紹介。(これから読む人には余計なお世話でしょうが)

《「人間と猫はもう1万年も一緒に生きてきたのよ。それでね、猫とずっと一緒にいると、人間が猫を飼っているわけじゃなくて、猫が人間のそばにいてくれてるだけなんだっていうことが、だんだん分かってくるのよ」かつて母さんが言っていた言葉を思い出す》
《そもそも死の概念があるのは人間だけだという。猫には、死に対する恐怖というものが存在しない。だから人間は、死への恐怖や悲しみを一方的に抱きつつ、猫を飼う。やがて猫は自分より先に死に、その死が途方もない悲しみをもたらすことが分かっているのに。そしてその悲しみは不可避なこととして、いつの日か必ず訪れると知っているのに。それでも人間は猫を飼うのだ。
しかしながら人間も、自分で自分の死を悲しむことはできない。死は自分の周りにしか存在しない。本質的には猫の死も人の死も同じなのだ。そう考えると、人間がなぜ猫を飼うのか分かってきた気がする。人間は自分が知りえない、自分の姿、自分の未来、そして自分の死を知るために猫と一緒にいるのではないか。母さんの言うとおりだ。猫が人間を必要としているのではない。人間が猫を必要としているのだ》

《「明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られている時間を目いっぱい生きるんだ」かつて、そう言った人がいた。でもそれは嘘だと僕は思う。人は自分の死を自覚したときから、生きる希望と死への折り合いをゆるやかにつけていくだけなんだ。無数の些細な後悔や、叶えられなかった夢を思い出しながら。でも世界から何かを消す権利を得た僕は、その後悔こそが美しいと思える。それこそが僕が生きてきた証だからだ》

0 件のコメント:

コメントを投稿