2012/11/08

蓮池薫さんの筆力


北朝鮮による拉致被害者5人が帰国して早10年、今でも彼らが飛行機のタラップを降りる瞬間の映像を鮮明に記憶しているが、その一人である蓮池薫さんが北朝鮮での24年間の歳月を綴った手記を出した。タイトルは『拉致と決断』……

で、一気読みしたその感想だが「面白い!」の一言。過酷な運命と重い事実が綴られた手記を「面白い」などと言っては少し不謹慎なのかもしれないが、素直にそう思える優れたドキュメント作品だと思う。

≪本書では拉致被害者としての自分の生活や思いだけでなく、北朝鮮の人たち、すなわち招待所生活で接した人たちや平壌市内で目的した市民たち、旅先で目の当りにした地方の人たちなどについても叙述した。それには、北朝鮮社会の描写なくしては、私たちの置かれた立場をリアルに描けないという理由とともに、決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった。彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対象でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかり区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える。≫

と、前書きに書かれているように、自分の心情はもちろん、北朝鮮で生きる人々の姿を、時にユーモアを交え小説や映画のワンシーンのように描き出す絶妙な筆致は、読み手を飽きさせない優れたプロの技。

ページをめくる手を止めさせないほどの描写力とでも言おうか……自らの運命と冷静に向き合い、失われた絆と夢を取り戻すために生きようとする真摯な魂に触れながら、社会主義の理想から遠のくばかりの社会主義国家「北朝鮮」のジレンマ、その喘ぎさえページの端々から漏れ聞こえてくるようだった。その意味で本書は、戦争が日常に組み込まれている国家を知らない私たちにとって、格好の「北朝鮮入門書」とも言えるはず。

そして、読み終えた後、こんな一節に共感を抱きながら、その誠実な生き方と切実な願いが見事に結実するよう心から思うのだ。

 ≪二十四年ぶりに帰ってきた日本は、「自分らしく生きよう」、「個性的に生きよう」とする傾向や志向がますます強くなっていた。
(中略)
しかし、いくら自由になったといって私や子供たちが、趣味にだけ傾倒して生きていくわけにはいかなかった。
自由は人生の目的を達成するのに必要な条件なのであって、自由自体が人生の目的にはなり得ない、私はそう思った。
では、私にとって人生の目的とは何だろう?
自分の可能性を見出し、それを生かした人生を歩むことだった。それが青春時代に途切れた夢をつなぐ、新たな人生の夢だった。
では、24年間北朝鮮によって拉致されていた私にある可能性とは? いくら考えても朝鮮語しかなかった。自ら進んで身につけたものではないにしろ、今となっては、自分らしい生き方をするための唯一の武器だったのだ。私は韓国語教師と翻訳家の道に進んだ。そしてこの道が将来、「自分らしさ」を超え、私たちの運命を弄んだ東アジア情勢の緊張緩和や各国の友好に少しでも資するものになればという願いも持っている。≫

 

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