2012/05/12

ナウシカを観た夜に。


その者、蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし。

心の奥深く刻まれる言葉と今も眼に焼きつく感動のラストシーン……いつ観ても、何度観ても、ナウシカは素晴らしい。自然と人間、愛と憎しみ、戦争と平和、平等と差別など、私たちの前に横たわる普遍的かつ現在的なテーマを描きながらエンターテインメントとして成立させる圧倒的な制作力にも感嘆させられる。もう、これほどのアニメ作品に私が出会うことはないだろうなあ……と、改めて『コクリコ坂から』他、ここ10年くらいのジブリの“苦闘”を観て思うのだが、2013年劇場公開が噂されている新作は、果たして如何に?

さて、地上波で『風の谷のナウシカ』を観た夜、ふと、昔読んだ一篇の詩を思い出して、本棚に仕舞いっ放しの『現代詩手帖』(特集=戦後詩の10篇、197810月号)を久しぶりに捲ってみた。
詩の題名は「われらの五月の夜の歌」、書いた詩人の名は「三好豊一郎」――戦後詩の原点とも言われる同人詩誌『荒地』の創立メンバーの一人(故人)。「われらの五月の夜の歌」は昭和20年代に荒地誌上に発表された詩だが、私にとってはナウシカと同じように普遍的なテーマの存在と限りないイメージの力を感じさせてくれる“一篇”。その卓越したメタファーによって浮かび上がる世界は、60年経った今も色褪せてはいない。



地球はささえられている 千の手に千の苦痛に
地球はとらえられている 万の手に万の不安に
地球はとざされている 億の手に億の怖れに
地球はただよっている おびただしい欠乏と不毛と荒廃の闘争のうえに

われらの耳は泥のなかに眠る
われらの眼は夜のなかにめざめる
われらの髪は風のなかにみだれる
風はわれらの眠る石のうえを吹く
石の上の黄金境(エルドラド)
廃墟の橄欖樹(オリーブ)
墓堀人夫の黄色い爪――
彼女は鏡のなか  
水底に堆積する永劫の朽葉の間に眠る
欲望は囚われた夢の間を泳ぐ不安な魚である

樹々はすすりないている
彼女は遠く呼んでいる
私は身近にこたえている
風が大声でそれを消してゆく
彼女は胸の奥に小さな塩壺をかくしている
私は大きなコップににがい酒をもっている
彼女の塩壺に 私は一滴の酒をそそぐ
それは恍惚の水晶 恋の腕輪
暗黒の夜に豊醇な香を放つ可憐な花となる
われらは相抱いて地球の落ち窪んだ灰色の陰部に眠る

夏の地平線は緋の色に燃えている
それは飢えと渇きと倦怠と腐敗の季節である
われらはかえるべき故郷をもたぬ
沙漠の海に日かげをさがす生贄の東洋
古びた甲冑 そして二人の恋人
われらは一人の友を失った
酷薄な深淵のうえを追われる愉快な山雀
未来につきだした蒼ざめた首 そして多くの同類
盲目の運命の縞模様がその額に入墨した不滅の十字架
そしてもし、なお残されてあるとしたならば
それは破滅への信頼である 
復活への信仰である

われらの咽喉は清冽な泉を求める
われらの手はさわやかな五月の夜空を撫でる
われらの胸のなかに めいめいの世界と
めいめいのよき未来を抱いて眠る
風はわれらの夢
虚空にかかる苦悩の虹を吹く
大地を制し 太陽を制し われらの希望を制す 夜の鳥の重い翼
死はわれらの幻映よりも大きく
沈黙は海よりも深い……
              (三好豊一郎『われらの五月の夜の歌』)

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