2021/08/13

8月上旬の雑感&メモ①


8月2日(月)

6時台のテレビ…五輪期間中、BS1のワールドニュースはお休み。その代わり、BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」(再放送分)が始まった。

視聴者から寄せられた思い出の場所(こころの風景)を俳優・火野正平が相棒の自転車“チャリオ”に乗って訪ねる。という旅番組だが、その企画のユニークさもさることながら、やはり人気の秘密は、御年72歳の火野正平。

車上でのひとり語り、旅先で出会う人やスタッフとの何気ない会話から自然にあふれる人間味。道端の草や木や虫たちに向けられる優しい眼差し、そして、ちょっと魅力的な女性に出会うと、いきなり声のトーンが変わる素直すぎる性格。加えて、旅の途中の坂道で叫んだ「人生、下り坂最高!」など言葉のセンスも中々で、時折口ずさむ歌にも独特の味がある…

3つ年下の自分が言うのも変だが、「いくつになっても少年のような」とは、こういう大人のこと。自分を飾らず・繕わず、いつでもどこでも自然体、実に“イイ感じの男”だなあ、と思う。(過去に流した浮名は数知れず…らしいが、さもありなん。番組を観て合点がいった)

夜は、五輪女子サッカー カナダVSアメリカを観戦。女子サッカーのレベルの高さを感じさせてくれる好ゲーム。結果はPK1点を守り切ったカナダの勝利。

(今回の五輪、フルで観たのは「男女サッカー」のみ。その他は「鬼やばいっすね」「超やべー」など、ストリートで生まれたスポーツらしい自由で“超ゆるい”解説が面白かったスケートボード、卓球女子、陸上のトラック競技……を少し観た程度。「感動」は無し)

22時過ぎ、友人が送ってくれた話題のSF小説『三体Ⅱ』(劉慈欣/早川書房)を読みながら就寝。(毎夜、寝床で読むのだが、常に5頁ほどで朦朧となり……気が付けば朝)

83日(火)

朝刊1面(東京新聞)の大見出しは《中等症も自宅療養》……

昨夜、菅首相が会見で述べた「重症患者やリスクの高い人以外、自宅療養基本に体制整備」という事実上の「医療崩壊宣言」を受けてのものだが、「中等症」もなにも「自宅療養基本」が大問題で、〈基本“見殺し”体制〉と言い変えたいほどの許しがたい愚策。

(そもそも「自宅療養」って、最初に中国が武漢でやろうとして、家庭内感染や市中感染を引き起こし、直ぐに「失敗だ!」と分かり方向転換した方策。それを今更「基本」にしちゃう恐ろしいほどの無能さ加減……日本政府は中国が数日で気づいた過ちに1年半経っても気が付かないほどバカの集まりなのだろうか? しかも、中国が猛スピードで設置した臨時病床すら、未だに全く用意できない・用意する構えもないとは!? 正に「公助の放棄」そのもの。ホント、心底、ムカつく!)

先日「特に一人暮らしの方々などは、自宅も、ある種、病床のような形でやっていただくことが、病床の確保にもつながるし、その方の健康の維持にもつながる」などと、五輪の喧騒に紛れて、ふざけた事を言い放った小池都知事共々、菅内閣全員、即刻、職を辞すべし。

※午前中は仕事……集金→納金、ペーパー交換。某大学のキャンパスで、蝉がジージー鳴いていた。(無理のないスケジュールを組んでいるのだが、それでもこの暑さは堪える)

夜は、五輪男子サッカー準決勝。日本VSスペイン……結果は0:1敗戦。ボール支配率ほど力の差は感じなかったが、勝てる気もしなかった。(で、不思議なことに、以前のように観ていて熱くならない。負けてもあまり口惜しくない。いつのまにか自分の“サッカー熱”が下がってしまったのだろうか? 久保、堂安、富安、三苫、相馬、田中碧…… 興味深い選手はたくさんいるのだが)

84日(水)

昨日、TBSNスタに倉持仁先生(宇都宮市インターパーク倉持呼吸器内科院長)が出演。

忖度なしの怒り爆発コメントに、スタジオ内は一瞬“固まった”らしい。

https://buzzcutangler.com/news/45109

倉持先生のおっしゃる通り。一刻も早く辞めてほしい。菅も、小池も、五輪も!(ついでに、麻生も安倍も下村も甘利も西村も丸川も…)

85日(木)

朝から仕事。2か所回っただけなので、さほど疲れはなし。仕事帰りに「文春」を購入。

トップ記事は《閉会式に「衝撃計画」天皇陛下が参加の〇×クイズ》(なんじゃ、そりゃ!?)

もちろんボツになったが、企画したのは、女性タレントの容姿を侮辱する演出案を提案し、演出責任者を3月に辞任した佐々木宏氏。

JR東海「そうだ、京都、行こう」、BOSS「このろくでもない、素晴らしき世界」、ソフトバンクの白戸家などのCM&キャンペーンを手掛けた電通の花形ディレクターだった人だが、それらすべて〈ゴースト〉の手によるものだったのでは?と疑いたくなるほどの知性の無さ、あまりのセンスの酷さに愕然とした。

(佐々木氏はコピーライターでもあり、仕事柄その作品もいくつか知っているが、素っ気ないというか、「情」を感じないものが多く、ぶっちゃけ「オレが書いた方が…」と 思えるレベル。但し「そうだ、京都、行こう」のコピーを書いた太田恵美さん等、優秀な人をチョイスする能力はとても高い人だったように思う。五輪の垢にまみれて、そういう力・感覚すら無くなった、ということだろうか?)

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