2018/09/29

「新潮45・休刊」&「せやろがいおじさん」




25日、新潮社が「新潮45」の休刊(事実上の廃刊)を発表した。

理由は「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません…十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて休刊を決断しました」とのことだが、バカも休み休み……どこの世界に、あれほど無知で偏見に満ちた下劣な文章(小川榮太郎『政治は「生きづらさ」という主観を救えない』)をノーチェックで印刷に回す出版社があるのか。

と、半ば呆れながら憤っていたところ、翌朝「編集長、編集部のトップよりもさらに上の担当役員レベルのGOサインがあった」(新潮社の現役社員の話)という情報がテレビ(『羽鳥慎一モーニングショー』)から流れてきた。

やはり「企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」のではなく、ちゃんと社内的な“吟味とチェック”を行ったうえで、取締役レベルで決定された確信犯的企画だったということ。新潮社側の“深い反省の思い”とは、「安易な炎上商法で売上増を目論んだものの、あまりに質の悪い油を火の中に注ぎ過ぎてしまった」ことに対するものだろう。(コラムニストの小田嶋隆さんは「炎上の火加減をあやまった焼身自殺」と語っていたが、まさにそんな気がする)

で、その休刊を受けて、当の小川榮太郎氏も含め「言論弾圧」「全体主義的」だと騒いでいる人がいるが、何をかいわんや。「新潮45」は公権力によって強制的に排除されたわけではなく、民主主義社会の「表現の自由」市場において、LGBTの人たちや読者・市民、そして言論の自由を尊ぶ作家たちの批判を浴び、他の出版物への飛び火を恐れた当事者の手で淘汰されただけの事。(「表現の自由」には、その表現物を批判する自由も含まれるのは当たり前の話。それに対して説明責任を果たさず幕引きした新潮社には「情けない!」の一言)

故に、この「休刊」に関連して、私的に考えるべき問題があるとすれば「表現・言論の自由とは何か」「不寛容な言動や行動に、今後どう対応するべきなのか」という点のみ。

フランス文学者の故・渡辺一夫さんは、その著書『狂気について』の中で「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきでない」「不寛容は必ず薄れてゆくもの」と語っていたが、さて、どうしたものだろう?
現状、ますます「不寛容」が色濃くなっているように思うし、多様性を否定する国会議員(杉田水脈)の発言を「多様性の内」に入れて庇う総理大臣がいる国だし、その総理を讃えるヨイショ本を書いた人間が「新潮45」を休刊に追い込んだ張本人ではなあ……

と、色々思う所はあるが「新潮45」の件はこのくらいにして、お気に入りの動画で気分転換。

つい最近その存在を知り、新ネタがアップされる度に楽しませてもらっている話題のYouTuber
「せやろがいおじさん」……沖縄の青い海をバックに、時事問題を中心に思いの丈をぶちまける2分強の動画だが、実に痛快、後味爽快。偏見や差別にド正論のストレート・パンチを浴びせながらも、常に愛とユーモアを忘れない彼の温かい人柄と芸人魂に「この人、いいなあ。面白いなあ」「長く続けてほしいなあ」とエールを送る今日この頃。ぜひ、皆様も、ご覧あれ。
(「せやろがいおじさん」の正体は、沖縄のお笑いタレント・榎森耕助さん。動画は下記アドレスから)




※明日(30日)は、「立憲フェス」(立憲民主党の党大会)へ参加予定。台風が気になるが、それより気になる「沖縄県知事選挙」。(何としても、玉城デニーさんに勝ってほしい!)

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