2018/06/14

「たとえばぼくが死んだら」




一昨日、同い年のシンガーソングライターの訃報あり。40数年ぶりに彼女の曲を聴いていた。


たとえば ぼくが死んだら
そっと忘れてほしい
淋しい時は ぼくの好きな
菜の花畑で泣いてくれ

たとえば 眠れぬ夜は
暗い海辺の窓から
ぼくの名前を風にのせて
そっと呼んでくれ

たとえば 雨にうたれて
杏子の花が散っている
故郷をすてた ぼくが上着の
襟を立てて 歩いている

たとえば マッチをすっては
悲しみをもやす このぼくの
涙もろい 想いは 何だろう

たとえば ぼくが死んだら
そっと忘れてほしい
淋しい時は ぼくの好きな
菜の花畑で泣いてくれ

少女のようにナイーブで透明な声、切なく軽く弾むように刻むメロディに漂う独特の孤立感と喪失感……自らの青春への別れが様々な具体的情景とともに歌われる彼女の歌を、一時期わたしは、当時愛読していた漫画家・永島慎二の作品世界に(「若者たち」「青春裁判」「フーテン」等)重ね合わせて聴いていた。(中には「安全カミソリがやさしく/ぼくの手首を走る/静かにぼくの命は/ふきだして……」といった自死の企てと“発狂”を歌った曲もあり、「おいおい、なに言ってんだよ?!」と、たじろがされることもあったが)

デビュー曲は「さよならぼくのともだち」……“挫折感を甘美に歌った名曲”とでも表現すればいいのだろうか。学園紛争が吹き荒れる時代に高校生活を送り(病気により高校中退)、20歳の夏、友人の死をきっかけに歌手活動をスタートした彼女が歌う「青春のカタチ」は、60年代半ばから70年代はじめに学生生活を送った人たちの青春と切なく今も重なり合っている。


その歌の一途な優しさと哀しさ。そして「私」ではなく自らを「ぼく」と呼び、仮構された存在として歌い続けた頑なさと脆さを、あの頃の私たちの一つの「心のカタチ」として、とても懐かしく、また愛おしくも思う。

さよなら、森田童子さん。

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