2018/06/23

20日分のメモ①




61日(金)
O君宅で飲み会あり(横浜線・古淵駅11時半集合)。去年ベトナム旅行を共にした仲間6人が集まった。会は12時スタート。0君夫妻の手作り&それぞれが持ち寄った料理をパクつきながら、ビール、「魂乃鼓」(O君の仕事場だった東海大学が開発した特別純米酒)、「森伊蔵」……と呑み続け(&語り続け)、気が付いたら時計の針は夜8時。
「お腹一杯、酒いっぱい」で、少しフラフラしながらO君の家をあとにした。10時頃帰宅。


2日(土)
宿酔。「半分、白い」一日……録画していた「チコちゃんに叱られる」「孤独のグルメ」などを見ながら終日グダグダ。頭の中から、昨日の記憶が半分飛んでいた。

4日(月)~6日(水)
急ぎの仕事もないので連日ほぼ自宅で映画三昧。テレビ録画していた『鬼平犯科帳』(時代劇専門チャンネルで放映)を皮切りに、TSUTAYAで借りたDVD『キングスマン』『あゝ荒野』『人生はシネマティック』を一日おきに観ていた。

その中で特に印象深かったのは、前・後編合わせて5時間超の大作『あゝ荒野』(監督・岸善幸/2017年製作)。

原作は、1960年代の新宿を舞台にボクサーを目指す2人の若者の青春を描いた寺山修司の長編小説「あゝ荒野」(メインプロットは「あしたのジョー」の焼き直し)だが、映画の舞台は、学生運動華やかなりし頃の新宿ではなく、東京オリンピックが終わった翌年の2021年・新宿……親の愛に恵まれず、“捨て犬”のように暮らしていた2人の男の運命的な出会いと闘いを描く。(その切なくも苛烈な青春劇と並行して、「自殺抑止研究会」の不穏な活動、政府が推し進める「選択的徴兵制」に対する学生・市民による抗議デモ、何者かによる「爆弾テロ」など、混迷する日本の象徴としての「新宿」が描かれる)

主人公は、幼少期に父の自殺を目撃した過去を持ち、その後、母に捨てられ、犯罪に手を染めながら生きていた21歳の新次(菅田将暉)と、吃音と対人恐怖症から人と馴染めず新宿の理髪店で働きながら、暴力的・破滅的な父と狭いアパートの一室で暮らす健二(ヤン・イクチュン。『息も出来ない』の監督・主演で知られる韓国の名優)……理不尽な体験の果てに親を捨て、愛とも友情とも形容しがたい不思議な関係性を保ちながら、否応も無く押し付けられた過去と時代や為政者が一方的に作り出そうとする未来に抗うように、走り、殴り、スパークし、それぞれの魂が求める闘いの頂点に駆けあがろうとする2人。その熱量の凄まじさ、鍛え抜かれた肉体の動きに魅了され、ラスト10分、ふと気がつけば目頭が濡れていた。
(エンドロールが流れる頃はほぼ放心状態……作品も見事だが、何と言っても菅田将暉。惚れるレベルの素晴らしさ! ヤン・イクチュンも流石の演技。グッとくるほど切なイイ! 木下あかり、ユースケ、でんでん、高橋和也、木村多江など……脇役陣も文句なし!)

7日(木)
友人のY君に「なかなか良かったよ」とメールで勧められた『長谷川利行展 七色の東京』を観に「府中市美術館」(JR武蔵小金井駅からバスで10分、歩いて1)へ。

長谷川利行(はせがわとしゆき18911940、通称リコウ)は京都・山科生まれ。青春時代を短歌・詩など文学に傾倒して過ごし、30歳頃に画家を志し上京(なぜ文学の道を捨てたのかは不明)。独学で技法を体得し、30代半ばに二科展や1930年協会展などで受賞を重ねるなど、その才能を開花させた。しかし、生来の放浪癖と酒癖で生活は破綻。浅草や山谷、新宿の簡易宿泊所を転々としながら、「関東大震災から太平洋戦争直前まで、昭和初期の東京を歩き回り、怒涛のように描きまくった」末に、最後は三河島の路上で倒れ、板橋の東京市養育院で誰の看取りも無く49年の生涯を閉じたという。(昭和初期のモダンな東京の喧噪や、内面に寄り添うような独特の人物像を、自由奔放な筆致と明るい色彩によって描いたその画風と波乱に満ちた生涯から「日本のゴッホ」とも呼ばれている)

その“リコウ”が描いた「東京」は、本展のタイトル通りまさに七色……千住のガスタンクやお化け煙突、隅田公園の屋外プール、浅草の神谷バーや何処かのカフェ、地下鉄の駅の賑わい。そしてカフェの女給や浅草の芸人、質屋の子守といった無名の人々など、鋭い感性に裏打ちされた自由奔放な筆致と明るく深い色彩によって描かれた約140点の作品たちが、思いのほか明るくモダンで楽しげな80年前の東京を眼前に蘇らせてくれる(その楽しさ・嬉しさ・懐かしさ)。中でも特に心を奪われたのは、やけつくような赤と黒が印象的な大作「汽罐車庫」(112.0×194.0)。赤煉瓦の車庫の中で生き物のようにうごめく黒い機関車から、長谷川の暗く激しい情念が立ち上っているように思えて、暫くその絵の前から動けなくなってしまった。

後で知ったことだが、今は亡き俳優・渥美清も戦後この絵を展覧会で見て魅了されていたらしく、こう記している。

 《仕事が思うようになかったあの頃。西日が差し込む田方の下宿の赤茶けた畳に寝転んで、あー金があったら。仕事にありつけたらと、鬱々としていた。ふとしたことで惹かれるように見た「田端機関車庫」という絵があった。このヒトが、この絵を描いたとき、田端は寒かったのか?お腹がすいていなかったのか?あの仕事がなかった田端の夕暮れを思い出すと、いつしかそれは、長谷川利行の田端風景となって浮かんでくる。私に絵などわかる訳はない。ただいつまでも忘れられない絵がこの世にあるものだと思う》(1976年、毎日新聞社主催「放浪の天才画家 長谷川利行展」に寄せた推薦文より)

汽罐車庫 1928年 油彩、カンヴァス 112.0×194.0cm 交通博物館蔵『放浪の天才画家長谷川利行』展図録より
「終生家もなければ家族もなく、一銭の蓄えも家財さえなかった。浴衣にちびた下駄を引っかけ、野良犬のようにさまよいながら珠玉の作品を我々に残してくれたのである」とは、後に長谷川の作品を多数収集した上野の羽黒洞、木村東介氏の言葉。

どうやら私は「捨て犬」「野良犬」に惹かれやすいタチのようだ。

 

 

 

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