2016/08/29

獄中句と『君の名は。』



詠まざればやがて陽炎 獄の息

今日の朝刊(朝日「歌壇・俳壇」俳句時評)にオウム真理教事件の死刑囚・中川智正の句が紹介されていた。記事によると彼は現在、俳句をよすがに独房で悔悛の日々を送っているという。

かのピカは七十光年往けり夏

指笛は球場の父 虎落笛(もがりぶえ)

繊細な感受性と強い正義感は時に人生の歯車を大きく狂わせる……公判中「生まれてこなければよかった」「私は人間失格。すべてを関係者におわびします」と述べた男はいま、自らの罪の深さを原爆に重ねて慄き、またある時は、応援席の父と過ごした少年野球の思い出を手繰りながら帰らぬ日々を思い、死と隣り合わせの独房で厳しい夏と向き合っている。

《奈落の底から生まれた俳句は勁(つよ)い。認識と感情が一本の草になって立っている。草は人間とは何かを問う境界線になろうとしている》
記事の結びに書かれた恩田侑布子さんの言葉が印象的だ。

“人間とは何か”か……なぜ人生には、生きている間に解けそうもない問題ばかりが押し寄せてくるのだろう。これ以上、脳ミソのキャパを増やせそうもない自分にまで。

さて、朝からこんなヘビーで心揺さぶる句に出会ったせいか、昨日Tジョイで観たアニメーション映画の余韻はすっかり薄れてしまったが、消えないうちにその感想をサクっと。

『君の名は。』(監督/新海誠)……

青春のど真ん中から遠く離れた前期高齢者(一歩手前)の男が、今さら“時空を超えてつながるラブストーリー”なんぞに胸キュンしていていいものか?と思うが、いいんです!!

大概の男は幾つになっても己の不甲斐なさと後悔の塊を心の奥に留めながら生きているもの。その揺るぎない切なさをダイレクトにくすぐられたら仕方なし。とにかく空が美しかった。
(「誰そ彼(たそかれ)」と「ムスビ(産霊)」……奇跡につながる繊細な言葉も心に残った)

 

 

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