2014/12/17

『跳びはねる思考』から、『となりのシムラ』へ。



おとといの夜、床暖だけの寒い部屋でテレビを見ながら、ついうたた寝をしてしまった。結果、くしゃみ、鼻水、咽喉の痛み……お決まりの風邪。

翌朝(昨日の)、即行で行きつけの耳鼻科へ。「初期の風邪ですね」と処方箋をもらい、その後は買い物にも出ず、『跳びはねる思考』(著者・東田直樹)などを読みながら、一日中、暖かい部屋で静かに過ごしていた。(もちろん、ビールも焼酎も飲まない臨時休肝日)

『跳びはねる思考』は、重度自閉症の作家・東田直樹さんが執筆してきたコラム(cakesに連載)に書き下ろしエッセイを加えてまとめたもの。22歳になった彼の現在を語るエッセイ集だ。
その本の「はじめに」にはこう書かれている。《僕がどんなに高く跳びはねても、それは一瞬のことで、すぐに地面に着地してしまいます。なぜなら、体というおもりがついているからです。しかし、思考はどこまでも自由なのです。》

何よりも驚かされるのは、自分の内面を明かしながらイメージの世界を自由に駆け巡る、その言葉のドキッとするような素直さと瑞々しさ。

例えば、自閉症の人は、なぜ「挨拶」が難しいのか。それについて彼はこう語る。
《僕には、人が見えていないのです。人が風景の一部となって、僕の目に飛び込んでくるからです。山も木も建物も鳥も、全てのものが一斉に、僕に話しかけてくる感じなのです。それら全てを相手にすることは、もちろんできませんから、その時、一番関心のあるものに心を動かされます。引き寄せられるように、僕とそのものとの対話が始まるのです。それは、言葉による会話ではありませんが、存在同士が重なり合うような融合する快感です。挨拶をするために人だけを区別するのは、本当に大変です。相手が誰だかすぐにはわからないことも、挨拶ができない理由のひとつですが、僕にとっては人間が魅力的な存在ではないからでしょう。》

 震災以降の流行り言葉に関してのこんな感想もある。
《僕が大人になって気づいたことは、理想郷は、どこにもないという現実です。「僕を待っている人」も、脳がつくり出した幻想でしょう。絆というものを、目標を達成するための手段のように使うことがありますが、僕は違うとらえ方をしています。絆は、人が人であることを自覚し、今生きていることを感謝するための祈りの言葉だと思うのです。だから、絆によって人は結びつくのではなく、絆は確かめ合うものではないでしょうか。》

そして、私がこのエッセイの中で最もジーンと胸に沁みた「空いっぱいの青」……
《青空を見ると泣けてきます。空がまぶしいためか、何かを思い出させるからなのかわかりません。その感情に流されながら、青空を見つめ続けると、ふと我に返ることがあります。この「我」とは、何でしょう》
《空を見ている時には、心を閉ざしていると思うのです。周りのものは一切遮断し、空にひたっています。見ているだけなのに、全ての感覚が空に吸いこまれていくようです。この感じは、自閉症者が自分の興味のあるものに、こだわる様子に近いのではないかという気がします。ひとつのものしか目に入らないのではなく、言いようもなく強く惹かれてしまうのです。それは、自分にとっての永遠の美だったり、止められない関心だったりします。心が求めるのです。たぶん、論理的な理由などないでしょう。自閉症者が何かにこだわるのも、説明できるものばかりではないと思います。》
《人の行動は、何を基準に異常だと決められるのでしょう。何度注意されても、なぜ自閉症者は、こだわり行動を止められないのでしょう。僕が青空を見て泣けてくる気持ちは、こだわり行動をしている時の気持ちに少し似ています。せつなくて、寂しくて、どうしようないくせに幸せなのです。》

「せつなくて、寂しくて、どうしようもないくせに幸せ」……こんな言葉と感情に触れると、自分の殻に閉じこもっているのは、寧ろ、私(たち)の方ではないのか?とすら思ってしまう。また、勉強の中で特に関心がある分野は「歴史」、「戦争や差別についてなど、人が繰り返し同じ過ちを犯すことに興味がある」そうだ。
(困ったね~、「定型発達」した私たちは、いつまでも「国家」の幻想に捉われ、その存在を疑わず、戦争や差別を無くす道を忘れてしまったみたいだ。貧困を解消しつつ、戦争や差別を生み出す根源である「国民国家」の解体を促す方向、それを模索し、その道を進むことは見果てぬ夢なのだろうか)

という風に、『跳びはねる思考』を読みつつ、コチラも若干、哲学的?に「思考(夢想?)」した後は、志村けんのコント番組『となりのシムラ』(NHK)で、哀切感漂う「人生」を味わうことに……う~ん、堪らんなあ、この面白さ!(特に、スマホの「予測変換」)、やってくれるなあ、NHK!と、クスクス笑いながら拍手を送った次第。

それにしても、やはり「志村けん」はスゴイ。60過ぎてなお、気負わず、変わらずコントを貫く姿勢が素晴らしい。
昔、数多のタレントを撮影した経験のある知り合いのカメラマンに、「今までで、誰の撮影が一番面白かった」と聞いたことがあるが、彼は「凄かったですよ。完全にボクの負け。やられました!」と言いながら、即座に「志村けん」の名を挙げたっけ……撮影後、100枚を越えるネガを丹念にチェックした際、一枚として同じ顏がなく、震えがくるくらい驚嘆したそうだ。(つまり、連写のスピードより、表情を作るのが速いということ) 天才は、やはりいるもんだ。

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