2014/12/31

大晦日に「絶望」を思う。



「この国には、何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」……“ゆっくりと死んでいく患者のような日本経済”への危機感を背景に、そこで生きる若者たち(&子どもたち)の閉塞感を捉えながら、新たな希望の方向を示そうとした小説『希望の国のエクソダス』(村上龍)がセンセーショナルな話題を集めて、早14年。

「希望」が、そこかしこに生まれる社会になったかどうかは定かでないが、その間、大学では「希望学」(東大社研)という新たな研究分野が生まれ、さらに3.11を経て、「絆」や「夢」とセットになった「希望」は、より強く豊かで明るい未来をイメージさせる言葉になった。
普段でも「希望」という言葉を聞かない・目にしない日がないくらい、「希望」は私(たち)の身近に溢れてきたような気がする。

でも、いま私は、「希望」を持つことの大切さを噛みしめるより、その真逆の、こんな言葉に共感し頷かされている。

それは、先週の木曜、朝日新聞の論壇時評「選挙の後に 投票先は民主主義だ!」(高橋源一郎)に書かれていた、「この国は絶望が足りない」という森達也氏の発言だ。(記事は、オンライン・政治メディア「ポリタス」での「投票」の意義をめぐる議論を、源一郎さんが抜粋し解説を加えたもの。「投票先は民主主義だ」は漫画家・しりあがり寿の言葉)

高橋源一郎によると、森達也は「もう(選挙に)行かない派」。《選挙前から、与党の勝ちと結果はわかっている。おまけに、権力を監視する装置としてのメディアは「その機能を放棄しかけている。ほぼ現政権の広報機関だ」「だからもう投票には行かなくていい。落ちるなら徹底して落ちたほうがいい。敗戦にしても原発事故にしても、この国は絶望が足りない。何度も同じことをくりかえしている。だからもっと絶望するために、史上最低の投票率で(それは要するに現状肯定の意思なのだから)、一党独裁を完成させてほしい。その主体は現政権ではない。この国の有権者だ」》と“悲しげに”書いたそうだ。

「これって、選挙前のオレの気分と同じじゃん!」と、その気持ちを代弁してくれたような森氏の文に思わず「異議なし」と心の中で叫んだ私……その勢いで『希望の国のエクソダス』の一文を捩ってみたくなった。

「この国には、希望がたくさんある。本当にいろいろな夢と希望があります。だが、絶望が足りない」

というわけで、来年に「希望」をつなぐべき大晦日に、あまりふさわしくない話になってしまいましたが、忘れてはいけない「絶望」を、しっかりと未来につなぐことも「希望」への道のり。
「バイアグラ連打状態」(旧知の仲間との忘年会の帰り道、経済学者の友人がそう言っていた)のアベノミクスの行く末を見届けつつ、新たな「希望」を見つめる2015年にしたいもの。

では、皆さま、よいお年を。

※今夜の「紅白」は、サザンの飛び入り参加(ライブ中継?)と、美輪さんの「愛の讃歌」だけ観たい。吉田類の「酒場放浪記」も気になるし。

2014/12/29

勝手に、コトノハ映画賞(2014)



《外国映画部門》
●最優秀作品賞
『グランド・ブダペスト・ホテル』(製作国:ドイツ、イギリス/監督:ウェス・アンダーソン)

●優秀作品賞
『あなたを抱きしめる日まで』(製作国:イギリス、アメリカ、フランス/監督:スティーヴン・フリアーズ)
『ダブリンの時計職人』(製作国:アイルランド、フィンランド/監督:ダラ・バーン)

●監督賞
ウェス・アンダーソン(『グランド・ブダペスト・ホテル』)
独創的で、緻密で、お洒落で、ビックリ箱のようで、優しくて、純粋で、思慮深く、コミカルで、ミステリアスで、ノスタルジックで、スリリング。そして超民族的で反戦・反権力……要するに、とても魅力的で、いま最も注目すべき若手監督(45歳ですが)、その荒唐無稽の冒険と闘争の物語に大拍手。
●主演男優賞
フィリップ・シーモア・ホフマン(『誰よりも狙われた男』)※亡き名優に敬意を表して。
●主演女優賞
ジュディ・デンチ(『あなたを抱きしめる日まで』)※別格の演技と存在感!
●助演男優賞
ジャレット・レト(『ダラス・バイヤーズ・クラブ』)※その美しさと哀しさに。
●助演女優賞
該当者なし。

●長編ドキュメンタリー映画賞
『自由と壁とヒップポップ』(製作国:パレスチナ、アメリカ/監督:ジャッキー・リーム・サッローム)

●長編アニメーション映画賞
TSUMI マンガに革命を起こした男』(製作国:シンガポール/監督:エリック・クー)

●特別賞
クリント・イーストウッド(監督作品『ジャージー・ボーイズ』)

《邦画部門》(さほど、数は観ていませんが)
●最優秀作品賞 
『太秦ライムライト』(監督:落合賢)

●優秀作品賞
『ぼくたちの家族』(監督:石井裕也)※「家族映画」の秀作。

●監督賞
石井裕也(『ぼくたちの家族』)
31歳の若さで、この技量。どこにでもある家族の何気ない日常を追い、「普通の人々」の心情を丹念に掘り下げながらリアルな「再生」のドラマを作り上げる、地に足のついたカメラワークは、立派!の一言。(さすが、満島ひかりのダンナ様)
●主演男優賞
福本清三(『太秦ライムライト』)※「5万回斬られた男」、その太秦魂に。
●主演女優賞
該当者なし。
●助演男優賞
該当者なし。
●助演女優賞
原田美枝子(『ぼくたちの家族』)※狂女も少女もお手のもの。日本が誇る演技派女優。

●長編ドキュメンタリー映画賞
『ある精肉店のはなし』(監督:纐纈あや)

以上。

2014/12/24

クリスマスソングのかわりに。



今朝、新聞の訃報記事で「ジョー・コッカー」の死を知った。享年70歳。
「イギリスのレイ・チャールズ」の異名をとった、ソウルフルなロックボーカリスト。その絞り出すようなハスキーボイスが堪らなく魅力的だった。特にウッドストックでの熱唱が忘れられない。


記憶に新しい所では、82年の映画『愛と青春の旅立ち』の主題歌の大ヒット(ジェニファー・ウォーンズとのデュエット)だろうか……でも、一押しはやはり「ユー・アー・ソー・ビューティフル」(ビリー・プレストンのカバー)。

今宵はクリスマス・イブ。

長きに渡ってアルコール中毒に悩まされたジョー・コッカーの死を悼みつつ、この曲を。(You Are So Beautiful  君はとても美しい)

2014/12/23

3日間のメモ。



1220日(土)
[1615分~1820]
新宿武蔵野館で『マップ・トゥ・ザ・ハリウッド』(監督/デヴィッド・クローネンバーグ)を鑑賞。「ハリウッドセレブを風刺した作品」ということだが、かなりアンダーな「イカれた雰囲気」が漂う、後味の悪い映画(でも、目が離せない)。ジュリアン・ムーアの怪演が見もの。(まあ、映画自体、役者たちの演技合戦という風情だろうか。題材的にはイマイチ乗り切れなかった)

[19時~21]
「まぼろしぃぃ~~」と、帰り道で、IKKOさんの声が頭の中で木霊したような気がした、「お別れ会」。(場所は、恵比寿の居酒屋「梟」)
かつて同じ職場で働いていたといっても、20年近くも経てば仕事も含めて共通の話題はなくなる。まして、40歳での中途入社。企業内フリーランスのように独りで自由に仕事を牽引し、制作企画等で自ら一線を画して周りから浮いていた(?)その頃の自分に「仲間」と呼べるような人もなし。
それゆえ、故人の生前の話題以外、大して話すこともなければ、余計な思い出や感傷に捉われることもなく、一次会終了後、幹事のNさんに「元気で」と声をかけ、一人静かに席を後にした。(親族の方の話によると、故人は「亡くなる一週間前の検診で、血液測定の数値が異常に高く即入院。あっと言う間の旅立ちでした」とのこと。長く苦しまれなくて良かったと思う。合掌)

 1221日(日)
市議会議員選挙。午前中に投票を済ませ、午後は、福島第一原発の作業員が描く原発ルポ漫画『いちえふ』(福島第一原子力発電所労働記1)を一気読み。
帯のコピーにはこう書いてある。《これが 彼がこの目で見てきた「福島の現実」。》……スペクタクルもサスペンスも、告発されるべき巨悪もなく、ただ著者が体験した現場が描かれるだけの「ドキュメンタリー漫画?(記録マンガ?)」だが、「多層下請け構造」に翻弄される現場作業員のリアルな生活に見入って、頁をめくる手が止まらなくなってしまった。

夜は、「ごめんね青春!」の最終回。さすがクドカン、平助が告白を聞く側に回ったラストのオチも冴えていた。最後まで視聴率が伸びなかったのは残念だが、個人的には本年度ベスト1の連ドラ(大して数は観てないが)。風間杜夫、満島ひかりの豪快かつ爽快なキレっぷりを筆頭に、役者陣も特上級! 何ひとつ文句なく、存分に楽しませてもらった。(次は、映画で観たいなあ)

1222日(月)
新宿「酔心」で、来年の仕事話も込みの忘年会(午後7時スタート)。N社のSさん、代理店のJさん、そして私の3人で一年ぶりに席を囲んだ。(牡蠣料理の専門店なので、料理のメインは当然「かき鍋」)

「ラジオ、いいですね~。やりたいですね~」というSさんの意向に沿って方向性を探った“仕事話”も、グッド・アイデア噴出で、かなりヒートアップしたのだが(合間に、時事ネタ・映画ネタ、仲居さん飛び入りの温泉ネタなどを挟みつつ)、3人とも自宅で猫を飼っている者同士、いつの間にか、話の流れはネコ方面へ。
Sさんが飼われている猫(ヒマラヤン)が、家のトイレで便座の上に乗って用を足すという話に、(そんな、文化的な猫がいるんだ!?)とビックリ。「えっ、じゃあ猫砂も必要なしですか!?」「ええ。でも、トイレの水は自分で流せないですけど」……と続けられ、そりゃそうだと顔を見合わせ大笑い。

そんな風に硬軟取り混ぜた話題で盛り上がり、飲み会は2時間後の9時にお開き。
新宿駅で「良い、お年を」「来年も、よろしく」と3人で交互に握手を交わしながら、心地よくそれぞれの帰路に就いた。

ということで、今年最初の「忘年会」は楽しく終了。残すは後2件!(2729日)……

2014/12/17

『跳びはねる思考』から、『となりのシムラ』へ。



おとといの夜、床暖だけの寒い部屋でテレビを見ながら、ついうたた寝をしてしまった。結果、くしゃみ、鼻水、咽喉の痛み……お決まりの風邪。

翌朝(昨日の)、即行で行きつけの耳鼻科へ。「初期の風邪ですね」と処方箋をもらい、その後は買い物にも出ず、『跳びはねる思考』(著者・東田直樹)などを読みながら、一日中、暖かい部屋で静かに過ごしていた。(もちろん、ビールも焼酎も飲まない臨時休肝日)

『跳びはねる思考』は、重度自閉症の作家・東田直樹さんが執筆してきたコラム(cakesに連載)に書き下ろしエッセイを加えてまとめたもの。22歳になった彼の現在を語るエッセイ集だ。
その本の「はじめに」にはこう書かれている。《僕がどんなに高く跳びはねても、それは一瞬のことで、すぐに地面に着地してしまいます。なぜなら、体というおもりがついているからです。しかし、思考はどこまでも自由なのです。》

何よりも驚かされるのは、自分の内面を明かしながらイメージの世界を自由に駆け巡る、その言葉のドキッとするような素直さと瑞々しさ。

例えば、自閉症の人は、なぜ「挨拶」が難しいのか。それについて彼はこう語る。
《僕には、人が見えていないのです。人が風景の一部となって、僕の目に飛び込んでくるからです。山も木も建物も鳥も、全てのものが一斉に、僕に話しかけてくる感じなのです。それら全てを相手にすることは、もちろんできませんから、その時、一番関心のあるものに心を動かされます。引き寄せられるように、僕とそのものとの対話が始まるのです。それは、言葉による会話ではありませんが、存在同士が重なり合うような融合する快感です。挨拶をするために人だけを区別するのは、本当に大変です。相手が誰だかすぐにはわからないことも、挨拶ができない理由のひとつですが、僕にとっては人間が魅力的な存在ではないからでしょう。》

 震災以降の流行り言葉に関してのこんな感想もある。
《僕が大人になって気づいたことは、理想郷は、どこにもないという現実です。「僕を待っている人」も、脳がつくり出した幻想でしょう。絆というものを、目標を達成するための手段のように使うことがありますが、僕は違うとらえ方をしています。絆は、人が人であることを自覚し、今生きていることを感謝するための祈りの言葉だと思うのです。だから、絆によって人は結びつくのではなく、絆は確かめ合うものではないでしょうか。》

そして、私がこのエッセイの中で最もジーンと胸に沁みた「空いっぱいの青」……
《青空を見ると泣けてきます。空がまぶしいためか、何かを思い出させるからなのかわかりません。その感情に流されながら、青空を見つめ続けると、ふと我に返ることがあります。この「我」とは、何でしょう》
《空を見ている時には、心を閉ざしていると思うのです。周りのものは一切遮断し、空にひたっています。見ているだけなのに、全ての感覚が空に吸いこまれていくようです。この感じは、自閉症者が自分の興味のあるものに、こだわる様子に近いのではないかという気がします。ひとつのものしか目に入らないのではなく、言いようもなく強く惹かれてしまうのです。それは、自分にとっての永遠の美だったり、止められない関心だったりします。心が求めるのです。たぶん、論理的な理由などないでしょう。自閉症者が何かにこだわるのも、説明できるものばかりではないと思います。》
《人の行動は、何を基準に異常だと決められるのでしょう。何度注意されても、なぜ自閉症者は、こだわり行動を止められないのでしょう。僕が青空を見て泣けてくる気持ちは、こだわり行動をしている時の気持ちに少し似ています。せつなくて、寂しくて、どうしようないくせに幸せなのです。》

「せつなくて、寂しくて、どうしようもないくせに幸せ」……こんな言葉と感情に触れると、自分の殻に閉じこもっているのは、寧ろ、私(たち)の方ではないのか?とすら思ってしまう。また、勉強の中で特に関心がある分野は「歴史」、「戦争や差別についてなど、人が繰り返し同じ過ちを犯すことに興味がある」そうだ。
(困ったね~、「定型発達」した私たちは、いつまでも「国家」の幻想に捉われ、その存在を疑わず、戦争や差別を無くす道を忘れてしまったみたいだ。貧困を解消しつつ、戦争や差別を生み出す根源である「国民国家」の解体を促す方向、それを模索し、その道を進むことは見果てぬ夢なのだろうか)

という風に、『跳びはねる思考』を読みつつ、コチラも若干、哲学的?に「思考(夢想?)」した後は、志村けんのコント番組『となりのシムラ』(NHK)で、哀切感漂う「人生」を味わうことに……う~ん、堪らんなあ、この面白さ!(特に、スマホの「予測変換」)、やってくれるなあ、NHK!と、クスクス笑いながら拍手を送った次第。

それにしても、やはり「志村けん」はスゴイ。60過ぎてなお、気負わず、変わらずコントを貫く姿勢が素晴らしい。
昔、数多のタレントを撮影した経験のある知り合いのカメラマンに、「今までで、誰の撮影が一番面白かった」と聞いたことがあるが、彼は「凄かったですよ。完全にボクの負け。やられました!」と言いながら、即座に「志村けん」の名を挙げたっけ……撮影後、100枚を越えるネガを丹念にチェックした際、一枚として同じ顏がなく、震えがくるくらい驚嘆したそうだ。(つまり、連写のスピードより、表情を作るのが速いということ) 天才は、やはりいるもんだ。

2014/12/10

渋谷で、ほろにが珈琲&『白夜のタンゴ』



月曜の朝、デザイナーのH君からメールあり。以前お互いが勤めていた制作会社の社長が亡くなったとのこと。そのお別れ会の案内だった。

ここ数年、年の瀬は思いがけぬ訃報に接することが再々。一人、また一人、縁あって出会った人が亡くなっていく。
否応なく、そういう年になったんだなあ……と思いつつH君に返信&仕事上の用事もあったので「今日、渋谷に映画を観に出かけるけど、その前に会う?」と電話。1時半過ぎにハチ公前で待ち合わせ、道玄坂の「エクセルシオールカフェ」で30分ほど、亡くなった社長と無くなった会社の話をしながら昔を偲び、ほろ苦い珈琲を飲んだ。

その後「じゃあ、20日、お別れ会で」と、店の前でH君と別れ、まっすぐ「ユーロスペース」へ。1450分上映開始の音楽ドキュメンタリー『白夜のタンゴ』を観てきた。

映画の冒頭は、何と、フィランド映画界の重鎮にして世界的名匠、私も大好きな「アキ・カウリスマキ」の仏頂面アップ&モノローグ……
「俺は怒ってるんじゃない…。いや、ちょっと怒っているといってもいいかもしれない。アルゼンチン人はタンゴの起原を完全に忘れてしまっているんだ。タンゴはフィンランドで生まれたものなんだ」(まさかの、出演・カウリスマキ!で、タンゴがフィンランドで生まれた?……ドキュメンタリー映画にして、意表を突くこの始まりの面白さ!)

カウリスマキの主張によると、タンゴは1850年代に現ロシア領のフィンランド東部で生まれ、1880年代に西部へ伝播。その後、船乗りたちがウルグアイ経由でアルゼンチンに広めたのだという。で、アルゼンチン人がその順序も、フィンランドがルーツであることも忘れ、自分たちがタンゴのオリジネイターであると思い込んでいることに彼は腹を立てているのだった。

だが、そのカウリスマキをはじめとするフィンランド人の「フィンランド、タンゴ起源説」を、国を挙げてタンゴに情熱を注いでいるアルゼンチンの人々が、黙って受け入れるわけがない。(特に「俺たちの音楽こそ、世界で唯一の本物のタンゴだ!」と自負するミュージシャンたちは)
「ならば、真実を確かめてやる」と意気込み、喧噪のブエノスアイレスを離れ、静かなフィンランドへ旅立つ3人のアルゼンチン人タンゴミュージシャン……そこから始まる男たちの珍道中は、ドキュメンタリーというよりオモシロ爽やかロードムービーといった風情。

延々と続く森と湖。スカンジナビアの大自然に囲まれ、一本道を車で走り抜ける彼ら。湖畔で休み、サウナに入り、集会場でタンゴを踊る人々と交流してみたり。人の少なさに驚き、のんびりした北欧気質に戸惑い毒づきながらも、各地でミュージシャンとセッションを重ね、いつしかフィンランドに魅了されていく……

というわけで、「タンゴの起原」を探る旅が、タンゴを媒介とした「異文化交流」の様相を呈していくのだが、観ている側も知的好奇心を刺激されながら、3人と一緒にフィンランドを旅しているような気分になれるところがイイ。
そして、旅の終着駅とも言えるフィンランドの名タンゴ歌手レイヨ・タイパレ(カウリスマキの映画『マッチ工場の少女』にも出演)との白夜のセッション……アルゼンチンの情熱的なバンドネオンと、アコーディオンの優しい旋律が重なり、国境を越えて音楽が一つになる瞬間の心地よさ、素晴らしさ。

もう、タンゴの起原がアルゼンチンとかフィンランドとか、どうでもいいじゃん!どっちもいいじゃん!と誰もが気持ちよく納得したところで大団円。フィンランド・タンゴの名曲「サトゥマー」をみんなで演奏し、歌うシーンに再び、アキ・カウリスマキの姿あり!!その愉しげな光景に撮影ライトを向ける彼の口元が、一瞬、私にはどことなく緩んでいるように見えた。

※しばらくは寒い日が続く模様。皆さま、ご自愛のほど。

2014/12/04

文太さんの「サムシング・エルス」



菅原文太さんの死が報じられた日(121日)から一日1作、在りし日を偲ぶつもりで『仁義なき戦い』シリーズのDVDを観ていた。

本棚からも、暫く眠っていた『仁義なき戦い 浪漫アルバム』(1998年・徳間書店刊)を取り出し、再読……「ポスターギャラリー」の中の文太さんを眺め、刺激的な宣伝コピーに目を留めながら、全共闘運動の終焉、「連合赤軍事件」等を契機として閉塞感が漂いはじめた時代に、若者たちの心に凄まじい熱を浴びせ続けたパワフルな群像劇の魅力に、久しぶりに浸った。

その本の中には、「僕が目指したのはバルザックの「人間喜劇」。決まった主人公もいない、勧善懲悪もない、群衆としての登場人物全体のうねりのようなものがエネルギーになるところを、お客さんに伝えたいと思っていた」と語る脚本家・笠原和夫や、「最初は菅原文太じゃなく渡哲也を主役にしようと思っていた」などと製作の舞台裏を話すプロデューサーの日下部五朗、そして「昭和20年の敗戦でガラガラと崩れ去った日本の支配体制が、20年もすると復古調の波に乗ってチャッカリと登場し始めるんです。それが我々焼け跡世代の人間には腹が立って仕方がなかった。『仁義なき戦い』はそういう我々の口惜しさを十分反映させうる素材だったんです。何故ならこれは、古くてズルい大人達にしてやられてしまう若者達のドラマですからね」と胸の内を明かす監督・深作欣二等の興味深いインタビュー記事が載っている。
が、それらファン垂涎のインタビュー記事にも増して、今も忘れがたく目に焼き付いている写真と、心に残るエッセイがある。

写真は、「代理戦争」のB全モノクロ版ポスターに使われたワンショット。海の中、褌一枚、日本刀を手にした裸の文太さんの鋭い眼光、その生きざまを示す全身の入れ墨。その写真の横に《その日が、遂に来た! 盃〈外交〉が生んだ波紋の輪が いま、一人の男〈ヤクザ〉によって広島を赤く塗りつぶす――。》という白ヌキのコピーが添えられている。
カメラマンの富山治夫氏によると、ポスター写真は、徹夜で文太さんの身体に入れ墨を入れて夜明け前に若狭湾で撮ったそうだ。

そしてエッセイは、文太さん自身が「東映映画三十年―あの日、あの時、あの映画」(1981年・東映映像事業部編)に寄せたもの。タイトルは「サムシンズ・エルス」……以下、その全文。

モダン・ジャズが好きで、かねがねモダン・ジャズのような映画を撮りたいと思い、今でもそれは変わらない。
深作さんと格闘しながら撮って、すでに、8年余りになるが『仁義なき戦い』はモダン・ジャズのような映画だったと思う。混沌、喧噪、生々しさ、レジスタンス、荒々しさ、センチメント、アドリブ、それらがあの時大きなボイラーの中で悲鳴をあげていた。
俺ばかりでなく、旭(小林)が、欣也(北大路)が、梅宮(辰夫)が、渡瀬(恒彦)、室田(日出夫)、拓三(川谷)、志賀勝が、金子(信雄)さん、方正(小松)さんが、思えばマイルス・デイビスであり、キャノンボールであり、サム・ジョーンズ、ハンク・ジョーンズであり、アート・ブレーキィ、ボビィ・ティモンズ、リー・モーガンであったと思う。そしてその演奏は、あの年の夏、ニューヨークならぬ京都、広島のゴミゴミした街と、撮影所の薄ら寒いセットで破裂せんばかりに奏でられ、そしてその音は消え去り、今は、再び帰っては来ない。
ミュートをかけたあの哀しい音を、二度と伝えてくれない俺のマイルス。陽の射さない自室にこもり、タフだった唇を閉ざして、サッチモのレコードに聴き入るだけの、しかし永遠のマイルスよ。
俺にももっと狭い、もっと陽のあたらぬ部屋が待っている、その時まで、音程の狂った安楽器を吹き鳴らし続けていよう。
『仁義なき戦い』ララバイ、さらば『仁義なき戦い』よ。

……生前「政治家の仕事はただ二つ。国民を飢えさせないことと戦争をしないことだ」と端的に喝破していた文太さん。きっと、俳優としても人間としても、多くの引き出しを持っていた、粋で見識の高い魅力的な男だったのだろう。

そんな文太さんを送った奥さまの言葉も静かで美しかった。

「『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました」

さようなら、文太さん。これまでも、これからも、私にとっての「サムシング・エルス(格別に素晴らしいモノ)」は、あなたが主役を張った映画『仁義なき戦い』です。

2014/12/01

今日からオンエア


先月に収録を終えたラジオCMが今日からオンエア。(文化放送及びニッポン放送)

この制作に携わって3年目を迎えるわけだが、コピー的には今回の「ライブ編」が一番元気、というか“あったまる感”にパワーがあって、いいんじゃないかなあ……と、勝手に評価していたが、クライアントの会議の席上、音源データで音声を流したところ、何とも言えない微妙な雰囲気になったとか。(社長からも、「私の趣味ではないが、“連呼型”という要望は叶えてくれたのでOK」という寛大かつビミョーな評価を頂いた様子)

私としては、毎週、力強く心を温めてくれる「ごめんね青春」の満島ひかり的シャウトをイメージしたのだが、クライアント的には“ほのぼの系”が良かったのかも……

と思いつつ、制作者自身も「男たち」の一人として声の出演をしている、そのCMをご紹介。


●ライブ編・20秒(「はるオンパックス」バージョン)
SE(ライブの歓声)
観客・男たち(アンコールを求める声の感じで)
    マイコール! マイコール!
    カイロはやっぱりマイコール!
    「はるオンパックス」 マイコール!
ロック系シンガー(女)
ありがとう! この冬も、しっかりあっためるよ~
    「はるオンパックス」貼りまくって行こう~!
♪ あったか、いいね~、オンパックス。


●ライブ篇・20秒(「足ぽかシート」バージョン)

SE(ライブの歓声)
観客・男たち(アンコールを求める声の感じで)
    マイコール! マイコール!
    超うす、あったか足型カイロ
    「足ぽかシート」も マイコール!
ロック系シンガー(女)
    ありがとう! 足の冷える寒い冬なのに
    こんなに温まって「足ぽかシート」サイコー~
♪ あったか、いいね~、オンパックス。