健さんの訃報を聞いたのは、18日(火)正午過ぎ。デザイナーのH君からの電話だった。丁度、ラジオCMの収録が終わり、「メシでも食べましょう」とスタッフに誘われ、赤坂見附のスタジオを出て路上を歩いている時のこと。
仕事がらみの電話の途中で「健さん、死にましたね」と唐突に告げられ「えっ!?」と驚いたが、高齢ということもあり、特別のショックはなかった。道すがら「これで、戦後のスターがほとんどいなくなったね~。残るは、長嶋茂雄……だけか~」と、誰に話すでもなく呟いただけ。
翌朝、新聞の追悼記事の最後に、隣駅にある「Tジョイ大泉」に献花台が設けられているとの記載あり。「近くだし、花を手向けに行こうか…」と少し心が動いたが、人間・高倉健は慕っているものの、20年以上も健さんの映画から離れている自分に俳優・高倉健のファンたる資格はなし。「Tジョイ大泉」で観たい映画もなかったので、献花に行くのは取り止め。今まで観た健さんの映画を改めて思い起こすことで、哀悼の意にかえることにした。
というわけで、私が過去に観た「高倉健」主演の映画は、以下の通り。(ウィキペディアの助けを借りて記憶を辿った)
網走番外地シリーズ/昭和残侠伝シリーズ/山口組三代目(1973年)/三代目襲名(1974年)/新幹線大爆破(1975年)/八甲田山(1977年)/幸福の黄色いハンカチ(1977年)/冬の華(1978年)/遥かなる山の呼び声(1980年)/駅STATION(1981年)/南極物語(1983年)/居酒屋兆治(1983年)/あ・うん(1989年)
その中で、最も忘れがたい映画と言えば、1970年代半ばに任侠映画専門の名画座「新宿昭和館」で観た『昭和残侠伝 死んで貰います』(監督マキノ雅弘/東映・1970年)……ラスト、健さんの「ご一緒ねがいます」という声が張り詰めた館内に響いた、風間重吉(池部良)と花田秀次郎(健さん)の道行シーン。雪の降る野道を番傘をさして歩く二人の姿のカッコ良さ。バックに流れる「唐獅子牡丹」が胸に沁みた。親に貰った大事な肌を 墨で汚して白刃の下で 積もり重ねた不幸のかずを 何と詫びようかお袋に 背中で泣いてる唐獅子牡丹~♪
『幸福の黄色いハンカチ』(監督・山田洋次)で印象に残っているのは、勇作(健さん)が欽也(武田鉄也)に親父ギャグ的説教をするシーン。「今日のお前の行動は、おれの所では“草野球のキャッチャー”と言うんじゃ。わかるか!!
」「えっ?」と訝る欽也(鉄也)に少しはにかみながら一言。「“みっともない(ミットも無い)”と言う意味だ」……(もちろん、映画としても今さら言うまでもない名作。健さんと倍賞千恵子の共演も新鮮だった)
『冬の華』(監督・降旗康男/脚本・倉本聡)は、残侠伝の名コンビ「花田秀次郎」と「風間重吉」の久しぶりの共演が嬉しかった。映画の冒頭、健さんと池部良の二人が並ぶ海辺のシーン、そのやりとりは「昭和残侠伝」シリーズが蘇ったかのよう。健さんの役名も「秀さん(加納秀治)」だった。
作品全体に漂う哀愁、ムショ帰りの主人公に不似合いな(?)シャガールの絵とチャイコフスキーのピアノコンチェルトが妙に効いていて、降旗監督作品としては最も好きな作品。でも、マキノ雅弘のように美意識の高い監督が撮れば、もっと素晴らしい作品になったのでは?と今でも少し残念に思う。
作品全体に漂う哀愁、ムショ帰りの主人公に不似合いな(?)シャガールの絵とチャイコフスキーのピアノコンチェルトが妙に効いていて、降旗監督作品としては最も好きな作品。でも、マキノ雅弘のように美意識の高い監督が撮れば、もっと素晴らしい作品になったのでは?と今でも少し残念に思う。
『駅STATION』(監督・降旗康男/脚本・倉本聡)は、「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました」で始まる元オリンピック代表のマラソン選手・円谷幸吉氏の遺書が流れる場面が、健さんの厳しい顔のアップも含めて最も印象的。「のっけから、こんなに切なく美しい文を読み聞かせるなんて、ちょっと反則でしょ!」と、胸の中に文句を溜めながら、自然に涙腺が緩んでいた覚えがある。また、客のいない居酒屋にふと立ち寄った健さんが、桐子(倍賞千恵子)と出会う所も忘れられない名シーン。テレビには紅白歌合戦で歌う八代亜紀の姿……名曲「舟唄」が流れる中、カウンターの三上(健さん)に肩を寄せる桐子。その二人の姿が温かく、羨ましかった。
そして、隠れた?名作『遥かなる山の呼び声』(監督・山田洋次)……主人公・田島(健さん)に判決(傷害致死で懲役2年以上4年以下)が下され、護送の刑事と共に網走に向かう汽車の中。その汽車に民子(倍賞千恵子)と虻田(ハナ肇)が乗って来る。虻田の“ハナさんらしい一人芝居”の橋渡しによって健さんの席の隣に座った民子は、万感の思いで健さんを見つめる。健さんの目にも涙が……「ハンカチ渡していいですか?」と刑事に許可をとった民子が、「はい」と健さんにハンカチを差し出す。それをくしゃくしゃになるまで握り締め、眼をふき、鼻を拭い、それでも溢れる涙を見せまいと、車窓からじっと外を見つめる健さん。その切なく熱い胸の鼓動に合わせるように、北の大地をひた走る汽車。その空撮シーンで、映画は終わった。この映画を観た後、「だって健さんが鼻水流して泣くんだぜ。もう黙って泣くしかないだろ!」と友人たちに話し、「お前も泣くぞ、観てみろよ」と仕切りに勧めていた気がする。
それにしても山田洋次は巧すぎてズルい。「この程度の話で、泣くわけにはいかない」と思いつつ、結局、最後に泣かされてしまう。(でも、この映画だけは、山田監督ではなく、健さんに泣かされた!と思っている)
それにしても山田洋次は巧すぎてズルい。「この程度の話で、泣くわけにはいかない」と思いつつ、結局、最後に泣かされてしまう。(でも、この映画だけは、山田監督ではなく、健さんに泣かされた!と思っている)
その他、『八甲田山』及び『南極物語』以降の作品に関する感想は特になし。(原作の印象につられて観にいった『居酒屋兆治』と『あ・うん』には、落胆の記憶しかない)
と書いているうちに、それぞれの作品との出会い、それを観た時の自分の状況が思い出され、妙な気分になってしまった今日。買い物ついでに地元のTSUTAYAを覗いてみたら、案の定「高倉健コーナー」は、貸出中の作品ばかり。私も年が明けたら、『昭和残侠伝』シリーズをもう一度観なおしてみようと思う。
健さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。どうぞ、安らかに。
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