2014/03/11

3年目の春……『家路』を観て。



春は名のみの風の寒さや……早春賦の歌詞どおり、冷たい風が頬をさすように吹いていた昨日、“3.11を迎える前に”と決めていた映画『家路』を観てきた。(小屋は新宿ピカデリー)

「あの日を忘れまい」と思っていても、被災地から何百キロも離れている東京に住み、特に不自由もなく怠惰な時をやり過ごしていると、テレビでも映画でも何か震災につながるものを意識的に目に入れなければ、被災地・被災者の気持ちに寄り添うどころか、全身が震えたあの日の衝撃すら遠い記憶になってしまう。
「風化」とは、そんな私(たち)の無為な日々の一コマ一コマを言うのだろうか。「復興」は名ばかりで、まだ何も終わってはいないのに。

さて、『家路』……東日本大震災に伴う原発事故によって、先祖代々受け継いできた土地を失ってしまった一家の物語。継母・登美子(田中裕子)、妻の美佐(安藤サクラ)、娘と仮設住宅に暮らす長男の総一(内野聖陽)家族と、20年前に故郷を離れながら突然帰郷し、無人となった実家に住みはじめた次男の次郎(松山ケンイチ)の生活が、オール福島ロケによって対比的に描かれる。

メガホンを取ったのは、長年TVドキュメンタリーを中心に活躍してきた久保田直。撮影地である富岡町、川内村の美しい自然、その風景の中で黙々と鍬を振う次郎の姿を捉えるシーンは、ここが避難指示区域であることすら忘れさせるほど清々しく・神々しく印象的だ。(松山ケンイチは土の似合う役者だと思う)
その一方、閑散とした町の風景が映し出すのは人々の厳しい現実……土地も仕事も失い将来の見えない生活。狭い上に、生活音も筒抜けの仮設の暮らし。そんな日常の不条理を最も強く感じさせられたのは、痴呆の兆候が現れている登美子が、無機質な迷路のような仮設住宅の中で道に迷い、必死に孫の名を叫ぶシーン。その異様な切迫感に目を凝らしながら、悲しみなのか恐怖なのか、それとも怒りなのか、分けのわからない感情に襲われ背筋が寒くなってしまった。

3年目の春、この映画と出会えたことに感謝。そして、田中裕子と松山ケンイチに拍手。

エンドロール、Salyuの歌う「アイニユケル」が胸に沁みた。




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