2013/12/13

ミランの10番!


先日、友人から「まだ読んでないなら送るよ」と、宅配便で一冊の本が送られてきた。

万城目学の最新作『とっぴんぱらりの風太郎』だが、開けてビックリ、すごいボリューム(厚さ5cm以上、750頁にも及ぶ大長編)……最近ようやく読みだした田中慎弥の『燃える家』も600頁近い長編で、2冊合わせて、眩暈がしそうな1350頁。
年内読了を目指したいが、このところ活字を追っているとすぐ眠くなるし、2冊とも持ち歩きには向かないし、1100頁は無理だなあ。と、数ページ読んだ段階で、早くも挫折の予感。

で、一昨日は、その本を送ってくれた友人+デザイナーのueちゃんと、池袋「酒菜屋」で仕事の打上げ&打合せを兼ねたミニ忘年会。全国の銘酒を豊富に揃えている店だけに、生ビール1杯で日本酒にチェンジ、名物の出し巻き玉子や七輪で焼く干物を肴に、越後村上の酒「大洋盛」(絶品!)、山口の「貴」(キリっと辛口)などをグイグイ飲み続けた。
酒席の話題は、仕事、サッカー、世情など。酔いが回って、話の内容はほとんど覚えていないが「本田がミランへ行ったら、長友のインテルとのミラノ・ダービーを見にイタリアへ行きたいなあ」……と、かなり本気の戯言を口走っていたような気がする。

そんな言葉が遠くイタリアに届いたというわけでもないだろうが、千鳥足で家に帰ったら「さっきニュースで、本田がミランに決まったって言ってたよ。背番号は10番だって」と、サッカーファンでも、本田ファンでもない家人から朗報あり。「えっ、10番!ホントかよ!」と、酒の酔いも手伝って歓喜の声を上げてしまった。

だって、日本人選手がミランの10番だぜ~!!(10年前に、誰が想像できただろう?)……

名将アリゴ・サッキの黄金時代(80年代)、“ミランの10番”を身に着けていたのは、ドレッドヘアのテクニシャンとして世界を魅了したオランダ代表のフリット、次に(93年~98年)その番号を引き継いだのは“ジェニオ”(天才)と呼ばれ10番の象徴的存在になった旧ユーゴスラビア代表のサビチェビッチ(現モンテネグロサッカー協会会長で、本田を高く評価しているが、本田自身も彼の大ファンだった)、98年からは同じ旧ユーゴスラビア代表で、分離独立後はクロアチア代表としてプレーしたボバン(1998フランスW杯で日本代表と戦った際の司令塔。プレースタイル、センス、メンタリティは本田に近いと言われている)、そして01年から10番を背負ったのは、世界で最も美しいパスを出す“マエストロ”(指揮者)と讃えられた天才的パサー、ポルトガル代表のルイ・コスタ(中田英寿がセリエAで活躍していた頃、彼の華麗なプレーをテレビで見て、悔しいけれどレベルが違う!と唸ったものだ)……このように数々の栄光に彩られ、世界中の子どもたちから憧れの眼差しを浴びる“ミランの10番”、その価値と重みは特別なものだ。それをアジア人として初めて日本人選手が身に着けるのだから、当然、本田に対する世界的注目度もCSKAモスクワ時代とは比較にならないくらいに高いはずだし、今期セリエAで低迷が続くミランの救世主として、彼にかかる期待と重圧は半端なものではないだろう。

だが、そうしたプレッシャーや厳しい状況も前へ進む力に変えて成長し続けてきたのが本田の本田たる所以。本拠地サン・シーロの大歓声の中で、さらに大きな飛躍を遂げるに違いない。そして、攻撃の中心として不調のチームを押し上げる原動力となるのはもちろん、自分が叶えた夢を、世界中の多くの子どもたちの夢に変えて、新たな10番の歴史を刻んでほしいと思う。
 
(やっぱイタリアに行こうか、マジで……再来年あたり。生きてればだけど)

0 件のコメント:

コメントを投稿