2013/11/05

健さんの勲章


「入れ墨を入れたり、寒いところへ行ったり、あなたがひどい目に遭っているのが見ていてつらい。もうちょっといい役をやらせてもらいなさい」……昨日の朝刊に、文化勲章を受章した映画俳優・高倉健さんに、母が送った心温まる手紙の一節が紹介されていた。

多分、東映のヤクザ映画『網走番外地』や『昭和残侠伝』シリーズが大ヒットしていた60年代後半頃のものだと思うが、亡きご母堂が望まれた“もうちょっといい役”をやりだしてから、皮肉にも私は以前のように健さんの映画を素直に楽しめなくなってしまった。(『ブラック・レイン』は例外として、記憶に残っているのは『幸福の黄色いハンカチ』『駅STATION』他2、3本のみ)

もちろん、それは俳優・高倉健の所為というより、作品自体の問題。その圧倒的な存在感に脚本が負けてしまうのか、逆に健さんのイメージに脚本を合わせすぎるためか、「寡黙・律儀・過去の傷」といったステロタイプな人物像を描くだけの凡作があまりに多い気がして。
だから「日本人に生まれて本当に良かったと今日、思いました」と受賞の記者会見で晴れやかに語った健さんが幸せそうに見えても、役者として作品に恵まれていたかどうかは?であり、そもそもスターではあっても「名優」と呼べる存在であるかどうかも?

その昔、『居酒屋兆治』(監督・降旗康男/1983年公開)の撮影準備が進行していた頃、今は亡き名匠・黒澤明監督から『乱』に「鉄修理(くろがねしゅり)」役での出演を打診されながら、「僕が『乱』に出ちゃうと、『居酒屋兆治』がいつ撮影できるかわからなくなる……二つを天秤にかけたら誰が考えたって、世界の黒澤作品を選ぶでしょうが、僕には出来ない。本当に申し訳ない」と謝罪し、その話を断ったという“もったいないエピソード”があるように、役者として当然の野心を貫くよりも、常に「人間・高倉健」の生き方を優先し守る人なのだろう。

表現者としてどちらの道が正しいかは分からないが、私は映画ファンの一人として「困ったよ高倉君、僕の中で鉄(くろがね)の役がこんなに膨らんでいるんですよ。僕が降旗君のところへ誤りに行きます」とまで申し出て強く決断の撤回を求めた名匠・黒澤監督の下で、「したたかな策士であり、射撃や剣術の腕も抜群。加えて芝居っ気も備えた魅力的な武将」を、健さんがどう演じたのか、観たかったなあと思う。
もう日本には、「俳優・高倉健」の新たな可能性を掘り起し、自分の作品の中で活かしきる事ができるような「世界的名匠」は存在しないのだから……

と、今さらながら残念に思うが、その時に「君は難しい人だ」と黒澤監督が言ったように、幸か不幸か健さんは役者でありながら役者の世界から抜け出た存在、その生きる姿勢において日本人男性の一つの規範となった伝説的スターとして今も私たちの前にいる。

「この国に生まれて良かったと思う人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたい」という実直かつ使命感あふれるコメントを読みながら、改めて“健さんの勲章”は俳優・高倉健の業績のみならず、「日本人・高倉健」と、その人間性を慕う多くの人々の胸に与えられたもののように思った。

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