2013/10/29

こんな一日。


「くまモンはお一人でやっているのですか?」……国民的人気キャラに関して、美智子皇后が発した“おきて破り”の素朴な質問に、思わず吹き出し「ナイス!」と心の中で拍手を送った昨晩。
その一方で「公園で猫が焼死。生きたまま着火か!?」という、微笑ましいニュースの余韻を一瞬で消し去るような、許し難くおぞましい事件もあり、自分が猫を飼う身である故か、今日は朝から微妙なテンション。

とはいえ、11時から「赤坂見附」で仕事の打合せ予定。ドヨ~ンとした気分でもいられない。珈琲一杯でシャキッと頭を切り替え9時半に家を出た。

で、道すがら……半蔵門線・永田町駅ホームを見附方面へ急ぎ足で歩いていたら、突然、後方から肩を叩かれ、びっくり。振り向くと高校時代の級友M君が笑顔で立っていた。一昨日クラス会で会ったばかりなのに、びっくりだね~!と、二言三言、言葉を交わし「じゃあ、また。元気で!」と再会を期してグッバイ。(クラス会がなかったら、お互い分からずすれ違っていただろうなあ……と何気に嬉しかった)

代理店での打合せは「ラジオCM20秒×2本)」の件。今回は「サウンドロゴ」(♪ミルキーはママの味~…みたいな)を作りたいというクライアントの要望があり、その制作を先行しながら併せて本編を作る感じ。たった20秒とはいえ要望はてんこ盛り、スケジュールもタイト。なので、明日から気合を入れていかないと……。

打合せ後は、代理店のJINさんオススメの小さなイタ飯屋でパスタ・ランチ(ボロネーゼ)。食後はハーブティーを飲みながら、サッカー好きの二人で30分ほど「いいセンターバックが欲しいよね~……でも、いないよね~」などと、ないものねだり的に日本代表の現状についてアレコレ。

JINさんと別れた後は、帰りがてら池袋・西武リブロに立ち寄り、芥川賞受賞作『共喰い』以来ご無沙汰の作家・田中慎弥の新作『燃える家』と、私的には未知の作家・中村文則の『去年の冬、きみと別れ』を宣伝文句に惹かれて購入。“去年の冬…”から少しずつ読み始めている。

 

2013/10/26

★★★★★!


今週の水曜(23日)、仕事の打合せ帰りに、銀座・和光裏「シネ・スイッチ銀座」で観た映画『もうひとりの息子』。

 感想を述べる前に、まず、パンフレットの序文から……

《壁の〈向こう側〉と〈こちら側〉。
紛争によって引き裂かれてきた両者の子どもが、
もし取り違えられ、18歳になる日まで気づかずにいたとしたら。
……誰もがもう一度、未来を信じたくなる珠玉の名作。》

 と書かれているように、作品のモチーフは、奇しくもつい先日に観た話題の日本映画『そして父になる』と同じ“病院での新生児の取り違え”(コチラは故意ではなく看護師の過失)。物語の舞台は、イスラエルによって分離壁と呼ばれる高い壁の建設が続いているヨルダン川西岸地区――未だ解決の兆しが見えないイスラエル・パレスチナ問題を背景に、突然崩れ落ちたアイデンティティによって心揺らぐ二人の青年と、「もうひとりの息子」の存在を理解し受け入れ互いに心を通わせる二人の母親、そして耐え難い真実に激しく動揺し、その渦に翻弄される二人の父親……それぞれの心情が、彼らの目線で丁寧につづられていく。

 で、感想だが……監督・脚本を手がけたロレーヌ・レヴィが「異なる立場にいる両者が、互いに手をさしのべることを描いた希望の映画」と言うように、辛い・苦しいではなく“心地よい痛み”が長く胸深く刻まれるであろう文句なしの名作。東京国際映画祭の最高賞「東京サクラグランプリ」と最優秀監督賞の二冠に輝いたと言うのもナットクの一本!私的には、今年のベスト1と言ってもいいだろう。

また、レヴィ監督が「この映画は、ある意味で、人類の未来は女性に委ねられていると宣言している映画なのかも知れません」と言っているように、宗教や民族の対立を諸共せずに超えていく母性の強さと愛の深さ、そのしなやかな女性のパワーを強烈に感じさせてくれる作品でもあった。

ちなみに、今年の928日に「国際平和デー(921日)」を記念して開催された特別上映会には、駐日イスラエル大使と駐日パレスチナ大使が招かれ、それぞれ登壇し「私たちが平和裏に共存することは可能だと信じています……1つの土地に2つの国家、そして2つの国民がいて、それが平和に暮らすということを日本の皆さんにも助けていただければと思います」「いま私は目が真っ赤になっています。女性として、母として、そしてイスラエル人として、この映画を横にいるパレスチナの皆さんと一緒に観ることができて、より深く感動しています……パレスチナの方々もイスラエルの方々も長きにわたって苦しんできました。互いに尊重しあう形の解決法を探すことは可能であると思っています」と、『もうひとりの息子』への感謝のメッセージを述べたそうだ。


映画に世界を変える力はないが、共有すること、受け渡すこと、交換すること、それならYES。それは他者の人間性を理解し、経験するための方法です――ロレーヌ・レヴィ


明日は、高校の同窓会&クラス会。

 

 

2013/10/19

「名もなき死」とオシムの涙。(&日本代表)



昨日の朝刊に《「名もなき死」に名 正念場》と題して、《ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(199295)で集団殺害の犠牲になり「名もなき死」をとげたとみられる行方不明者3万人の捜索と身元確認の作業が、正念場を迎えている》という記事が載っていた。

957月、ツズラという都市の南東約90キロのスレブレニツァで、セルビア人勢力が住民を連行し約8000人を殺害したとされる虐殺の犠牲者の遺体は、一端埋められた後、発覚を防ぐために重機で掘り起こされ、あちこちに分散して埋め直されたという。このためそれぞれの遺体はバラバラになった。

「今ここに500袋の遺体があります……500人の遺体ではありません」。法人類学の専門家ドラガナ・ブチュティッチ氏の言葉が胸に重く響く。

現在、欧米各国の資金提供により96年に設置されたICMP(国際行方不明者機関)が、ボスニア政府に協力して不明者の家族ら9万人が提供した血液をもとにDNAデータベースを構築し、遺体の身元確認作業を続けており、22000人の遺体、遺骨の身元が確認されたそうだ。(スレブレニツァの事件では、6300人を超える犠牲者の遺骨が家族の元に戻った)
だが、別々の場所で見つかった遺骨が、同一人物とされ「再結合」しても、腕・足・骨盤と小さな骨片で頭などは見つからず、遺族が遺体として受け入れるかどうかを決めかねているケースも多いという。

戦闘終息から20年近く経った今も、苛烈を極めた民族紛争の傷跡はあまりに深く大きい。当時、相次ぐ虐殺の中、特定民族の根絶を意図する「民族浄化」というナチス・ドイツを思い起こさせるような言葉も生まれた。

その傷跡は、スポーツの分野にも色濃く残る。特にサッカーにおいては……

今回のW杯欧州予選グループAは出場6チームの中に旧ユーゴスラビア諸国からセルビア、クロアチア、マケドニアの3ヵ国が同居している「異常事態」。当然の如く、「民族」「国家」などで互いに熱くなり、サポーター同士の衝突により多数のケガ人が出たようだ。とりわけ、永遠のライバルである「セルビア」と「クロアチア」の戦い「旧ユーゴスラビア・ダービー」は、互いに積年の憎しみと融和への願いが複雑に入り混じってヒートアップする。(先日、NHK BS1ドキュメンタリーWAVE W杯予選の最も熱い日~セルビアVSクロアチア」で、その因縁の闘いの1日が紹介されていた)

セルビア代表監督は、クロアチア生まれで、元ユーゴスラビア代表選手だったシニシャ・ミハイロビッチ(元日本代表監督イビチャ・オシム氏が旧ユーゴ代表監督時代に代表デビュー)。父親がセルビア人、母親はクロアチア人という多民族家庭の出身で、本来は民族融和的環境に育った彼だが、その立場上「忠実なセルビア民族の息子」であるという身の証を立てなければならない状況に置かれ、民族主義的発言を繰り返し、監督と選手の信頼関係が保てなくなったチームを「愛国心」でまとめあげようとしていたようだ。

それに対し、かつての師でもあるオシムさんは「ミハイロビッチは監督として何か特別なことをやろうとしたのだろう。しかし、国家やら愛国心やら、世論の関心を集める手段を選んだことで、誤った路線を進んでしまった。それは、どこかですでに読んだことのあるストーリーで、それをこれから採用しようというのでは時代に遅れている」などと、過去の自分の経験を踏まえアドバイスしていたらしいが、チームの内紛は収まらず、結果的にセルビアはグループAの3位でW杯出場への道は断たれた。(グループAは強豪ベルギーが1位でW杯出場決定。クロアチアは2位となり各グループ2位同士によるプレーオフへ回った)

で、その代わりと言っては変かもしれないが、「サッカーで特別なことをするために愛国心などを持ち出す時代は去った」と、絶えずメディアにメッセージを送りつつ、ボスニア・サッカー連盟正常化委員会の座長という立場で、サッカーを通じて「民族融和」に尽力するオシムさんの母国「ボスニア・ヘルツェゴビナ」が、先日(16日)のリトアニア戦に勝利し、グループGの1位でW杯初出場を決めた。
その瞬間をスタジアムの貴賓席から見つめていたオシムさんは「日本がW杯で優勝する以上のものだ。国内の多くの問題を解決できる」と、歓びの涙を流していたそうだが、私もその記事と映像・画像を見て胸が震え、目頭が熱くなるのを抑えることができなかった。

そのせいだろうか、15日に行われた日本代表戦(対ベラルーシ)の歯がゆさも淋しさも胸に残らず、寧ろW杯で応援するチームが増えたことを心から喜んでいた次第。
お陰で、日本代表に関する記事もほとんど読んでいなかったが、昨日、ネットで「スポーツナビ」等に目を通してびっくり。批評家とも言えない批評家たちが「ザックを解任すべき」「本田の暴走を止めよ」などと好き勝手な批判を繰り返している様子……

もちろん私も、現在のチーム状態や選手起用がベストとは思っていないが、今回の欧州遠征2戦の結果が悪かったというだけで、日本代表をW杯出場に導くとともにアジアカップ及び東アジアカップを制したイタリア人監督に対して、この時期に「解任」を叫ぶなど、礼節を失ったナンセンスな行為というほかない。一体、何様?と言いたい所だが、所詮、文句をつけるだけで自分の発言に責任を取らない連中の与太話のようなもの。
「納得がいくまで選手もシステムも試せばいい。そのためのリスクを冒す時間も権利も彼(ザッケローニ)にはある」「自分の意見が、まるで王の命令であるかのように思い込んでいるジャーナリストの言葉に、耳を傾ける必要はない」というオシムさんの力強い助言通り、監督も選手も巷の雑音に惑わされることなく、しっかりチームの戦略を再構築し、戦力とコンディションを整え、ブレず焦らず、敬愛する元日本代表監督の母国と共にブラジルへ向かってほしいと思う。



2013/10/13

淋しい代表戦



一昨日に続き、観測史上最も遅い真夏日の記録を再更新した昨日だったが、今日は朝から心地よい風が吹く晴天。いよいよ本格的な秋の始まりかなあ……(まあ、この先の地球の機嫌は分かりませんが)

さて、昨日(というか11日深夜2430分~)行われた「日本代表VSセルビア」。その日の22時頃まではナマで見ようと勇んでいたが、《絶対に負けられない戦い》でもないし……と勝手に言い訳しつつ眠気に負けて録画予約。翌朝6時過ぎから観はじめた。(もちろん結果は確かめずに)

で、ご存じのとおり0:2で敗戦。強豪相手のアウェー戦という点を差し引いても、どちらがW杯に出場するチームなのか?と目を疑うような内容で、「よかった~、ナマで観なくて!!」と腹立ちながらも安堵したほど、何のプラス材料も見当たらない淋しい日本代表を見せられてしまった。(お陰で朝から、気分がダウン)

試合後、本田圭佑は「悲観するような内容ではない」と言っていたが、パスミスは目立つし、速さも連動性も喪失。攻め上がる姿勢も感じられないし、相変わらず守りが弱く連係も悪い。別に敗戦という結果を責める気はないが、これだけ攻撃的魅力に欠けチームとして機能していない(&全体で攻める意識が低い)日本代表のどこをみれば楽観視できるのか?と、逆に敬愛する日本の至宝に問いただしたくもなる。

当然、選手個々を見ても不安だらけ。本来のキレがなくパスミス連発の香川、攻めるスピードが遅くシュートを打たない本田、攻撃面で彼らしい躍動感を欠いていた長友、トップとの連係が悪くチャンスを作れない岡崎、2失点に絡み守備の弱さを露呈した遠藤、反応が鈍く決定的なピンチを招いた吉田、1度だけの見せ場で後は完全に消えていた柿谷などなど……と、書けば書くほど淋しさが増すだけだが、とにかく15日の「ベラルーシ戦」では、全員で守り、攻める姿勢を貫いて欲しいと願うのみ。

ということで、今夜は「セルビア戦」を忘れて、気分をリセット。

お気に入りのチリワイン「モンテス(MONTES)」を飲みながら、WOWOWの日曜スーパーライブ「斉藤和義 Live 1993-2013」で酔うつもり。




2013/10/09

「ユートピア」から日常に戻って。



先週の木・金、東京から遠く離れた三重の山村にある“ユートピアをめざす活動体”の中の施設で、天国へ旅立つ友を送ってから一週間近く、時折ふと太宰の短編のタイトルが頭に浮かぶ。

「彼は昔の彼ならず」(He is not what he was)……

別に、亡き友の生き方や性格が変わったわけではないが、「無所有一体の理想郷」を求めて“心の研鑽”を続けていた彼と、生き難くも捨てがたい憂き世を生きる自分との“心の距離”が、あまりに遠く感じられたせいだろうと思う。(言い換えれば、“彼と俺は昔の彼と俺ならず”か)

その距離感の上に、場の空気に感じた縮めがたい温度差も重なり、この間、寂しさや悲しみとは少し異なる漠とした疲労感に捉われ、「心、此処に在らず」状態が続いていたわけだが、そろそろ自分の日常に戻らなくては……と思い、久しぶりにツレと大泉のTジョイへ。

カンヌで審査員賞を受賞した映画『そして父になる』を観てきた。

仕事と家庭、生み(血縁)と育て……映画を観たからと言って、今さら改めて考え直すことも、論じることもないが、日常の普遍的テーマに寄り添い、緩みのないストーリー展開をベースに、シリアスとユーモアをじっくりと醸し出す演出は、さすが「是枝クオリティ」。東京と地方に住む2つの家族の世界観の差をリアルに描きながら、丹念にその差を縮め、親としてお互いの思いを共有していく細やかなカメラワークが光った。(俳優陣では、子役の二人とリリー・フランキーがグー!) 

さて今夜は、楽しみにしていた「リーガルハイ」が再スタート!



2013/10/02

さらば、友よ。



 今朝7時半頃、携帯にメール着信あり。

 
すぐに気付いて開けてみると、三重県伊賀で暮らす旧友の訃報だった。

 
突然の事に、しばし呆然。

 
少し落ち着いてから彼のカミさんにTEL……

 
4年間病気と上手く付き合ってきたが、力尽きたとのこと。

 
今年の4月頃「友達に連絡しようか?誰にする?」と聞いたら、

 
「○○くらいかなあ」と私の名を告げたと言う。

 

 九州男児らしい一本気なヤツだった。

 
融通の利かない不器用なヤツだった。

 
冗談が言えないクソ真面目なヤツだった。

 
情熱的で夢想家肌の面倒臭いヤツだった。

 
でも、情けに厚く、酒に弱く

 
無邪気で優しく涙もろい、可愛いガキのような男だった。

 
いま、そんな彼の暑っ苦しさが堪らなく懐かしい。

 

通夜は明日の午後7時から。
 

午後一の新幹線で東京を発ち、最後の別れを告げに三重へ行く。