2013/08/24

あの頃と「藤圭子」



22日、歌手・藤圭子さんがこの世を去った。病死でも事故死でもなく……享年62歳。

彼女が「新宿の女」でデビューしたのは1969年。
全国を席巻した全共闘運動が、東大安田講堂攻防戦を期に急速に衰退していった頃だが、その残り火は大学から大都市の高校へと燃え移り、私の通っていた都立高もバリケード封鎖で揺れていた。

その影響で中間試験は中止。代わりにクラスでは長時間のホームルームが連日行われた。だが、もともと「全共闘」も「政治闘争」も学園外の話。場当たり的に「学校改革」をテーマに掲げた所で、全共闘シンパと一般生徒の論点が噛み合うはずもなく、具体案のない八方ふさがりの討論の中で大多数の頭と心はただ疲弊するのみ……結局、何の実質的成果も得られず、教師と生徒、生徒と生徒の間に小さからぬ溝を作っただけで、いつの間にか全学的な高揚感は消え討論も収束。あっさりバリケードも解かれ、一部の活動家とシンパを除いて、「受験」と「部活」と「恋と友情」がメインの普通の日常に戻っていってしまった。

一時、非日常的な開放感に酔う中、全共闘へのある種感傷的な共感だけで「シンパ」となり、誘われるまま街頭デモに参加していた私も、活動を継続する意志どころか根拠すら見当たらず、現実逃避のような日々を送る中で、将来の目的も見失って心は宙ぶらりん……そんな時、♪バカだな バカだな だまされちゃ~~って~と、独特の声で胸から絞り出すように歌う「新宿の女」の一節が、言い知れぬ寂寥感を伴い深く胸に沁み込んできた。







父は浪曲師、母は盲目の三味線弾き。デビュー前、東京の裏町を母と流して歩いていた薄幸の少女の歌声は、「歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」という作家・五木寛之の言葉通り(エッセー『ゴキブリの歌』より)、空虚な胸で揺れ立つ情念の狼煙のように時代を席巻し、すぐに全共闘世代を中心に多くの男たちの心を捉えた。
そして翌年、70年安保闘争で挫折した若者たちの心を鷲づかみしたと評される大ヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」によって、歌手・藤圭子は一気にスターダムを駆けあがるのだが、私も彼女のドスの利いた歌声と愁いを帯びた美しい瞳のギャップに心を強く射抜かれた一人。同世代の女子、しかも同郷(岩手県・一関市生まれ)ということでもシンパシーを掻き立てられ、熱烈なファンになっていった。

しかし、「幸せそうな藤圭子は、私が好きな薄幸の歌手・藤圭子ではない」とでも思っていたのだろうか、その熱は前川清との結婚を境に急速に冷め、「京都から博多まで」を最後に新曲への興味も失せてしまった。
以来、歌手・藤圭子の存在は、遠い日の苦く切ない思い出の中にあるのみ。時折メディアを通じて流れてくるスキャンダラスな噂も別人の事のように思っていた。(宇多田ヒカルの母としてその名を耳にした時にはさすがに驚いたが…)

とは言え、青春の一時期、ディーバとして心の中で輝いていた同世代の歌手の死は悲しく寂しいもの。心から安らかにと思う。

では、今日のブログの最後に、昨日から度々口ずさんでいる「圭子の夢は夜ひらく」を……私の好きな5番、6番の歌詞を添えて。





前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく

一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
夢は夜ひらく






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