2013/08/31

車内の会話&「ハローライフ」



先週の日曜、私用で池袋へ向かう西武線の車内で、私の傍に立っていた初老の男性二人(60代後半か?)の、こんな会話を耳にした。
「……彼は、ずっと独り身なの?」「イヤ、奥さんはいたんだよ。でも、ゴミを出してきますと言って出て行ったきり、帰って来なかったんだって」「……ふーん」

って、ちょっと待ってよ、その続きもなく話は終わっちゃうわけ?!と思わず口を挟みたくなる驚きの内容だったが、彼らにとって何故帰ってこなかったのかはどうでもよい事のようで、何の脈絡もなく話題は懐かしのヒット曲へ。「アンタあの娘のなんなのさ」と楽しそうに呟きながら、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の歌詞のユニークさを讃え合っていた。

まあ、色々と生きづらい世の中、自分の身近で何が起きても不思議じゃない状況を、中高年はみな抱えているということ。人様の人生でイチイチ深刻になってなんかいられないか……と、能天気に「ウブなネンネじゃあるまいし」と歌のセリフを呟き続ける彼らを微笑ましくさえ思ったが、やはり人様の事とはいえ“覚悟のゴミ出し”は気になる情景。残された男の心中を察するより、私はその後の“奥さん”の人生の方が気になってしまった。

さて、そんな偶然聞いた話に刺激を受けて……と言うわけではないが、今週、半年ほど本棚に眠っていた村上龍の『55歳からのハローライフ』を取り出し、3日かけて読み終えた。
本を購入した際はタイトルをよく見ずに、てっきり『13歳からのハローワーク』の中高年バージョン(職業案内風小説)かと思っていたが、「ハローワーク」否「ハローライフ」……中高年の再就職や起業をめぐる物語ではなく、中高年男女の人生のリスタートを描いた5つの連作中篇小説をまとめたもの。

それぞれに、婚活、リストラ、早期退職、ペット愛(と夫婦関係)、老いらくの恋など作品のモチーフは異なるが、《「悠々自適層」「中間層」「困窮層」を代表する人物を設定した》という5人の主人公はみな人生の折り返し点を過ぎて、何とか再出発を果たそうとする“普通の人々”。
その人生にじっくりと寄り添い、出会った人と築き得た(あるいは築こうとしている)「信頼関係」を共通コンセプトに、「生きづらい時代」を生きる人々の「希望」を探り出し、経済的格差を超えたサバイバルの在り方を提示しようとする作家の意志と温かい視線をストレートに感じることのできる珠玉の連作。もちろん、読後感も頗る心地よく、猛暑の夏を締めくくるいい本に出会うことができた。

で、「ハローライフ」の後書きを読んだ後、先週の金曜(23日)、朝日の朝刊に載っていた「生きづらい世を生きる」と題された、日本近代史家&評論家・渡辺京二さんのインタビュー記事を思い出し再読。その言葉にまた深く頷かされた。以下、印象的な部分を抜粋。

《昔は想像もつかなかったほどの生産能力を、私たちはすでに持っているんですよ。高度消費社会を支える科学技術、合理的な社会設計、商品の自由な流通。すべてが実現し、生活水準は十分に上がって、近代はその行程をほぼ歩み終えたと言っていい。まだ経済成長が必要ですか。経済にとらわれていることが、私たちの苦しみの根源なのではありませんか。人は何を求めて生きるのか、何を幸せとして生きる生き物なのか、考え直す時期なのです》
《就職難で『僕は社会から必要とされていない』と感じる若者がいるらしいねえ。でも、人は社会から認められ、許されて生きるものではない。そもそも社会なんて矛盾だらけで、そんな立派なものじゃない。社会がどうあろうと、自分は生きたいし、生きてみせる、という意地を持ってほしいなあ》
《人は何のために生きるのかと考えると、何か大きな存在、意義あるものにつながりたくなります。ただ、それは下手をするとナチズムや共産主義のように、ある大義のために人間を犠牲にしてしまう危険がある。人間の命を燃料にして前に進むものはいけません。その失敗は、歴史がすでに証明しています》
《人と人の間で何かを作り出すことですよ。自分を超えた国家の力はどうしても働いてくるんだけど、なるべくそれに左右されず、依存もしない。自分がキープできる範囲の世界で、自分の仲間と豊かで楽しい世界を作っていく。みんなで集まって芝居をやるのもいい。ささやかにやっていける会社を10人くらいで立ち上げてもいい》

どんな世の中でも、「希望」は、いつだって自分の近くにあるさ。村上龍も渡辺京二もそう言っているように思う。


今夜は、身近な仲間と田無の「与作」で今夏ラストの暑気払い。




2013/08/24

あの頃と「藤圭子」



22日、歌手・藤圭子さんがこの世を去った。病死でも事故死でもなく……享年62歳。

彼女が「新宿の女」でデビューしたのは1969年。
全国を席巻した全共闘運動が、東大安田講堂攻防戦を期に急速に衰退していった頃だが、その残り火は大学から大都市の高校へと燃え移り、私の通っていた都立高もバリケード封鎖で揺れていた。

その影響で中間試験は中止。代わりにクラスでは長時間のホームルームが連日行われた。だが、もともと「全共闘」も「政治闘争」も学園外の話。場当たり的に「学校改革」をテーマに掲げた所で、全共闘シンパと一般生徒の論点が噛み合うはずもなく、具体案のない八方ふさがりの討論の中で大多数の頭と心はただ疲弊するのみ……結局、何の実質的成果も得られず、教師と生徒、生徒と生徒の間に小さからぬ溝を作っただけで、いつの間にか全学的な高揚感は消え討論も収束。あっさりバリケードも解かれ、一部の活動家とシンパを除いて、「受験」と「部活」と「恋と友情」がメインの普通の日常に戻っていってしまった。

一時、非日常的な開放感に酔う中、全共闘へのある種感傷的な共感だけで「シンパ」となり、誘われるまま街頭デモに参加していた私も、活動を継続する意志どころか根拠すら見当たらず、現実逃避のような日々を送る中で、将来の目的も見失って心は宙ぶらりん……そんな時、♪バカだな バカだな だまされちゃ~~って~と、独特の声で胸から絞り出すように歌う「新宿の女」の一節が、言い知れぬ寂寥感を伴い深く胸に沁み込んできた。







父は浪曲師、母は盲目の三味線弾き。デビュー前、東京の裏町を母と流して歩いていた薄幸の少女の歌声は、「歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」という作家・五木寛之の言葉通り(エッセー『ゴキブリの歌』より)、空虚な胸で揺れ立つ情念の狼煙のように時代を席巻し、すぐに全共闘世代を中心に多くの男たちの心を捉えた。
そして翌年、70年安保闘争で挫折した若者たちの心を鷲づかみしたと評される大ヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」によって、歌手・藤圭子は一気にスターダムを駆けあがるのだが、私も彼女のドスの利いた歌声と愁いを帯びた美しい瞳のギャップに心を強く射抜かれた一人。同世代の女子、しかも同郷(岩手県・一関市生まれ)ということでもシンパシーを掻き立てられ、熱烈なファンになっていった。

しかし、「幸せそうな藤圭子は、私が好きな薄幸の歌手・藤圭子ではない」とでも思っていたのだろうか、その熱は前川清との結婚を境に急速に冷め、「京都から博多まで」を最後に新曲への興味も失せてしまった。
以来、歌手・藤圭子の存在は、遠い日の苦く切ない思い出の中にあるのみ。時折メディアを通じて流れてくるスキャンダラスな噂も別人の事のように思っていた。(宇多田ヒカルの母としてその名を耳にした時にはさすがに驚いたが…)

とは言え、青春の一時期、ディーバとして心の中で輝いていた同世代の歌手の死は悲しく寂しいもの。心から安らかにと思う。

では、今日のブログの最後に、昨日から度々口ずさんでいる「圭子の夢は夜ひらく」を……私の好きな5番、6番の歌詞を添えて。





前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく

一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
夢は夜ひらく






2013/08/17

暑い夏の、熱い一冊。



連日の猛暑。人それぞれに熱中症予防&夏バテ対策はあるのだろうが、ウチでは朝の『あまちゃん』と夜の「スイカ」が夏の元気の源(ちょっと爺臭い?)。「スイカ」は、近所の八百屋さんで8分の1にカットされたものをほぼ毎日食べている。(こんなに食べていいの?と思って調べたら、「夏の果物の王様」と呼ばれるくらい身体に良いそうだ)

で、朝ドラ『あまちゃん』に関しては、今さらその面白さを紹介するまでもないが、最近「ホントにクドカンは上手いなあ」と感心させられているのは、ドラマの中でのケータイの使い方。コミカルな流れからシリアスな展開への移行など、ケータイならではのコミュニケーションを巧みに組み込んでドラマ的転調を図るところが絶妙。特に今週の“変顔対決”には、大笑いしながら「流石!」と唸ってしまった。

ということで、夏のアタマを元気にする、猛暑よりも熱い本をサラッと紹介。

タイトルは『七帝柔道記』……「七帝」とは、旧帝国大学のことで、北から北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大。この7大学で年に1回(夏)、「七帝戦」と呼ばれる寝技中心の柔道大会が開催されているのだが、本書はその「七帝柔道」に憧れて北海道大学に入学した主人公・増田俊也の柔道漬けの日々を描く、著者の自伝的青春小説。

簡単に言えば、突出したヒーローのいないスポ根「柔道一直線」だが、とにかく、身も心もボロボロになる壮絶な練習風景と、そこに展開される濃密な人間模様が息苦しいまでに圧倒的な熱量で迫ってくるから、ページをめくる手が止まらない。
そしていつの間にか、弱さと情けなさを噛みしめて厳しい練習に励み、試合に挑む“普通の若者たち”の成長ドラマに、自分の人生を重ね合わせて「帰り来ぬ青春」を想いながら熱い共感を抱くはず。まさに中高年男性“一気読み”確実の面白本!


2013/08/16

夏の夜の夢&ウルグアイ戦



この暑さの所為か、妙な夢を見た。

私が居る場所(夢の中で)は見知らぬ会社のオフィス、30年近く着たことのないスーツ姿でデスクに座っている。するとTBSの人気ドラマ『半沢直樹』にオネエキャラの国税局統括官役で出演している「片岡愛之助」が、いつの間にか傍に立っていて「ねえ、休みはいつとるの?ワタシは今週と来週の木・金・土……ダブらないようにしてね」とドラマのままの口調で話しかけてきた。だが、デスク脇のカレンダーを見ても彼とダブらないで休めそうな週末が見当たらず「それなら私は9月に入ってから休みます」という風に言葉を返した所、「ダメよ、夏休みなんだから。今月中にとってね」と無慈悲に言われ、あっさり撃沈。「じゃあ、どこで休めばいいんだよ!?」と少し憤りつつ思案しているうちに意識が遠のき、暑苦しくなって目が覚めた……というもの。

別に仕事が忙しいわけでも、片岡愛之助が好きなわけでも、もちろんオネエキャラでもないのに、なぜこんな夢を見たのだろう?そもそも「自由業」の私に夏期休暇は無縁だし(逆に毎日が夏休みのようなもの)……と、しばし考えて、ふと思った。コレは、空白の多い自室のカレンダーを何がしかの予定で埋めたいという願望の裏返しかもしれない。
というわけで、そろそろ飲み会の計画でも立てて友人たちに発信しようかなあ、と思っている次第。(とりあえず明日の土曜は、高校時代の部活の仲間4人で暑気払い)

さて、ウルグアイ戦……
一昨日、ザック・ジャパンが守りのミス&弱点を露呈し4:2で敗れたことによって、各スポーツ紙&ネット上では代表メンバー(特に吉田麻也)や監督に対するダメ出しと批判の声が噴出しているが、個人的にはザック采配に疑問はないし、内容的にもそれほど酷いゲームだったとは思っていない。寧ろ、親善試合としてはかなりガチな戦いで、ピンチもチャンスも多くスリリングで目の離せない好ゲームといった印象。岡崎、本田、香川を中心に、日本の攻める姿勢も最後まで貫かれていたし、「厳しい戦いが唯一の成長手段」というザックの言葉どおり、再度チームの課題を把握し、新戦力(柿谷、山口、豊田)との融合を図る上でも、そのきっかけとなる有益な試合だったと思う。

もちろん、ミスを突かれての完敗という結果は残念だが、相手は強豪ウルグアイ。世界ランク12位の“格上”であり、スアレス、フォルラン、カバーニ(今回は出場せず)というワールドクラスのFWが3人もいて、近い将来、ブラジルやスペインとも肩を並べる可能性の高い強力なチーム(W杯に出場できれば、優勝候補の一角に入るのでは?)。敗戦を嘆くより、この時期に、こういうレベルの相手と戦えたことを歓ぶべきであり、あまり悲観的になる必要はない。

ただ、個の力では世界に対抗できないという現実は直視しなくてはいけないかも……ウルグアイ代表のスアレス(リヴァプール)のように「一人で試合を変えられる選手」が日本にはいないのだから(本田や香川はそれを目指しているように見えるが)、今後は組織プレーの質の向上が第一。個のレベルアップと同時に組織的連動性を一層重視し、チームとしてのプレースピードと運動量をもっともっと高めてほしいと思う。


2013/08/09

ポレポレ東中野



という変わった名前の映画館。以前から気になっていたが、一昨日初めて行ってきた。(ポレポレとはスワヒリ語で「ゆっくりゆっくり」という意味らしい)

場所は、大江戸線・東中野駅から歩いて1分、「ポレポレ座」という喫茶店が1階にあるビルの地下……上映時間も迫っていたのでまっすぐ映画館に入ろうと思ったが、「ポレポレ座」の開放的な雰囲気に惹かれてフラッと入店、道草ついでにグイッと一杯、エビスの生を飲みほした。

で、観てきた映画はコレ……




選挙の度にあらわれる「泡沫候補」の知られざる実態に迫った“笑って泣ける”ドキュメンタリー作品『立候補』。
案内チラシには、出演者としてマック赤坂、外山恒一ほか数人の泡沫候補が名を連ねるが、映像は8割方「マック赤坂」さんの姿(選挙活動)を追ったもの。
この国の議会制民主主義を支える選挙システムの危うさ・怪しさを暴き出すかのように、多数派という動かしがたい強大な勢力(権力?)に抗い、一人戦いを挑む彼の真摯な姿勢&奇天烈なパフォーマンに心からエールを送りたくなる作品だ。

外山恒一の「少数派の諸君、選挙でなにかが変わると思ったら大間違いだ。所詮、選挙なんか多数派のお祭りに過ぎない。我々少数派にとって選挙ほどバカバカしいものはない。多数決で決めれば多数派が勝つに決まっているではないか」という演説(政見放送用)も、実質的に破綻しかけている議会制民主主義への痛烈な皮肉として面白かったが、特に印象に残ったのはラストシーン……
201212月の衆院選前日の秋葉原駅前、自民党の街頭演説にマックさんが乱入(と書くと妨害行為のようだが、何処で演説しようが立候補者の自由であり正当な権利の行使)。すると「恥を知れ!」「ゴミ!」「売国奴!」と口汚く罵りつつ追い出そうとする安倍晋三・日の丸親衛隊、中には携帯をマック氏に向け自分の中指を突き立てて写メを取る者もいる。
そうした侮蔑的な態度に怒りを抑えきれず「言いたいことがあるなら、ひとりでこの壇上に上がって意見しろよ」「一人で闘ってみろよ!」と父の活動を庇いながら叫ぶマック氏のご子息の姿が胸を打つ。
と同時に、その背中に浴びせられる圧倒的多数の怒号と、彼が振り返った先に翻る異様な数の日の丸が暗澹とした未来の象徴のように思え、背筋が寒くなるのを感じた。

以上、映画も刺激的だったが、「ポレポレ東中野」も魅力的。明日(10日)からは、7日の朝日・夕刊でも紹介されていた沖縄を舞台にしたドキュメンタリー映画『標的の村』が上映される。

暑さ厳しき折、皆様くれぐれもご自愛のほど。

2013/08/03

東アジア杯 雑感



サッカーの話の前に、韓国代表サポーター「Red Devils(赤い悪魔)」が掲げた「歴史を忘却した民族に未来はない」という横断幕の件。

応援時の政治的な主張を禁じる国際サッカー連盟(FIFA)の規定に違反する可能性があるということで、日本サッカー協会が主催の東アジア連盟に抗議文を提出したそうだが、韓国内でも政治的主張を強める「赤い悪魔」の活動に対する批判の声が噴出しており、協会の抗議は「スポーツの政治化(戦争化)」を防ぐ上でも当然のことだと思う。
ただ、それに関連して下村文科相が「国の民度が問われる」と民族感情を逆なでするような発言をしたのは、官房長官の言に倣えば「誠に遺憾」なこと。連盟の裁定に問題の決着を委ねた日本サッカー協会にとっても迷惑な話だろうし、個人的にも「政治家の出る幕じゃない、すっこんでろ!」と一喝したいくらいの余計な横ヤリだ。
恐らく下村氏は、スポーツの“政治化”が問題視されていることが全く分かっていないか、自分が政治家(しかも内閣の構成員)であることを忘れているのだろう。でなければ、殊更お互いの対立を煽るような2chレベルの反応を公の場で示すはずがない。

で、彼が言う「民度」についてだが、他国の民度を問う前に、ぜひ日本のサッカー関連のスレッドを読んでいただきたいもの。韓国や中国に対して差別用語丸出しで口汚くののしる愛国者(?)がゴロゴロいて、その嘆かわしいほどの“民度の低さ”に唖然とするはず(そういう人たちが下村発言を持ち上げ、さらに韓国に対する攻撃的言辞を強めているという悪循環)。国を代表する政治家なら、まず自国の民度を客観的に見つめ、排外主義的発言の氾濫を冷静に諌めるのが先ではないかと思う。

また、韓国が一貫して問題視する「旭日旗」に関しても、政府が「旭日旗の意匠が日本国内で現在もよく使用されている。特定の信念や軍国主義の主張には当たらないと考えている」という見解をまとめたようだが、それで誰が納得し、何が解決されるのか?
現実的に韓国内では「旭日旗=軍旗=日本帝国主義の象徴」と捉えられているわけだから、日韓戦で日本人のサポーターか観客が日の丸ではなく敢えて“軍旗”を掲げれば、それは反日感情を煽る政治的パフォーマンスであるのは明らかであり、横断幕に抗議すると同時に旭日旗掲揚の自粛に努めるのが「民度の高い国」のやるべきことではないだろうか。その上で「お互い相手が嫌がることはやめよう」と様々なルートを通じて呼びかけるのが、スポーツの政治化を防ぎお互いの友好関係を築くための基本的態度だと思うのだが……

というわけで、私は韓国であれ日本であれ、サッカーの場で政治的主張を繰り返したり、お互いの民族感情を傷つける言葉を平気で浴びせたり、対戦相手に対するリスペクトの姿勢を持たない人たちを「サッカーファン」だとは思っていない。今後も、そうした偏狭的かつ挑発的な主張や行動によって、サッカーの楽しみを奪われることだけはご免こうむりたい。


さて、本題の「東アジア杯」……(前振りが長すぎたので本題は短めに)
宿敵韓国を倒しての初優勝という結果は立派だったが、3試合ともクオリティ的には低レベル。このメンバーがインターナショナルな大会で活躍できるかと言えば、かなり疑問符がつく。

例えば、一躍ヒーローとなった柿谷曜一郎……その非凡なセンスとポテンシャルに疑いの余地はないが、海外組を含めた代表の1トップに求められる質(ポストプレー、フォアチェック、空中戦の強さ)を考えれば「当確」とは言えず、運動量とフィジカルの面での少し心もとない感じ。タイプ的にもセンターフォワードというより、セカンドトップかウイング、もしくはトップ下の選手という気がする。
と言って代表の2列目は最も人材が多く厳しい激戦区。近い将来、海外のビッグクラブでの活躍も望める才能豊かな選手だろうが、現時点で本田、岡崎、香川の3人+清武を押しのけるだけの実力と魅力は持ち得ていないように思う。同様にオーストラリア戦で鮮烈なゴールを決めた「斉藤学」も2列目の選手ゆえの厳しさがある。切れ味鋭いドリブルは確かに魅力だが、スーパーサブ的な役割を担う同タイプの海外組「乾貴士」と比べてどうか?今のところ実績と運動量込みの“二択”であればイヌイに軍配をあげたい。

で、私の一押し“新戦力”はオーストラリア戦の1トップ「豊田陽平」。ポストプレーの安定感、空中戦の強さ、運動量、フィジカル……どれをとっても期待値は高く、現在の代表1トップ前田遼一と比べても甲乙つけがたい魅力的なセンターフォワードだと思う。(私的にはハーフナー・マイクより、断然、豊田陽平!)

他では、大会MVPのボランチ・山口蛍、オーストラリア戦2ゴールの大迫勇也、センス溢れるMF山田大記(本田が欠けた際の有力トップ下候補)、対人の強さ&安定した守備力を示した徳永悠平(長友が不調の際の有力サイドバック候補)などが好印象。

814日のキリンカップで、南米の強豪「ウルグアイ」を相手にどんなプレーをするのか、海外組とのコンビネーションを含めてもう一度じっくり彼らを見てみたい。(特に、豊田と柿谷に熱視線!)